タイプ
論考
プロジェクト
日付
2017/2/21

アメリカ大統領選挙 UPDATE 7:トランプがもたらす変化:「特殊な責務」からの解放



中山俊宏   慶應義塾大学総合政策学部教授

 

 東京財団でこのプロジェクトを始めたとき、まさかトランプ政権が誕生すると考えていたメンバーは少なかったように思う。そもそもトランプ現象をどこまで真剣にとらえるべきかについてもメンバーの間でかなりの幅があった。しかし、こうしてトランプ政権の誕生を迎え、わたしたちはいまトランプ政権の一挙一動に振り回されている。朝起きれば、トランプ大統領のツイッターをチェックし、講演の前にもコンウェー大統領顧問がなにかやらかしていないかを念のため確認する。トランプ政権が発足してからまだひと月たっていないが、そのスピード感には目眩がするほどだ。トランプ大統領の手法はとにかくかき乱して、ディスオーダーを次々と作りだし、誰もそのディスオーダーのスピード感についていけなくする。そして逃げ切りつつ、新たなディスオーダーを再び作りだしていく。このひたすら攻勢的な手法でどこまでいけるのか。

 

 しかし、もしこの「トランプ」という現象が、トランプ大統領という個人を超える問題だとすると、それはわれわれにどのような状況をつきつけているのか。いま日本は、当然のことながら、安倍・トランプ会談を経て、「満額回答」とか、「なんだ、意外に大丈夫じゃないか」という言葉が飛び交っている。「急進的な予測不可能性」としか形容しようのないトランプ政権を前に、ここまで懐に入ったことを否定しようとしているのではない。世界中がある意味日本のアプローチをひとつの手本として、トランプ政権とどう取り組めばいいか、いま模索していることだろう。しかし、仮にトランプ現象が、トランプ大統領が語っている通りのものだとすると、「満額回答」という言葉ではどうにも埋めようのない深い深淵をわれわれは見せつけられているのかもしれない。

 

 アメリカはその建国以来、「特殊な使命」を担っていると少なくとも建前の上では常に認識されてきた。旧世界から離脱し、人類史上、いまだ誰も目にしたことのない「パーフェクトなユニオン」の方向に大胆な一歩を踏み出す、こうした思いが原動力となってアメリカを前に突き動かしてきた。四年に一回の大統領の就任式は、そのアメリカの「特殊な使命」を新たなリーダーの下で再確認する、そんな機能を果たしてきた。ゆえに新たに就任する大統領は、建国の理念に立ち返り、前任者たちの偉業を讃え、完結することのないプロジェクトの運営を一時的に引き受ける。記憶に残る就任演説は、当然大胆なビジョンとともに、アメリカという自分を超えたプロジェクトの責任をかりそめに引き受けるという、ある種の「謙虚さ」を常に合わせ持っていた。

 

 それと比較してトランプ大統領の就任演説はどうだっただろうか。それはすでに別の論考で述べたように、「トランプ革命」の宣言だった。そこでのトランプ大統領は、アメリカの建国の理念に立ち返ることも、前任者たちの偉業を讃えることもなかった。その世界観は陰鬱であり、散りばめられた言葉も、あたかもトランプ大統領自身のツイートのようでもあり、拡張高い言葉で、人間の「善き部分」に訴えかけるようなメッセージもなかった。語られる統合のメッセージも国家への「完全な忠誠(total allegiance)」、「われわれ皆が流す愛国者の赤い血(we all bleed the same red blood of patriots)」に依拠するアメリカの政治的伝統には相応しくないナショナリズムだった。

 

 この演説を起草したのは、まさに黙示録的世界観をもつともいわれるスティーヴ・バノン首席戦略官と若き保守派の論客でシニア・アドバイザ―としてホワイトハウス入りしたスティーブ・ミラーだといわれている。バノンの黙示録的世界観については、会田弘継・青学大教授が見事に分析している。しかし、問題はバノンが黙示録的世界観をもっていることではなく、そのバノンの言葉が、あたかもトランプ大統領自身の言葉であるかのように、リアルに響いたことだろう。

 

 トランプ大統領は、この演説で何を言おうとしたのか。いくつかのキーワードがある。なかでも「American carnage」という言葉は衝撃的だった。この言葉はこの演説のライトモチーフであるとさえいえる。この言葉によって、グローバリゼーション、移民、テロ、エスタブリッシュメント、文化的な荒廃によって、アメリカはとんでもない「惨状」に陥っているという暗く、危機に瀕するアメリカを描こうとしたのだろう。おそらくこの演説は、「American Carnage Speech」として記憶されることになる。いい日本語訳をあてなければいけないが、辞書を引くと「大虐殺」「大量殺戮」「(虐殺された人々の)死体」という言葉がならび、いい訳語がない。

 

 しかし、なによりも際立ったのは、演説中盤で二回はっきりと繰り返された「アメリカ・ファースト」というフレーズだろう。もうわれわれはトランプ大統領がこの言葉を発することに慣れてしまっているが、1年前、この言葉が新しい大統領の就任演説に盛り込まれるなどということを誰が想像しただろうか。なんといっても、この言葉はナチ・シンパだったチャールズ・リンドバーグが、欧州戦線へのアメリカの不介入を主張したときに援用したフレーズだ。しかし、これをもってトランプ大統領がナチ的な人種思想の持ち主だというのはあたらないだろう。気になるのは、言葉の上に積み重なった歴史の重みにトランプ大統領があまりに無頓着なこと、そしてトランプ大統領がこの言葉を使う際にそこに込めた特有の精神的態度だ。ここには明らかに、これまでアメリカが担ってきた「歴史的責務」の感覚を退けようとする態度がうかがえる。つまり、アメリカは特殊な歴史的使命を背負った特殊な国だというこれまでアメリカを突き動かしてきた感覚、世界を自分の姿に似せてつくりかえるようとする「使命的民主主義」の感覚はほぼ皆無だといってよい。むしろ、それは明示的に否定されている。

 

 演説でも、トランプ大統領自身、「われわれの生活様式を他国に押しつけようとはしない」とはっきり語っている。おそらくこの言葉自体は、他の大統領でも口にしただろう。この言葉がオバマ前大統領の口から発せられていれば、それは世界をアメリカに適応させるのではなく、アメリカが世界に適応しようとするメッセージとして受けとめられただろう。しかし、トランプ大統領の発する「アメリカ・ファースト」の背後には、もうアメリカも「普通の国」として振る舞わさせてもらうというはっきりとした居直りがある。他の多くの国が、即自的に国益を追及するように、アメリカもそうさせてもらうと。そして、トランプ支持者の中には、トランプのメッセージの中に明らかにこのような傾向を感じ取り、それを違和感なく支持している。特殊な役割から自らを解き放った「剥き出しのアメリカ」はどうなるのか、そのような問題をトランプ政権はわれわれにつきつけているのだろう。それはおそらくこれまで「孤立主義」として語られてきたようなアメリカではない。それはもはや「トランプ型」としか形容しようがない、新しい類型なのだろう。

 

 ある意味、世界はアメリカが「普通」に振る舞うことを常に要求してきた。「アメリカは自分のことを『特殊』だと思っているかもしれないが、そうではないんだぞ」と。しかし、いま世界は「トランプ」というかたちで「普通」に振る舞うアメリカを目の前にしている。