タイプ
レポート
日付
2011/9/1

公共を担うのは誰なのか

ポートランドを訪れ、日本の自治を考える


冨田 清行
東京財団 政策研究事業ディレクター兼研究員


東京財団週末学校では、例年夏に米国オレゴン州ポートランド市を訪問し、住民参加の自治を視察するプログラムを組んでいる。週末学校は、全国の自治体職員を対象とした研修で、今年も日本各地から参加している研修生がポートランド市を訪れた。本プログラムは、講義が中心ではなく、街中を歩き(そして自転車で走り、更には公共交通機関に乗り)、行政関係者のみならず、多くの市民と直接対話する機会を多く設けている点が特徴である。日本の行政官が海外の行政官と話をするのでは、通常の業務の範囲に留まるが、日本の行政官が海外の住民と接する研修は、あまり類例がないであろう。

普段、日本国内の政策を中心に研究している私も研修生と共にポートランドに行き、日本の自治との違いや公共政策に対する考え方の違いが何なのかを考えてきた。わずか1週間の滞在ではすべてを理解することは出来ないまでも、ポートランド市民の声を通して、日本の地域政策の特徴が浮かび上がってきた。

以下、実際に見聞きしたことを踏まえて、日本とポートランドの公共に対する考えの相違を述べることとしたい。

行政と住民の間にあるもの

ポートランド市の公共を語る際にキーワードとなるのが、「Neighborhood Association(ネイバーフッド・アソシエーション)」の存在である。これは、地域住民から構成される組織であり、行政でなく、住民自らがその地域の課題を解決するために集まって議論を行い、行政やその他の利害関係者と調整するための仕組みである。日本では自治会や町内会に該当すると考えれば分かりやすい。

滞在中、ネイバーフッド・アソシエーション関係者の話を聞き、また実際に議論している場に同席した。そこでは、「公共」という問題に対して、特に難しい議論をしている訳ではなく、日常生活で生じる様々な、地域住民に共通する課題を取り上げて、解決しようとしているのである。

例えば、スーパーマーケットが拡大工事をする際、騒音や拡大に伴う交通量の増加という問題が生じる場合に、周辺の地域住民はどうすれば良いか。これを解決するために、ネイバーフッド・アソシエーションが機能する。日本であれば、事業者側と住民側の直接の対話ルートをつくることは簡単ではないし、そもそも住民同士でその課題をどう解決するかという合意を形成することも容易ではない。顔の見える地域であれば、住民同士の合意形成は可能であっても、都市部になればなる程、それはほぼ不可能に近づく。そうすると、行政に解決を委ねる選択肢しか残されなくなる。しかし、行政にそれを求めて本当に解決するのか、行政にそのような能力があるのかは疑問が出てくる。

ネイバーフッド・アソシエーションは、自分たちが暮らしている地域の課題は、まずは自分たちで解決しようという発想に基づいて活動している。行政との交渉力を持つこと自体を目的としておらず、また、行政に過度に依存することもない。もちろん、行政の力がなければ解決しない領域については、行政への働きかけをする。しかし、例えば、アルコール問題について警察に相談した場合、緊急時の対応はできても、アルコール依存症を改めることはできない。行政には限界があり、何でも行政ができる訳ではないことをポートランドの人々は理解している。

むしろ、自分たちの住むところは自分たちがよく知っており、そこで発生する課題は自分たちが解決する以外にはないという徹底した考えをもっている。ポートランド市は55万人を超える人口(東京都八王子市の人口と並ぶ規模)で、市内に95のネイバーフッド・アソシエーションが存在する。比較的大きな都市であっても、規模の大きさに関係なく、住民同士の合意を形成することが可能であることを示している。

一方で、地域住民と行政の距離の近さを見る機会にも恵まれた。

ある晩、公園に関する課題を扱っているネイバーフッド・アソシエーションのMeeting(会合)があると聞き、そこでの議論を見てきた。夏のポートランドは日本より涼しく、夜は9時近くまで明るい。公民館のような建物の一室で会合が開かれると思いきや、その会合は公園の中にあるテーブルとベンチで行われていた。10名ほどが参加して、公園内の公共施設を修繕するにはどうするか、公園内にあるガーデンの扱いについて住民の間で問題になっているがどう解決するか等、地域内の公園に関する議題に関して、次々と議論が交わされ、解決の方向性について合意していく。一部の議題では、市の行政担当官も合流し、率直な議論が(真剣であるが深刻ではない雰囲気で)展開されていた。ポートランドのネイバーフッド・アソシエーションの活躍について多くを見聞きしてきた中、この会合もポートランドらしさを表す光景だと納得していたところ、同席していた研修生の一人に聞くと、こうした光景は自分が住んでいる日本の地域でも10年ほど前までには見られ、この会合と同様に市役所の担当者も地域住民とコミュニケーションをとっていたと、意外な答えが返ってきた。

ポートランドのネイバーフッド・アソシエーション活動への若者の参加率は高くないようである。若者は自分がそこに住み続けるかどうか必ずしも決まっていないことが原因の一つであるが、それは日本も同様である。しかし、ポートランドでは、ミーティング時間帯や参加形態の多様化により、参加しやすくする工夫や努力を続けている。

ポートランドでは、行政が市民との距離を縮める努力を続けている。

住民の行政への依存が増す一方で、住民と行政と間の距離が開いていく日本の現状が、ポートランドの姿を見て、更にはっきりとしてくる。

公共を形づくるもの

ポートランドはローカルフードという食文化が定着している。自分たちが食べるものは、自分たちの近くでつくるという考えが多くの人に共有されている。街中では毎週定期的に産地直売会として旬の野菜や果物などが売られるFarmers marketが開催され多くの人で賑わい、レストランではオーガニックが特別なものではなく、通常のメニューとして掲載されている。このような地域住民の食に対する要望も踏まえ、ポートランドでは「Community garden(コミュニティ・ガーデン)」という取り組みが進んでいる。これは、自家菜園の農場だが、農場内を細かく区画を分けて、多くの人が自家栽培を実現できる仕組みであり、自家菜園のアパート・マンションといったところである。ポートランド市のwebサイトを見るとポートランド市が管理するコミュニティ・ガーデンだけでも39存在している。市が管理する他、NPOなどが管理運営するものもあり、街の中に多くのコミュニティ・ガーデンを目にすることができる。各区画は2年間借りて、そこで自らが栽培したいものを育てるが、この区画を借りる順番待ちは、1000名とも2000名とも言われている。近年、日本の各所でもコミュニティ・ガーデンが登場しているが、花の栽培が中心のようである。

今回の訪問で、私は4つのコミュニティ・ガーデンを巡った。花もあれば、ブルーベリー、とうもろこし、野菜など、区画ごとに個性豊かに作物が育っている。そして、区画ごとの個性のみならず、ガーデン単位での個性も豊かである。あるコミュニティ・ガーデンでは、地域住民の多様なガーデニングに対応するため、共同の水道施設や農器具を充実させたり、一部の区画の土台を嵩上げして大きく屈まなくても良いよう、バリアフリー環境も整えたりしている。また、別のガーデンは、教会から土地を譲り受け、そこで収穫された作物を近くのカフェに出荷するとともに、将来的に子どもたちが野菜を育てる計画を練っている。これは子どもたちがスーパーマーケットでしか野菜を見なくなっており、本来の野菜の姿を知らないという事態に対する教育プログラムともなる。さらに、貧困層の食生活を改善し健康を増進するために、有機野菜を栽培し、それを貧困層に提供する取り組みを進めているガーデンもある。

このようにそれぞれのコミュニティ・ガーデンは個性的ではあるが、共通していることがある。それぞれのコミュニティ・ガーデンの理念が確立していることである。地域住民同士のつながり、子どもの教育、食料問題・貧困問題の解決など、コミュニティが立脚する地面が見えている。また、もう一つの共通点は、どこも行政の存在を感じさせない点である。運営者に行政に依頼したいことはないか尋ねると、考えた末、要望がほとんど出てこない。何かあれば行政に頼むのではなく、自分たちのことは、自分たちでルールをつくり、自分たちで解決するという姿勢である。

もちろん課題がないわけではない。コミュニティ・ガーデン内のつながりにも濃淡がある。ここで形成されたコミュニティがガーデン活動以外の活動にも展開していることを予想していたが、そうとも限らず、また、隣の区画はあまり気にしないという個人主義的な発想も当然、存在する。

しかし、理念の共有という基本が、どのコミュニティ・ガーデンにも存在しており、コミュニティを維持するための工夫や努力が垣間見られる。

コミュニティ・ガーデンの取り組みの基本にあることは、単位は異なるものの、市町村という区域を念頭にした地域政策と通ずるものがあるのではないだろうか。

公共とは何か。それを考える上で、コミュニティ・ガーデンはそのヒントを提供している。

公共の担い手とは

米国=クルマ社会という印象だが、ポートランド市内を歩くと、ライトレールやストリートカー(路面電車)といった公共交通機関、クルマ、自転車、歩行者が「整然と」混在していることに気付く。市の中心部では交通量が多くなるが、街の区画が小さいこともあって、信号が多くクルマが速度を出せないようになっているし、自転車専用レーンや自転車専用信号も整備されており、歩道を自転車が疾走することもない。

滞在中、私はポートランド市内を自転車で駆け回った。普段、あまり自転車に乗らない私が、いきなり交通量の多い海外の街中を自転車に乗るのは無謀な試みとも思えたが、実際に走ってみると、その不安は払拭された。

今回、多くの行政関係者の話を聞くことができたが、政策をつくる際に、そして政策を実行する際に心がけている点として、地域住民との近さを念頭に置いていることが挙げられる。交通政策における取り組みには、これを具体的に示す事例が多く見られる。

ポートランド市は、市職員が市民と共に自転車で街中を走り、どこが注意すべきポイントか、どこを走れば安全かなど、一緒に実際に街中を走ることで交通政策を周知している。また、子どもたちに対しては、行政関係者が通学路を一緒に走り、子どもたちに気を付けるべきことを学んでもらうプログラムを学校に打診し、実践している。道路の整備などのハード面だけでなく、市民に交通政策を浸透させるためのソフト面での充実も進めている。

自転車の他、ポートランドの交通の特徴としては、公共交通システムが挙げられる。市の中心部と郊外を結ぶ重要な交通手段であるライトレールやストリートカーによる公共交通網を発達させてきた。ダウンタウン部には無料区間(フリーゾーン)が設定され、その政策が40年近く運用されてきたが、その制度の弊害が目立つようになってきたため、この政策の変更が迫られた。しかし、フリーゾーンを見直すことは多くの利害関係者の調整が必要となる。そのために、ポートランド市は、地域住民との議論を開始し、フリーゾーンを廃止するか否かに関する合意形成を模索していった。その過程で、沿線のネイバーフッド・アソシエーションとの対話や、webサイト、emailなどを駆使して、市民の意見集約に努めていった。このemailを活用して、意見を集めるために、実際に公共交通機関に乗り込み、その利用者にemailアドレスを尋ね集めていったとのことである。日本の自治体職員が街中で住民のemailアドレスを聞くことは、ほぼ皆無であろう。

「住民参加」は、タウンミーティングといったイベントを多く開催すれば実現できるとは限らない。例えば、街中で一人ひとりにemailアドレスを聞きまわることのように、実に地味なことの積み重ねである。その際、タウンミーティングを開催することやemailアドレスを聞くこと自体が目的になってしまっては、全く意味がない。どうすれば住民の声を聞けるのか、また、どうすれば住民に必要な情報が届くのかを常に考えて実行するという、地道な努力が求められるのではないだろうか。

一方で、公共に関しては、住民側も大きな責任を有している。

ポートランド市では、交通政策を検討、周知する際に、郵便やemailを使って、市民に意見集約、情報提供を行っているが、一切反応を示さない市民に対しては、郵便等を送ることを打ち切ってしまう。これは行政の効率化として位置付けられているが、実は効率化の側面以上に、行政に対して意見を言う機会を与えられながら、意見表明しない場合には、その市民は政策の上で考慮されないという思想が根底にあるのではないかと考えられる。

公共は行政が考えるものであって市民の役割ではないという発想は、行政の側にも市民の側にもないのである。

公共は誰が担うものなのか。行政も住民も行政依存に慣れてしまった中、改めて考え直す時期に来ているのではないだろうか。

おわりに

1週間のポートランド滞在は、住民参加について考える材料を多く提供した。本プログラム中、研修生たちは多くのことを質問し、その答えを引き出していった。それでも、依然として悩み続けることがあった。

「ポートランドの取り組みはよく分かった。しかし、日本に帰った後、地域の課題に対して、行政は、そして自分たちは何をすれば良いのだろうか」という言葉が、常に研修生の頭の中にあった。

行政こそが公共であり、行政が主体でなければ公共にならないという考えは、多くの可能性と持続性を失わせている。

公共は、住民が担うものであり、行政はそのサポートをすることで多くの可能性が発掘され、それを持続させる。どのようにサポートするのか、それは住民との対話の中で考えて、答えを出していくしかない。

「住民参加が実現するまでには、長い時間を要する」と、ポートランドの行政関係者は口を揃えて言う。

本プログラムでは、研修生たちは直接、ポートランドの市民と接して対話した。同じことは自分たちの地域においてもできるであろう。直ぐに結果は出なくとも、それを続けることが地域の課題を解決する第一歩なのだろうと、研修生も私も考え始めている。


■ポートランド研修の目的と概要は こちら



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   後藤好邦(2011年度東京財団週末学校研修生、山形市役所まちづくり推進部都市政策課)