ニューヨークレポート(1)-田代絢子

2012−2013東京財団AFGFPフェロー田代絢子さんは、2012年9月より、ニューヨークでのリーダーシップ研修を受けました。研修前半のレポートをお届けします。

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「さあ、始めよう」
その言葉の後に続いたのは、沈黙だった。


ニューヨーク研修の第2週目、私たちフェローは“アダプティブ・リーダーシップ合宿”のためマサチューセッツ州に来ていた(写真1*)。美しい自然に囲まれた静かな別荘のリビングルームで、白い柔らかなソファに腰掛け、朝一番のコーヒーを啜り、皆とてもリラックスした様子。課題リーディングは事前に済ませたし、ファシリテーターとしてCambridge Leadership Associates(CLA)の面々を迎えて、これから一体どんなセッションが行われるのか期待で胸が膨らんでいた。それなのに、CLAのトレーナー・Hughは始めの合図を出したきり、椅子に深く座り込み沈黙したままだ。最初、それはほんの5分程度の内省の時間なのだろうと10人の誰もが暗黙の納得をした。しかし、沈黙はその後ずっと破られることはなかったのである。
沈黙はどんどんと重みを増し、妙な重圧感で部屋中を充満させる。口火を切るのは次第に難しく感じられ、私たちはただ困惑する。
数十分が経過する頃、しびれを切らせて一人のフェローが口を開く。
「すみません、Hugh。ひどく長いこと内省に時間を費やしている気がするのですが、あとどのくらいこのエクササイズを続けるのでしょうか」

Hughの目は一瞬動くも、視線はまたもとのように宙に浮く。再び、深い沈黙が襲う。

しばらくして、もう一人のフェローが声を上げる。
「ねえ、私たち試されてるんだよ。リーダーシップのトレーニングなんだから、私たち自身が舵をとるべきだってことだと思う。今日一日、グループとして何を達成すべきか、そのためにはどこから始めるべきか、議論しようよ」

しかし、Hughはやはり微動だにしない。すると今度は2~3人がばらばらと話し始める。
「こんな沈黙、もう耐えられない… みんな一体、何を考えて黙ってるの?」
「今週は、リーディングにあったリーダーシップ・スキルを実際に活用する方法を学ぶはず。CLAはそのためのファシリテーター」
「リーダーとリーダーシップは別の概念だよ。しかも、ファシリテーターはリーダーであるとも、リーダーシップを持っているとも限らないし」
「ともかくまずは、この一週間の合宿に対する個々人の期待を明らかにするべきだ」
「それは1時間前にHughに対する自己紹介としてとっくに話したよ」
「………」

方向性は、全くまとまらず、再び皆が口をつぐむ。また、あの不快な沈黙の波が押し寄せてくる気配を感じながら。ちらちらとHughに視線を送っても、Hughは正面の壁を無表情で見つめたまま私たちの声には反応しない。最初に皆でアジェンダを議論しようと提案したフェローは、すっかり戦意を失った様子で、クッションを両腕で抱え、ソファに深く沈む。すると、遂にHughが口を開く。

「ここは、とても暴力的な空間だ。私は、身の危険を感じて怯えている」
全く予測不可能な展開に、私たちは衝撃を受け、結果、沈黙は昼まで延々と続くことになる。(どうしたらいいんだろう……) 誰もが心の中で呟いているに違いない――何が本質的な問題なのかにすら、考えが及ばぬまま。

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著しい環境の変化に伴う不確実性の高まり、ステークホルダー・価値観・課題の多様化、結果として困難を極める共通目標の設定と実現――私たちがあの日体験したカオスは、まさに現代社会のミニチュアだ。こうしたカオスにおいて求められるリーダーシップを特に、従来の指揮統制型のリーダーシップ・モデルに対して「アダプティブ(適応力の高い)・リーダーシップ」と呼ぶ。(http://cambridge-leadership.com/index.php/adaptive_leadership/

このアダプティブ・リーダーシップ合宿は、不可解な長い沈黙から始まったものの、全体として様々なプログラムがぎっしりと詰まっており、一週間が終わる頃には体以上に心がくたくたになった。あまりの疲れで、その後の週末をまるごと睡眠にあてたフェローも少なくないが、それは一人一人がどれほど真剣に自身の弱さに向き合い、現状打破に挑もうとしたのか、またどれだけ素直に他の9人のフェローとぶつかり、互いの心の扉を開けようとしたのか、その証拠でもある。

一週間を通じて得た学びは計り知れないが、中でも次のメッセージが心に強く焼き付いている。
1. 弱さをさらけ出す勇気を持て。
2. 役割は脱ぎ捨て、自己を投げ出せ。
3. 他者の目を通して見つめよ。

これらの教訓が詰まった、象徴的な出来事がひとつある。
午前中のHughとのセッションで訪れる沈黙が、早くも予定調和の出来事となった合宿2日目のこと。私たちはやはり、黙っていた。しかも沈黙は、もはや不快な環境ではなく、心地よい静けさに変わっていた。
「君たちは昨日から全く成長していないね。今度は沈黙そのものに慣れることで、全員揃ってリスクをとることから逃げている」
Hughはさらに追い打ちをかけた。
「一体、君たちは一体何のためにここに存在している? 何しに来た? どんな目的のためなら、自分を危険に晒してでも立ち上がる勇気が湧くのか、教えてほしい」
束の間の沈黙の後、一人のフェローがはっきりとした声で断言した。

「私にとって、それは家族への愛です」
Hughは黙ったまま視線で、続けるように促した。彼女がその意味を懸命に説明する間、他のフェローは静かに耳を傾け続けていた。一方で私の意識はその場からどんどんと遠ざかっていった。(私だったら何て答える?)過激なシナリオをいくつも想定し、自分にとって一番大切なものは何か、極端な話、何のためだったら死ねると宣言できるのか、と必死に考える。そして何を思いついても嘘のような気がして、あれでもない、これでもないと心の皮を剥いでいく。自分にとっての真実が何かうっすらと見え始めたその時、過去と現在の間で思いが激しく交錯し、涙が溢れて止まらなくなっていた。
顔を上げると、皆が見ていた。思惑のはっきりしない沢山の視線と変わらぬ沈黙の波に囲まれ、耐えきれなかった。

「とてもじゃないけど、私は今、この場で自分の目的を発表できるだけの心の準備はできていません。すごく混乱している。最初に信じていた答えは、どれも深く内省するうちに実は全部単なる綺麗ごとだと気づいてしまって。本当は、もっとドロドロしたものが、私の人生にも、心の中にもいっぱいあるんです。そういうものがなかったら、私はこの場にはいません。でも、それを今、全部打ち明けるのはとても怖い。皆をまだそれほど信頼できていないのかもしれない」

一気に最後まで言い切ってから、ものすごく格好悪いこと――よりにもよって、一番リーダーシップから遠そうな言動をしてしまった、と冷静な自分が心の奥で呟いたが、もう取り返しはつかないことは明らかだった。素直な気持ちを打ち明けたことには間違いなく、涙でどろどろの顔とは対照的に、心は不思議と軽かった。

すると、別のフェローが後に続いた。普段は10人のまとめ役のような存在で、プロフェッショナリズムを完璧に身に纏ったかのような彼は、これまでパーソナルな話をグループ内で大っぴらに語るようなことはなかった。しかし、彼の共有した目的はとても個人的なもので、声は震えてか細く、目は潤んでいた。その瞬間、彼は全くの別人に見えた。とても脆弱な、裸の人間そのものだった。私は初めて、そのフェローと心の繋がりを感じた。それと同時に、彼がなぜいつも問題を特定してはすぐに解決策を提示しようとするのか、ようやく分かったのだ。それは単に、自分の持てる限りの力を、他の人間のために役立てたい、という純粋な思いに裏付けされた行動に過ぎなかった。

その後、フェローたちは次々に、目的、あるいはありのままの感情を吐露し始めた。重たい沈黙は、いつの間にか消えていた。

一週間のセッションを振り返ってみて、自身に一番インスピレーションを与えたのはどのメンバーか、とHughが尋ねた時、フェローの半数が、発言回数が多かったとは決していえない私の名前を挙げた。
「Junkoがありのままの姿を皆の前でさらけ出した時、自分を守っていた壁も一緒に壊れた。何をどう感じるかに良いも悪いもないし、戸惑ったり混乱したりするのも人間として当前なのだと改めて気付かされた。でも、そんな完璧じゃない弱い自分と素直に向き合うには、勇気が必要だと思う。あの朝、Junkoは勇気を持って行動した。そして自分も、そう在りたいと思った」

思わぬ言葉を仲間から受け取った。
人の心を動かす方法に、格好良いも悪いもないんだ。大切なのは、相手を信用して、自分をめいっぱい投げ出す勇気を出すこと。まずはそこから。この気付きが、その後の私自身の研修に対する姿勢、ひいては他のフェローとの信頼関係を大きく変えていったのは言うまでもない。

*写真1:後列右から4人目が田代さん