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論考「自民、民主の農業政策を検証する―待ったなしの水田農業再建」

August 27, 2009

生源寺眞一 

東京大学農学部長
「日本の農政改革プロジェクト」リーダー

今回の総選挙では農業政策も重要な争点のひとつであった。農村部の有権者の投票行動が議席数を大きく左右することは、民主党が圧勝した2年前の参院選で証明済みである。経済の疲弊を肌で感じている地方の有権者は、農家以外の有権者を含めて、農業政策のあり方に強い関心を寄せている。

多岐にわたる農業政策をめぐる論戦のなかで、自民党と民主党の違いがはっきりしていたのは、次の3点である。第1は農業者に対する助成の方法であり、第2に米の生産調整のあり方である。そして第3に、マニフェストに明示的に述べられているわけではないが、農協組織との関係の持ち方についても、ほとんど正反対と言ってよいほど、自民党と民主党の姿勢は異なっていた。

農業者に対する助成の方法に関しては、2年前の参院選で農業者戸別所得補償制度を掲げて以来、民主党が論戦の主導権を握り続けてきた。戸別所得補償とは、販売農家に「販売価格と生産費の差額」を支払う制度である。ただし、農家ごとに設定する生産数量目標に即した生産を行うことを支払いの条件としている。参院選の時点では米や麦や大豆などの土地利用型農業が対象とされていたが、今回のマニフェストでは畜産や漁業にも同様の手法を導入するとした。

戸別所得補償は、政府が進めている専業や準専業の農家の支援策や集落営農と呼ばれる営農組織の育成策に対抗して掲げられた政策である。地方経済の疲弊や小泉構造改革に対する疑問が広がるなかで、巧みなアジェンダ・セッティングであった。これに対して参院選当時の自民党は、政府の農業政策に同調する姿勢を貫いた。結果的に大敗北を喫した自民党は、惨敗のトラウマを背負い込んだまま今回の総選挙に臨むことになった。とくに地方出身議員の危機感は頂点に達していた。

その自民党は、今回のマニフェストにおいて「努力する農家の経営を支え」と述べる一方、「全ての意欲ある農家」が支援対象であるとし、面積・年齢要件の撤廃もうたった。つまり、バラマキではないとのニュアンスを打ち出しながらも、具体的な歯止めには言及していない。政策論としてはあいまいであり、民主党の戸別所得補償のパワーに自民党が強く引き寄せられたとの印象は否めない。
米の生産調整政策については、一度は政府によって自由度の高い方式に舵が切られたにもかかわらず、一昨年の自民党主導の見直しで集団主義的な手法に後退した経緯がある。ここにも参院選敗北のトラウマの影響を見ることができる。その後、総選挙の論争の構図を複雑にしたのは、自民党員でもある石破茂農林水産大臣が、昨年末から生産調整政策の抜本的な見直しの必要性に言及し、生産調整の堅持を主張する自民党の農林族の議員との対立が激化していたことである。

対立が解けないままで選挙戦に突入したが、最終的に自民党のマニフェストに現行の生産調整の堅持を意味する表現は盛り込まれなかった。生産調整参加者と不参加者のあいだの不公平感の改善を図るとするなど、農家のあいだの不満に対する配慮が滲んだ記述となった。一方、民主党の姿勢は必ずしも明瞭ではないが、いわゆる選択的な生産調整に移行することを想定しているものと受け止められている。つまり、戸別所得補償制度のもとでは、市場価格のみを受け取ることを前提に、数量目標以上の米生産を行う農家の行動も容認するというわけである。

農協組織との関係については、自民党が長いあいだ農協組織の強い支援を受けてきたことがよく知られている。自民党と政府と農協の関係は、鉄のトライアングルなどとも表現されてきた。今回の総選挙では、地方の農協組織が自主投票に転じるなど、一部に緩みが伝えられているが、自民党と農協の関係が根本から崩れたわけではない。自民党とは対照的に、農協組織と距離を置いている点が民主党の特徴である。

もっとも、民主党がこの姿勢をどこまで貫けるか、疑問もある。アメリカとのFTAをめぐるマニフェストの表現が、農業団体と自民党の連係プレイの批判に押されて、「締結」から「推進」に修正を余儀なくされた。この顛末は、農業政策をめぐる民主党内のコンセンサスのレベルの低さを物語るとともに、票をバックにした圧力に対する弱さを露呈したとみることもできる。

気がかりなのは、民主党の戸別所得補償制度が品目ごとの補償基準を毎年決定しなければならない点である。さまざまな約束のもとに推計されている統計上の生産費から、政策の基準となる生産費をどのように決定するか。この点だけでも、票をバックにさまざまな働きかけが目に見えるようである。圧力団体と政治家が密着する状態は、制度が生み出す面のあることを忘れてはならない。

今日の日本農業の直面する最大の課題は水田農業の再建である。水田地帯の農家の多くは、戦後の経済成長の過程で兼業農家としての暮らしを選択し、次第に農業以外の仕事の比重を高めてきた。半面、北海道や大潟村などを除き、水田農業の規模拡大は少数の専業農家や法人経営に限定された。問題は、高齢化が著しく進行した結果、兼業農家中心の水田農業の持続性に危険信号が点滅していることだ。今日ほど冷静な診断と的確な処方箋が必要なときはない。水田農業再建、待ったなしである。

投票が1週間後に迫った現在、マスコミ各社は民主党圧勝の予想を伝えている。では、戸別所得補償を柱とする民主党の農業政策は水田農業の再建に結びつくだろうか。議論は必ずしも深まっていない。選挙戦を通じて、財源への懸念やバラマキだとの印象論的な批判が噴出したが、制度の中身に踏み込んだ検討はほとんど行われていない。戸別所得補償を掲げて2年になる民主党自身の説明も不十分だ。集票を意識したアピール戦略が優先した分、制度設計の準備不足は否めない。

そもそも麦や大豆などにも農家単位の生産数量目標を設定し、その遵守を求める発想自体に無理があるのではないか。過剰基調のもとにある米の生産について、上限目標を設けることは合理的である。そのもとで自由度の高い選択的な生産調整に移行するアイデアもうなずける。これに対して、増産を図る麦や大豆などの場合は下限目標となるが、この目標によって農家の経営判断を縛ることは現実的とは言いがたい。作物のローテーション、新規作物へのトライアル、気象条件、借地の変動、販売先の状況など、作物の組み合わせの決定には多くの要素が関与する。加えて、生産数量目標を麦や大豆などに導入すれば、目標の設定、通知、遵守状態のチェックなど、市町村の行政実務上の負担も膨大なものになる。

民主党は専業・準専業層の農家や営農組織を中心に講じられている政府の政策について、小規模農家の切り捨てだと批判してきた。けれども、高齢化の進む兼業農業の維持に戸別所得補償が効果的だとは考えられない。冷静に評価するならば、小規模な兼業農家の多くは経済的な採算性とは異なる行動原理で農業を続けてきたのである。高齢者に敬意を表す福祉政策は大切だが、農業政策と混同すべきではない。もっとも、民主党も規模を拡大する農家の支援を否定していない。問題はその中身がはっきりしないことである。規模加算という表現が2年前のマニフェストから使われているが、これまでのところ具体策は示されていない。

民主党の農業政策の具体化に際しては、これまでの政策によるプラスの成果を引き継いでいくことも重要である。政府の政策を契機に、営農組織が各地に拡がるとともに、専業・準専業層に生産が集中する動きのあることも事実である。とくに大型機械が威力を発揮する麦と大豆の生産は、専業・準専業層の農家や営農組織が大半をカバーしている。現場で苦労を重ねてきた農業者のためにも、これをご破算にしてはならない。

筆者は単純な財源論からの批判に与するものではない。農業への必要な財源の投入をためらうべきではないとも考える。けれども、それは政策目標の達成にもっとも効果的な投入であることが前提であり、いずれは消費者であり納税者である国民にリターンをもたらすものでなければならない。いま求められているのは、この意味で投資的な財源投入である。過去の農政の欠陥を克服しつつ、同時にこれまでの政策の成果を活かすとすれば、イメージ先行型の民主党の戸別所得補償制度を構成している要素を分解し、取捨選択のうえで組み立て直す必要がありそうだ。

(8月25日脱稿)

    • 日本の農政改革プロジェクトリーダー/元東京財団上席研究員(名古屋大学大学院生命農学研究科教授)
    • 生源寺 眞一
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