タイプ
その他
日付
2009/12/7

東京財団日本語作文コンテスト 最優秀作品紹介

2009年度、東京財団は、6ヶ国の日本語教育基金校で日本語を学ぶ学生を対象に、日本語作文コンテストを実施しました。「日本語を学んで実現させたい夢」をテーマに作文を募集し、約80作品の応募のなかから、厳正な審査の結果、最優秀賞2作品が決定しました。
ここで、最優秀賞に輝いた2作品と、審査員の講評をご紹介いたします。

【最優秀作品】
「友情のためにできること」 サマンサ・ビッケリー(ニュージーランド、オークランド大学3年)
「日本語を学んで実現させたい夢」 レベッカ・チェン(オーストラリア、モナシュ大学4年)
  【審査員の講評】

最優秀賞受賞作品

                                     *原文をそのまま掲載しています



「友情のためにできること」

サマンサ・ビッケリー(オークランド大学3年、ニュージーランド)


 私達はよく「どうして日本語を勉強してるの」とか「日本語を学んで実現させたい夢は何?」と聞かれる。これは私にはちょっと答えにくい質問だ。実は、子供の頃、日本語を勉強するつもりはなかった。私はアイルランドの田舎で育ったので、日本や日本語のことを全然知らなかったのだ。でも私が九歳の時、それが急に変わった。
 ある日、日本から新しい家族が近所に引っ越して来た。私がアジア人を直に見るのは、その時が初めてだった。単一文化のアイルランドに来た日本人の家族はネオンサインのように目立った。近所の子供達と同じ年ごろの子供が二人いたが、私達とかなり違って見えたし、英語をうまく喋れなかったので、近所の子供はその日本人の子供と一緒に遊ぶのは気が進まなかった。残念ながら私もそうだった。ところが、ある夏の午後、友達の家から歩いて帰る途中で、全くの偶然で日本人の女の子を見た。名前はユイで、英語に堪能ではなかったのに、一生懸命私と話そうとして、本当に親切だった。ユイはいつも綺麗で穏やかな笑顔をした。それから、兄のヒロに紹介してくれた。二人とも空手とかロック音楽が大好きだったから、私とヒロはすぐに気が合った。そして、その日以後友達になった。
 何年か過ぎると、とても親しくなった。毎日会ったり、お互いの家によく泊まったりした。そうするうちに、私達はお互いの文化についての理解をいっそう深めていった。ユイとヒロはだんだんと英語をネイティブスピーカーのように話せるようになった。私も日本語を勉強したくなったので、ユイとヒロに教えてもらうことにした。「今日は」とか「ありがとう」とか、色々な基本的なフレーズを覚えた。しかし、それ以上は難しすぎると思って、すぐに諦めてしまった。日本語の複雑な文字を学ぶのも不可能なことだと思った。それに、ユイとヒロとは英語で話す方がずっと楽だったのだ。あの時チャンスをつかまなかったことを今、深く後悔している。
 そして、私が十四歳の時、私達の人生に大きな変化があった。私の家族はニュージーランドに引っ越して、ほぼ同じ頃にユイとヒロの家族は日本に帰ることになった。その時は知らなかったが、私がユイを見たのは、それが最後となった。彼女は多年にわたり健康状態が良くなくて、急に2005年に亡くなったのだ。本当につらい時だった。私は遠く離れた所に住んでいて、葬儀に参列できなかったので特につらかった。
 すぐ後に兄のヒロが私を訪ねて来てくれた。二人でユイについて色々話した。私はユイの親友だったのに、彼女について多くのことを理解していなかったことをその時に初めて実感した。例えば、ユイのお気に入りの歌手の浜崎あゆみの歌を聞いたことがないし、ユイの宗教や信念についても全然知らないし、大好きなお好み焼きも食べたことがなかった。「彼女のことを全然理解してない!私は自分を彼女の親友と言えない!」そんな風に感じたのだ。その瞬間ほど悲しみと後悔を感じたことはない。
 「日本語を勉強する目的は何?」と聞かれたり、日本語の授業で作文を書かなければならない時は、いつも笑って「楽しいから」とか「ビジネスに有用だと思う」とか「いつか日本に行ってみたいので」と答える。その理由も全て本当のことだけど、根本的な理由は私の人生の最も大切な人の一人をより理解できるようになることだ。ユイに聞けたらいいのだが、今更後悔しても遅い。その代わりに、日本語を一生懸命勉強して、いつか日本に行って、彼女が育った日本の社会や文化を理解したいと思う。その時には、私は自分を彼女の親友と言うことができればと願ってる。私にとって、それは本当に大切なことだ。これが日本語を学んで実現させたい私の夢なのだ。


サマンサ・ビッケリー(Samantha Vickery)

ビジネスと外国語を勉強しているオークランド大学3年生。外国語を学ぶのが大好きで、日本語の他に、フランス語とドイツ語も勉強している。将来、外国語を操り、世界旅行をするのが夢。空手や、読書、料理が趣味。





「日本語を学んで実現させたい夢」

レベッカ・チェン(モナシュ大学4年、オーストラリア)


 私は中学時代から日本語を習い始め、今までに約十年間日本語を勉強してきました。そして、今年の六月まで、日本語で交流する相手はほとんど日本人の友達や大学の先生に限られていました。もちろん、日本に旅行した時は日本語を使いましたが、その時、私は、日本語を話すチャンスは日本にいる時や日本人以外にはほとんどない、つまり、日本語は英語のような世界言語ではないと思っていました。しかし、あることによって、この考え方が変わりました。
 今年の六月に、私は友達と一緒にタイを旅行しました。東南アジアに行った事がなく、しかも気の合った友達との旅行なので、とても楽しみにしていました。タイに行く前に「タイ語がぜんぜん話せなくても大丈夫かな」と悩んでいた時に、旅行会社の人に「タイは観光者が多いので、みんな英語が分かりますよ」と言われたので、安心してわくわくと飛行機に乗りました。
 タイに到着した翌日に、友達と一緒にうわさによく聞くタイスタイルのマッサージを試してみることにしました。行ってみると、おもてに日本語で「タイマッサージ」と大きく書かれていました。友達が英語でマッサージについて聞き始めると、中にいるマッサージ師は少し困ったような笑顔を見せました。英語はあんまり通じないと気づき、「日本語を使ってみたら」と友達が私に囁きました。そこで、私が日本語を話し始めると、とても奇妙なことが起こりました。タイ人のマッサージ師が「あなたたち、日本人ですか?」「一時間の全身マッサージ?」「タイスタイルにしましょうか?」「タイは初めて?」などと流暢な日本語でどんどん聞かれ、話しがはずみました。
 その時、私は初めて、日本人ではない人に日本語を使い、お互いに理解しあえ、交流ができたのです。タイのマッサージ屋で、私はマッサージをしてもらって、日本語で「痛い!あぁ。。でもなんとなく気持ちがいい」と叫びながら、初めて日本語は国際語になっているのではないかと感じ始めました。
 また、2007年の年末に、私は日本の大学で勉強している友達を訪ね、たまたま一緒に彼女の大学で開かれていた外国人留学生のためのクリスマス・パーティに参加することになりました。彼女が通っていた大学では、世界中の学生たちが集まっていて、国際的にもとても評判がいいとされる大学です。クリスマス・パーティでは、いろいろな国の人たちがそれぞれの民族衣装に身を包み、とても豪華な雰囲気でした。ご馳走がいっぱい並んでいて、お腹がすいていた私は、早速おいしそうなお寿司に箸を伸ばそうとしましたが、その時に、隣に立っていた金髪で目の青い女の子にぶつかってしまいました。「Oh Sorry!」と言おうとした矢先に「あぁ!ごめんなさい!洋服は汚れてないでしょうか」と言われたのです。私は日本人ではないので、その時はちょっと違和感を覚え、また同時に「なんてすばらしい日本語!」と感じました。話してみると、その女の子はロシアからの留学生で、日本語でお互いに謝り、そして友達になることもできました。もちろん、最初から最後まで、日本語を使っての会話でした!
 この二つの経験から、日本人とオーストラリア人の間で日本語が使われるだけではなく、オーストラリア人とタイ人、オーストラリア人とロシア人の間でも、日本語を使い、お互いを理解しあえるということは、つまり、日本語がだんだん国際語に近づいている証拠であり、外国人同士の会話に日本語が用いられる可能性が日々大きくなっている、とつくづく感じました。これらの経験によって、私は近い将来に、日本語は広く世界で通用する言語となる可能性を秘めていると確信し始めたのです。
 私にできることは、これからも日本語の勉強に集中し、来年卒業した後で、まずオーストラリアの日系企業か、日本で仕事に就き、日豪交流に貢献することです。そのための準備として、毎週、メルボルンの日本人会と日本商工会議所でボランティアの仕事をしています。そして、行く行くは、日本語を使って、世界交流のためにも力になれれば光栄だと思います。
 ちなみに、オーストラリアでは、二千万人の人口に対して、国別では世界で第三位の、約三十六万人にのぼる人が、日本語を学習していると報告されています。つまり、人口比では、五十五人に一人が日本語を勉強しているのです。私は、その約三十六万人のうちの一人として、これからもより幅広い、深まりのある日豪関係や国際関係を築くために、最善を尽くすつもりです。


レベッカ・チェン(Rebecca Chen)

モナシュ大学4年生。日本語、中国語、ビジネスのダブル・ディグリー・コースに在籍中。2010年6月の卒業後は、オーストラリアの日本企業、もしくはオーストラリア外務省関係に就職を希望。日本語は中学一年生の時から約10年間勉強している。趣味は様々なコンサート、特に、ロックのコンサートに行くこと。


審査員講評

                                                *五十音順

浅田光博 (株式会社アルク J-Life編集部 編集長)

 今回の作文につきまして、私は日本語学習者向けの雑誌を編集している立場から次のような観点で採点させてもらいました。その前に、どれも素晴らしい作品で、とても海外で日本語を学んでいる人たちの文章とは思えないほどびっくりしました。
 まず、「夢」という題材について、いくつもの夢を羅列するのでなく、一つの夢を、ストーリーを持たせて文章を書いていること。これは2作品とも優れていて、ビッケリーさんの、幼少の体験から友人ユイの死、彼女を親友と呼ぶために日本語学習に力を入れる流れには感動させられました。また、チェンさんのタイのマッサージ店でのエピソードには「クスッ」と笑わせられました。
 他に、日本人には考えられないような発想が盛り込まれていること。違う国の人と話をすると、自国には無い価値観や物の見方にはっとさせられることがあります。チェンさんにはそんなエピソードがふんだんに盛り込まれていました。
 いずれにしましてもすべて甲乙つけがたく、楽しませていただいたことを繰り返し述べさせていただきます。

八若壽美子 (茨城大学留学生センター教授)

 最終選考に残った作品は、夢に向かって日本語を一生懸命勉強している姿が目に浮かぶ力作ぞろいでした。海外で日本語を学ぶ学生たちが日本にはせる思いの強さや日本語を学ぶことから広がる夢の多彩さに新鮮な感動をおぼえました。
 最優秀賞のビッケリーさんの作品は、今は亡き日本人の幼なじみとの思い出を軸に、もう直接話すことのできない幼なじみのことを理解し本当の「親友」になるために、日本の社会や文化への理解を深めたいという思いが自然な日本語で切々と語られた作品で、心動かされるものがありました。
 もう一人の最優秀賞のチェンさんの作品では、日本語が日本人だけでなく外国人とのコミュニケーション手段になったという体験に基づき、日本語を使って日豪だけでなく世界的な交流に貢献したいという夢がわかりやすく生き生きと書かれており、好感がもてました。
 皆さんがそれぞれの夢の実現に向けて一歩一歩着実に歩を進めていくことを期待しています。

山本富美子 (武蔵野大学 文学部・大学院言語文化専攻 教授)

 日本を自分の目で見たこともない人が、日本の「何か」に熱いまなざしを向けています。日本の「何か」を手にするため、一生懸命日本語を勉強しています。「安藤広重」から、「日本語の文法」、「新幹線のぞみ」、「日本の環境政策」、「忍者」まで、魅せられているものは大きく違いますが、思いは一つ。自分の心をとりこにする「何か」をもっと深く知りたい、そんな熱き夢の実現です。これらの夢をできればすべてかなえてあげたい。審査中、そんな思いに悩まされました。
 最優秀作品の2点は、日本のお友達の死という悲しい体験と、異国の人々との日本語での体験をつづったものです。それぞれの貴重な体験がこれまでの日本語学習の大きな牽引力となり、描写力につながっています。しかし、これら2点には日本の「何か」はありませんでした。来日を機に、ぜひ見つけていただきたい。日本の「何か」について深く知りたい、それを日本語で語りたいという思いが芽生えたなら、作文力は自ずと高まっていくことでしょう。言語は人の思いを伝える手段ですから。