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2011/10/19

大統領選挙ディベートの現場:共和党予備選挙の事例から (渡辺 将人)

2011年8月11日にアイオワ州エイムズで開催された共和党候補による大統領選挙ディベートにゲストとて列席した。大統領選挙過程で無視できない影響を持つディベートだが、候補者の発言について報道されることは多いものの、ディベートの運営や放送主体について論じられることは少ない。とりわけ予備選過程のディベートは党内イベントであり、聴衆やメディアとの関係にも独特の力学が働く。会場内で党関係者の目線から観察した大統領選挙ディベートの実際について報告したい。

(1)「政党の州組織と予備選挙討論」
【大統領選挙とディベート】

大統領選挙ディベートはプライムタイム(日本の通称ではゴールデンタイム)の枠で全国に生放送されるため、アメリカ放送界のテレビ中継技術の進歩とともに歩んできた。ケネディとニクソンのディベートで、テレビ映りが印象を左右したという逸話で知られるように、1960年代以降は「メディアのイベント」として定着している。民主党系メディアコンサルタントでジョージワシントン大学のピーター・フェンが指摘するように、1960年のニクソン・ケネディのディベート以降、ほぼすべての大統領選挙でディベートは重要な役割を果たし、とりわけ1980年大統領選挙のレーガン・カーターのディベートは8000万人のアメリカ人がテレビで視聴し、レーガンのディベートでの鮮やかな弁舌が勝利の鍵となった*1

これまで選挙サイクルごとに数々のディベートを見てきたが、アメリカのテレビ放送、報道記事あるいはネットに転載されるスクリプトなど媒体を通してのことが多かった。ちなみに、オバマ選挙を扱ったアメリカのドキュメンタリー作品などの大統領選挙ディベートのシーンで描かれているように、プレスは実際の会場ではなく別の遠隔会場に用意されたモニターで取材する。ただ、この取材方式は記事を書く上では不自然なことではない。日本でも、党首討論や予算委員会の審議を国会内の記者傍聴席で取材するのではなく、テレビの国会中継や院内テレビを国会記者会館と呼ばれる別の建物で見ながらメモをとったり、記事を書いたりするほうが効率的でもあり、アメリカの取材もこれと同様である。討論で交わされた「発言内容」を取材するぶんには、討論会場内にいる必要性はなく、テレビのモニターのほうがむしろ話者のアップの表情がよく見えたりして原稿が書きやすい。

同じ意識は、地元の共和党支持者にもある。ディベート会場に入るチケットが手に入らなかった党関係者は、地元のバーやホテルの部屋を貸し切ってディベート観覧大会を開いたりする。「会場で後方の悪い席になってしまうより、テレビの大画面の前がいい」という人は少なくない。


【政党の献金イベントとして:本当の主催者は政党の州委員会】

さて、ではどういう人が敢えてディベート会場に入るのであろうか。予備選の大統領選挙ディベートは2つの主催者によって開催される。1つはメディアである。具体的には、ディベートを番組として放送するテレビ局と協賛相手の新聞社である。もう1つは党である。予備選では開催地の党の州委員会、本選なら両党が運営するディベート委員会である。

本稿で事例として取り上げる2011年8月11日の共和党予備選ディベートは、保守系のFOXニュースと「ワシントン・エグザミナー」紙がメディアの主体となった。共和党の予備選ディベートは保守系メディア、民主党予備選ディベートは中道からリベラル寄りのメディアが放送することが少なくないが、例外もある。本選は交互か中道が旨で、PBS(公共放送)のジム・レーラー、グエン・アイフィルなど、わりとオピニオン色が薄い人物をモデレーターにする工夫もある。

テレビ局主体の「番組」としての印象からか、報道の記事では「FOXニュース主催」「CNN主催」という表現が目立つが、基本的には「党事」で、正確には「アイオワ州共和党主催」の党の政治イベントを「共催のFOXニュースが放送した」ものである。本来の主催は党、それも開催地の州の州委員会である。黒の長方形の厚紙風のチケットにも、主催者として「IOWA GOP」と明記されている。発行者は共和党州委員会で「特定の候補者や候補者の委員会に関連しているわけではない」と注意書きがある。

したがって、最前列の主賓席には、州に関係する党の公職者が大物順に着席するし、観覧チケット収入は州の党中央委員会への献金となる。局のイベント部門の興行収入ではない。大口献金者が観客に多いのは、いい席のチケットが高額だからだ。観客として中に入れていること自体が、私のような外部ゲスト以外は「献金行為」である。そのため対立政党の偵察目的か、あるいは研究上や取材上の理由がある私のような例外でない限り、予備選ディベートの観客は候補者側の政党支持者しかいない。野次や声援の吟味は、この点を考慮しなければならない。一般観衆ではないので、ディベート会場内の反応も、「党内の政治的な支持や中傷」であり、国民の平均的なリアクションではない。

私が参列したディベートでは、最前列左から州知事のテリー・ブランスタッド、副州知事のキム・レイノルズ、連邦上院選挙のチャック・グラスリーが座った。州イベントではあるがあくまで共和党の祭典なので、民主党のトム・ハーキン上院議員は参列しないし、もし知事が民主党なら知事もこの場にはいない。ラインス・プリーバス共和党全国委員会委員長も駆けつけたが、右側二階席のバルコニーに着席して手を振るに留め、最前列の州の大物政治家との距離を保った。アイオワに敬意を示して出過ぎないようにする。全国委員会は選挙組織であり、日本の党本部のような存在ではないので、委員長も日本でいう党首のような立場ではない。

アメリカの政治行事では、必ずモデレーターが会場に列席している公職者を「きょうは会場に〜議員、〜知事がいらしています」と1人1人紹介し、それに応じて公職者も起立して会場に手を振って挨拶をするという「儀式」があるのだが、紹介の順番に深い意味が込められている。ステージで観衆に最初の挨拶したのは番組のモデレーターで、今回はFOXのブレット・ベイヤーであったが、すぐに党の州委員長を壇上に上げ、マイクをバトンタッチした。州の大物の紹介にFOXはタッチしない。あくまで州共和党の行事を放送させてもらうというスタンスがここでも滲んでいた。

この種のやり取りは番組とは関係ないので、会場内にいないとわからない。したがって、テレビで観たり、プレスセンターで取材している分には「番組」開始の瞬間からの観戦になるので「FOX主催」のイベントに見え、会場内にいると「党の行事」に感じられるという、イベントの性質をめぐる「感覚ギャップ」が観戦場所や経路の差によって必然的に生じる。

委員長が、公職者を1人1人紹介し、観客は毎回起立して大きな拍手で応じる。共和党全国委員会委員長の紹介は、州関係者の後であった。通常の政治的な集会では、必ずここでナショナルアンセム(国家)の斉唱とプレッジ・オブ・アリージャンスが行われる(右手を胸にのせて国旗に向かって忠誠を誓う「ワンネーション・アンダー・ゴッド」と唱える、アメリカの学校で子供達が必ず唱和するあれである)。しかし、メディアが共催しているイベントでは、特定の宗教色や愛国的儀式は共和党といえども簡素化された。

前述したようにチケットを管理販売しているのは党である。したがって、知事、連邦議員、州議会議員などに後援会用にまずかなりの量が割り当てられ、それ以外は寄付金による販売制で、結局は観客は大口献金者や地域の党委員の家族などになる。一般の観客が混じることはまずない。2012年大統領選挙の予備選は、民主党内にオバマに挑戦するサプライズの対抗馬が出ない限り、既定路線では共和党が目玉であり、予備選過程では共和党の支持者の関心が強い。ディベートのチケットは早期に売り切れ、郡の党委員の中には取得できない人も続出した。あるジョンソン郡の委員は「お金持ちの献金者が買い占めてしまった」と不平も漏らした。

本来、スタジオではない会場に一般の観客がいるという「公開番組」で、しかも生放送となれば、放送事故と隣り合わせの緊張感がある。番組の運営上はスタジオのほうが都合がいい。会場をテレビ局のスタジオにせず、あえて州立大学や州の大ホールなどにしているのも開催州への敬意を払うことと、地域性を色濃くすることで各州にまたがって行われる大統領選挙プロセスの躍動感を演出する目的がある。協賛の放送局が、サーカス団のように全米各地の開催地をまわって即席でディベートのスタジオとプレスセンターを設営するのも、今や大統領選挙の風物である。


【党派的社交の場として:小規模な党大会】

本当の主催はテレビ局ではなく州の党委員会なのだという建前は、予備選過程の皮切りになるアイオワ州ではとりわけ強い。会場もストローポール(模擬投票)と同じ、アイオワ州立大学内の講堂(C. Y. Stephens Auditorium)で行われた。観客の動きも党がコントロールする。一般の地域住民ではなく、党の関係者なのでいきおい党大会的な社交の場となる。

実際、大半の参加者がパートナー同伴で社交目的で訪れる。感覚としては献金パーティと何ら変わらない。入り口のセキュリティは党大会よりは緩いが、金属探知機のセンサーは強く、靴やベルト、ブレザーのボタンにまで反応した。VIPチケットを持っていればIDの確認はなく、私も念のためパスポートを用意していたが、同伴の党委員とVIPラインからID確認なしに入れた。

メインゲートの正面のカーテンの向こう側には、一部のVIP観客向けのレセプションが用意されており、ここで無料のカクテルやシャンパンを片手に党の幹部とその家族が「社交」を繰り広げる。ディベート開始30分前だというのに、誰も観客席に戻ろうとしない。本来の目的がなんであるかを忘れているかのごとく、アルコールの臭いが充満した舞踏ルームで握手とハグを繰り返して「州の同窓会」に興じる。私もこのVIPレセプションだけで、州知事、州副知事、上院議員、州議会議員らと、個別にかなり落ち着いて会話する機会が持てた。

VIPレセプションに入れたのは総勢100人程度で、彼らにとっては大事な党幹部の同窓会である。公職者にとっては献金者に謝辞を述べて顔を売る場であり、献金者にとっては「党への投資」をアピールして恩を売る絶好の機会であり、「政治ミーハー」でもある彼らにとっては大物とのツーショットの写真撮影の機会でもある。番組やディベートのことなど忘れて、ワインをぐいぐい飲み干している。中にはディベート開始前のこの「社交」で疲れ果ててしまった人もいたし、「ディベート観戦は諦めるので、VIPレセプションだけなんとか潜り込めないか」と入り口で交渉している人もいた。

言い換えれば、予備選ディベート裏舞台は、候補者の生演説をニンジンにした献金パーティであり、党大会のような党人の「社交」の場である。これは全国党大会に似ている。党の大物政治家の「連続演説」のテレビ中継が目的である全国党大会も、一歩裏舞台に入ると連日連夜繰り広げられる各州党委員会による献金パーティと、路上やコンベンションセンターに出店を出す利益団体やエスニック集団、宗教団体などによるアドボカシーのキャンペーンで埋まっている。

表の「演説・討論」と裏の「政治活動」(献金集めとアドボカシー)という二重構造の類似性において、予備選ディベートは小規模の党大会と言えなくもない。表では「FOX共催の討論会」なのだが、およそトーキングポイント(発言応答要領)は見えており、だいたいの候補者に一度は生で会ったことがあるような党関係者であれば尚更、討論そのものへの関心はイベントのごく一部でしかない(尚、知事を筆頭に、ディベート会場で表敬したすべての州や党の関係者の方々から、日本の皆さん、とりわけ東北と福島の皆さんに心からのお見舞いと応援の言葉を頂戴したことを付記しておきたい)。


【スタジオに変貌する大学講堂:「公開番組方式」という演出】

会場の席次はチケットによって番号制で割り当てられている。バルコニー付きのオペラ会場のような構造で、一階席の後部よりはバルコニー席のほうがステージの様子がよく見える。私は党委員と並んで左側のバルコニー席の前列に着席した(セクションLoge24の2列目2番席)。

テレビ番組のスタジオというのは往々にして画面の印象よりもチープで狭い。映像のマジックである。私も前職で番組制作に携わってきた経験から、大統領ディベート会場は、画面に映らない部分はベニヤ板と電飾の配線むき出しのチープなセットかと考えていたが、予想を大きく裏切られた。FOXがステージのセットと会場の照明にかなりの予算を割いていることは一目瞭然で、全国党大会のステージの電飾を彷彿とさせる豪華さであった。

一般的に、画面に映らない部分にまでお金をかける必要はない。スタジオを他番組と使い回す場合、毎回取り壊しては同じセットを毎週組み立て直しているので、レゴブロックのように取り外しできる簡易構造の必要性すらある。しかし、大統領選挙ディベートは「番組」であると同時に、州の党イベントであり、画面には映らなくても会場に見えてしまう場所をベニヤ板とガムテープだらけにするわけにはいかないのだ。会場の観客にも奇麗に見えるセット作りが心がけられたが、これにどれだけ無駄な予算がかかるかは、放送関係者でなくても想像できよう。

テレビ局と党という2つの主催者の分裂状態は、運営上の問題を引き起こすことがある。番組ならばスタジオの聴衆は、誤解を恐れずに言えば、ある意味「セットの一部」に過ぎない。局側がどこで拍手させどこでブーイングさせるか、カンペ(電光掲示板に「applause!(拍手)」と表示される装置もある)や手の合図でコントロールする。そのための「要員」だからだ。しかし、列席している党の幹部達は「要員」ではないので、FOX、MSNBC、CNNなど放送局のフロアディレクターの言う事を必ずしも聞かない。

FOX NEWSアンカーマンのブレット・ベイヤーが何度も後ろの観客席を振り返り「頼むから、静かにしてくれ」とお願いしても、陳腐なタイミングでの声援や候補者の発言に被さる奇声など、放送上好ましくない野次はやまなかった。驚きだったのは、本番開始後もしばらく赤ん坊の鳴き声がやまなかったことだ。FOXは赤ん坊の親が党のどの程度の幹部の関係者なのかわからない以上、拍手要員としてのスタジオ観客を追い出すようには無下に扱えない。したがって、ディベート開始から1時間ぐらいたっても赤ん坊の鳴き声は続いた。またステージ脇下で立ち見していた観戦者が映り込んでしまう(業界用語で「見切れる」という現象だが、アメリカの生放送の現場も関係者の「見きれ」を極度に嫌う)のが会場の俯瞰の映像で美しくないために、FOXのディレクターが立たないように指示したのに対して、関係者が憮然として動こうとしない場面もあった。

カメラはステージに4台。1台目は司会役のアンカーが斜め前方を向いて番組の「振り」のリード原稿を読み上げる顔を撮るための「テレプロンプター」付きの「上手(かみて)」のカメラ。2台目は、観客から見て左手前に候補者の並びを「下手(しもて)」から「パーン」で撮影できる据え置きのカメラ。3台目と4台目は、候補者の背中側にくり抜いたセットの壁にある穴から質問者のジャーナリストの顔を撮るためのカメラ。

会場には候補者を正面から撮るためのカメラが客席一階の中部に右端と中央に2台「やぐら」の台の上に設置され、そのほか右側のバルコニー2階にクレーンカメラが1台。これは会場の場内の雰囲気を頭上から、ステージ俯瞰を速度のある動きをつけて「ドリー」で撮るためのものである。会場側のカメラ位置は概ね、歌番組などを撮影する陣形と同じだが、収録番組と違うのはスタジオではないのでクレーンをステージ前方に持ち込むとその後ろの観客が見えなくなってしまうので、それは避けている。あくまで通常の会場にカメラをささやかながら持ち込んだというギリギリのラインを維持している。

会場のスタッフはエグゼクティブプロデューサークラスの立場の人間が楽屋入り口に一人、プロンプターのカメラの右横にチーフフロアディレクター、さらに複数のアシスタントディレクターが控える。グラミー賞やアカデミー賞などの授賞式などの式典公開番組と同じで、VIP観客を迎えた「党の式典」なので、興味深いのはスタッフがドレスやスーツをしっかり着用していることである。グラミーのようにタキシードこそ着ていないが、アンカーデスクにカンペを持ってくるADの女性が、ジーンズにスニーカー姿どころか、レモン色のレースの付いたドレス姿なのは、いささかやり過ぎではないかとも感じた。

会場には左右の大型スクリーンがありオンエア画面に近いもの(カメラの生の映像が出るが、グラフィックと呼ばれるテロップが入っていない。また会場外の中継映像、CM、アンカーの振りの冒頭映像は映らない)が映るので、ステージに人形のようなサイズに見える候補者ではなくそちらばかり見る人もいる。会場で聞こえる音声は限定的であり、CMと番組のSE(サウンドエフェクト)や音楽は聞こえない。またステージ表面のFOX News、The Washington Examinerのロゴは、CGではなくライティングで実現していた。FOXは会場内にものすごい数の照明機材を据え付けた。ディスコのように暗くしたり明るくしたり、青くしたり黄色くしたり、電飾を切り替えて盛り上げるのは、全国党大会の演出とそっくりである(ちなみに、2008年度の民主党全国党大会で最終日だけ屋外のインベスコフィールドにした際、運営委員の懸念はライティング演出が屋内ホールのようにできないことだったが、オバマ陣営はこれを大量の花火の打ち上げで代用してプレスと共和党関係者の度肝を抜いた)


【ジャーナリストの花形コースとしてのディベートの質問者】

イベント冒頭、質問者のジャーナリストが拍手で迎えられて1人1人ステージに入る。日本の番組収録でも出演者が入るときは「〜さん入ります」というかけ声で、大きな拍手で迎えられる習慣があるがよく似ている。大統領選挙ディベートにおいて、ジャーナリストがまるでスターのように手を振って聴衆にアピールしたり、興奮した観衆が立ち上がって拍手でそれに応じるなど、アメリカの大統領選挙ディベートの質問者に選ばれたジャーナリストへの尊敬が並々ならぬものであることがわかる。

一昔前までアメリカの放送記者の憧れのキャリアゴールは、ネットワークのアンカーマン(ウーマン)になることであった。この単純な、しかし熾烈な競争を強いられる目標は、ジョージ・ステファノポロスのような政治スタッフのアンカー転身組のほか、イデオロギー的な評論家によるオピニオンショーの乱立で、ストレートニュースのアンカーの意味が相対化され、かつてほど魅力的なものではなくなった。テレプロンプターという装置の存在がメディアリテラシーの高まりとともにアメリカ社会に当然の存在として知られるようになり、美男美女で読みが巧いだけのアンカーは、映画やドラマの中でピエロ的な存在で描かれるようになり、コメディアンが偽のニュース番組でジョークを飛ばす社会風潮も生み出した。

他方で、放送記者だけでなく活字媒体の政治記者にとっても憧れの仕事である大統領選挙ディベートの司会者・質問者の権威は、まだ落ちていない。大統領選挙ディベートで質問者をするには、全国的な知名度に加えて、ジャーナリストとしての質問力や見識が問われるからだ。テレビの世界では有名アンカーになる登竜門でもある。CBS時代のダイアン・ソーヤー(現在ABC)をはじめ多くの政治記者が経験している道だ。CNNバーナード・ショー、ABCバーバラ・ウォルターズ、NBCトム・ブローコウなどアメリカ人なら誰でも知っているアンカーや司会者が、一度は経験する仕事である。

ただ、予備選ディベートで質問者が、観衆に大きな拍手で迎えられるのは、彼らが党派的な観衆であるがゆえに、FOXと「ワシントン・イグザミナー」という党派的媒体でよく目にする記者やコラムニストを信奉しているところも大きい。同じ質問者で聴衆だけ民主党支持者と交換したら、ブーイングしか聞こえないだろう。

質問者のうちブレット・ベイヤーは番組司会者を兼ねた。保守系ジャーナリストの数少ない活躍の場が、共和党の予備選ディベートであり、ベイヤーに加え、クリス・ウォーレス、スーザン・ファッチーオ、バイロン・ヨークの計4人が担当した。このうちスーザン・ファッチーオは、公開生番組という大舞台に慣れていないためか、気の毒なほど緊張しており、質問中も自分の顔がオンエアされていることも気にせず、ひたすらうつむいて紙を読み上げた。

新聞記者の2人(ヨーク、ファッチーオ)は普段テレビにコメンテーターと出演するときに、どんなにぼそぼそ話しても、胸のピンマイクが拾った音声を副調整室で大きくしてもらうことに慣れてしまっているので、会場でもぼそぼそと話しており聞き取りにくく、「声が聞こえない!」「質問がわからない!」と不満の声が観衆から聞こえた。テレビ記者の2人(ベイヤー、ウォーレス)は、取材現場での「立ちリポ」仕込みの滑舌と声の張り方が染み付いているのか、地声でも相当に会場に響き渡った。

スチールカメラのフォトセッションが、候補者がステージに入場した直後に行われる。候補者はポディウム(演台)にはすぐ向かわず、ステージ中央に横一列で並んで、手を振る。お約束のポーズである。この段階で「スチールの皆さんどうぞ」とFOXの司会者に言われると、通信社や新聞社のカメラマンが10人ほどどっと背中を曲げて早歩きで「だんご状態」でスタジオ下手から走り込み、ものすごい勢いでアンカーデスクの前にうずくまったり、寝転んだりして、候補者を撮影し始めたので、会場から大爆笑が生まれた。この日のディベートで一番の笑いが起きた瞬間は、本番中の候補者のジョークではなく、このスチールカメラマンの一団のコミカルな動きに対する笑いだったが、本番前の会場の緊張を一気にほぐした。


(2)「議題設定と討論のメカニズム」

【大統領選挙ディベートと一般的ディベートの乖離】

アメリカの大統領選挙ディベートの裏舞台について、私が個人的に興味を持っていたのはテクニカルな側面では、どの程度まで討論の流れが規定路線なのか、平たく言えば台本があるのかどうか、ということであった。

大統領ディベートはあくまで「番組」である。大統領候補同士の討論をそのまま映して流すのではなく、司会者と何人かの質問者(司会者が質問者も兼ねて1人で行うケースも多い)をジャーナリストが務め、彼らの質問に候補者が答える形式で進められる。

報道では「A候補とB候補が~について罵り合う場面もあった」などと書かれているので、候補者が自由に討論し合っていると思われがちだ。しかし、司会者が質問してそれに回答するというスタイルが厳密に存在している。司会者の許可なしには候補者は勝手に発言できない。したがって、上記のような報道のケースも、「A候補の今の発言を受けてあなたはどう思いますか?」とB候補に水を向けないとB候補は反論の機会も与えられない。

いわば、司会者や質問者が当てて、指名されたら聞かれたことにだけついて行う「連続的なスピーチ」であり、壇上にいる者同士が司会者をさしおいて会話することはない。割り込んで話すということも許されていない。

ディベーター同士でやり合う「反対尋問」が組み込まれているアカデミックな競技ディベートや教室ディベートは法廷の裁判におけるやりとりに近いが、競技ディベートの主要な流派の一つであるパーラメンタリー・ディベートとすらも、現実の大統領ディベートは大きな乖離がある。大統領選挙ディベートはジャーナリストによる尋問とそれに対する短時間の即興スピーチの集積であり、候補者同士は自由にやり取りができない。


【質問による討論の誘導のメカニズム】

大統領選挙ディベートがどのようなルールを採用しているかは、きわめて重要である。現在の大統領選挙ディベートが採用している方式では、質問するジャーナリストが「どのような質問を」「どのようなタイミングと順番で」「誰にいつ発言機会を与えるべく指名するか」によって、完全に議論の流れと内容を一元的に支配できるからだ。言い換えれば、番組が、候補者にどのような発言をさせて、どのような「見せ場」や「落とし穴」を作るかも、大きな意味では操作可能である。

したがって私はどの程度、その場の自由な流れでディベートを進めているのか、現場で確認したかった。オンレコで番組関係者やスタッフにインタビューしても、彼らは諸事情からなかなか建前しか言えないことが多い。現場で見た方が確実だと考えた。結果は予想ほどではなかったが、相当程度、番組側が議論を支配していると思わざるを得ないものだった。

大統領選挙ディベート番組は、「内政」「経済」「外交」などいくつかのセクションにわかれているが、それぞれの時間とCMをまたぐ時間が、かなり厳密に定められている。とにかくその基準のラインの時間までは、どんなことがあってもそのテーマの議論を終らせるのである。「経済」が少し盛り上がって本質論に入ってきたので、ここは少し膨らませて「経済」の議論を続けて、ということはまずない。それぞれのセクションの時間は限られている。生番組であるためタイムキープが厳密である。キューシート(進行表)通りでないと1時間半番組が破綻する。候補者がどんなに国民に伝えたいことがあり、観客や視聴者がもっと今のところを聞きたいと思っても、無慈悲にも番組進行が優先する。

この点、テレビ時代以前のタウンホールミーティングでの討論会なら、流れのなかで浮き彫りになった問題をとことん議論しようということは多々あっただろう。選挙過程をメディア、とりわけ「ストップウオッチ」(尺と呼ばれる時間)」と「スポンサー」(マストとしてのCM消化)の2つに縛られるテレビが主導するようになってからの弊害の一つと言えよう。「あとに番組がつかえている」編成上、もっと国民が聞きたい、候補者がもっと話したいと思っても、討論は1時間半で強制的に終了する。

留意しておかねばならないのは、すべての候補者に均等に発言機会が与えられないことだ。1つの質問が投げられて、それについて順番に回答するというのではなく、特定の質問をするのだが、その質問を回答する権利が与えられる(指名される)候補者は限定的なのだ。これは予備選が煮詰まってからの2、3人の候補者によるディベート、本選での2人の候補者によるディベートと予備選初動段階での複数候補のディベートの違いの1つである。予備選前や予備選初動段階のディベートのように、5人、6人以上、場合によっては10人近くの候補者で行われるディベートでは、どうしても1人あたりの発言時間は少なくなるし、指名回数にも不公平が生じる。


【席次と質問による議論のコントロール】

席次も重要である。主流候補ほど発言機会も多いので中央に立てれば有利だし、泡沫と見なされがち(局がそう決めた)候補者はサイドに回ればますます目立たなくなる。本稿が事例として扱っている2011年8月11日のディベートでは、下手から上手に順に、サントラム、ケイン、ポール、ロムニー、バックマン、ポーレンティ、ハンツマン、ギングリッチと並ばされた。中央にロムニーとバックマンが並び、サントラムを周辺に配置できたことは、番組上は有意義だった。番組は全米に放送される。宗教右派も少なくないアイオワではサントラムはそれなりに健闘しているが、番組は会場のアイオワ州の州民より画面の向こうを優先した。高齢層に人気のあるギングリッチもアイオワで地道な集会回りをしているがこれも局の判断は同様だった。

重要なのはバックマンとポーレンティが隣に立ったことだ。ミネソタ州の2人の政治家は宗教保守票、中西部票を奪い合う反目する立場で、同じ場に居合わせることは少なく、ローカルの共和党団体主催の会合でも片方が参加すると、片方はドタキャンするという有様が続いていた。この2人をけしかけて戦わせれば、番組は盛り上がる。隣を向いての言い争いはスチールカメラのフレームにもいい形で入る。

結果としてポーレンティの早期撤退は資金切れとアイオワ州での組織作りの未熟さによるものではあったが(ポーレンティ陣営は、他州スタッフが多くアイオワの州スタッフの雇用が進まなかったので、地方ごとの政治の裏情報が陣営に浸透しなかった)、FOXがポーレンティの苦しいキャンペーンを知りながらこの流れを助長したとすれば、バックマンはFOXに助けられて得をしたことになる(このディベートの2日後に行われたストローポールで、2位のポールとほぼ同票ではあったがバックマンは勝利した)。

質問の仕方には定型がある。それは「あなたは~について、~という発言をしていますが、これについてどうか」という、過去の刺激的な失言に近い、いわゆる突っ込みどころのあるクオートを探してきて、それを提示して自己弁護させるというスタイルである。ほぼ例外なくこのスタイルを踏襲する。

この質問方法には候補者にとって、利点と欠点が両方ある。利点は準備がしやすいことだ。候補者は「トーキングポイントメモ」と呼ばれる「発言応答要領」を政策スタッフに作成させる。作成するのはスピーチライターではなく政策スタッフなので、候補者の話しやすさもおかまい無しに分厚いファイルを作成する。候補者の頭にすべてが暗記できるわけもなく、結局のところはスピーチライターが噛み砕いたシンプルな「メーセージ」を候補者のボキャブラリーを用いたもので変換する作業が必要になる。作業は内政から外交まで膨大なものとなり、陣営組織の未熟さや前任や現職の公職に左右される(例えば、大使経験者のハンツマンのような例外を除き、知事しかしたことがない人物は基本的に外交に疎いし、議員も所属委員会や選挙区によって知識にかなりの偏りがある)。

しかし、過去の発言でメディアが突っ込みそうな場所を逆算して洗い出せば、ほぼ間違いなくディベートで聞かれることが予測できるのである。それに沿って勉強しておけばいい。大きなファイルを雇用からアジア外交まで隅々まで勉強する必要はない。

他方、この方式の欠点は、過去の発言だけで判断されるということだ。例えばサントラムは前半まったく指されなかったため、業を煮やして「まだあまり発言していません」と自分を指名して欲しいと異例の要求を行った。カメラには映らなかったが、ずっとペンを立てて司会者に振って抗議を示したが番組サイドに無視された。アンカーデスクの4人の質問者も意図的に無視し続けた。サントラムは前半の経済関連の内政議題の台本には、登場人物として載っていなかったからだ。番組がサントラムに期待した発言テーマは社会文化争点であった。

サントラムも大統領を目指すにあたって広範な勉強をしているので、是非経済への政策認識も示してアピールしたい。しかし、人工妊娠中絶反対派(プロライフ)のカトリックとして、宗教保守色ばかりの印象があるため「社会文化問題セクションの要員」として烙印を押されてしまっていた。ロムニーならマサチューセッツ州時代の医療保険制度について弁明を求められるし、ハンツマンなら共和党員として民主党のオバマ政権に参加したことや対中姿勢を問われ、ポールはイラン核開発に制裁せずにイスラエルとも距離を置くべきなど、孤立主義的な外交姿勢で詰められる。


【メディアと陣営の議題設定と候補者ブランディングをめぐる綱引き】

かくして、メディアによって各候補のイメージがさらに上塗りされていく。サントラムのように、候補者側が全国区でのブランディングの修正を自ら試みても、メディア固定化しようとしているその候補のイメージや役割と乖離する場合には、黙殺されがちだ。有権者がわざわざ候補者のウェブサイトを訪れない限り、テレビを観ている分には、候補者の政策や政治思想は同じイメージの枠内に留まる。

概ねどの候補者も、「過去の発言や行為」について尋ねられるので、「この選挙戦では社会文化問題だけでなく経済や外交にもアイデアがあるので聞いてほしい」と叫んでも無駄である。「未来への意欲」のことについては聞いてくれないのだ。したがって候補者にとっては、新規のアピールよりも、過去の失言や揚げ足をとられそうなポイントの弁護がどこまで上手にできるかが加点基準であり、その自己弁護の延長として、さりげなく新規のアピールも加えられれば混ぜる。「訂正する機会を与えてくれてありがとう」とにっこり笑って、ついでに自己宣伝もしてしまえばいい。突っ込まれることは美学であり、それだけ過去のネタが豊富な「話題の候補者」という意味である。

バックマンの夫への従属的な態度についてバイロン・ヨークが尋ねたとき、会場からはブーイングが生じたがこれは確信犯的な質問であった。バックマン陣営にとって想定内でなかったにしても、結果として話題を支配することで得をした。フェミニストからすれば許せないバックマンの態度も、クリスチャンとしては望ましい理想の妻の姿であり、アイオワの保守票を固めるには貢献したからだ。センセーショナルでリスキーであっても、何かしらメディアで沸騰する話題がない候補は、当てられる質問も少なくなり、どんどん影が薄くなる。スキャンダルも「上手にかわして、ついでにアピールする技術」に長けている政治家にとっては、話題と存在感を独占する武器に転化するケースもある。

これを地でいったのが、1992年大統領選挙のビル・クリントンだった。スキャンダルにつぐスキャンダルの炎に取り囲まれた選挙戦だったが、「弁明」「釈明」と称してステファノポロスらの陣営側近がテレビ番組に出演する枠を局と交渉して確保し、「釈明」のついでに候補者の魅力の宣伝もやってしまう。結果としてスキャンダルもないような平凡な対立候補陣営の番組出演枠はどんどん少なくなり、クリントン陣営がメディアを独占し、議題設定そのものを誘導した。ただ、このジェームズ・カービルとポール・ベガラが好んだ「主流メディア」をハイジャックする手法は、ネット時代の幕開け以前の80年代以降の政治におけるテレビ報道(無料広告)利用全盛時代末期の手法で、情報経路が多様化した2000年代以降のソーシャルメディア時代には、そのままでは通用しないことも指摘しておかねばならない。

その番組で「釈明」すれば、どんなスキャンダルも完全に沈静化するという、かつてのテッド・コッペル時代の「ABCナイトライン」や、ラザー、ブローコウ、ジェニングズ時代の「夕方ニュース」はもうアメリカには存在しない。CBSのケイティ・コリックの勇退ですら大した話題にはならなかった。いつの間にか別の人に代わっていたという感覚だった。都市部の若年層を中心に、ソーシャルメディア出現後のアメリカ人のテレビ離れや視聴習慣の変容は凄まじく、地上波の夕方ニュースにかつてのような影響力はない。「有名アンカーは要らない。主役はニュースだ」と喝破したCNN創設者のテッド・ターナーのコンセプトが、ターナーが目指したニュース報道の内部改革によってではなく、ソーシャルメディアという「黒船」の出現と絡んで、20年越しで遅ればせながら実現したのはあまりに皮肉である。

さて、大統領選挙ディベートでは、4人の質問者はセクションごとに担当を割り振りし、質問と誰に当てるかを事前考える。というより、誰に当てるかを考え、そこから質問を逆算している。言い換えれば、どの話題とどの候補者にスポットを当てるかを、番組とジャーナリスト側が勝手に決めていることになる。「移民についてどう思うか」とか「外交について」とかなにか同じ質問について、すべての候補者が順に答えているように見えるかもしれないが、実際には「特定の政策」についての各候補の政策スピーチをする機会というよりは、候補者が抱える臑の傷のようなものをセクション内の政策論に強引に引き寄せて質問を決めている。

例えば、8月11日ディベートでは、医療保険について、ロムニーがマサチューセッツ州で導入した医療保険とオバマの医療保険(保守派が批判する「オバマケア」)の類似性を揶揄したポーレンティの「オバマニーケア」という興味深いキーワードをまずポーレンティに当てる。ポーレンティは必ずその餌に飛びつくので、ポーレンティにまずロムニーを批判させる。そのあとロムニーに弁明をさせる。すると、保守派が穏健派のフロントランナーを追い落とそうと必死に中傷している様と、ロムニーが本当に穏健なのかどうかの両方を浮き彫りにできる。要するに、「見出し」から逆算して質問を決めている。これが公共的な第三者機関ではなく、スクープを生み出すインセンティブと表裏一体の特定のメディアのジャーナリストが、ディベートの質問者となる弊害である。


【「ニュース」を引き出す必然性のジレンマ】

大統領選挙ディベートは、各候補の政策に国民として親しむ「政策討論会」としての意義もあるが、「番組作り」の使命からも逃れられない。政治家を出演させる番組の制作者は何を考えるかは、古今東西共通している。視聴率もさることながら、番組から「ニュース」が出ることを目指す。「~について初めて明らかにした」ような「初物」とか、「AとBが争った」とかの相違点や票の食い合いでの喧嘩とか「~について改めて否定」とか、なにか「見出しが立つ」発言やシーンが飛び出すことを求める。そこから質問や進行を逆算すれば、面白い「番組」になるし、他のメディアが引用しやすい。そうすれば番組や局や質問するジャーナリストの威厳や存在感も増す。このサイクルの繰り返しである。

割当は全体で相談しても、質問は質問者のジャーナリストが自分で考える。私はディベート進行中もプロンプターかカンペを多用しているとばかり思っていたが、模造紙や画用紙を差し出す日本式のカンペは使用していなかった。プロンプターも司会役のアンカーのCM入りと明けの振りに使用が限定されていた。テレビ記者の2人は目線や滑舌を重視する癖がついているので質問を暗記してある程度アドリブで行うが、新聞記者の2人は質問を書いた黄色いノートパッドに目を落とし、原稿を読み上げることが多かった。

よく記事では「~は見せ場が作れなかった」という常套句があり、私自身も記者時代に党首討論等のリポートでよく使用した便利なフレーズだ。しかし、ことアメリカの大統領ディベートにおいては「見せ場」を作るにしても、現場の質問者の設定や誘導に大胆には抗えず、綿密に組まれた方向性と真反対に突き進むことは、限りなく不可能に近いことも事実だ。「見せ場」が作れなかったという記事は事実の描写として正しいのだが、「見せ場」を作れるかどうかはディベート会場に入る前に決まっている。言い換えれば、ジャーナリスト達が質問項目とおおまかな流れを策定するときに決まっている。

候補者にできることは、立候補前にどれだけ話題になるような実績や個性的政治活動を展開できているかだし、立候補後も通常のキャンペーン過程でメディアが食いつく、カラフルな動きや発言を繰り出しているかである。ディベート会場に入ってしまったら、弁論技術だけで挽回するのは難しい。

質問者を務めたFOXのクリス・ウォーレスは、「(今回のディベートの)主要な目的のひとつは、広範な争点についてミット・ロムニーを彼のライバルと対峙させることだ。ロムニー以外のなかにもバトルはあるが、とりわけロムニーの主要なライバルとなりつつあるミシェル・バックマンとティム・ポーレンティのバトルがある」とディベート開始前に堂々と質問の作戦を明かしている(The Washington Examiner ( Iowa Extra), Aug. 11, 2011)。「ロムニー対ロムニー以外」と「バックマン対ポーレンティ」のミネソタ対決は、ディベートの「見せ場」としてウォーレスにとっては規定路線だった。

こうしたメディア側の質問による誘導の意図を熟知した上で、それに乗りながらも、議論の流れを自分の方向に引きつけることは並大抵の技術ではないが、陣営の選挙コンサルタントの力を得て候補者は様々な工夫を凝らす。候補者の今後の動きについて独占ネタを与えるかわりに、ディベートでは有利な質問で候補者を引き立てるよう、メディア側にバーターの条件をほのめかすこともあるし、司会者とのCM中のちょっとした「交渉」も有用である。


(3)「メディアと政治イベント」

【メディアのプロモーション機会としての大統領選挙ディベート】

アメリカの政治イベントは、しばしばメディアの存在感をアピールする場として利用される。2011年8月のアイオワでのディベートは、今ひとつ全国的な知名度が伸びない「ワシントン・イグザミナー」のプロモーションを兼ねていた。同紙は前身となるいくつかの地域新聞が買収され、2005年から同名で発行されているワシントンDC地域のフリーペーパーである。これまで保守系新聞にあったタブロイドのイメージを払拭して、リベラル系の新聞に対抗するため、あえて保守オピニオン色を打ち出しているあたりが、新聞版FOX NEWSとも言える。

「イグザミナー」の全15頁のPRパンフレットには4頁から5頁にかけて「Our Journalists」という名称で人物紹介が掲載されているが、コラムニスト的な人物が多く、組織的な取材でスクープを狙うよりも、有名コラムニストにオピニオンを書かせることを目的にした新聞であることが一目瞭然である。マイケル・バロンを上級政治アナリストに擁し、「ナショナル・レビュー」誌から移籍したバイロン・ヨークのほかティモシー・カーニーなどがいるが、いずれも保守系コラムニストである。このうちヨークとカーニーには、あからさまな党派的「反オバマ」本が著作にある。

ただ、ワシントンに詳しいインサイダー新聞を売りにしているだけに、「ナショナル・ジャーナル」の議員名鑑の編者でもあるバロンのほか、「コングレッショナル・クオータリー」で下院執行部専門の記者だったスーザン・ファッチーオも抱えており、ワシントンの人事や議会分析には相当程度の信頼度がある。

特筆すべきは、パンディット(テレビ出演の評論家)全盛の時代にテレビと連動するメディアを打ち出している新聞であることだ。コラムニストや記者のテレビ出演をあえて奨励している。上記「Our Journalists」掲載の記者の顔写真は、すべてFOX NEWS、C-SPANなどの出演画面の撮り切りの転載写真である。「バイロン・ヨーク/ワシントン・イグザミナー」と名前と社名が下位置の字幕スーパーで出ているFOX NEWS出演中の写真をヨークの紹介写真として新聞のPRパンフレットで使用している。新聞が自社記者のテレビ出演を能天気に、はしゃいでいるかのように、新聞のパンフレットにテレビ出演画面を使用するなど、プライドある新聞社や新聞記者なら、日本はもとよりアメリカでも一昔前まであり得なかった現象である。

第1に、コラムニストや解説委員を自社記者から自前で養成せずに、外部の新聞に安直に依存することを躊躇しないFOX NEWSのような後発局が誕生したこと、第2にそれらの局がバランスのとれた真面目な記者リポートではなく、スタジオや中継出演によるコラムニストのオピニオンで報道番組を制作するほうが低コストで視聴率が稼げることに気がついたこと、第3にアメリカの政治的分極化の深まりのなかで、イデオロギー的に保守かリベラルに振り切れた番組やコメントに需要がある風潮、第4にメディアの多様化による新聞媒体の経営的危機にあってなりふり構わぬ他メディアとのコラボレーションが迫られたこと。

上記4つの背景が重なって、「イグザミナー」のような「テレビでおなじみのあのパンディットが書いている新聞です」という新種のプロモーション形態が完成した。それにより「ワシントン・ポストの記者の発言だから、同紙記者が出ているテレビなら耳を傾ける」のではなく、「テレビに出ているあの知った顔の人がコラムを書いているから、その新聞を読む」という、ある種の逆転現象が生じた。これが政治ジャーナリズムの未来にとって望ましいことなのかどうかは、別の議論を要するだろう。

8月のアイオワでのディベートは、上記のパンディット路線をひた走る「イグザミナー」とFOX NEWSのコラボレーションの絶好の実験とプロモーションの機会だった。「イグザミナー」はディベートの聴衆に赤いトートバックを用意し、中にアイオワ特別編集のディベート専用「イグザミナー」特別号、姉妹雑誌の「ウイークリー・スタンダード」、お土産の紙製の団扇、「イグザミナー」のPRパンフレットを入れて、出入り口でスタッフを動員して聴衆に配布するなど新聞の宣伝に躍起になっていた。「イグザミナー」と書かれた赤いトートバックをぶらさげた聴衆がぞろぞろと列をなして駐車場に向かう姿や、出入り口でテレビのぶら下がり取材を受ける姿は、まるでフットボールの試合かコンサートを観戦・鑑賞した帰り道である。


【スマートフォン持ち込みによる聴衆同士のコミュニケーションと動画問題】

ところで、興味深いのは観客の観覧方法の変化である。セキュリティでは候補者や来賓VIPの身の安全のため不要な金属製の電化・電子製品(エレクトロニックデバィス)カメラ、PCの持ち込みを禁止している。しかし、携帯電話の持ち込みは許されていた。これは観客が番組観覧の拍手要員のような「素人」ではなく、党の大口献金者である「大物」で占められている事情に対応したものだろう。

しかし、スマートフォンの出現でそもそも携帯電話の定義が曖昧になっている過渡期に対応しきれていない陳腐さも露呈した。一見して「カメラ」「小型ラップトップ」とわかるものを禁止しても、スマートフォンにはそれらの機能が内蔵されてしまっているからだ。会場内で撮影やインターネットの通信やメールを禁止する目的で持ち込みを禁止しているならば、事実上の「ざる」になってしまっている。各自の家事や仕事の緊急事態に対応する可能性を考えると携帯を取り上げるわけにいかないので、今まで以上に「撮影」や「通信」がこの手の会場でしやすくなってしまった。

二階バルコニー席から人間クレーンカメラのように、上から眺めると「景色」は壮観だった。暗い会場に膨大な数の白い光が、まるで映画館の足下の誘導灯か、はたまたコンサートのキャンドルライドか何かのように客席の並び順にゆらゆら点滅しているのである。大半の観客がブラックベリーやi-phoneなどの携帯端末を一心不乱に打っている。候補者の発言について、いちいち会場内外の共和党支持の仲間に「今のバックマンの発言はあり得ない」「ギングリッチの反論は素晴らしい」と反応を送り合って、会場内外で「会話」している。

私の右隣には一緒に参加した地元アイオワの党委員がいたが、彼女も一心不乱に打ち続けている。彼女によれば、スマートフォンは会場でバラバラの席に散っている党仲間やチケットが手に入らず家でテレビを見ている友人と「会話」するためのツールであり、ツイッターの実況のように、不特定多数に逐一報告する目的の人は少ないのだという。ここに客観目線の「観察者」ではなく、身内の党事に参加している「党派人」の寄り合いたる大統領選挙予備選ディベートの党イベントとしての特質が如実に表れている。

ほとんどうつむいている時間のほうが多そうにすら見えるスマートフォンへのテキスト入力行為は、外界に向けて広く「実況」するためのものではない。「今のA候補者の発言は社会保守問題について私を悲しませた」「B候補者が反撃しないのはおかしい」など、スマートフォンのメールは候補者の「品定め」の党派人同士の会話のための道具なのである。彼らは有名政治家を一目生で見ておこうという感覚で参加した、客観目線の一般人ではない。あくまで党の候補者を「決める」党議に参加している身内意識が強い。

観客による写真撮影及びビデオ撮影が1時間半のディベートの本番中に延々と行われているのも、通常の番組制作の現場ではあり得ないことだ。昨今のスマートフォンには優れた機能がついている。持ち込みを許した時点で、事実上各通路に警備員でも付けて注意しないと、スマートフォンでの撮影や動画サイトへのアップロードは規制できない。携帯電話のフラッシュは放送にはたいして影響しない。しかし、ネット配信機能のある端末で動画撮影することをFOXが黙認していることは驚きだった。番組の単独主催ではなく、アイオワ州共和党の内輪のイベントに、局が協賛(寄生)して番組化しているという裏事情が絡んでいる。番組だけの単独イベントであれば、生番組というコンテンツの著作権をめぐる観客規制はもっと厳しくできるはずだからだ。


【CM中のステージ上のドラマ:バックマンのケース】

「コマシャールブレイク」と呼ばれる、CM休憩中にステージでいったい何が起きているのかも、興味深い点であった。モデレーターのジャーナリストは自分の次の質問の練習に余念がない、言い換えれば余裕がない者もいれば、候補者との談笑に興じる者もいる。他方、候補者の行動は次の5つに概ね分類できる。

(1)「司会者や質問者のジャーナリストと会話する」
(2)「ステージの端まで行って聴衆とコミュニケーションする」
(3)「候補者同士で談笑する」
(4)「楽屋入りしてステージから消える」
(5)「席や演台から離れようとしない」

類型(1)に傾くのは司会や質問者の議論の進め方に不満があるさいの抗議か、メディア依存度の高い候補が影響力のある司会者と積極的に交流するような場合もある。後述するように、バックマンが司会者に不満を示して詰め寄ったケースは前者である。

類型(2)に傾くのは、候補者同士での交流に興味がないか、政治家同士のワシントンの「クラブ」よりも、ファンや有権者と直接繋がることに熱心なポピュリストのタイプである。ポールは司会者たちに軽く挨拶したあと、ステージの端まで出て、聴衆に大きく手を振って声援に応えた。

類型(3)に傾くのは、ワシントンの仲間や党内人脈に恵まれたワシントン経験の豊富な者である。1回目のCMブレイクで、ギングリッチは壇上から降りてロムニーと談笑したほか、連邦議会で顔見知りの議員候補者と続けて談笑した。

他の候補者は緊張が抜けていないのか、一度目のCMブレイクでは大半の候補者が壇上を降りなかった。CMブレイクが回を重ねるごとに、緊張がほぐれ、思い思いに壇上を降りてステージ上でうろうろしはじめる。そのうちCM明け30秒前になっても壇上に戻らないようになり、「候補者の皆さん、早く戻ってください」とスタッフに叱られるまでに緊張感が崩れる。

類型(3)の行動を選んだ場合、「談笑」を誰とするかは、候補者同士の人間関係を知る興味深い指標だ。元々親しいケースもあれば、あえてこのような場に親しさを演出しようとするケースもある。不自然に肩を叩いて議論の健闘を讃えたり、握手を求める候補者がいるが、相手が嫌がったりよそよそしい場面もあり、両者の力関係や本当の親しさがわかって興味深い。C-SPANなどでも放送されているが、本会議場フロアでの議員の談笑の様子を傍聴席から眺めているのにそっくりだ。壇上で終始孤立していたのはサントラムだったが、ポールは敢えて他の候補者との親しげな接触を避けているようにも見えた。

類型(4)で、終始奇怪な行動を示していたのがバックマンである。バックマンは毎回CMブレイクに入ったとたんに、誰とも会話せず、ものすごい勢いで壇上を降り、上手のプロンプター付きカメラ後方にある黒いカーテンの間の通路、つまり楽屋に早足で消えた。毎回である。2回目のCMブレイク明けでバックマンが壇上に不在という「事件」が生放送中に発生した。毎回楽屋に消え、CM明けのコールがかかるまで出てこないという行動をしていたバックマンは、2回目のCM明けにステージ帰還が間に合わなかった。CMが明けると会場がざわめきだした。中央の演台が1つ無人状態のまま本番が始まったからだ。大統領選挙ディベートではきわめて稀といってよい。

「アイオワ州立大学のステファンズ講堂です。次のラウンドは外交と安全保障に入るまえの短いラウンドです」と冒頭のプロンプター原稿を読み上げ始めたベイヤーは、「あれ、誰かひとり候補者の方がステージにいないのではないでしょうか。誰かいません!」とアドリブに切り替えた。この時点でベイヤーは複数いる候補者のうちの誰がいないのかを理解できていないまま、アドリブで時間を稼いだ。すぐにバックマンが不在であることがわかり、「すぐ戻ると思います」と言ったと同時に、バックマンが楽屋から出てきた。「バックマン下院議員、お戻りになられました。はい、大丈夫ですね」と番組を続行した。

バックマンが毎回CM中に楽屋で何をしていたのかは諸説あった。「緊張して用を足す頻度が多い」「メイクを人前で直された