ニューヨークレポート(2)-田代絢子

2012−2013東京財団AFGFPフェロー田代絢子さんは、2012年9月より、ニューヨークでのリーダーシップ研修を受けました。研修後半のレポートをお届けします。

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「お願いです」
突然、誰かが私の腕を強く引っ張った。


2010年、肌寒い秋の夕暮。大学院進学のため、ニューヨークに引っ越してまだ数ヶ月しか経たない頃だ。私は、あっという間に暗くなっていくハーレムで、家路を急いでいた。本能的に、身の危険を感じずにはいられなかった。高鳴る鼓動を感じながら振り返ると、そこには 40歳前後の大柄な女性が、憔悴しきった様子で私の腕を掴んで立っていた。
「私には仕事がありません。ここ数日まともなものを口にしておらず、ひどい空腹に悩まされています。体調も、とても悪くて…私、HIVに感染しているんです。家では子供たちがおなかを空かせて待っています。だからお願いです。助けてください。あなたのお金を、私に恵んでください。そうしたら私、今夜一晩あなたに体を預けますから」
私は気が動転した。(この女の人、お金を求めてくるのは分かるけど、その対価として体を、しかも同じ女であるこの私に売ろうとするなんて……一体どうしろっていうの?) 脳みそが猛スピードで回転し、次にとるべき言動を必死に検索していた。結果、私の口から突いて出た言葉は、あまりに惨めで最低な5文字だった。
「…すみません!!」
彼女が私の腕を解放すると同時に私はその場から立ち去った。恥ずかしくて、まるで他の道行く人々の中に逃げ込むようにしながら。


あれから2年。2012年10月19日金曜日、午後1時過ぎ。 私は再び、 ハーレムにいた【注1】――しかし、今回は頭からつま先まで完全にびしょ濡れの姿で。土砂降りの雨の中、傘も差さずに歩き回っていたから。腹ペコで、寒くて、とても心細かった。雨宿りができ、かつ空腹を満たすことのできる場所を探し、行き先も分からぬままマンハッタンを彷徨い続けて数時間。そして、遂に見つけたのだ。

その炊き出し所は、ブロードウェイを数ブロック進んだ先の教会の地下にあった。まるで、長く暗いトンネルの先に見えるかすかな光のようだった――私はその日、既にへとへとで、半分打ちひしがれていたからだ。実は、ハーレムに辿り着く前に、私はミッドタウンのホームレス向け無料食堂で炊き出しにありつこうとしたものの、「未登録顧客」という理由で拒否されていた。彼らの定義するところの「登録顧客」というのは、ペーパーワークや結核検査など、必要な申込手続を全て済ませ、その結果、食堂併設の施設内でシェルターを確保することができた路上生活者のことだ。「本当に申し訳ないのですが…」と職員は丁寧に頭を下げた。言い換えれば私は「この施設にあなたの居場所はないから、さあ雨の降るお外にお戻りください」、と婉曲に命じられたわけである。

驚いたことに、ハーレムの炊き出し所では、私は“なんてことない”ものとして扱われた。入り口で、ゲストブックに記名するようにとしか言われなかったのだ。「本当にこれだけですか…?」信じられない思いで尋ねると、受付職員はまばたきもせず「そう、これだけ。食堂は、地下」とだけ答えた。普段なら、なんて感じが悪いのだろうと思ったかもしれない。けれど、その日はぶっきらぼうな職員のことすらとてもありがたく思えた。階段を下りながら、私は安堵でめまいがした。(私の上には、屋根がある。向こうには明かりが見える。もうこの鬱陶しい雨の中、目的もなくぶらぶらと歩き回らなくたっていい。それから……なんていったって、やっと食べられる!)

地下は、およそバーのような雰囲気であった。がやがやと賑やかで、天井からは小さなテレビがぶら下がっていた。違いがあるとすれば、人々は皆きちんと席についており、テーブルの上には何にも載っていないということくらいだ。炊き出しの時間はもう終わってしまったのだろうか。不安になり、私はすぐさま調理場で働いているボランティアに駆け寄り、「私のお昼ご飯はどこですか」と尋ねた。すると、ニューヨーク大学のロゴ入りパーカーを来た女子学生は微笑んだ。「ただ席について待っていてください。食事の準備ができたら、皆さんに一斉にお渡ししますから」炊き出し所をもう一度見回して、すぐに気付いた――この人たちはただここでたむろしているわけじゃない。食事を与えられるまで、従順に、ただじっと待っているのだ。この炊き出し所において、待つことも知らず権利だけを必死に主張し、ボランティアの注意を引いてまで食事にありつこうとしていたのは、私だけだった。ばつが悪くなって、うつむいたまま静かに席に着いた。

席に着くと、孤独がまた襲ってきた。私以外の誰もが、ハグをしたり、励ましの言葉をかけたり、時には冗談を言って一緒に笑ったり、お互いをよく知っている様子だった。まるで、透明人間になったような感覚。あるいはそれは、ただの言い訳かもしれない――私は単純に、この空間の他の誰とも視線を交わし、会話をする気力を持っていなかった。自分の周りに、見えない“壁”がどんどんと出来上がっていくのが分かった。この暖かい賑やかな炊き出し所の中で、私は自ら進んで“孤独と沈黙の世界”を創りあげていた。ここから先、どう身動きをとるべきか分からず、途方に暮れた。

すると不意に、誰かがその“壁”を壊しにやってきた。「やあ、君ってもしかしてシャイ?」アーネストと名乗るその若者は私の顔を覗き込み、笑った。緊張の糸が一気に解けていくのが分かった。アーネストと私の会話は、他愛のないものだった。話題は、互いの生まれ故郷や、兄弟、趣味、それからお気に入りのヒップホップアーティストなど、多岐にわたった。アーネストと話しながら私は、自分が今日一日、他の誰かと言葉を交わすということをどれだけ求めていたのか痛感していた。自ら沈黙を破って、赤の他人と会話を始めるだなんて、そんな思い切ったことは到底できないとずっと思い込んでいた。しかし、アーネストはそれを目の前でひょいとやってのけたのである。彼はただそこに居て、私とこの瞬間を共有しようとしただけに過ぎなかった。そして、そのためにアーネストは、ほんの少しの勇気と、ありったけのオープンさで、自分の壁を壊すことから始めたのだろう。私がコミュニティに溶け込もうとする努力を少しでも引き起こすために。

おばあさんが伝い歩きをしながら私のテーブルに近づいてきた。「隣に座ってもいいかしら」という蚊のなくような声に、私は「もちろん」と立ち上がり、彼女のために椅子を準備した。おばあさんは丁寧に深々とお辞儀をした。その体はびしょ濡れで、小刻みに震えていた。元々は美しかったであろうピンクのセーターは、雨と泥にまみれて薄灰色になっていた。私はおばあさんの手を握った。氷のように冷たかった。数秒の沈黙を置いて彼女は静かに言った。「今日はずっと長いこと、外にいたから…」

しばらくすると、テーブルに食事が配られた。リンゴジュース、サラダ、シェパードパイ、デザートにはシナモン味でソテーされたバナナ――どれも美味しく、私は無我夢中でがっついた。あまりに空腹で、あっという間に平らげてしまったその横で、おばあさんは一口ずつ味わって食事をしていた。そして二口三口味わうごとに、残りをいらないか私に聞いてくるのだ。「あなた、もっとたくさん食べなきゃ」優しい声で言うと、彼女は一口味わっただけのデザートを全て私の皿に移した。そして、私の背中を手でさすり、少しだけ微笑んだ。

私は炊き出し所を後にした。胃袋も、心も満たされていた。外は相変わらずの土砂降りだったが、そのまま雨の中を歩き続けることにした。

しかし何歩か進んだところで、立ち止まった――あの時と、全く同じ場所に立っていたからだ。2年前の秋、ハーレムであのホームレスの女性を置き去りにして逃げたあの場所。胸が疼いた。この場所で、私は彼女の持てる限りの勇気を踏みつぶしたのだ。自らの“壁”を壊し、通りすがりの私と対話を始めようとした、彼女の勇気を。あの時彼女は、聞こえざる自らの声を聞こえるものとするため、できる限りの努力をした。それを私は、自分の壁に隠れながら頑なに無視した。あの女性は、どこの誰かも分からない私に対し、体を一晩捧げるから、と懇願した。自身の尊厳を小さく切り刻んで、そのかけらを私に差し出そうとしていたのだ。そのくらい、生きることに必死だっただけなのだ。それなのに、なぜ私は分かろうともしなかったのだろう?

その瞬間、私はその日初めて、自分がいかに惨めで貧しい存在であるかを認識した。


【注1】:メトロ2回乗車券と5ドル紙幣だけを持ち、NYで貧困に直面する人たちとempathyを築く1日トレーニングでのこと。

ニューヨーク研修の総括となる、インベスターズミーティングでの成果発表(写真提供Acumen Fund)