タイプ
その他
プロジェクト
日付
2013/5/15

アメリカNOW 第102号 米医療改革に波紋を投げかけたオレゴン州の「実験」 (安井明彦)

2010年にオバマ政権が立法化に成功した医療保険改革(「オバマケア」)の本格実施が迫る米国で、公的医療保険の効果を検証した「実験」の結果が注目されている。データに基づいた改革の推進が、今後の医療改革の大きな課題になりそうだ。

本格実施が迫るオバマケア
米国でオバマケアの本格実施が迫っている*1。2010年に立法化されたオバマケアは、医療保険会社に対する規制の強化などを手始めに、段階的に実施に移されてきた。そして2014年は、無保険者の削減に関する大きな改革が、いよいよ動き出す年である。具体的には、国民への医療保険加入の義務付けや、個人向けの民間医療保険を扱う新市場(Health Insurance Exchanges)の開設、さらにはメディケイド(低所得者向け公的医療保険)の大幅拡充などが実施される予定となっている。2014年に実施される改革は、「1960年代の公的医療保険創設以来の大改革」といわれており、手続き面などで大きな混乱が生ずる可能性が懸念され始めている*2。同時に、議会では共和党が引き続きオバマケアの「廃止」を主張しており*3、立法化から3年が過ぎた今日でも、オバマケアを巡る議論はくすぶり続けている。

こうしたなかで、オレゴン州を舞台としたある「実験」が論争を呼んでいる。公的医療保険の効果について、評価の分かれる検証結果が明らかになったからだ。オバマケアに反対する勢力は、オバマケアの実施に「巨大な停止標識が示された」とすら指摘している*4。医療改革の分野でも稀にみる「実験」は、いったい何を明らかにしたのだろうか。

公的医療保険では健康増進は果たせない?
 オレゴン州の実験では、公的医療保険のなかでも低所得者向けの制度であるメディケイドの効果が検証された。その結果は、「優れた効果が認められる分野がある一方で、特段の効果が確認できない分野も存在する」というものだった*5
 
効果が認められた分野は大きく分けて3つある。第一は、精神面における健康増進である。今回の検証によれば、メディケイドの加入者は、うつ病の症状がみられる割合が非加入者よりも30%低かった。第二は、家計への影響だ。メディケイドの加入者については、年収の3割を超えるような高額の医療費を自己負担する事態がおおむね回避されており、医療費を支払うために借金等をしなければならない可能性が非加入者よりも50%以上低かった。第三は、医療の利用度合いである。メディケイド加入者は、予防医療の利用度合いが高く、たとえばコレステロールのモニタリングを利用する割合は、非加入者を50%上回った。
 
一方で、効果が認められなかったのが、身体面での健康増進である。血圧や血糖値などの検証結果では、メディケイド加入者と非加入者のあいだで統計的に有意な違いは確認されていない。糖尿病が発見されたり、これに関する治療が行われたりする割合は高まっているが、症状の改善につながったかどうかについては、やはり統計的に有意な結果が得られなかった。

検証結果の波紋
 こうした検証結果は、オバマケアや医療改革の今後を巡る議論に波紋を投じている。その一因は、冒頭でも指摘したように、検証対象となったメディケイドが、オバマケアによって大幅に拡充される予定になっている点にある。オバマケアに反対する勢力は、身体面での健康増進効果が認められなかったことを理由に、メディケイドの大幅拡充を批判している。オバマケアではメディケイドを拡充するかどうかの判断が州政府に任されていることも、今回の検証結果を材料とした改革批判が高まりやすい理由となっている*6
 
オバマケアを擁護する勢力は、幾つかの反論を試みている。たとえば、そもそもメディケイドは「保険」であり、「家計への影響が認められた点こそを評価すべきだ」という指摘である*7。たしかにメディケイドの対象は低所得者であり、中間層や富裕層と比較しても、保険機能の重要性は軽視できない*8。また、医療の利用度合いが高まった点は、「メディケイドの加入者は診療報酬の低さが障害となって十分な医療行為を受けられないので、いくら加入者を増やしても意味がない」との批判への反論になる*9。さらには、身体面での健康増進効果が確認できなかった点についても、サンプル数の少なさが原因である可能性や、効果が出るまでには今しばらくの時間が必要である可能性などが指摘されている。実際の検証においては、全く効果が見られなかったわけではなく、あくまでも「統計的に有意」な水準に達しない結果だった点にも注意が必要かもしれない*10

稀にみる「実験」の意義
検証結果による波紋もさることながら、強調したいのは今回の「実験」自体の希少さだ。オレゴン州の実験は、医療保険の効果を計測する貴重な機会である。医療改革を進めていくにあたっては、いかに実証的なデータを利用していくかが、重要な課題になりそうだ。

 オレゴン州の実験の希少性は、「ランダム化比較試験(RCT:Randomized Controlled Trial)」が用いられている点にある。RCTでは、評価のバイアスを避けるために、無作為に選別した被験者のあいだで効果が比較される。医療分野の実証試験としては、最も信頼性のある手法として知られる方式だ。Oregon Health Insurance Experiment(OHIE)と呼ばれる今回の実験では、RCTの手法によって、メディケイド加入者と非加入者の比較が行われている*11

 いくら信頼性の高さに定評があるといっても、RCTを医療保険の効果を計るために利用するのは容易ではない。保険への加入意欲がある人の中から、実際に加入できる人とできない人を無作為により分けることの是非が問われるからだ。だからといって、望んで加入した人と自らの意思で加入していない人を比較するだけでは、加入者に健康上のリスクが高い人が多いなど、そもそも保険への加入意思の有無で被験者にバイアスが生じている可能性が排除できない。

 オレゴン州でRCTを利用できたのは、例外的な事態が発生したからだ。2008年にオレゴン州は、メディケイドの対象者を拡大した。ただし、待機リストにある人々を全て受け入れるだけの財源はない。そこでオレゴン州は、新たに加入できる州民を抽選で選ぶことにした。約9万人の待機者に対し、抽選で選ばれたのは1万人。同じ条件の待機者から無作為に加入者が選ばれたことで、史上稀にみる公的医療保険の効果に関するRCTを行う条件が整った。

 OHIEにも限界はある。たとえば今回の検証結果では、メディケイドと民間保険の比較が行われているわけではない。メディケイドに身体面での健康増進効果が確認できなかったといっても、「民間保険に切り替えた方が効果的」という結論が導き出せるわけではない。言い換えれば、OHIEの結果だけでは、「どのような保険の仕組みであれば、身体上の健康増進につながるのか」という疑問には答えられない。

 それでも、OHIEの重要性は見逃せない。医療改革を進めていくにあたっては、効果の客観的な検証が欠かせないからだ。オバマケアを擁護する勢力の中にも、「身体面の健康増進効果が見られなかったという事実は、素直に受け止める必要がある」という意見は少なくない*12。オバマケアに反対する勢力も、OHIEのような検証を大規模に行うことで、公的医療保険拡充の意義を確認するよう主張している*13。医療行為に効果の大小があることは広く知られており、今回のような検証を通じて効果の高い制度を目指していくことの重要性が、改めて認識されているようである。

 個人の「命」にかかわる問題であることも手伝い、とかく医療改革を巡る議論は感情的になりがちである。だからこそ、限界を理解しつつも、客観的なデータを用いた検証を重ねていくことが、今後の医療改革を進めていくための重要なステップとなろう。




*1: オバマケア実施の工程表については、Kaiser Family Foundation, Health Reform Implementation Timeline 参照。
*2: Jackie Calmes, As Midterms Loom, Democrats Worry About Health Law, The New York Times, May 6, 2013
*3: Jennifer Haberkorn, Eric Cantor Pledges Another Obamacare Repeal Vote, Politico, May 3, 2013
*4: Michael F. Cannon, Oregon Study Throws a Stop Sign in Front of ObamaCare’s Medicaid Expansion, CATO Institute, May 1, 2013
*5: Katherine Baicker, Sarah Taubman, Heidi Allen, Mira Bernstein, Jonathan Gruber, Joseph P. Newhouse, Eric Schneider, Bill Wright, Alan Zaslavsky, Amy Finkelstein, and the Oregon Health Study Group, "The Oregon Experiment – Medicaid's Effects on Clinical Outcomes", New England Journal of Medicine, Volume 368, Issue 18. May 2013
*6:当初は全国一律にメディケイドを拡充する方針だったが、オバマケアの違憲性が問われた最高裁判所での審理の結果、拡充を受け入れる判断は州政府に任されることになった。2013年5月2日時点では、20州がメディケイドの拡充に反対している(Kaiser Family Foundation, State Decisions for Creating Health Insurance Exchanges and Expanding Medicaid, as of May 2, 2013)
*7: こうした主張に対しては、「家計への影響に存在意義を見出すのであれば、メディケイドの重点は高額医療向け保険に限定すべきだ」という反論がある(Ross Douthat, What Health Insurance Doesn’t Do, The New York Times, May 4, 2013)。
*8: Jonathan Cohn, The New Study that Republicans Who Reject Medicaid Must Read, New Republic, May 1, 2013
*9: Ezra Klein, Here’s What the Oregon Medicaid Study Really Said, The Washington Post, May 2, 2013
*10:一般的な議論として、「『統計的に有意』でないにしても、調査結果が無意味だとは限らない」との指摘がある。Betsey Stevenson & Justin Wolfers, Six Ways to Separate Lies From Statistics, Bloomberg, May 2, 2013
*11:OHIEについては、NBERによる紹介を参照。
*12: Ezra Klein, Here’s What the Oregon Medicaid Study Really Said, The Washington Post, May 2, 2013
*13: Michael F. Cannon, Oregon Study Throws a Stop Sign in Front of ObamaCare’s Medicaid Expansion, CATO Institute, May 1, 2013


■安井明彦:東京財団「現代アメリカ」プロジェクト・メンバー、みずほ総合研究所調査本部政策調査部長