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アメリカNOW第41号 「政治メディア」の変容(2)保守派ラジオからエスニック「物語」再興まで

December 16, 2009

前号に続き、アメリカの政治メディアを概観することで、アメリカ社会と政治動向などに見る「オバマ時代」の検証を試みたい。

ラッシュ・リンボー現象という周期

保守メディアが、オバマ攻撃をネタに勢いを増している傾向にあるが、ラッシュ・リンボーの復活劇もその流れの一つとして位置づけられる。指導者不足に悩まされる共和党では、ラジオDJのリンボーが党の救世主のような扱いを受けているが、リンボーといえば2003年には違法薬物で逮捕されるなど、一時は失脚に近い形で、完全に影の薄い存在となっていた人物でもある。リンボー流の言論には特徴がある。守勢ではなく、相手への攻撃でこそ真価を発揮する。分析よりも攻撃、論評よりも誹謗中傷である。リンボーは自らも認めているように、学識が深いわけではない。FOXテレビに出演しても「軍事問題はよく分からないから専門家に従う」と開き直ってしまう程で、保守思想に知的に親しんでいるわけではない。生活感覚に根ざした「リベラル嫌悪」に基づく罵詈雑言が売りである。リンボーのような言論人は、共和党が政権にあると歯切れがめっぽう悪いが、敵である民主党政権になると、叩くだけで番組が成立するので、俄然勢いを増す。

リンボーが全米で最初にブレイクしたのは、クリントン政権誕生時の1993年のことである。連日のクリントン政権叩きが人気を博した。リンボーの二冊のベストセラー『The Way Things Ought to Be 』『See I Told You So』はいずれも1993年に発売されたもので、その後これらを超える本を彼は出していない。1990年代の半ばには、自身のトークショーも持っていたが、打ち切りになった。対案の提示なしに、とにかく批判だけで番組を構成するリンボー流の「叩き芸」が、久しぶりの民主党政権であるオバマ1年目に、満を持して復活しているのは自然な成り行きかもしれない。ブッシュ政権末期に元気がなかったFOXが、オバマ政権になってかえって勢いを増しているのも同じである。

党派言論は、敵政党側が政権にあり、責任を担わされている時期のほうが、はるかに行ないやすい。MSNBCで番組を持っていた保守派のドン・アイマスが、人種差別発言で失脚してからは、保守系ラジオDJ不遇の時代が続いていた。しかし、MSNBCで1990年代末にアンカーを務めていたものの低視聴率で失脚したジョン・ギブソンが、オバマ政権の成立前後から、ラジオを舞台ににわかに頭角を現している。ギブソンは現下の不況を「オバマ・エコノミー」と位置づけ、経済状況が改善しないことに焦点を絞った批判を繰り返している。金融危機から失業率まで、ブッシュ政権から引き継いだ問題も混ぜこぜにして「オバマ・エコノミー」と言ってのける言論に専門家はただ眉をひそめるが、民主党政権でこそ成立する番組には一定の需要がある。

最近では温暖化対策の批判の糸口に、小型車は事故率が多いというデータを発見し、それを理由に「ハイブリッドカー生産は人殺しである」というキャンペーンを番組で行っている。確かにアメリカでは高速道路の事故が後を絶たないし、トレーラーに比べて小型車は衝突すればひとたまりもないかもしれないが、それと温暖化の問題は別なのだが、ギブソンは「空気を奇麗にするかわりに、交通事故で死人が増える。小型のハイブリッドカーには賛成できない」とトヨタ、ホンダなどを名指しで非難している。凄まじい論理の飛躍だが、医療保険の反対にしても何にしても、一点突破型の批判が保守層に受けるのも事実で、コールインは「子供を事故に合わせたくないので、小型車には載せないことにしました。SUVが安心だとわかりました」と主婦たちが熱弁を振るう現実がある。

党に確固としたリーダーが見いだせず、オバマ政権への不満でしか方向性がなかなか示せない共和党支持者のフラストレーションは大きい。アフガニスタンへの増派への賛否においても、民主党内だけではなく、共和党内にも、底流では異論が混在する。目下の所、共和党支持者の苛立ちは、サラ・ペイリンの自伝が空前のブームになるような迷走にもつながっている。党の指導部では、職を投げ出したペイリンの指導力を本音で評価する者は少ない。しかし、保守系の一般大衆レベルでは、ペイリンの奇抜な行動は、根強いヒーロー願望をくすぐる。ペイリンの大統領候補説を公然とは否定しない共和党幹部は、彼女の大衆受けする華やかさが、党の活性化のために、まだまだ利用できると考えているからに他ならない。チェイニーとのチケットを口にするのもジョークの定番になっているが、どこまでジョークなのだかわからないほどに、共和党のリーダー像が見えない。

リンボーの論敵としてのアル・フランケンと上院議員就任後

ところで、復活しているリンボーとの対比で興味深いのは『Rush Limbaugh Is a Big Fat Idiot』という攻撃本のベストセラーで知られるコメディアンのアル・フランケンが、ミネソタ州選出の連邦上院議員に当選し、無難に議員を務めていることである。リンボーとフランケンは、保守・リベラル双方の立場から、「天敵」同士として見られてきた。一方で、大学中退のラジオDJで、南部や中西部の「ナスカー・ダッド」に愛される、平易な語り口が大衆路線の保守を地でいくイメージが受けているリンボーであり(実際にはマンハッタンの贅沢なアパート暮らしで、大多数の保守層の生活とはかけ離れていることを1990年代に風刺漫画誌『MAD』が徹底批判した)、他方でフランケンはハーヴァード大学卒で、『サタデー・ナイト・ライブ(SNL)』で好評を博したボキャブラリーの豊富さが売りで、高学歴「リムジンリベラル」の典型というイメージが定着している(コーネル大卒でリバタリアンのビル・マーと共に、シニカルで知的な「高学歴コメデァン」をテレビに浸透させた功績がある)。

この対比があまりに象徴的なので、両者は長年ライバル関係として捉えられてきた。ハリウッド俳優が州知事となっているアメリカでは、コメディアンが連邦上院議員となることには、さほどの衝撃は走らない。しかし、1990年代のクリントン時代のリンボーの宿敵が、オバマ政権下で上院議員になり、同時にリンボー人気が盛り返していることは、役者の配置としては興味深い。ところが、議員になってからのフランケンは、今ひとつ歯切れが悪い。メディアのインタビューを嫌がる傾向にあり、議会内の廊下の囲み取材に応じず、報道官を通すことを要求している。フランケンに業を煮やした『POLITICO』紙は、アフガニスタンの増派への意見を述べないフランケンを批判する記事を載せた(2009年12月2日)。

有権者の多くは、リンボーをやり込めるフランケンの舌鋒鋭さと、コメディアンという特異な立ち位置に、議会での「暴れん坊」役を期待して投票していたこともあり、妙に大人しく「議員らしい議員」を淡々とこなしているフランケンに、不満の声もあるようだ。素顔のフランケンは、温厚で実に気さくな人物であり、たしかに議会でのフランケンには物足りなさも感じる。2007年冬、筆者も参加しているニューヨークの民主党青年部で、フランケンを招いて小規模の会合を持ったことがある。環境技術に先進的である点を強調し「日本に学べ」という演説は印象的であり、日本人メンバーの筆者を珍しがり、しばらく議論をしてくれるなど、非常に好意的だった。本来は自由に放言したいコメディアン魂に満ちている人物だが、議員になって発言の幅に窮屈さを感じている様子が容易に想像できる。

新しい「アイデンティティ政治」としてのエスニックな物語

さて、「エスニック政治」をめぐっても、メディア発で興味深い潮流がある。2009年11月の東京での演説で「初の太平洋大統領」と自らを位置づけたオバマ大統領であるが、アメリカ人の生立ちやルーツへの関心が、「物語」大統領オバマの出現で焚き付けられている現象だ。アフリカ系初の大統領の登場に、アフリカ系市民の誇りが高まったのは言うまでもないが、利益集団の代名詞としてネガティブな印象がむしろ色濃かった「アイデンティティ政治」とは違う形で、エスニックなルーツを一族の「物語」として見直していく動きがメディアに出始めている。

火付け役となったのは、NBC『TODAY』である。4人の出演者が、各自のエスニック・アイデンティティを追いかけるシリーズの放送だ。CNNが主導するケーブルテレビの「ニュースが主役」という方針に対して、「アンカー」をお茶の間のお友達としての「商品」として、躊躇せず前面に押し出す古典的手法に立ち返る地上派戦略だが、反響は大きかった。出演者がエスニック的に「何系」で、何世の移民なのか、そういうことにに対して、実はアメリカの視聴者も潜在的に大いに興味があるのだ。かつて10年前にも放送されたシリーズの続編だが、2008年の放送がデンバーの民主党大会中だったことも、候補者オバマの多文化性、バイレイシャル性と相まって「多文化のアメリカ」連想させた。

初日のメルディス・ビエラは、ポルトガル系である。かつてローカル局時代、ポルトガル語ができると勘違いされ、ポルトガルに派遣されことがあったが、ビエラはポルトガル語で取材が一切できなかったり、マサチューセッツ州のポルトガル系新聞発行者の子孫でもあることなどが紹介された。「ビエラ」はアメリカ読みであり、ポルトガル語では「ビーアイラ」と読むことを、本人が初めて学ぶなど、ルーツを旅するビエラの姿をそのまま放送した。ポルトガル人に「髪の毛がブロンドですね」と指摘され、「これ、染めてますので」とあっけらかんと答える姿も視聴者の笑いを誘った。

日系アンカーの山形へのルーツの旅

ルーマニア系とユダヤ系の伝統を受け継ぐ、メインアンカーのマット・ラウアー、バハマ移民のアフリカ系の子孫で天気予報担当のアル・ロカーなどの「物語」も興味深いが、日本人にとって見逃せないのは、ニュースコーナー担当を長く務めているアン・カリーである。カリーという姓のため、あまり知られていないが、山形県出身の母ナガセ・ヒロエの娘であるカリーは、日系二世である。18歳で横浜に出たカリーの母は、米海軍水兵のボブ・カリー、つまりアンの父に出逢う。カリーはハワイ語で言う所のバイレイシャルである「ハパ」でもあり「ジャパニーズ」でもあり、異人種の国際結婚の子であることから、オバマの生い立ちと妙に重なる部分もある。

日本ではほとんど知られていないが、アン・カリーはアメリカの一般大衆レベルでは、過去最も成功している一番有名な日系人である。アメリカ人一般の間では、オバマ政権のシンセキ長官を知らない人もいるかもしれないが、NBCのアン・カリーと言って知らない人はほとんどいない。ケイティ・コリックよりも10年以上前に、『CBSイブニングニュース』のアンカーになった(ダン・ラザーとのコーアンカー制度時代)台湾系の星コニー・チャンが、ニュート・ギングリッチの母親の失言放送をめぐる倫理問題でCBSから追われ、CNNの冠番組も低空飛行のまま、イラク戦争に視聴率を奪われ、表舞台では一時代を終えたのに対して、今やアジア系のテレビジャーナリストといえば、日系のカリーである。にもかかわらず、これまで日本側でもアメリカ国内でも、アンが「日系」であるという認識が薄かった。

特集企画の筋書きはカリーがNBCのクルーと共に母の故郷の山形を訪ねるというものだ。ニューヨークのロックフェラーセンターから、山形までロケに来ることも驚きだが、本人の並々ならぬ好奇心がそのまま画面に溢れた。「スピリチャル・ジャーニー」と位置づけ、10年前に同企画で山形を既に訪れている。従兄弟のナガセヨシオさんは、アンの母の長兄の長男にあたり、かつての母兄妹の実家を案内する。「コンニチワ、ヨシオサン。ハウアーユー?ゲンキデス?」と言うカリーに、在米日本人視聴者は驚かされたはずだ。アンは片言の日本語を話す。

今回のロケは御盆である。両親を失った彼女にとって、日本のルーツはさらに重要なものに感じられるようで、仏教への関心も高まったカリーは、地元の寺を訪問する。墓参りしたカリーは「ありがとう」と唱えて手を合わせた。蕎麦を食べたり、河での灯籠流しのシーンも撮影され、山形の田んぼを背景に、自分の日系の生い立ちを立ちリポする姿は、ロックフェラーセンターの「アン」とはまるで別人である。「サヨナラ」と叫んで、山形新幹線に乗り込むシーンで企画のVTRは終わり、デンバーの党大会用の特設スタジオとニューヨークのスタジオに戻った。

日本の山形を景色、山々や水田に心を打たれた、カリーの隣に座っていたラウアーは、デンバーのペプシセンターの特設スタジオで「とんでもなく美しい景色、美しい街だ」「もしご両親が生きていれば、きっと誇りに思うだろう」と絶賛した。カリーは感極まって、放送中に涙を流した。山形の寺で数珠握って手を合わせ、お辞儀するカリーの姿が、その日のコーナー終わりのCM前の映像になって全米に流れた。10年前の映像の中で、抱きつくカリーの行為に戸惑う日本人の親戚の姿について、カリーは「ロマンチックな関係でないと日本では、抱きしめ合わないので」と解説する一幕も、全米に向けた面白い文化解説だった。NBCの取材に協力した山形県の地元関係者とカリーは、莫大な視聴者を抱える『TODAY』を通して、「Japan」と「日系人」のイメージ向上に、多大なる貢献したことをここで強調しておきたい。

エスニック・アイデンティティの覚醒とメディア:日系の事例から

この放送を見た日系人やアメリカ在住歴が長い日本人の間では様々な反応が生まれた。「アンを見る目が変わった」というものだ。カリーはこれまで、あまり日系人である自分の「物語」を語ろうとしなかったからだ。日系であることを知っている日系人社会のなかには、水臭い、冷たいと誤解する向きもあった。このカリーの様変わりには2つの説明が可能である。

一つは、純粋にこのストーリーを素直に受け取ると「覚醒」説である。オバマも父の死亡の知らせで、アフリカ行きを決意するわけだが、ある時期に「ルーツ」への模索とアイデンティティへの目覚めは何かの出来事をきっかけに降り掛かるようだ。とりわけバイレイシャルは、親のルーツが別々なので、片方の親が亡くなったときに、そちらの文化への覚醒が起きやすい。カリーも母親が存命のときは、今ほど自分がジャパニーズであるという意識がなかったのであろう。

もう一つは、放送界で一里塚を築いて落ち着いたという状況だ。日本語の発音を聞く限り、カリーの日本語は付け焼き刃ではない。「日本に関心はあまりない」という噂は、エスニシティとジェンダーの二重苦のなかで、ガラスの天井を突き破るため、放送界で這い上がる方便にすぎず、本当は少し話せるのかということを視聴者に感じさせた。自分はアメリカ人アンカーであって、日系アンカーではないと、一倍見せておかないと、この業界では全国放送ではなかなか出世できないのは、選挙区のために働く政治家と少し違うところであろう。NBCでは『Dateline』のアンカーも掛け持つようになり、文字通り上り詰めたことで、もはや何も躊躇することはないと思ったのかもしれない。

日系はアジア系であるということに加え、過去の歴史問題に絡めとられる苦難を背負っている。ネットワークの定時ニュースをダイナーで観るような中西部の人に受け入れられるには、彼女なりの考えと苦しみがあったに違いない。地上派の朝の顔は、キャラクター商売であり、画面からにじみ出る性格を含めて好き嫌いで判断される立場にある。日系人であることを前面に出して、人気を維持しているカリーは新境地を築いている。コニー・チャンは、台湾のことを電波で大きく扱うことはついになかったが、『TODAY』の影響力やカリーの放送人としての地位を考えると、全米の日系社会には、このカリーの「覚醒」は追い風であり、朗報である。

勿論、全国区で出世するには、アンカーやレポーターは、ジャパニーズの匂いは消さねばならないというのは、極めて「メインランド」的で、ハワイにはこういう発想はない。しかし、オバマのような大統領も登場し、時代は変わりつつある。80年代から90年代にかけてのジャパンバッシングは、「歴史」になりつつある。日本人に間違われて襲われる中国人がいたり、ラジカセが壊されるパフォーマンスが流れているときに、 日本のルーツを押し出すのは辛いかもしれない。ニューヨークの本社にいる経営幹部や、スタジオのアンカーデスクにいるトム・ブローコウに「アンを使おう」と認めさせるには、時にはエスニシティの匂いを消すことも必要だったかもしれない。

モデルマイノリティの「神話」の中でも、ジャパーニーズはとりわけ優秀なはずだったのに、映画俳優やニュースアンカーなど、全国を相手にする「人気商売」には、ジャパニーズがあまり誕生しなかったという印象があるが、それは単に「出自」を目立たせなかっただけかもしれない。カリーのように、父方の血が濃くアジア系の顔つきが比較的薄い場合、姓も変わっていれば、外形的にはあまり分からない。この放送で一番驚いたのは日系人や日本人視聴者ではなく、普通の中西部、南部の視聴者だっただろう。カリーがジャパニーズであることを初めて知っただろうし、日本語を話すカリーが違う存在に映ったのは間違いない。

かつて筆者は民主党のニューヨーク支部で、マンハッタンのアジア系セレブレティにキャンペーンの支援要請をする過程で、カリーに協力依頼をしたことがある。カリーの返事は残念ながら難しいというものだったが、本人の丁寧な対応と、ジャーナリストとして中立の立場を守ろうとするカリーの信念は立派であり、強い印象として残った。「日系のよしみで」と安易に感じていた自分を恥じた。あれから10年以上が経ち、「初の太平洋大統領」が誕生した今、エスニックな「物語」再興をメディアの出演者が旗ふり役として喚起する傾向は、不思議ではないのかもしれない。


■ 渡辺将人: 東京財団現代アメリカ研究プロジェクトメンバー、米ジョージワシントン大学客員研究員

    • 北海道大学大学院メディア・コミュニケーション研究院准教授
    • 渡辺 将人
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