タイプ
その他
日付
2008/3/19

レポート「戦争に引き裂かれた国が見つけた平和への道」

コンゴ民主共和国は、「アフリカ世界大戦」として知られる500万人を超す犠牲者を出した二つの戦争を、過去10年間に経験しています。虐殺と飢餓によって国は引き裂かれてきました。しかし、和平協定が締結され、過去40年で初めての自由選挙によって人々は希望を取り戻しつつあります。

奨学事業部が運営するSYLFFプログラムでは、SYLFF奨学金受給者の中から、自分の知識、技能や経験を最大限に活かし、地域社会に大きく貢献してきたSYLFFフェローに対して「SYLFF賞」を贈呈しています。

第2回SYLFF賞は、コンゴ民主共和国のリゴベール・ミナニ・ビフゾ氏に決定し、本年1月、同氏を日本に招聘しました。リゴベール氏は、現地のNGO活動家として、自由選挙の監視活動をコーディネートし、大きな成果を収めました。今回の来日では、贈呈式及びシンポジウム 「アフリカ平和構築への課題」に出席したほか、京都や広島を訪問するなど、日本に約2週間滞在しました。アフリカ地域を研究する専門家や、アフリカで活動する政府機関、NGOなどと意見交換をし、今後の協力の可能性を探りました(日本滞在記はこちら)。

以下は、リゴベール氏が語るコンゴの戦乱の歴史と、平和へのビジョンです。

*-*-*

「戦争に引き裂かれた国が見つけた平和への道」
“A War Torn Land Finds a Road to Peace”

リゴベール・ミナニ・ビフゾ
SYLFFフェロー(ペドロ・アルペ社会研究センター、イタリア)

過去10年に経験した2つの戦争
コンゴ民主共和国(Democratic Republic of Congo: DRC)は、過去10年間に2つの戦争を経験した。総称して「アフリカ世界大戦」と呼ばれるこれらの戦争は、本質的に外部勢力の武力衝突でありながら、戦われたのはDRC国内であった。武装勢力の指導者らは、勢力拡大のために、貧困と民主的統治を見捨て、暴力的解決策を選択したのである。

これらの戦争がもたらしたもう一つの帰結が、武器密輸やコロンボ・タンタライト鉱石、ダイヤモンド、銅、コバルト、金などの戦略的鉱物資源売買を求め群がる国際組織犯罪集団の出現である。この大戦の直接および間接的結果として生じた人的犠牲は、あまりにも大きい。

にも関わらず、アフリカ中部における紛争の長期化によって、各国のガバナンスは脆弱化の一途をたどり続けている。この脆弱性は、植民地からの独立後のアフリカ諸国を特徴付けるものであるが、これらの諸国は独立移行期から北側諸国により支持され、その結果、腐敗、人権侵害、法支配の軽視、国家や選挙での不正などがはびこることとなった。

騒乱状態が続くアフリカとその主原因
アフリカの現状を概観すれば、この大陸が騒乱状態にあることがわかる。
●大陸東端に位置する「アフリカの角」地域において、エチオピアとエリトリア間で過去行われてきた紛争はようやく終結を見た。しかしソマリアでは、依然として今日も代理戦争が続いている。
●大陸北東部におけるダルフール紛争は、ハルツームの政府と南部反乱軍との間で終結に向けためざましい進展があったにもかかわらず、スーダンが未だに長期にわたる紛争に終止符を打てずにいることを示している。この紛争のチャドへの波及と中央アフリカ共和国へもたらす不安は、地域全体の和平プロセスへの脅威となっている。
●大陸南部では、ジンバブエにおける土地の所有権問題が、同様の問題を抱える南アフリカ共和国の安定を危険にさらしている。アンゴラでは、長期間続く内戦の傷が癒えるまでには、まだ多くの時間が必要であろう。
●大陸北西部における西サハラ領有権紛争は、すでに多くの国では忘れ去られているが、アルジェリア国内の過激派は早期解決を求めている。その結果次第で、この地域の平和は脅威にさらされるであろう。
●大陸西部のコートジボアールにおける緩慢で苦難に満ちた和平構築プロセスは、シエラレオネとリベリアにおける紛争が、決して例外的なものではないことを示している。
●ナイジェリアでのイスラム教徒とキリスト教徒との散発的戦闘およびデルタ地域での紛争は、常に懸念を生じさせる原因となっている。

複数の研究によって、アフリカにおける紛争の主原因は、脆弱な統治、天然資源をめぐる緊張、民族間の格差、ナショナリズムなどにあることが示されている。

統治については、アフリカにおける植民地時代の遺産が大陸固有の不安定さの主要因の一つであること、そして、19世紀末のアフリカ分割が決定的な弊害をもたらしたということなどを、研究は示唆している。

脱植民地以降から冷戦期における構造調整計画が貧弱な統治構造をもたらし、その間超大国はアフリカ諸国よりも自国の利益を重視した。今日、旧宗主国であった国々は「国際共同体 (international community)」を形成している。この「国際共同体」は、資力と政治的支持をその同盟国に提供し、腐敗、人権侵害、法支配の欠如、国家や選挙での不正などは軽視している。

例えば1972年、ブルンジに起きたフツ族知識人の大量虐殺は、「国際共同体」によって意図的に無視された。いわゆる「社会革命(1959)」の名の下にルワンダで起きたツチ族の虐殺も、同様に無視された。DRCのモブツ大統領は、独裁、窃盗癖、人権侵害などのいずれの罪に対しても、1990年代に至るまで起訴されることはなかった。

1990年代に入り、こうした状況は既存の政治的同盟の急増や崩壊にむすびついた。独裁的権力の保持者らは、「国際共同体」からの保護と財政的支援を失ったことから、反対勢力、反乱、反政府武装組織などの制御がもはや不可能であることを理解した。

DRCは、1996年以降続けて二つの戦争を経験した。最初のものは、1996年9月に始まり1998年5月17日に終結した。二度目の戦争は、1998年8月2日に勃発し、今日に至るまで、とくに同国東部で依然として続いている。これは第二次世界大戦以降、最悪の紛争の一つである。1996年の戦争では20万人が、1998年の戦争では350万人がそれぞれ死亡し、40万人以上の児童を含む250万人が避難民となった。国際食糧農業機関(FAO)は、栄養失調者の割合が、1990~92年の35%から、1997~99年には64%に増加したことを報告している。この状況は、DRCを世界の最貧国の一つとした。2001年、国連人道問題調整事務所(OCHA)は、生存に最低限必要な栄養レベルを下回るコンゴ人は、1,600万に達すると報告した。

DRCにおける最初の戦争には、9カ国(ルワンダ、ブルンジ、ウガンダ、タンザニア、ザンビア、アンゴラ、ジンバブエ、エリトリア、南アフリカ)以上の軍隊が関与した。この連合軍の表立った目的は、モブツ独裁政権の転覆であった。しかしこの共通の目標以外にも、連合各国は、植民地時代の遺産であるDRCとの国境を再画定するなど、個別のアジェンダをもっていた。

DRCの国土で勃発したこの戦争は、近隣諸国の国内紛争やアフリカ中部における情勢不安を反映している。

過去40年で初の自由選挙を実施
私たち民間セクターは、この脆弱な平和構築プロセスに、人権擁護、市民教育、公民権教育、国民参加などへ向けた努力を傾注することで貢献してきた。そしてついに、DRCにおいて過去40年で初めての自由選挙の機会が与えられたのである。しかし、必ずしも選挙が民主主義につながるわけではなく、前途には依然として課題が多い。32年間の独裁政治と10年間の戦火を経て、わが祖国の再建は未だに達成されていない。

2008年1月には、DRC北部のキブにおいて平和会議が開催された。この会議の目的は、和平、安定、発展の確立、そしてノルキブおよびシュドキブ両地域の内戦終結である。

会議では、ルワンダ人とブルンジ人難民それぞれの本国への帰還と、未だにDRC領内に留まっている外国人武装勢力の武装解除と本国への帰還が要求された。3週間に及ぶ作業の末に、武装勢力と政府は、「国際共同体」立会いの下に、「アマニ・プログラム」または「平和プログラム」と呼ばれる和平協定に調印した。

現在DRCでは、選挙によって選出され、大統領派多数党の指名を経た、アントワンヌ・ギゼンガ首相が国政を執っている。DRC議会は二院制で、11の州議会と11の州政府が存在する。こうした機関はすべて、選挙で選ばれた大統領の、憲法に基づく支配下にある。

選挙後には反政府組織による紛争が生じたが、この最後の反乱もアマニ平和会議によって、選挙に基づく国家の権威を認めた。

今日私たちは、国家再建の実行に重点を置かなければならない。これは、政治、経済、軍事の各レベルにおいて全ての重要な社会団体が代表され、行政および司法の能力が向上し、軍政によることのない、指導者のためではなく人民のための、優れた統治システムが構築されることを意味する。私たちはまた、地域的側面を重視した紛争解決を促進し、紛争の主要因を国家レベルと同じく地域レベルでも理解し、共通の開発プログラムを通じて貧困と戦い、戦争経済から統合された通商へと変容させ、アフリカ連合(AU)や国際連合(UN)の手法に類似した紛争予防の共同対策を実施すべきである。


リゴベール・ミナニ・ビフゾ (Rigobert Minani-Bihuzo)


リゴベール・ミナニ・ビフゾ氏は、1960 年、コンゴ民主共和国(旧ザイール)ブカブ生まれ。1987年、イエズス会に入会し、同時にイエズス会の牧師、学者、組織者、また市民社会のリーダーとして活躍し始めた。人権擁護・市民教育に取り組むNGO、Groupe Jérémie の創設者・代表者として、同国内及びアフリカ大湖地域において活動。また、RODHECIC、CDCEといったNGOネットワークのコーディネーターを務め、2006 年に同国で実施された大統領選挙、国民議会選挙における選挙監視活動に大きな役割を果たした。2001 年からは同国の研究センターCEPAS (Centre d’etudes pour l’action sociale /Center of Studies for Social Actions) の社会政治部門の責任者として活動を続けている。
1995 年から1997 年まで、SYLFF基金校の1つであるイタリア・パレルモ市所在ペドロ・アルペ社会研究センター在学中にヤングリーダー奨学金を受給、同校より高等研究学位(D.E.A.)を取得した。