タイプ
論考
日付
2010/2/10

日本語教育基金プログラム寄稿「妖怪を通してみた日本文化」

 東京財団は「日本語教育基金プログラム(NF-JLEP)」の運営を通して、海外における日本語の普及、日本語教育の推進を行っています。このプログラムでは、日本財団が世界6カ国8大学に各々150万ドルの基金を提供しており、各大学は、その運用益を使って、日本語を学ぶ学生への奨学金、現地日本語教師の研修、教材開発、カリキュラム開発に係る事業を行っています。
 この度、このプログラムの奨学金で、2009年4月から6ヶ月間、奈良教育大学に留学したブカレスト大学日本語学科の大学院生、ポパ・イワナさんに、来日中の研究をご紹介いただきました。

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妖怪を通してみた日本文化

ポパ・イワナ
ブカレスト大学外国語・文学部
東洋学修士課程
Popa Ioana
East Asian Cultural Studies
Postgraduate studies
The University of Bucharest

妖怪との出会い

私は日本語と日本文化を勉強し始めて、もう5年目になるが、そのきっかけとなったのは、ある小説であった。高校3年生の頃、手に入った村上春樹の『羊をめぐる冒険』という作品は私を全く未知の世界へ導いたと言ってもよい。あの小説も他の作品も日本語版で読めたらという強い願望から大学で日本語学科を選び、日本語と日本文化の勉強に取り組んだ。大学時代の3年間にかけて、色々情報を吸収し、日本語を磨こうとしたが、分からないところがまだ多く残り、その中途半端な知識に満足できず、大学院に進学した。それを機に今回日本で行った妖怪研究に興味を持つようになったのである。
 外国人が何故妖怪という日本の伝統に深く根付いている存在に興味を持つかというと、それはまず自国の文化とは全く違うものだからである。私も同世代の外国人と同じように妖怪という言葉を初めて知ったのはアニメがきっかけだったが、それが気になり、その由来やその信仰の実態を調べようと大学院で妖怪研究に取り組むことにした。
 妖怪というような概念がほとんど存在しないルーマニアに生まれ育った私が、日本の妖怪のその多様性に圧倒されたのは当然であろう。ルーマニア正教徒が人口の90%くらいを占めるルーマニアでは、超自然的存在と言えば、ドラキュラくらいしかないと言っても過言ではない。しかもドラキュラ伝承がイギリスやアメリカのハリウッドを中心に繰り広げられた話だということからすると、ルーマニア従来の妖怪―かそれに当たるモノ―の伝承はないということになる。そういう条件下で一対一の比較研究ができないことが明らかでも、現象は比べられるものだと思って、日本の妖怪現象とルーマニアやヨーロッパのそれに似たような現象の比較に取り組んだわけである。
 

妖怪は曖昧で多様

外国人が妖怪研究に取り組んで何が得られるかというと、日本人と違った観点から研究を進めているので、意外な結果が出ることが多いというのである。それがたとえ日本人の研究ほど結果が正確ではないとしても、その外国人なりの見方がおそらく日本人にとっても面白いはずである。例えば、日本人と違って、外国人は、曖昧でよく理解できない概念になるべく定義を与えようと苦労するが、それが簡単にできない場合、自国の文化にある似たようなものと比較して、定義を無理に見つけようとする。私の場合は、「鬼」というモノを「悪魔」として捉え、その勘違いで長い間研究を進めたことがある。日本の鬼とキリスト教の悪魔は同じではないにしても、類似点がないでもないので、その類似点を中心に研究を行うと、両方の概念の様々な特徴が浮き彫りになるのである。
 2009年4月から9月までの6ヶ月間、私は日本で妖怪の研究を行ったが、その内容はアニメや漫画といった大衆文化における妖怪のイメージに関するもので、フィルドワークを頼りに、そのイメージの背景を調べ、元にある信仰をヨーロッパ従来のものと比べることであった。
 フィルドワークでは、妖怪の伝承について土地の人と話してその様子を調べたが、方言や昔の言葉が入り混じって、外国人の私には容易な調査ではなかった。もっと頭を悩ませたのは、同じ妖怪が地方だけではなく、同じ地方の中でも、村々によって形が違ったり、伝承が異なったりすることが多かったことである。そして、そのそれぞれの伝承の中で表れる妖怪は神やらお化けやら、ときには霊とも捉えられることがあり、その曖昧さは伝承毎に増していくだけのようである。それに、ほとんどの地域では「妖怪」や「化け物」、「物の怪」など、民俗学界で定着している単語ではなく、「モーさん」という擬音語から、「狐さん」、「誰かさん」まで、それぞれが妖怪か鬼か神か何を指摘しているのか分からないくらい、多くの呼称が使われていた。

身近になったアニメの妖怪

ただ、以上指摘したような曖昧さは逆にアニメや漫画の製作者の手に入ると、それこそ作品のオリジナリティーにプラス要素になるのであろう。妖怪アニメや漫画が主な研究であったが、私が研究したなかの、限られたいくつかのアニメでも、その多様性は圧倒させるものであった。例えば、「座敷童子」というモノを水木しげるの妖怪絵で見る限り、妖怪として扱われているが、他のアニメを調べてみると、あるものでは幽霊として描かれていれば、あるものでは恐ろしい化け物として出てくるのである。他にも民間でよく知られている犬神は、とあるアニメになると、妖怪として表されたり、河童は外見弱々しい少年が化けたものと見せたり、普段定型化しているイメージと違うものが実に多い。何故かというと、いまどきの妖怪も合理化している時代とともに、大衆の恐怖の対象から、人が少しの努力で勝てるようなむしろ滑稽なキャラクターになってしまったからである。そのパターンに合っていない妖怪もないでもないが、その場合にしても、怖いものより、カワイイ系のものが売れるので、アニメや漫画で後者の方が使用頻度が高い。そして、キャラクター化した妖怪はブームを引き起こし、民間伝承で伝えられている人間に恐怖心を抱かせる妖怪は、いつの間にか、秋葉原などのキャラクターランドで売っている若い世代に大人気なキャラクター人形になり、一個百円くらいで手に入れられる商品になってしまったのである。とはいえ、妖怪が「商品化」されたということで、もともと備わっていた価値がなくなったわけでもなく、かえって若い世代にその伝承が受け継がれ、今でも失われていないことに大きく貢献したと言える。

日本の妖怪とヨーロッパの童話の接点

 妖怪アニメは日本だけではなく、世界中の様々な妖怪を取り上げているのはすでに周知のことであるが、日本の妖怪がヨーロッパ従来の超自然的なキャラクターにまで影響を及ぼしていることはあまり知られていない面白い現象である。一例を挙げていうと、デンマークの童話作家のハンス・クリスチアン・アンデルセンが書いた『人魚姫』の設定が、日本の『浦島太郎』の物語と一致するところが多く、日本文化に興味をもっていたアンデルセンが『浦島太郎』を読んで影響されたのではないかという説もある。日本の妖怪アニメブームに伴って、ヨーロッパ従来のお化けも「妖怪化」され、日本の妖怪を基準に新たな解釈を与えられる傾向が見られる。その中で、一夜で世界を一周できる超能力者のサンタクロースまで妖怪と捉える童話や子供向けの漫画がヨーロッパの先進国で出版されるのも、もはや珍しくなくなった。東洋文化と西洋文化が作用しあうことは妖怪アニメのレベルでもよく見られるといえよう。

 様々な呼称を問わず、「妖怪」という概念がほとんどないルーマニアで生まれ育った私にとっては、日本の妖怪の研究は未知の世界に一歩踏み込むような経験であり、色々意味深い考察もでき、日本人の世界観についての理解を深める機会にもなった。妖怪研究は6ヶ月はおろか、何十年かけても、おそらく完成できないものなので、私が行った研究も中途半端なところも多ければ、完全に理解できないことが数多くあったため表層的な感想のようなところも多いかもしれない。しかし、今年できた研究もこれからの研究への最初の一歩と考え、よりいいものに臨むための不可欠な段階でもあったと考える。



ポパ・イワナ氏(Popa Ioana)
1986年ルーマニア生まれ。2008年ブカレスト大学日本語学科を卒業。現在、同大学大学院外国語文学部東洋学修士課程に在籍。2007年にパリのイナルコ東洋言語学センターで6ヶ月の研修を受け、翌2008年に日本語成績優秀者として国際交流基金の関西国際センターで2週間の研修に参加。2009年に奈良教育大学に研究生として留学し、教育課程の修了証明書を取得。
日本の民俗学に関心を持ち、留学の際、日本の妖怪研究を進めた。この他、日本の大衆文化や日本の近現代文学などに関心がある。