タイプ
論考
プロジェクト
日付
2010/10/26

アメリカNOW 第59号 「選挙コンサルタントとグラスルーツ・ポリティクスの行方」:2010年の話題書で読み解くアメリカ(3) (渡辺将人)

まもなく11月2日に全米で投票が行われる中間選挙は、オバマ政権の命運を決する。「政治の季節」を迎えているアメリカでは、ペーパーバックに版を重ねている今年度の話題作に改めて注目が集まっている。中間選挙及び選挙後のオバマ政権を読み解く上で、直接あるいは間接に参考になりそうな2010年の政治ベストセラーから数点を選び、前号に引き続き解説してみたい。今号で扱うのは、オバマ政権と前ブッシュ政権の選挙戦をともに裏で支えた選挙のプロによる、グラスルーツ政治指南である。

オバマ政権初動を外から支えた男による「陣営の回顧録」
2010年は民主党オバマ政権と共和党前ブッシュ政権のキーパーソン2人の著作が目立った年でもあった。この2人には、政治的立場を超えてグラスルーツの政治動員を重視する共通性がある。前者は2008年にオバマ陣営でキャンペーン・マネージャーを務めたデイビッド・プラフ、後者はカール・ローブである。

プラフが2009年11月に出版したThe Audacity to Win: The Inside Story and Lessons of Barack Obama's Historic Victoryはベストセラーとなり、1年後の現在もペーパーバック版が書店に並んでいる。言うまでもなく本書のタイトルは、オバマのThe Audacity of Hopeにわざと似せている。30枚のオバマとオバマ陣営の貴重なカラー写真を盛り込んだ本書は、プラフの自伝ではなく、オバマ陣営の自伝である。いわば2008年大統領選挙の記録を「我らかく戦えり」と早々に出版した格好だ。アクセルロッドとプラフの名コンビの1994年の出会い、プラフの家庭生活なども細かく描かれており、プラフという個人の声を通じて日記的体裁をとったことで、読み物として楽しめるようになっている。何より関係者を驚かせたのは、大統領選勝利からわずか1年で、当時者である選対本部長が選対の内幕を明かすというサイクルの早さだった。

チーム・オバマ内でのプラフは、クリントンにとってのジェームズ・カービル、あるいはポール・ベガラ的位置づけにある。大統領に相当に近い選挙専門家で、大統領選の立役者でありながら政府の職に就くわけではない。差異があるとすれば、そうしたホワイトハウス外の立場を引き受けた目的であろう。カービルもベガラも戦略的に外野からのクリントン支援を選んだというより、政府の仕事よりも自分の選挙コンサルティング業を自由に続けながら、民主党系政治評論家としてクリントン支持発言を続けていく動きが性にあっていた。ホワイトハウスでクリントンに仕えた時期もあるベガラと違って、カービルは一貫して一切の公職に興味を示さなかった。

それに対して、プラフがオバマ政権の滑り出しでホワイトハウス入りしなかったのは、アクセルロッド、ギブスとの「3人組」における戦略的な役割分担と見るのが自然である。「3人組」が全員ホワイトハウスに入るよりは、1人は外からカービル的立場で援護射撃をするほうが効果的だからだ。公職に就いていないことで、かえって取り組みやすい仕事もある。プラフは、オバマを支援する民間組織「オーガナイジング・フォ・アメリカ」をネットに組織し、The Audacity to Winの執筆に精を出した。本書はオバマ政権の医療保険改革が行き詰まり、オバマ選挙の熱狂も消えつつあった時期に絶妙なタイミングで出版され、オバマ選挙の感動を蘇らせる一定の効果をもたらした。これらはプラフの得意分野を踏まえ、オバマが期待した分担の役割でもあったはずだ。

2人のディビッド:「空中戦」のアクセルロッド、「地上戦」のプラフ
プラフは根っからの選挙のプロである。デラウェア大学在学中から政治にのめり込み、学位を取得しないうちにフルタイムで政治の世界に入ってしまったのは、カール・ローブと同様だ(プラフは2010年に大学卒学位を取得している)。1990年のトム・ハーキン上院議員の選挙陣営を皮切りに、数々の選挙をこなしてきた。1990年代末に1年ほど、ゲッパート下院議員の副首席補佐官を務めたことがあるが、これは長い選挙キャリアの中では例外的である。大半はキャンペーンの専門家として過ごしてきた。

アクセルロッドが設立したコンサルティング会社「AKP&Dメッセージ・メディア」に合流したことで、2008年のオバマ選挙に盟友アクセルロッドと共に参加する縁に恵まれた。アクセルロッドがテレビCMやメッセージ伝達など「空中戦」のプロであるのに対し、プラフは「地上戦」の専門家である。この両者の技能的な棲み分けが、オバマ陣営、そしてオバマ政権の機能性を担保してきた。プラフの本は、アイオワ戦の経過に大半の頁が注がれている。オバマ陣営の勝利の源が、緒戦のアイオワにあったことは、数多くの専門家による共通した見方であるが、プラフの本書に綴られた言葉は直裁的にそれを示す。

「もしアイオワで勝てなかったら、ほぼ間違いなく勝利できない。しかし、もしアイオワで勝てたら、扉が開くと信じているし、チャンスが与えられる。確実性のあることではなく、チャンスに過ぎないのだが」

こうプラフは現場で語っていた。実に2年間のキャンペーンの半分をアイオワに注いだというプラフは、アイオワを選挙戦の「実験室」と呼んでいた。大統領選で挑戦した戦術のほとんどが、アイオワで試みられていた。言い換えれば、オバマ選挙はアイオワに始まり、アイオワに終わったとも言えるわけで、アイオワ戦を集中分析することで「オバマ選挙」全体の回顧録とするのが本書の独自性だ。

逆に言えば、アイオワ戦のメカニズムが見えなければ、オバマ勝利のメカニズムも見えない。キャンバシングとネット組織の融合、ボランティアの他州からの動員、オバマ流の演説政治など、その後「オバマ流」と語り継がれるようになったほとんどすべてのキャンペーン手法が、アイオワで実験され、成功をおさめている。プラフがハーキン上院議員の選挙でフィールド担当スタッフとして修行を積んでいたことは、オバマ陣営に福音だった。また、アイオワ党員集会システムに習熟したピーター・ジャングレコら1992年にクリントン陣営のスタッフを経験しているアイオワ専門家の参加もオバマ選対の礎となった。

元選対本部長が語るオバマ選挙:アイオワに始まりアイオワに終わる
既に周知の事実なっていることもあるが、プラフが当時者として本書で明かした興味深い点をおさらいすると以下が挙げられよう。

第1に、アイオワ仕込みの経験を現代流にアレンジしたプラフの地上戦で興味深いのは、先進的なテクノロジーや伝統的選挙技術とグラスルーツの力を融合させる点にある。本書でプラフは対話形式の世論調査である「フォーカス・グループ」を多用していたことを認めている。しかし、その使い方としては、政策の内容を変更するために用いていたのではなく、キャンペーンがどのように受容されているかを適宜チェックするために、選挙戦と同時並行的に用いたことに独自性があった。ネット利用にしてもテレビCMのネット版のような一方通行の「空中戦」の道具として用いるのではなく、キャンバシング用のボランティア組織の形成など「地上戦」の補助装置として使う点にオバマ陣営の独自性が光った。

第2に、緒戦でオバマ陣営が黒人票に拘る姿勢を一切見せなかったことは戦略的判断であった。民主党の予備選過程でも全体の15%程度であるアフリカ系に注力しても効果は薄く、クリントンの盤石の黒人人気を崩すには、アイオワに勝利して当選可能性が高い候補者であることを示す必要があった。実際にはバレリー・ジャレットがアフリカ系アウトリーチの主導的役割を果たしていたが、全体の中では限定的であった。

第3に、緒戦で細かい政策論争に入らず、オバマの信念を訴えるメッセージも戦略的判断であった。予備選過程では、オバマの政策は具体性がなく、クリントンが政策論では勝るという評価がテレビ討論を通して根付いた時期もあった。しかし、これもオバマ陣営の戦略であった。プラフによれば、シニシズムが選挙戦の最大の障害であった。アクセルロッド率いる「メッセージチーム」が考案した「Change We Can Believe In」(我々が信じられる変革)を決定する過程でも、政治家が軽々しく口にする変革を誰が本当に成し遂げるのか、「実現性」そのものが問われているという発想が優先された。選挙戦のスローガンは、政策具体性よりも、怒りや不安など有権者の漠然とした感情を上手に言い換えて表現したものが浸透しやすいという、メッセージの原則を改めて確認した格好である。

第4に、2002年10月にシカゴで行われたオバマのイラク反戦演説が「Day One(初日)からオバマの立候補の巨大のエンジンとなっていた」ことをプラフは認めている。プラフらは2002年演説の起こしをコピーして、アイオワのイベントでわざわざ配布したし、10月2日を陣営内で「反戦演説記念日」と決めて、2007年10月2日の演説5周年の日には、シカゴとアイオワ州デモインの両方でイラク戦争についてのオバマ演説を企画している。オバマ陣営がこれほどまでに、2002年のシカゴ演説を軸にしたキャンペーンを展開していたことは、全米でも日本でもほとんど報道されなかったが、これについてプラフは次のように回顧している。

「オバマのイラク演説はデモインでは大きく報道された」「全国メディアは、クリントンの数字が上がった、オバマの数字が落ちた、という報道ばかり続けていた。我々のアイオワでの一心不乱の選挙戦(our obsessive focus on Iowa)は、全国メディア報道で伝えられる隙間もなかった」

このエピソードは大統領選の予備選過程、あるいは中間選挙は、あくまでローカルのイベントであり、全国規模の世論調査分析に傾倒しがちな全国メディアの報道には意外な穴が空きやすいことを示唆している。

元選対本部長が語るオバマ選挙:オプラ起用からネガティブ・キャンペーンまで
第5に、オプラ・ウィンフリーを選挙戦に組み入れることには、当初陣営内に否定論も根強かった。セレブレティの選挙利用が軽薄に映るかもしれないと懸念したからだ。しかし、プラフらは最終的にオプラ起用に動く。党員集会や予備選に行かない無党派層とオプラのファンが重なっていたこと、有名人は演説イベントへの集客動員力があることの2点がその理由だった。この判断が結果としてアフリカ系アウトリーチとしても成功となり、サウスカロライナ州のイベントではアフリカ系女性が大挙して押し寄せた。プラフはアフリカ系女性票をヒラリーからサウスカロライナ戦を境に奪い取った基礎に、オプラ起用の英断があったことを本書で示唆している。トークショーホストなどショービジネスの著名人を並べることは、ときに逆効果になることもあるが、冷静な判断に基づいて行われれば、対抗馬の基礎票を奪う突破口になる事例として興味深い。

第6に、オバマ陣営の分析によると、同じ地上戦でも、電話作戦(フォーンバンク)よりも戸別訪問(ドアノッキング)の効果のほうが上回っていた。プラフは次のように述べる。「有権者はさんざん電話をもらっている。しかし、寒い中、人が家までわざわざ訪問してきたら、話だけでも聞いてみようかという気になりやすい」。地上戦は「ノルマ」ではなくコミュニケーションであり、有権者との「心理戦」であることを知り尽くした発言だ。

第7に、相手から浴びせられるネガティブ・キャンペーンをそのまま利用して相手を潰すという、アクセルロッドが「柔術」と命名した戦略が、ニューハンプシャー予備選の敗北以後、オバマ陣営では頻繁に用いられるようになった。ネガティブ・キャンペーンは、収まるのをじっと待ち無視するのではなく、相手がネガティブ手法を用いいている事実にスポットライトを当ててしまう作戦である。「真実部隊」というチームを編成し、何か誹謗中傷に事実関係の誤りがあれば、ただち訂正するということも行った。

クリントン流の伝統的な手法では、アタックにはアタックで打ち返す、ネガティブには怯まずにネガティブで即時に返すことが原則だったが、相手のネガティブな動力をそのままブーメランのように利用して、相手側のいき過ぎた手法や事実無根な中傷を撃破するという点で、両者の戦術は正反対だ。オバマ政権はその後も一貫して、共和党の攻撃に対して、このブーメラン手法を用いている。しかし、これがはたして政権運営上も有用かどうかは判断が割れるだろう。

第8に、選挙中の欧州遊説先にベルリンを選んだのはプラフが「ベルリン・ギャンブル」と呼ぶように世論調査なしの勘によるものだった。フランスよりは社会主義色が薄く、イギリスよりは同盟国として信頼性が薄いということで、あえてオバマで熱狂する姿を見せることにこだわった。ちなみにイラクとアフガニスタン訪問時は、外交日程なので選挙スタッフは誰も同行できなかった。電子メールが唯一の連絡手段なのにメールが通じず困ったとプラフは語っている。

第9に、副大統領候補選びでオバマはヒラリーに興味を示していたが、アクセルロッドもプラフもその考えは持っていなかった。バイデンに決定した理由は、外交経験とブルーカラー層へのアピール、バイデンの個人的な人生の物語性であった。ちなみに副大統領候補をめぐる意思決定の情報管理は凄まじかった。最終リストを知っていたのはプラフとアクセルロッド、それにプラフの秘書的な動きをしたアリッサという30歳の女性のみだった。ラウスもジャレットもギブスも知らないことを、プラフとアクセルロッドが共有することがあることを示している。

プラフは本書で紳士的な筆運びを貫いているが、マーク・ペンに対してだけは手厳しい。クリントン陣営とペンが多くの点で意見を異にしていたという報道を紹介した上で、ペンは代議員システムすら正確に理解できていなかったことを示唆している。

ブッシュ大統領の「再ブランディング」か?
一方、共和党側のカール・ローブの自伝が2010年3月に出版されたCourage and Consequence: My Life as a Conservative in the Fightである。本書については、ジャーナリストや専門家筋から落胆の声が多かった。何しろ前政権の大統領の懐刀だったローブの回顧録ゆえに、サプライズの新事実が明かされるのではないかと期待された。しかし、本書ではブッシュ政権時代の決定的な新事実を一切明かさなかった。読者の期待はイラク戦争前後のブッシュ政権の意志決定過程にあったが、サダム・フセインが大量破壊兵器を持っているという共通認識が政権にあったということ以上には何も述べていない。しかし、それをもって本書が無用の長物として、ローブが何も知らないと考えることは妥当ではない。

第一に、本書が出されたタイミングに注目しなくてはならない。ブッシュ退陣後わずかで出版された本書は膨大なインデックスを含め、ハードカバー版で596頁もある。これだけの本を準備して出版にこぎ着けるのは並大抵のことではない。前々から計画していなければならない。一定のプロジェクト性を帯びた仕事だと想像できる。大統領顧問をしていた人間が出す本の記述が、歴史としてどれだけの重みを持つか、誤った記述でもすれば後々どのような責任を伴うか、ローブも認識している。それだけの慎重さを要する本を焦って出版することには十分な理由があってしかるべきである。

ローブとブッシュの関係は退任後も運命共同体である。ブッシュ政権のレガシーをめぐる評価とローブの今後がリンクすることは避けられない。本書の出版2ヶ月後の2010年5月に出されたローラ夫人の自伝Spoken from the Heart、そして2010年11月にまもなく出版されるブッシュ本人の自伝Decision Pointsへのブッシュ政権本「3ステップ」の前哨の第一段目の「地ならし」の書として理解するのが妥当かもしれない。

本書においてローブは徹底してブッシュの「再ブランディング」を試みている。それは「戦時大統領」として対テロ戦争とイラク戦争と「ネオコン政権」イメージに塗り固められたブッシュのレガシーを「正しい」方向に修正させる仕事である。戦争に関する頁を最小限に留め、「思いやりのある保守主義」こそが、ブッシュの本来の政治姿勢であり、ブッシュが共和党内でむしろ穏健派とされてきた歴史を掘り返している。

また2004年の大統領選で、マイノリティ対策として共和党の歴史では例を見ない規模のアウトリーチを展開したことを強調している。当時の共和党全国委員会委員長ケン・メルマンとローブは、ヒスパニック系、カトリック、郊外女性層を重要視し、アジア系とアフリカ系の得票まで伸ばそうとした。その一方で福音派の宗教右派票を同性結婚問題で焚き付けて動員したとされる事実にかんしては、相対的に目立たせていない。ブッシュといえば「ウェッジ・イシュー」で宗教右派を動員したとして、メガチャーチの大統領というイメージ一色にされていただけに、こうした色をマイノリティ・アウトリーチの事実を詳細に語ることで総体として薄める効果を本書は発揮している。アウトリーチの記述は実に詳細で、ローブの秘技とされていたマイクロ・ターゲティングの実際まで開陳している。アウトリーチ研究においては、2000年代の大統領選挙を担った当事者の証言として一定の価値はある。

このように「ネオコンに牛耳られた戦時大統領」「福音派を焚き付けたキリスト教右派大統領」というイメージを「思いやりのある保守主義」「スペイン語が片言話せる、マイノリティの隣人」のイメージに再ブランディングをはかっている。勿論、「思いやりのある保守主義」を志向していたことも、マイノリティに目を向けた集票活動もすべて事実であり、過剰な誇張はない。しかし、意図が見えれば、本書に戦争や政策過程の記述が少ない背景の一端が理解できる。

実際にはブッシュのホワイトハウスの日常はイラク戦争前後を通して、対テロ戦争の毎日だったわけで、普通に日記を綴ればそればかりになるはずだ。政治スタッフの本の出版は、本人が現役年齢であれば、必ず政治的意図を伴わざるを得ないだろう。戦時大統領としてレームダック化した大統領像は、ローブの書で毒抜きされ、ローラ夫人の非政治的な回顧録に引き継がれ、本人の自伝にレールが敷かれた。通常、大統領本人が回顧録を出す前に、本来はその回顧録を完璧なものにするための手伝いをすべき元側近や妻が、それぞれ自分の回顧録を時間差で出す、という行為は不自然に見えるかもしれないが、レームダックとしてホワイトハウスを去り、共和党内でも批判的な声があったブッシュの回顧録を暖かい目で迎え入れてもらうためには、一定の「助走」が必要だったはずだ。

第二に、たとえ詳細を知り得ていたとしても、国家安全保障に関する機密事項を本に書くことは不可能である。ローブほど大統領の信頼を得て、ホワイトハウスを切り盛りしていた人間が、戦争をめぐる機密事項にアクセスできなかったとは考えられない。シチュエーションルームでの議論や意志決定は安全保障の専門家に委ねたとしても、政治的判断から節目の決断に関与したはずだ。本書の記述の薄さをもって、ローブは何も知らなかった、政務ばかりで政策からは外されていた、と考えることはできないだろう。そもそもアフガニスタンもイラクも本書出版時点でまだ継続中の戦争であり、詳細を語ることは難しいかもしれない。

ローブとコミュニティ・オーガナイズの不思議な繋がり
むしろ政治関係者にとって本書の面白さは、「政治戦士」カール・ローブの生立ちや選挙戦術の公開にある。選挙をめぐる詳細は国家機密ではなく、過去の話になれば真実が表に出やすい。前号で扱ったハルペリンらの本も、本号前半で扱ったプラフの本も同様だ。

ローブは共和党学生の連盟であるカレッジ・リパブリカンのリーダーとして大学時代に活動を始める。1970年にラルフ・スミス上院議員の選挙キャンペーンで学生票を取りまとめる役割を果たす。若きローブはいくつかの法則を学ぶ。第一に「誰もが投票するわけではない」という当たり前の事実だった。つまり開拓すべきは投票しない層にある。無党派層開拓のローブ哲学はこのときに生まれた。第二に「政治ではブランドがものをいう」という真実だった。ときには実務経験の深さより、名声や評判のほうが重要なこともある。ローブのブッシュ家の政治力評価の原点にこの考えがあるようだ。

第三に、「一定の時期にどうしてもどちらかの党が有利な構造的な環境にある」ということだ。候補者単位ではどうしようもない政治環境への現実感である。例えば、ローブは1966年にヴェトナム戦争で民主党が分裂したので、共和党が漁父の利を得たことを認めている。他方、1970年には同様にヴェトナム戦争が共和党を分裂させて苦しめたとしている。第四に、「選挙で負けるのは辛いものだ」という負けず嫌いの原点である。

ローブは保守運動を拡大させる上で、党内分裂を憂慮した。ロックフェラー・リパブリカンの穏健派とゴールドウォーター・リパブリカンの保守派の対立関係に絡めとられないように留意した経験が語られている。また、ローブが組織作りや動員の基礎をソウル・アリンスキーの著作から学んでいたことことは驚きだ。カレッジ・リパブリカンにとってのテキストはソウル・アリンスキーのRules for Radicalsだったとローブは述べる。政治キャンペーンでいかに勝利するか組織作りのバイブルだった。アリンスキーの同書は類書の中でも特に有用だったと回顧している。

アリンスキーといえばシカゴのコミュニティ・オーガナイズの創始者的な人物だが、その過激な思想ゆえ文字通りラディカル過ぎるとして敬遠されることもあった。2008年の大統領選挙ではオバマがアリンスキー思想にかぶれているのではないかという中傷もあった。しかし、共和党のローブのバイブルがアリンスキーだったというのだから、オバマへの中傷も陳腐化せざるを得ない。勿論、オバマが直接アリンスキーに影響を受けているというのは誤解で、オバマが学んだ教会基盤のコミュニティ・オーガナイズは、アリンスキー世代の労組基盤のものとはかなり性質が違う。オバマはカトリック教会や黒人教会の支援を受けてシカゴで貧困対策に取り組んだ。イデオロギー的運動ではない。

ちなみにアリンスキーといえば、ヒラリーが学士論文のテーマに選んだ人物で、論文のために直接会って聞き取り調査もしている。そのさいアリンスキーにリクルートもされたことはヒラリー自伝Living Historyに詳しい。ヒラリーは誘いを受けず、イェール大学で法律学位を取る道を選んだ。システム内からものごとを改革する道を選んだ。アリンスキーのオーガナイズ論が、保守・リベラルの党派を超えて、組織作りに応用されていたことは実に興味深い。オバマとヒラリーの共通項として知られ、どちらかといえば民主党系、左派系の愛読書であると認識されていたコミュニティ・オーガナイズの原点であるアリンスキーの組織論だが、ローブが共和党の保守運動の組織化のバイブルとしていたことは、ある意味では本書一番のサプライズかもしれない。動員のお手本に保守もリベラもないのだというローブらしい乾いた思想が本書には滲んでいる。



■ 渡辺将人: 東京財団現代アメリカ研究プロジェクトメンバー、北海道大学大学院メディア・コミュニケーション研究院准教授