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      <title>中東TODAY</title>
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      <description>中東の人々の本音を知るため、中東ニュースの重要項目を解説し、中東の未来を予測します。</description>
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         <title>NO・２２１７「自国に失望しトルコを理想国と思うアラブ人」</title>
         <description>
　最近トルコが行った、中東諸国での世論調査の結果が出た。その調査内容は『トルコについて中東諸国の人たちが、どう思っているか？』ということだ。
　結果は、78パーセントの中東の人たちが、トルコについて、極めて好印象を持っていることが分かった。なかでも、トルコの政治手法を支持する人が、極めて多いという結果だった。
　この調査は、トルコ経済社会研究財団(TESEV)が行ったものであり、中東の16カ国、2323人を対称にしたものだった。昨年も同様の調査が行われたようだが、今年の結果は昨年同様に、トルコにとって極めて、好意的なものだったということだ。
　例外的に、トルコに対する印象が悪くなっている国は、シリアとイランであり、このことは最近のトルコ政府の、シリア内紛に対する厳しい対応を、反映したものと思われる。
　これとは逆に、トルコに好印象を持つ人たちが、安定的に多いのは、トルコのイスラエルに対する厳しい対応が、反映しているものと思われる。このため、中東諸国なかでもアラブの人たちは、トルコがパレスチナ問題に、もっと関与してくれることを期待する、と答えている。
　加えて、61パーセントの人たちが、トルコの政冶手法を、自国のモデルとしたい、と答えているということだ。これに反対し、トルコは自国政治のいいモデルとなり得ない、と答えた人たちが、22パーセントいたということだ。
　トルコの対する印象が極めていいのは、トルコ経済が極めて順調なことと、対外政策が一貫していることに、よるのではないか。
　他方、アラブの春を経験したアラブ諸国では、革命後の成果が、何一つ大衆の手に渡っていない。このことから来るフラストレーションが、ますますトルコを理想国家というイメージで、捉えさせているのかもしれない。
　しかし、一部のアラブ人インテリのなかには、トルコがかつてのオスマン帝国時代のように、自国を支配下に置くのではないか、という懸念を抱いている人たちもいる。
　だが、彼らの主張は極めて身勝手であり『トルコに指導されたくも、支配されたくも無いが、トルコにあらゆることで支援して欲しい。』というものだ。そのような甘えの構造が、アラブのインテリの間にある限り、アラブは独り立ちできないのかもしれない。
　革命が第一段階を過ぎた今こそ、インテリが率先して自国の将来像を、作っていかなければならないはずだ。そのことを怠って『アッラーが全ての問題を解決してくれる。』という神頼みが、ムスリム同胞団やサラフィ組織の選挙での、大勝利に繋がったのであろう。
　しかし、それはやり場の無い不満を、若者層に抱かせ、今回のポート・サイドのサッカー試合における、74人もの死者を出す大惨事を生み、続いてカイロでの暴動に繋がっているのではないか。エジプトについて言えば、状況は今後ますます、悪化していくものと思われる。それを止めうるのは、エジプトでは軍だけであろう。



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         <pubDate>Sat, 04 Feb 2012 22:58:30 +0900</pubDate>
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         <title>NO・２２１６「アーデル・イマーム氏を裁くムスリム同胞団の愚」</title>
         <description>　アラブ世界のなかで、エジプトは最も多くの映画と、テレビ・ドラマを制作している国だ。エジプト人の明るさと軽妙さが、その作品には表れている。そのため、アラブ世界でのエジプト映画やテレビ・ドラマは押し並べて評判がいいのだ。
　そのエジプトの映画界で、最も人気が高いのがアーデル・イマーム氏であろう。彼は政治もの、社会ものなど、各種の映画に出演し、独特の味を出してきている。
　ところが最近、エジプトの法廷は彼に対し、宗教侮辱罪で１０００エジプト・ポンドの罰金と、３カ月の投獄という判決を下した。１０００エジプト・ポンドは日本円にして２万円程度であり、大金持ちの映画俳優である彼には、痛くもかゆくもなかろう。
　しかし、３カ月の投獄は、極めて不名誉なことではないのか。映画俳優はあくまでも、台本に則って役割を演じるのであって、俳優自らが台本を書くわけでも、映画を製作するわけでもないのだから、彼にそのような罪状が言い渡されること自体が、おかしな話なのだが、ご時世なのであろうか。
　このアーデル・イマーム氏に対する裁判を仕切った裁判官はアスラン・マンスール裁判官だが、彼はムスリム同胞団との関係が、強い人物と言われている。もっと直接的な言い方をすれば、彼はムスリム同胞団のメンバーなのであろう。
　アーデル・イマーム氏は７２歳であり、エジプトの映画界では重鎮中の重鎮であり、映画のストーリーや制作にも、大きな発言力を持っていたろう。また、彼はイスラム過激派に関する、映画にも参加していた。
　つまり、ムスリム同胞団にとっては、極めて不愉快であり、社会的影響力も強い人物であったことから、目の敵にしていたものと思われる。
　しかし、いまエジプト社会では、ムスリム同胞団の異常なまでの台頭と、国会占拠状態の中で、世俗派との対立が表面化してきている。
　そうしたなかで、今回の判決が下されたことは、世俗派にとっては、格好のムスリム同胞団攻撃の、口実となるのではないのか。アーデル・イマーム氏のフアンはエジプト国内ばかりではなく、アラブ世界全体に多数いるのだ。
　彼は２０１０年に、カタールのドーハで開催された映画祭では、生涯賞を受賞しているのだ。
権力を握った側は、往々にして行動が横柄になるが、ムスリム同胞団もその類なのであろう。必ずや近い将来、アーデル・イマーム氏に対する判決が、ムスリム同胞団にとって、不都合な結果を招くものと思われる。
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         <pubDate>Fri, 03 Feb 2012 15:29:14 +0900</pubDate>
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         <title>NO・２２１５「きな臭くなってきたエジプトの世俗対イスラム」</title>
         <description>　革命が達成されたのは、昨年の１月２５日だったが、以来１年間が経過した。そのなかで、ムスリム同胞団やサラフィ派は、次第に勢力を増している。先に行われた選挙では、ほぼ７０パーセントがムスリム同胞団と、サラフィ派の手に議席が渡っている。
こうした状況を、革命の火付け役をし、しかも、犠牲者を大量に出した世俗派、なかでも若者層が黙っているわけがない。ついに世俗派若者によるムスリム同胞団に対する、反発の動きが始まった。
イスラム原理主義者が過半数となった、議会が開催され始めると、若者たちは議事堂へと集結し、反ムスリム同胞団の行動を起こした。この時、ムスリム同胞団は治安部隊に代わり、このデモを阻止した。
当然の帰結として、若者たちはムスリム同胞団に対する、非難を強めることとなった。彼らは『大衆はムスリム同胞団が失墜することを望んでいる』『ムスリム同胞団は革命を売った』などと叫んだ。
これ以外にも『革命は新たに始まる』『大衆よしっかりしろ』などと、いずれのシュプレヒコールも、ムスリム同胞団に対する非難だった。
ムスリム同胞団の結成した自由公正党は、新憲法で女性の服装に対して、規制をするつもりはないと語っているが、それは段階的な措置であって、最終的には、イスラムの法律に則ったものとなろうことは、誰にも想像がつこう。
現実に、ムスリム同胞団は憲法の基礎は、イスラム法(シャリーア)だ、と明言しているのだ。
エジプトのキリスト教徒であるコプト教徒に対しては、コプト教の法律で、裁くことを認めると語っている。そうなると、エジプトでは二つの法律が適用されることになるが、問題はないのだろうかと疑問が湧く。
エジプトのポートサイド市で開催されたサッカー試合で、アルマスリー・チームがアルアハリー・チームを破った後、観客同士が衝突し、７３人(７４人とも報じられている)の死者が出る、という大惨事になった。
エジプト国民の間では、サッカーは最も人気のあるスポーツで、過去にもエジプト人同士や、他のアラブとの試合で、暴力事件が発生し、死傷者を出したことが何度もある。
今回の場合は、そのことに加え、政治へのやり場のない不満が、サッカーの試合を通じて、暴発したのかもしれない。エジプトの革命はこれからだ、と捉えておくべきではないのか。

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         <pubDate>Thu, 02 Feb 2012 13:23:06 +0900</pubDate>
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         <title>NO・２２１４「アサドもカダフィと同じ運命を選ぶのか」</title>
         <description>　シリアの情勢が、どうやら最終段階を、迎えているようだ。国連安保理がより厳しい制裁を、シリアのアサド体制に突きつけることは、ほぼ確実であろう。しかも、それはシリアが所属する、アラブ連盟の要請によって行われるのだ。
　トルコは今日の様な状況に、シリアのアサド大統領が直面することを予測し、5〜6年前から民主化を進めるよう、助言してきていた。しかも、その民主化は通常のレベルではなく、抜本的なもので無ければならない、とも説得してきていた。
　しかし、アサド大統領はこのトルコの助言を、聞き入れることが出来なかった。それは、アサド大統領が頑迷だったからだとは思えない。彼を取り巻くシリアの権力者集団の、意向であったろうと思われる。
アサド大統領は父親のハーフェズ･アサド氏が大頭領の時代に、次男であったことから、政治ではなく医学の道に進むよう、イギリスに留学させられているからだ。彼には民主主義とはどのようなものなのか、実際に生活を通じて体験して、分かっていたものと思われる。
残念なことに、彼の兄バーセルの事故死により、彼は急遽帰国させられ、父の後を継ぐことを運命付けられ、大統領に就任している。マイノリテイのアラウイー派の権力集団は、彼をトップに据えることによって、安堵したものと思われる。
しかし、今は状況が全く変わった。アサド政権は風前の灯、となっているのだ。取り巻きの勧めによる強圧政策は、国民の反発を強め、既に後退出来ないところまで来ている。
アサド大統領が試みた、土壇場の妥協と政治改革は、ことごとく反政府勢力によって拒否され、妥協の余地は残されていない。アラブ連盟が送った調査団も、彼に味方してはくれなかった。
ここまで来ると、アサド大統領に残された道は、他国に亡命するか、力で最後まで勝負するしかあるまい。そうしたなかで『アサド大統領はカダフィ大佐と同じ道を選択するだろう。』という予測が出始めている。つまりシリアの国内で死亡するということだ。
彼の妻子と家族親族は、既に国外脱出を試みたようだが、失敗に終わっている。大統領宮殿からたった訳8キロしか離れていない空港に到着し、国外に脱出することが出来なかったのだ。
それは大統領宮殿から空港までの道が、既に反体制派によって、制圧されていたからに他ならない。彼の妻アスマ夫人は、才色兼備の女性として、国際的にも著名だが、彼女は二人の子供と共に、国外脱出することが出来ず、大統領宮殿に逃げ帰ったと伝えられている。
この段階に到っては、アラブ諸国もなかなか、受け入れると言い出す国が、出てこないのではないか。それは湾岸王制諸国が、こぞってアサド体制に、批判的であったからだ。それはアサド大統領と、湾岸諸国の宿敵であるイランとの関係が、強かったからであろう。
ロシアやイランは受け入れる可能性が高かろうが、問題は脱出手段が無いということだ。どこかの国あるいは機関が仲介に入り、アサド大統領が全面的に権力を放棄して、大統領の座から降りることを決断し、その仲介を受け入れれば、あるいは可能性があるかもしれない。
その場合、残されたアラウイー派の、権力中枢に位置している人たちと、彼らの家族の運命はどうなるのか。多分、皆殺しになる危険性が、高いのではないか。5000人を超える死者を出したシリアの革命は、残虐で悲劇的な結末を向かえそうだ。
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         <pubDate>Wed, 01 Feb 2012 22:09:15 +0900</pubDate>
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         <title>NO・２２１３「ムバーラクへのラブコールがこだまし始めた」</title>
         <description>　最近と言いうか、過去１０日間ぐらいの間に、何本かの記事を目にした。それは押し並べて、ムバーラク前大統領を支持する内容のものであった。例えば、アードリー元内務相の裁判のなかで、ムバーラク氏がデモ隊に対する発砲を、命令したか否かをめぐるやり取りがあった。
　これに対し、アードリー氏は『ムバーラク大統領は命令を発しなかった。』と答えている。付け加えて、ムバーラク氏の弁護士は、ムバーラク大統領自身からはその任を降りると語っていないのだから、現職の大統領だとも語っている。
　デモ隊に対する発砲をめぐっては、軍も情報を知りえる立場にあったため、タンターウイ国防相も証言を求められているが、彼もムバーラク大統領からそのような命令は出ていない、と証言しているようだ。
　そうなると、裁判はどう進むのであろうか。発砲に関する命令については、内務相が発したのであれば、彼がその責任を取ることになり、ムバーラク氏がその件で裁かれることはあり得ない。つまり、発砲命令については、ムバーラク氏は無罪になるということだ。
　加えて、シナイ半島で生産されるガスの、イスラエル向け輸出についても、ムバーラク氏は関与していなかった、という証言がなされており、この件でも彼は無罪ということになる。それでは何を持って、ムバーラク氏を裁くのであろうか。
　次いで、ムバーラク氏が妻に対し、彼の友人であった各国の元首に働きかけ、無罪になるようにしてくれと依頼した、ということも明かされている。もしかすると、カイロの街に出回っている、ムバーラク氏と彼の二人の息子アラーアとガマールとの、絞首刑のポスターに、恐れをなしたのであろうか。
　つい最近では、月刊新聞がムバーラク氏擁護論を展開している、その内容の要点は次のようなものだ。
１：ムバーラク氏の尊厳を守り彼を釈放しろ。
２：革命は国家に損失だけを生み出した。
３：革命はムバーラクを追放できたがそのあとの状態はアナーキーだ。
４：マスコミも政治も分裂状態になりアナーキーな状態に陥っている。
　こうしたムバーラク擁護論が出てくるということは、ムスリム同胞団の権力掌握に対する、不安や国内経済がムバーラク時代よりも、悪化していることに起因しているのではないか。
　いまさら、ムバーラク氏が無罪になるとは思わないが、相当軽い判決が出ることもありうるのではないか、と思える昨今のエジプト事情だ。
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         <pubDate>Wed, 01 Feb 2012 14:53:25 +0900</pubDate>
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         <title>NO・２２１２「カダフィの財宝を探せ」</title>
         <description>　カダフィ大佐は革命闘争が始まる前の段階か、あるいはそれ以後か不明だが、大量のドル紙幣や金の延べ棒を、分散して隠匿していた。それは、カダフィ大佐にしてみれば、当然の対策であったと思われる。
　カダフィ大佐は今回の革命闘争を、植民地支配をもくろむ、欧米の陰謀と断定しており、長期闘争に入る構えでいた。そのため、資金は分散して隠匿され、武器も同様に各地に隠匿されていた。
　革命が終わった段階では、大量の武器がリビアから他の国に、密輸され問題化している。エジプト経由の物はシナイ半島を経由し、ガザ地区に密輸され、あるいは船でレバノンに密輸されたと言われている。そればかりか、アフリカ諸国にも相当量が、流れているものと思われる。
　しかし、カダフィ大佐が隠匿していた武器は、それほどの価値にはならないだろう。闇で売られる武器の取引価格は、そう高くはないからだ。たとえばクラシニコフ機関銃などは、３００~５００ドル程度で取引されているという話だ。しかも、この武器の闇取引は危険がいっぱいであり、リスキーなのだ。
　いま話題になり始めたのは、カダフィ大佐が隠匿していた、ドル札や金の延べ棒だ。その第一の隠匿先は、カダフィ大佐が居住していたトリポリの、バーブアズイーズイーヤの邸宅内だ。そこには幾つもの隠し部屋があり、そのなかにドル札や金の延べ棒が、大量に隠匿されているということだ。
　しかし、その発見に手間取った反カダフィ側は、カダフィ大佐の二男サイフルイスラーム氏を現在収容している、ジンタンからトリポリに連れてきて、その在り処を明かすよう、命令しているそうだ。
　バーブアズイーズイーヤの邸宅には、何百万ドルもの札束があり、金の延べ棒も隠されているということだ。ここ以外にも、リビア各地にも隠匿されているのだが、その在り処を知る者はカダフィ大佐の、側近中の側近たちだけだということだ。
　そこで、サイフルイスラーム氏や元情報長官だったアブドッラー・サヌーシー氏などが在り処を知っているとして、追及されているのだ。
　ところが無政府状態の現在のリビアでは、このカダフィ大佐の隠匿物をめぐっては、ほとんど宝探しの雰囲気なのであろう。探索現場では銃撃音が響き渡り、分捕り合戦が行われていることがうかがえるのだ。
　考えようによっては、アメリカやイギリス、フランスに奪われるよりは、リビア人の手に渡る方が、いいのかもしれない。そうとでも考えなければ、死んだカダフィ大佐も浮かばれまい。
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         <link>http://www.tkfd.or.jp/blog/sasaki/2012/01/no_1246.html</link>
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         <pubDate>Tue, 31 Jan 2012 12:57:16 +0900</pubDate>
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         <title>NO・２２１１「チュニジアで始まった反イスラミスト運動」</title>
         <description>
　世俗主義の若者を中心に拡大発展し、最終的に独裁体制を打倒することに成功した、北アフリカの革命運動がいま、第二段階に入り始めたようだ。それは、この革命の成果を横取りした、イスラム勢力が大衆の反発を、受け始めているのだ。
　エジプトではすでに、ムスリム同胞団に対する不審の念が、強まっていることを報告したが、チュニジアでも同じように、あるいはエジプト以上に激しい、反イスラミスト運動が始まっている。
　チュニジアの場合はナハダ党(イスラム原理主義)が、トルコのAKP ( 発展公正党)に似た、政治方針を採ることを歌い文句にし、先の選挙で大勝利しているが、その後の動向を見ていると、必ずしもトルコのAKPと、類似しているとは、言い難い部分が多いようだ。
　問題は、ナハダ党がイスラム原理主義色を強めたというよりも、他のイスラム原理主義組織の動きを、規制出来無いでいるということだ。サラフィスト・グループ(イスラム原理主義組織)が次第に、イスラム色を濃く打ち出し始めているのだ。
　例えば、女性がジーンズをはくことに対し、嫌悪感を口にして非難したり、女子学生が顔を全面的に覆う(ニカーブ)ことを、禁止した大学に対し、抗議の座り込みを、し始めているのだ。
　当然のことながら、こうしたイスラミストの暴走に対し、世俗派のチュニジア国民が、抗議の姿勢を採り始めた。先週の土曜日1月２9日には、チュニジアの首都チュニス市のボルギバ通りで、大規模な抗議デモが行われた。
　そのなかには、多くの女性が参加していたことは述べるまでも無い。ボルギバ大統領が進めた、先進的で教育重視の方針が、いま完全に躓いているということであろう。これまで教員をしていた女性は『チュニジアを14世紀に戻す気か』と怒りを露にしている。
　このチュニジアの動きは、やがてエジプトにも伝わるだろう。エジプトは何事につけ、アラブのなかで最も早く、一番前に出たいと考える国民性だからだ。先の革命運動でも、チュニジアに先を越されたことを、悔しがっていたが、今回もまたチュニジアに、先を越された感じになっている。
　エジプト国民は現段階では、一日も早い権力の委譲を、軍から文民政府にと要求しているが、最終的に、エジプトの混乱を抑えうるのは、軍だということを熟知している。
　言ってみれば、現段階の軍に対する、一部エジプト国民の反発は、駄々をこねているような、甘えの精神からであろう。チュニジアで始まり、やがてはエジプトでも始まる、イスラミストへの反発の動きは、革命の第二段階が始まったということか。

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         <pubDate>Mon, 30 Jan 2012 23:40:40 +0900</pubDate>
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         <title>NＯ・２２１０「世俗派とムスリム同胞団の対立開始」</title>
         <description>
　1月25日はエジプトの革命記念日だったが、そこで新しい動きが、明確に表面化してきた。それは革命を成功させた若者たちの世俗派と、革命の成果を横取りしたムスリム同胞団との間に、明確な亀裂が見え始めたのだ。
　当然のことであろう。若者たちにしてみれば、自分たちが命がけで成功に導いた革命の成果を、ムスリム同胞団が横取りしたのだから。しかも、革命後、世俗派は憲法改正後に、選挙を行うべきだと主張したが、ムスリム同胞団は選挙を先にして、憲法改正は後回しにすると主張した。
　それは組織力と資金力を持つ、ムスリム同胞団が選挙で、確実に勝利できると踏んでいたからであろう。国会で多数派になってしまえば、ムスリム同胞団はどのようにでも好きなように、憲法を変えることが出来るからだ。
　革命記念の日、その舞台となった革命広場(メイダーン・タハリール)には、世俗派の人たちと、ムスリム同胞団のメンバーが集まった。そこで世俗派の若者たちが、ムスリム同胞団のメンバーに対して『ムスリム同胞団は軍のリーダーと妥協した。』『お前たちは革命を売り飛ばした』と非難のシュプレヒコールを繰り返したのだ。
　ムスリム同胞団の幹部が、舞台に上がって演説を始めると、世俗派の人たちは靴を手にかざして、抗議のジェスチュアーを示した。これをアズハル大学の教員がなだめ『我々は一体なのだから止めろ』と言っても聞き入れなかった。
　革命は若者たちが始め、成功まで導いたのだ。その過程では何人もの若者たちが犠牲となっているのだ。しかし、ムスリム同胞団のメンバーからは、一人の犠牲者も出ていないのだから、若者たちが怒るのは当然であろう。
そして、革命後の選挙ではムスリム同胞団が、45パーセントを超える議席数を獲得しており、与党になり権力を手にすることは確実だ。時間の問題でムスリム同胞団はシャリーア(イスラム法)を、新たな法律のなかに、組み込んでいくものと思われる。
ムスリム同胞団の幹部は、シャリーアの施行については、段階を追って進めていく方針であろうが、もう一つのヌール党(イスラム原理主義のサラフィスト政党)がやはり、25パーセント以上の議席を獲得していることから、シャリーアの施行を急がなければならない状況に、追い込まれている。
ムスリム同胞団は述べるまでも無く、イスラム原理主義の組織であり、戦術的には緩やかなシャリーアの導入を考えていても、それを行わないということではない。やがてはシャリーアが、エジプトの主たる法源になる時が来よう。
それを急がせるのが、同じイスラム原理主義のヌール党だ。ヌール党は即刻イスラム法を採り入れ、実行することを強く希望しているからだ。そうなれば若者たちはますます、ムスリム同胞団とは相容れない、動きをしていくことになろう。
エジプト航空は4月15日から、カイロ〜成田便を、週2便飛ばすことを決めたようだ。しかし、これまで説明してきたように、エジプトはまだ観光に出かけることが出来る状態にまでは、安定していないのだ。エジプト政府はできるだけ早く、外貨を手に入れたいと思っていようから、安全だと主張しよう。
日本の旅行業者は現地ホテル代や、現地旅行会社の代金を、徹底的に叩けることから、以前にも増してエジプト・ツアーはドル箱コースとなっている。従って日本の旅行業者は、一日も早くエジプト・ツアーを始めたいだろう。
相手国政府の要請と、旅行業者の要請を受け、在エジプト日本大使館は危険度を、ワン・ランクもツー・ランクも、下げるのではないかと心配だ。
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         <pubDate>Sat, 28 Jan 2012 22:49:07 +0900</pubDate>
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         <title>NO・２２０９「エジプトは危険･観光は自粛した方がいい」</title>
         <description>
　エジプト革命から1年が過ぎ、選挙の結果を踏まえ、一応民主的な政府も出来上がり、やがて大統領も登場するだろう。関係者たちは、エジプトは順調に回復に向かっている、と言いたいところであろう。
　しかし、40年以上アラブを見続け、年に何度もエジプトを訪問している私に言わせると、エジプトの現状は、全く安全にはなっていない。各国のブログを見ていると、大半がエジプトの不安定を指摘し、第二革命、第三革命が起こる危険がある、と指摘しているのだ。
　しかし、エジプトにしてみれば、一大外貨収入源である観光産業が、回復してくれないのでは、庶民の生活は苦しさを増し、その不満が再度の大衆蜂起を、生み出すことに繋がる。もちろん、観光産業が回復したからといって、エジプトが安定化に向かう、ということは無い。
　エジプトが抱える、不安定と危険の原因は、おおよそ次のようなものであろう。
１：革命の成果は世俗派の手には渡らず、イスラム原理主義者の手に渡った。
２：イスラム原理主義者の政府はイスラム法(シャリーア)を、段階的に拡大していくだろう。
３：旧官僚はそのまま権力の座にあり、これを打倒したい、と世俗派は考えている。
４：軍は相変わらず特権を維持しており、イスラム原理主義者側は軍との連帯を、強固にしたいと思っている。
５：軍は世俗的な組織であり、イスラム原理主義勢力とは、水と油の関係にあり、やがては衝突しよう。
６：観光以外の外貨収入源は、出稼ぎ送金、スエズ運河通過料、外国援助、シナイ半島のガス輸出などだが、主な出稼ぎ先のリビアは、いまだに不安定な状況にあり、エジプト人出稼ぎ者が自由に入り込んで、仕事ができ送金出来る状態には無い。(革命前エジプトからの出稼ぎ者は100万人を越えていた)。
７：シナイのガスは、パイプ・ライン爆破テロが続いており、思うように輸出出来ていない。
８：世界の景気後退でスエズ運河の通過船は減少傾向にある。
９：企業が倒産し、失業率が上昇し、収入の無い人や減った人が相当数いる。
　挙げればキリが無いほど、エジプトはいまだに不安定であり、危険な状態にあるのだ。何時もはにこやかに対応してくれるエジプト人も、ちょっとしたことで爆発する性格を持っていることは、今回の革命劇を見ていれば分かることだ。
　エジプトが大好きで、年に3〜4回も訪問していた友人は、エジプトのホスト・ファミリーから、危険だからまだ来ない方がいいと言われている。
　私のように情勢分析をする者は、そうも言っていられないが、普通の人は観光で行く時期ではない。
　私の場合は元軍の幹部が、空港内まで迎えに来てくれ、車でホテルまで送ってくれ、次の日からはボデー・ガードも兼ねた運転手が運転する車が、ホテルに迎えに来てくれるのだ。しかも友人は常に、安全を確認していてくれるから、安全な時間帯に安全な場所に行けるのだが、それでも『今日はあそこの辺には行くな！』とはっきり言われる。
　エジプト航空が4月１５日から週二便、成田カイロを飛ぶことになったようだ。当然、エジプト側の要請と、日本の観光業者がドル箱ツアーを再開したいだろうから『エジプトは安全です』という観光旅行パンフレットが、間も無く印刷され、ばら撒かれるだろう。
　そこで、中東情勢分析を長い間やってきた、私から一言申し上げたい。『貴方はルクソール事件の再発の、犠牲者になりたいのですか！』観光は時期が来れば出来るようになるが、命は一つしかないのですよ。
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         <pubDate>Sat, 28 Jan 2012 15:32:25 +0900</pubDate>
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         <title>NO・２２０８「大丈夫かヨルダンのガス電気料金値上げ」</title>
         <description>　ヨルダン政府はガス料金の値上げに続き、電気料金の値上げを検討している。その計画によれば、電気料金は９パーセント値上げされるようだ。９パーセントの値上げということは、ほぼ１０パーセントであり、日本でもそんな値上げをしたら大騒ぎになろう。
ヨルダンは限られた数の富裕層と、もう一方にはパレスチナ難民を含む、多数の貧困層が居住しているのだ。彼らにとって、ガス料金の値上げの後の電気料金の値上げは、相当に家計に響くことは明らかだ。
　ヨルダンでは発電の８０パーセントのエネルギーが、ガスに頼っているが、そのガスは今までエジプトが供給してくれる、安価なものだった。しかし、昨年数カ月の間に起こった、１０回以上ものガス・パイプライン爆破テロにより、エジプトのヨルダン向けガスは、何度となく停止している。
　問題は、現在のヨルダン国内政治との絡みだ。ヨルダンは何度もお伝えしてきたように、国内は不安定であり、各派各層の国民が、政府に対する抗議デモを繰り返している。
　最も用心深いムスリム同胞団ですら、最近では公然と政府批判を、行うようになってきている。そうしたなかで、ガス料金の値上げに続いて、電気料金の値上げが実施されるとなれば、反政府の動きはより活発なものとなることは、誰にも予想できよう。
　サウジアラビア政府はアラブの春革命の動きのなかで、王制諸国を一つでも減らしたくないという立場から、ヨルダンとモロッコを湾岸諸国会議メンバーにするよう、働きかけてきている。
　しかし、そうした動きよりも、サウジアラビアが取るべき手段は、ヨルダンに対するエネルギーの、無償供給ではないのか。カタールはガスの大生産国として、世界的に知られている．この国もアラブ・イスラム世界での、存在感を高めたいのであれば、ヨルダンに対して、ガスの供給を行った方が、いいのではないか。
　こうした動きが湾岸諸国から起こってこないのは、あるいは第三国がそれを、阻んでいるのかもしれない。ハマースのトップがシリアのダマスカスから、ヨルダンのアンマンに移り住む方向で画策している。ハマースはアンマンに事務所を再開したい、とも伝えられている。
　それはヨルダンの王制にとって朗報であろうか?あるいはその逆であろうか？おおよその見当は付きそうなものだ。
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         <pubDate>Fri, 27 Jan 2012 13:31:58 +0900</pubDate>
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         <title>NO・２２０７「エジプト軍はなぜ戒厳令を解除したのか」</title>
         <description>　エジプトの革命は、１月２５日で１周年を迎えた。これを機に、エジプト国軍はこれまで長い間施行させてきた、戒厳令を解除することを決定した。ある意味では、思い切った決断であったと思う。
　そもそも、エジプトの戒厳令は、社会が不穏な状況になった場合、早急な対応を採ることを目的とし、ナセル大統領の時代から、施行されてきたものだ。
つまり、１９６７年に起こった第３次中東戦争を前に、ナセル大統領は国内の安定を図ると共に、イスラエル側の破壊工作や諜報活動を、抑え込むために設けたものであった。
その後、ナセル大統領の死去に伴い、サダト大統領の時代に入るが、サダト大統領は就任当初、戒厳令を解除はしなかったものの、極めて緩やかなものに留めていた。
それが再度強い拘束力を持つに至ったのは、国内の物価値上げや、基礎食品に対する政府の補助金カットなどで、社会混乱が生じ、再度強化されたのだ。そして、それはサダト大統領死去の日まで続いていた。
サダト大統領の死去の後、ムバーラク大統領が就任するが、彼も政権を掌握した段階では、国民に対する人気取りということもあってか、戒厳令の施行は、厳しいものにはしなかった。
それが再度強化されるようになったのは、ムバーラク政権末期の大衆運動に合わせてであった。それがムバーラク体制打倒後にまで続いていた、というのが実情だ。
今回、エジプトの権力側にとって、伝家の宝刀ともいえる戒厳令が、あっさり解除されたわけだが、その真相はどうなのであろうか。
考えられることは、国会議員選挙が実施され。民間の政府が出来上がっていくなかで、ムスリム同胞団がその主役となったことにあるのではないか。革命に成功した大衆は、軍が権力を掌握したままであることに、反発し抗議している。そこで軍は、民間に権力を移譲すると共に、国の安定についても、一旦責任を放棄するという選択をしたのではないか。
これからは与党である、ムスリム同胞団の自由公正党が、国家の治安維持責任を担うことになるのだ。軍は政府の要請がない限り、動かないということであろう。
そうなると、与党は今後、必要に応じて与党の責任の下に、軍に対し治安維持の要請を、することになるということだ。その場合、大衆から非難を受けるのは、軍ではなく軍に治安出動を要請した、与党自由公正党（ムスリム同胞団）に非難の矛先が向けられることになろう。
軍は今回の戒厳令解除をもって、与党自由公正党(ムスリム同胞団)に対し、お手並み拝見という姿勢を、採ったということではないのか。実際に１月２５日の革命記念日に、軍は出動していないのだ。
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         <pubDate>Thu, 26 Jan 2012 14:53:48 +0900</pubDate>
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         <title>　NO・２２０６「パレスチナのハマースは穏健化するか」</title>
         <description>　ガザで結成されたムスリム同胞団を母体とするハマースは、これまでイスラエルに対し、徹底武力闘争方針を貫いてきた。そのために、イスラエルからガザが攻撃を受甚大な被害を生み出してもいる。
　しかし、遅々として進まないパレスチナ問題解決に、憤りを感じている多くのパレスチナ人は、ハマースの支持に回るようになっている。特に、しばらく停止していたイスラエルとPAとの交渉が、ヨルダンのアンマンで再開されると、パレスチナ人たちは口をそろえて『一体何の見返りがあったのか?』『一体何の見返りを期待できるのか?』とPAに対し疑問を投げかけている。
それではこの先、ハマースは今までと同じような、強硬路線を踏襲していくのだろうか。実は少し違う流れが、ハマースのなかで始まっているようだ。それは少なからず、アラブの春の影響を、受けているようだ。
ハマースはチュニジアやエジプトの革命が成功したのは、穏健な闘争方針の成果だったと判断したようだ。そこで、ハマースも穏健な抵抗路線に変更しようとしているようだ。
具体的には、シリアのダマスカスに本部を置き、そこを拠点として活動していた、ハマースのトップが辞任を決め、次のハマースのトップ選挙には立候補しない、と言いだしているのだ。
他方、ガザに拠点を置き抵抗運動を続けてきた、イスマイル・ハニヤ氏はエジプト、チュニジア、スーダン、トルコ、カタール、イランを歴訪し、アラブの春革命とはなんであったのかを、調査したようだ。結果的に、彼はハマースの代表としての、人脈も広げることになった。
ハーリド・ミシャアル氏はダマスカスの本部を閉鎖し、ヨルダンに移住する見込みのようだ。それがかなわなければ、ガザに移り住むことになろう。ヨルダン政府が彼を受け入れ、居住を認めるか否かが、今後の焦点の一つであろう。
一説には、ハーリド・ミシャアル氏がダマスカスを離れる決断をしたのは、シリア政府がムスリム同胞団員を虐待殺害していることに、我慢が出来なかったからだという説もあるが、それは主因ではあるまい。ハマースは闘争方針を変革したいのであろう。
穏健路線に切り替えることによって、イスラエル側にハマースを認めさせ、交渉を進めていくということであろう。ハマースはマハムード・アッバース議長が提案した５月の選挙で勝利し、権力を掌中に収める可能性が高い。そうなれば、イスラエルもハマースのメンバーである、パレスチナ自治政府の高官を、無視するわけにはいかなくなるだろう。
ハーリド・ミシャアル氏がハマースのトップの座に留まれたのは、シリアとイランからの資金援助にあったわけだが、イスマイル・ハニヤ氏は今後、カタールを始めとする、湾岸諸国をスポンサーにしていくのではないか。それは、ハマースが穏健化していくことが、条件となろう。そして、それはハマースが国際社会に、受け入れられていくことにつながろう。
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         <pubDate>Wed, 25 Jan 2012 14:42:02 +0900</pubDate>
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         <title>NO・２２０５「弁護士ムバーラク大統領は無罪だ」</title>
         <description>　エジプトのムバーラク大統領の弁護士は『ムバーラク大統領は無罪だ。」と言いだしている。その根拠は、元内務大臣などが治安に関係していた高官が、有罪となるのであれば、ムバーラク大統領には罪はない、ということのようだ。
　そればかりか、イスラエルに対するガス輸出での不正についても、それを進めていたのは、エジプトの情報部の幹部であり、ムバーラク大統領も彼の二人の子息も、関与していなかったと主張している。
　事実、ムバーラク大統領下で情報長官を務めており、その後副大統領に任命されたオマル・スレイマーン氏は、ムバーラク大統領のイスラエル向けガス輸出への関与はなかった、と証言している。
　こうしたことが弁護士によって主張される裏には、エジプト革命後の現状に対する不満が、国内に満ち溢れているということがあろう。世俗派の革命を起こした青年たちは、何時の間にかツンボ桟敷に置かれ、何の主導権も手に入れることはできなかった。
　選挙結果は、７０パーセント近くをムスリム同胞団とサラフィ派が取り、エジプト議会はイスラム原理主義の方向に、どんどん向かっている。彼らは軍との関係維持を考えながら、動いているのだ。そこには、世俗派の台頭する幕は、ないようだ。
そもそも、現在軍最高評議会の幹部に収まっている人たちは、軍最高評議会のトップであるタンターウイ国防大臣をはじめとし、ムバーラク大統領によって昇格され、指名されてきた人たちだ。新たに結成されている政府にも、ムバーラク時代の政府高官が、多数連なって就任している。
　ムバーラク大統領は囚われの身ではあるが、特別待遇を受けており、いまだに政府高官に対し、モノが言える立場にいるのだ。食事は自分好みのレストランから取り、現政府の高官と何時でも電話で、連絡ができる状況にあるのだ。
　犠牲祭の折には、刑務所の外にいる元政府高官や現役の高官が、ムバーラク大統領に祝意を表すると同時に『もう少し我慢していてください、間もなく大統領の時代に戻ります。』と伝えたというのだ。
　ムバーラク大統領が無罪になるとは思えないが、彼が有罪になり、しかも処刑されるということは、ほとんどありえないのではないか。外部世界で（エジプト社会）いろいろなことが叫ばれているが、実際の状況はそれとは別だということであろうか。リビアでもカダフィ派がもり返してきているようだ。それは経済混乱が前体制の時よりも、悪化しているからであろう。
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         <pubDate>Tue, 24 Jan 2012 16:31:36 +0900</pubDate>
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         <title>NO・２２０４「日本とトルコを繋ぐいい話」</title>
         <description>　トルコでバックギャモン大会があった。バックギャモンは大昔、多分平安（奈良か飛鳥時代）の時代であろうか日本に紹介されあまりにも人気が出たために一時禁止になったという話がある中東のゲームだ。日本ではすごろく、盤すごろくと呼ばれていたものだ。
　中東ではアラブでもトルコでも、そして多分イランでもターウィラ（机という意味）と呼ばれるゲームだ。双方が白と黒の丸いピース１５個を、サイコロを振って進め、先に相手側にすべてを移した者が勝つというゲームなのだ。
　このバックギャモン大会に日本から『ニシザワケンジ』さんが参加し、入賞した。一等賞になったのか三等賞になったのかは分からないが、これが実にいい話題をトルコに提供してくれている。
　入賞者ニシザワケンジさんは賞金５００トルコリラ（２１０００円程度）を、全部慈善団体に寄付したい、と申し出たのだ。しかも、その慈善団体は日本で起こった東北震災の折に、支援活動を活発にしてくれた、トルコの慈善団体キムセヨクムに送りたい、と申し出たのだ。
　彼は入賞して獲得した賞金５００トルコ・リラを、トルコの慈善団体キムセヨクムに寄付するとともに、それに加えて、２５万円を寄付したそうだ。結果的に、このことはトルコで大きな話題となった。
　日本国内でも千葉在住の女性医師が、匿名で５００万円を寄付したいと申し出て、日本トルコ文化交流協会に連絡を取ってきている。
　『苦しい時はお互い様』というのが日本人の共通認識であったが、それがいま海を越えて、実行されていると思うとうれしい。ニシザワケンジさんが何歳の方なのはわからないが、日本人の一人として感謝申し上げたい。同様に千葉在住の女性医師にも感謝したい。
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         <pubDate>Mon, 23 Jan 2012 14:38:20 +0900</pubDate>
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         <title>NO・２２０３「次の選挙でもファタハがハマースに敗北か」</title>
         <description>
　パレスチナでもアラブの春革命が起こりそうだ。ただし、これは選挙戦での話だが、どうやらマハムード･アッバース議長の率いるファタハは、イスマイル･ハニヤ氏が率いる、ハマースに敗北しそうだ。
　このため、ファタハ幹部の間では、動揺が起こっている。元閣僚を務めたナビール･アムル氏は、緊急に選挙対策会議を開催すべきだと、マハムード･アッバース議長に進言したようだ。
　ファタハの幹部にしてみれば、気が気ではあるまい。2006年の選挙でファタハはハマースに破れ、首相職をイスマイル･ハニヤ氏が担うことになったが、強引に彼を引きずり降ろし、ファタハの幹部を充てた。
　誰が考えても、正統なやり方ではなかったのだが、マハムード･アッバース議長にしてみれば、アメリカとイスラエルの圧力の前に、そうせざるを得なかったのであろう。もちろん、彼自身の利害も大きく絡んでいた。
　その後、マハムード･アッバース議長は、何の成果も無いイスラエルとの交渉を、繰り返してきたが、他方では、イスラエルの西岸地区への入植や、東エルサレムへの入植が、着々と進められてきていた。
　マハムード･アッバース議長はパレスチナ大衆への手前、入植を凍結しないのであれば交渉に参加しないと、見得を切ってみたが、援助と絡んでいるだけに、遂にはアンマンでの交渉を受けてしまった。
　このことは、ますますファタハとマハムード･アッバース議長の信用を、低下させることとなった。当然、それはマハムード･アッバース議長が唱えている、5月4日に予定されている選挙に、大きな影響を与えよう。
　ファタハが不人気であることは、5月4日の選挙予想ばかりではなく、2006年の選挙以来続いているのだ。地方議会や職能組合の選挙で、ファタハはことごとくハマースの前に、敗北しているのだ。
　それは、マハムード･アッバース議長の汚職、イスラエルとの交渉に挑む姿勢の不真面目さ、非民主的なベテラン重視の、ファタハ強いてはパレスチナ自治政府の運営などによろう。当然のこととして、ファタハ・メンバーの若者の間から、反発が生まれている。
　ムハンマド･ダハラーン氏(元ガザの治安責任者)に対する対応も、厳しいものであったが、ファタハ・メンバーの若者層は、マハムード･アッバース議長よりも、ムハンマド･ダハラーン氏の方を、支持し信頼を寄せているのだ。
　アラブの春革命が、北アフリカ諸国を襲っているとき、マハムード･アッバース議長は『パレスチナでもアラブの春が始まる、それはイスラエルに対する革命だ。』といったことを豪語していたが、パレスチナの場合も他のアラブと同様に、パレスチナの権力者に対する、反発の動きとなりそうだ。
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         <pubDate>Mon, 23 Jan 2012 00:01:34 +0900</pubDate>
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