タイプ
論考
日付
2008/11/27

第8回「農協と農業構造改革」(1)

農協と農業構造改革(1)


山下一仁 東京財団上席研究員


農村を基盤に強大な政治力を発揮してきたJA農協は、食管制度時代特に60年代は年率10%近い米価引上げを実現させたほか、農業基本法以来の規模拡大、企業的農家育成などの構造政策に一貫して反対してきた。

食管制度・高米価とJA農協の発展
JA農協は食管制度を利用しながら発展した。農協の農産物販売額の7割は米麦であり、農協はその生い立ちから食管制度に組み込まれていた。

JAの前身である戦前の産業組合は、当初地主や富裕農家を組合員とする信用(金融)事業のみを行う自発的な組織だったが、昭和の農業恐慌に対処するため、農林省により全ての農家を組合員とし信用事業だけでなく資材購入、農産物販売等の事業を総合的に行う組合が全国に設立された。さらに、終戦直後食糧難で米等の政府への供出が緊急課題だったため、政府は戦時中産業組合と地主階級の政治団体を統合して作った全戸加入の統制団体を農協に衣替えさせ、食糧供出機関として利用した。こうして、農民の自発的組織という形をとりながら、全国各地に地域の全ての農家が参加し、農業・農村についてのほとんどの事業を担当する、世界にも珍しい、“官製”の“総合”農協が誕生した。

終戦後しばらく食管制度の米価がヤミ値よりも安いとき、米価引上げのため食管制度廃止論が与党から出されたが、食管制度の供出団体であるJAは反対した。組織の利益のため農家の利益とは反対の立場をとったのだ。

しかし、食管制度の政府米価が食糧増産のために引き上げられ、農業生産が回復してヤミ値が低下してくるにつれて、農家の利益とJAの利益は一致していく。しかもその生い立ちからJAによって組織された農家のほとんどは稲作農家だった。このため、米価引上げがJA農政活動の中心となり、激しい米価闘争が展開された。

高米価によって農協は発展した。基礎的な食料である米は需要が非弾力的なので、長期的にはともかく短期的には、価格を上げると総売上額は増加し、農協の販売手数料は増加する。しかも、米価引上げによって生じた過剰米は、食管制度の下では政府が財政負担によって処理してくれた。政府から自動的に米代金が農協口座に振り込まれるシステムの下では農協の預金額も増加する。その上、コメの政府買入れ前渡金を受けた農林中金は、末端のJAに送金する前にコール市場で運用して大きな利益を得た。

農産物価格が高くなると、農家はより高い価格を化学肥料、農薬、機械等の資材に支払うことが可能となる。本来、協同組合による資材の共同購入は、商人資本に対し市場での交渉力を強めて組合員に資材を安く売るためのものだが、組合員に高く売るほうがJAの利益になる。しかも、食管制度時代、このような肥料や農薬、農業機械などの生産資材価格は、農家が支払った生産費を基に算定される米価に満額盛り込まれた。JAが農家との利益相反となるような行為を働いても、農家に批判されない仕組みが制度化されていたのだ。肥料価格を高く維持することにより肥料産業に貸し付けた農協預金の利回りを確保することもできた。60年以降、肥料、農薬の使用量は著しく増加した。農業が衰退する中で、高い米価によって、JAは、生産資材・農産物販売、金融という世界にもまれな総合農協性を発揮して発展した。

1995年に食管制度が廃止された後も、全農あきたが公的な入札制度を通じて子会社と民間卸会社に高値で落札させ、米価を高く操作した事件が起こっている。また、穀物商品取引所が申請した米の先物取引は農協の圧力を受けた農水省によって許可されなかった。農協が米の先物市場の創設に反対するのも、これによって農協の現物操作による米価維持が困難になることを恐れているためだ。高い米価がJAの利益となる構図は今も変わらない。

農業構造改革の阻害
すべての農家を平等に扱う一人一票という協同組合の組織原理は、農家の規模が均一で同質的であった農地改革直後には合理性があった。1950年では総農家戸数618万戸のちょうど半分の309万戸が専業農家だった。これが農業基本法を制定した1961年ころには専業農家、農業の比重が多い第1種兼業農家、農外所得の比重が多い第2種兼業農家が、それぞれ3分の1ずつになり、1970年には、専業農家16%、第1種兼業農家34%、第2種兼業農家51%と第2種兼業農家が半数を超えるようになった。現在(2005年)では専業農家23%、第1種兼業農家16%、第2種兼業農家62%となっている。しかも、専業農家のほとんどが農外所得がなくなったため第2種兼業農家を卒業した高齢農家であり、65歳未満の男子生産年齢人口のいる農家らしい専業農家は9.5%にすぎない。組合員一人一票制は、農家が主業と兼業に大きく分化した今日、機能不全を起こし、企業的農家の育成を阻んでいる。

週末のみ農業に従事する兼業農家にとって、低コスト生産を行うとかより有利な販売を行うとかを考える時間的余裕はない。農機具、農薬、肥料等の生産資材をフル・セットで供給してくれ、生産物も一括して販売してくれる農協は、このような農家にとって好都合な存在である。

農協法の組合員一人一票制のもとでは数のうえで圧倒的に優位にたつ兼業農家の声が農協運営に反映されやすいし、農家戸数の維持は農協の政治力維持にも必要だった。10人の専業農家よりも1,000人の兼業農家のほうが農協には都合がよい。兼業農家が農外所得や農地転用利益をJAに預金してくれれば、JAの経営もよくなる。JAと兼業農家は、コメ、米価、政治、脱農化を介して強く結びついた。兼業農家組合員の比重がますます高まっていったJAは、企業的な農家を育成し農業の規模拡大を図るという構造改革に、農業基本法以来一貫して反対してきた。JAが売りたい農薬・化学肥料を使わない有機農業やJAを通さない産直を行う先進的農業者をJA事業の利用から排除したりもした。JAに手数料が落ちないからである。

これらがJAが農家選別となる構造政策に一貫して反対した理由であり、JAが自らの経営・組織の効率化のためには合併による規模拡大を実施してきたのと好対照である。現在、農業総産出額に占める米のシェアは2割にすぎない。しかし、販売農家の7割が稲作農家である。これは稲作が非効率であることを示すと同時に、他の農業部門と比較して、稲作部門ではいかに多くの兼業・零細農家が維持されてきたかを物語っている。

JAにおいても、1980年代以降、農業の現状に危機感を抱いた一部の優れたリーダーによって担い手育成を図ろうとする“地域営農集団”運動が展開された。しかし、組織討議の過程で、集落を利用しながら担い手に農地を集積しようとする構造改革の側面と兼業農家も地域農業の一員として扱おうとする現状維持の側面が同居・混在してしまった。また、“ボトムアップの組織”でありながら、この運動への取り組みは極めて低調であった。1987年において、これに取り組んだ農協は、35.5%にすぎず、その取り組みも機械の共同利用(44.9%)が主体で、担い手への農地集積に取り組んだケースは2.4%に過ぎなかった。1993年では、取り組んだ農協は62.8%に拡大するが、そのうち20%未満の集落でしか取り組まれていないものが61.8%に及んでいる。1996年の調査でも、農地の利用調整の組織があり、一地域でも一地域一農場的な取り組みがなされている農協は15.1%にすぎなかった。JAは担い手育成、集落営農実現を唱えるが、それを真剣に実施したことはなかったように思われる(佐伯尚美[1993]『農協改革』家の光協会199~225ページ。農林金融2000.5『地域農業再編と農協の役割』参照)。

2007年度から導入された直接支払い政策(水田・畑作経営所得安定対策)についても、対象農家を都府県では4ヘクタール以上とする農水省の提案に兼業農家も地域農業に重要な役割を果たしているとして反対した。この結果、兼業農家主体の集落営農も20ヘクタール以上あれば認めることとしたが、この規模要件を満たすために主業農家に貸していた農地を貸しはがす兼業農家が出てきた。さらに、参議院選挙で敗北した自民党は、2007年末市町村による特例を認め、この4ヘクタール以上とする対象農家の規模要件を大幅に緩和してしまった。

農業の中からの改革の意見
次は、農水省の米の生産調整検討会に寄せられたあるJA組合長の意見である。

「全中、全農の考え方に異を唱えたい。日本の農業生産を守っていくためにはやはり、「専業農家」を中核として育成いくべきである。同じ耕作面積を持つ二人が、かたや役所勤め、もう一方は田作りのみで同じ生産調整面積、同じ売渡価格では納得がいかない。現行のままでは、米価格が下がることで離農するのは「専業農家」だ。この件はJA組合長の立場でいうべきことではないのかも知れないが、「専業農家」と「兼業農家」を同じ扱いにするべきではない。」

農業雑誌で全中の課長を前にして主業農家から「農協の改革を促しているが、農協は内側からは変われない」「改革になるのならよいが、このままでは解体になるのでは…」「農協が経営の合理化をするなら積極的に大型の担い手を育成して経営に取り組まないと」「零細農家さえホームセンターから資材を買うようになってしまう」という発言がなされた。(『21世紀の日本を考える第27号』2004年11月号農山漁村文化協会)

経済学者シュンペーターの高弟、東畑精一の「営農に依存して生計をたてる人々の数を相対的に減少して日本の農村問題の経済的解決法がある。政治家の心の中に執拗に存在する農本主義の存在こそが農業をして経済的に国の本となしえない理由である」という主張に、農業基本法の生みの親、小倉武一は「農本主義は今でも活きている。農民層は、国の本とかいうよりも、農協系統組織の存立の基盤であり、農村議員の選出基盤であるからである」と加えている。
(次回につづく)