タイプ
論考
プロジェクト
日付
2010/6/17

オバマ政権の「安全保障戦略」文書 (泉川泰博)

オバマ文書の特徴
去る2010年5月27日(アメリカ東部時間)、オバマ政権はその外交・安全保障政策の基本方針を示した「安全保障戦略(National Security Strategy, 以下NSSとする)」を公表した。

同文書は、1986年に発効したゴールドウォーター・ニコルズ法によって各政権が公表するよう定められているものである。NSSはあくまで各政権の安全保障政策の大枠を明示するものであり、個々の問題に関する具体的な対応策が明記されるものではない。

しかし、各政権はこの文書の作成・公表に当たっては、アメリカ国民、議会、メディア、安全保障専門家、同盟国およびその他外国の政府などを意識しており、そこに示される内容は各政権の安全保障政策へのアプローチを端的に反映している。オバマ政権のNSSも例外ではない。

今回のNSSの最大の特徴は、アメリカの国力、特に経済力の再生を重視するという趣旨の記述が極めて多いことである。具体的には、「基盤の構築」(9-10頁)および「繁栄」(28-35頁)の節において、アメリカ経済の建て直し、教育・技術力の強化、および持続的経済発展の必要性が指摘されている。

こうしたことは、従来のNSSにおいても触れられてきたが、「貯蓄の増大」や「長期的な財政赤字の減少」(ともに32頁)、さらには「納税者のお金の賢明な利用」(34-35頁)などといった記述が連なるのは、安全保障に関する文書としては奇異に見られるかもしれない。

さらには、「2014年までにアメリカの輸出を2倍に増やす」および「他国の市場をアメリカに対して開放させる」(ともに32頁)などの表現は、クリントン政権時代のアメリカの戦略的貿易論を髣髴させる。

これらは、教育・経済問題を重視する民主党支持者や、景気の低迷や民主党政権の財政規律の欠如を批判する国内勢力を念頭に強調されたものであろう。

しかし同時に、2008年に勃発した金融危機や、イラク、アフガニスタンにおける戦争によってアメリカの経済的・軍事的パワーにかげりが見られることを意識し、その再生に取り組む姿勢を強調せざるを得ないことをも反映している。

オバマ政権のNSSのもうひとつの特徴として、穏健派リアリズムとリベラルな国際主義が混在していることが挙げられよう。

穏健派リアリズムとは、民主党および共和党の中道派にみられる外交思想で、外交政策における軍事力の重要性を認めつつもその行使は最終手段であるとし、国益の実現のためには敵対国との外交交渉なども有効な手段として認める立場である。今回のNSSで強調されている「国際秩序(international order)」(12-13, 40頁)という言葉は、穏健派リアリズムを象徴する言葉である。

また、リベラルな国際協調主義とは、国際関係の基調は協力であるという前提に基づいて、国際機関などを通じた多国間協調や国際法・規範の重要性を認める立場である。

こうした点は、ブッシュ前政権のNSS(特に2002年版)には保守強硬派や新保守主義者(ネオコン)の色彩が濃かったことと対照をなしている。

オバマの「包括的関与」政策
では、オバマ政権のNSSの骨格――どのような仮定に基づいて、どのような対処方法を重視するのか――はどうなっているのであろうか。

まず同文書からは、安全保障戦略を考える前提条件のひとつとして、同政権がアメリカの国力の相対的低下を自覚していることが窺える。これは、前述した現在の経済的苦境やイラクおよびアフガニスタン戦争による疲弊のみならず、いわゆるBRICs諸国の台頭などを念頭に入れたものと思われる。

このため、NSSでは「いかなる国家も単独ではグローバルな課題に対処できない」(1頁)という認識が示されている。この点も、ブッシュ前政権のNSSがアメリカの覇権の継続を前提としていたのとは大きく異なる。

ただし、アメリカの国力の「相対的」低下とは、他国の成長のスピードがアメリカのそれを上回るために起こるものであり、アメリカの国力が絶対値として低下することを意味するわけではない点には留意すべきであろう。

さらに、オバマ政権のNSSにおいて脅威とされているのは、アルカイダおよびその関連のテロ組織および核兵器の拡散という2つ(19-24頁)である。これらは、ブッシュ前政権の脅威認識と共通しているが、違いもある。

というのも、前者に関しては、ブッシュ前政権があらゆるテロ組織を敵と見なし「対テロ戦争」を強調したのに対し、オバマ政権はあくまで対象をアルカイダとその関連組織に限定している。

また、後者については、ブッシュ前政権は核兵器がならず者国家またはテロ組織にわたることを危惧していたのに対し、オバマ政権は周知の通り、核兵器の存在そのものをも問題視している。

こうした認識に立って、オバマ政権のNSSは「包括的関与」政策(11頁)を提唱している。

より具体的には、まず同盟国・友好国との良好な関係の維持・強化、中国、ロシア、インドなどの台頭しつつある大国とのパートナーシップの確立、国連や核不拡散体制などの国際制度への積極的関与、さらにはイランや北朝鮮などの敵対国との対話による問題の解決、などを明記している。(ただし最後の点については、相手が対話に応じない場合は、圧力を加えて孤立化させるとしている。)

こうしたオバマ政権の関与政策は、一見クリントン政権時の関与政策に似ているようにみえるが、その立脚する思想が異なる。

クリントン政権時代の関与政策とは、たとえば中国に対して関与を続けることが、中国国内における改革派を育て、それによって中国も西側に対して協力的になるであろうというリベラルな楽観論の色彩が強かった。

これに対し、今回のNSSで主張されている関与政策には、キッシンジャーやスコウクロフト流のリアリズムの影響も見受けられる。イランや北朝鮮の核開発を阻止するためには多国間協調によって国際的包囲網の形成が欠かせないが、そのためには他国、とくに中国から協力を引き出すことが課題となる。

この点に対しオバマ政権は、表向きは対話(米中経済戦略対話)を通じて中国が「アメリカと協調して責任あるリーダーシップ的役割」(43頁)を果たすことを促すとしているが、他方では中国を取り巻くロシアやインドとの関係を改善することによって、孤立化を恐れる中国からの協力を引き出そうという意図も今回のNSSから読み取れるのである。

こうした点は、一見ソフトなオブラートに包まれたオバマ政権の外交政策の核心にはしたたかな計算があることを示している。

オバマ外交の課題
オバマ政権のNSSを読んで、「チェンジ」を売り物にして登場した政権の安全保障文書としては、やや地味な仕上がりとなっているという印象を筆者は受けた。

ただ、これを「新鮮味に欠ける」と見るか、「地に足のついた政策を追求している」と見るかは、読む側の立場によって異なるであろう。

より本質的には、同文書に明記されている政策がうまく機能するかどうかは、多国間主義外交に不可欠な、他国(とくに中国)からの協力を引き出せるかどうかにかかっている。

先日、国連安保理において中国がイランに対する追加制裁に賛成したことは、前段で述べた方策が一定の成果を収めたものと評価できるが、この制裁の内容は中国やロシアの反対によって、当初オバマ政権が目指していたものから後退せざるを得なかった。

この例が示すように、多国間の協力を重視するアプローチには「妥協と忍耐」が不可欠である。この点は今回のNSSも認めているが、政治的分極化の進んだ現在のアメリカにおいて、オバマ政権が反対派を抑えて外交政策の目標達成のために「忍耐」を持続できるか、また反対派を抑えるために求められる外交的成果を早急に達成することができるかが、この安全保障戦略の成否を左右することになるであろう。


■泉川泰博:東京財団現代アメリカ研究プロジェクトメンバー、中央大学総合政策学部准教授