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【東南アジア】南シナ海におけるコスト強要(cost-imposing)戦略 (1) -コスト強要戦略と非対称な均衡

October 14, 2014

東京財団 上席研究員
慶應義塾大学総合政策学部 准教授
神保 謙

1.「コスト強要戦略」とは何か

「コスト強要戦略」(cost-imposing strategy)という概念が安全保障関係者の間で話題になっている。対外戦略におけるコストの強要とは、冷戦期の抑止理論の中で頻繁に用いられてきた考え方で、例えば1960年代にトーマス・シェリングは敵対国の有害な行動のコスト(敵対国の自覚)を高めて、未然に攻撃を自制させる重要性を繰り返し強調していた *1

しかし冷戦期の対ソ連戦略におけるコストに比べると、現代の対中国戦略におけるコストの捉え方は随分と異なる。前者が核戦争のエスカレーションに結びつく戦争の勃発を念頭に置いていたのに比べ、後者はむしろ戦争に至らない領域において徐々に現状が浸食される行動を想定しているからである。

こうした事態に対して要求される戦略は、戦争を抑止或いは戦争に勝利するという次元より一段階下位の、戦争に至らない段階における影響力の優位性を競う「競争戦略」(competitive strategy)ということになる *2 。この競争戦略を包括的に検討したトーマス・マンケンらによれば「コスト強要戦略は平時における長期の競争に重要な役割を担う」と論じられている。その戦略の中核にあったのは、現状の変更を目指す競争相手に「必要以上の資源を浪費・分散させる」という考え方である *3 。例えば冷戦後期のソ連が核兵器や通常戦力をめぐる米国との消耗戦によって疲弊したように、相手の戦略的弱点により多くの資源を投入させ、結果として有害な行動を起こす余地を狭めることを目標にした *4

こうした議論を背景に2012年1月に米国防省が発表した『国防戦略指針』では、米軍の主要な役割としての「侵略の抑止・打破」の項目に、「信頼ある抑止は、侵略者の目標達成を拒否する能力と、受け容れがたいコストを課す補助的能力によって成り立つ」という概念が登場する *5 。しかし、2012年5月の米下院軍事委員会で採択された国防授権法(2013会計年度・ランディ・フォーブス委員長の修正条項)は「このようなコスト強要戦略は、むしろ潜在的な敵対国(イラン・中国)によって採用実行されている」と批判的に論じ、両国の安上がりな兵器が米国の前方展開戦力と任務遂行に大きなコストとなっていることを指摘した *6

同委員会は、米国が潜在的な敵対国の脆弱性に着目した効果的な能力に投資し、これら国家に資源を幅広く使用させる必要性を唱え、国防省ネットアセスメント局に対し「コスト強要戦略・競争戦略」に対する研究を実施することを勧告した。前述のマンケンらの研究は、国防省や下院軍事委員会との問題意識を共有しながら、進められてきたのである。その後、ワシントンDCではアメリカンエンタープライズ研究所(AEI)、戦略・予算評価センター(CSBA)、新米国安全保障センター(CNAS)等のシンクタンクを中心にコスト強要戦略に関連するセミナーやシンポジウムが頻繁に開催されている。

今日のコスト強要戦略をめぐる議論は、中国の軍事的台頭と海洋進出を背景に、力による現状変更を阻止するための具体的な方策の検討へと歩を進めている。後に詳しく検討するように、今日のコスト強要戦略には軍事的領域の他に広く非軍事的領域が、そして高烈度(ハイエンド)紛争から低烈度(ローエンド)紛争を横断的に想定した戦略が加わり、これらをどのように組み合わせるかが重要な課題となっている。マンケンらのいうコスト強要戦略が、中国との包括的な競争戦略のなかで米国の優位を確保しようとするマクロ的アプローチなのに対し、CNASのパトリック・クローニン、イーライ・ラトナーらの研究では中国の東シナ海・南シナ海における威嚇行動に対抗するための具体的な措置に主眼を置いていることが特徴的である *7

本シリーズでは南シナ海をめぐるコスト強要戦略をめぐる議論の現在地を明らかにしながら、フィリピン・ベトナムがこの戦略をどのように咀嚼し、中国の海洋進出に対抗しようとしているのかを分析する。

2.コスト強要戦略と「非対称な均衡」の模索

中国の南シナ海における力を背景とした現状変更を試みる行為は、とりわけフィリピンとベトナムに対して「状況に適合した威嚇」(tailored coercion)として発展してきている *8 。新米国安全保障センター(CNAS)のパトリック・クローニン他は同名のレポートのなかで、中国が軍事力・海上警備能力・法執行力・法的地位の設定・経済力などあらゆるパワーを用いて周辺海域への影響力を拡大させており、軍事衝突に至らない状況にもかかわらず、現状が徐々に変更・固定化されていくことに警鐘を鳴らしている。

こうした状況に対応する際の最大のボトルネックとなるのが、東南アジア海域諸国の海空軍と沿岸警備隊の能力が不十分なことである。中国の急速な台頭は海軍力・海上警備能力・航空戦力を大幅に向上させているが、東南アジア諸国が単独でこれらの能力に対抗して現状を維持することが著しく困難な状況に陥っているからである。

一般的に力の圧倒的な差に直面した場合の国家行動は、内的・外的バランシング(国防力の強化・対外連携の強化)もしくはバンドワゴニング(相手国に対する妥協)を強いられる。バランシングは均衡化を目指す試みであるが、内的バランシング(国防力強化)の資源が十分でなく、外的バランシング(対外連携)の効果が十分に期待できない場合には、「均衡化」を等価性(パリティ)による概念ではなく、不等価・非対称な概念として見直さざるを得なくなる。この場合に重要なことは、中国の陸海空軍戦力との等価均衡による安定化を図ることではなく、あくまで「一方的な現状変更」を阻止しうる能力に注目した拒否力(denial capability)の構築に焦点が置かれることである。

ここに通底する論理は、中国の有害な行動に高いコストとネガティブな見返りを与えることによって、一連の行動の費用対効果をペイしない状況に固定化することである。これが中小国が大国に対して採用するコスト強要戦略の基本的な考え方であり、言い換えればこの論理は東南アジア諸国と中国との間の「非対称な均衡化」(asymmetrical equilibrium)のあり方を探ることに他ならない。

そのような「非対称な均衡」という秩序の形成は可能なのだろうか。現時点では「確約はできないが追求する価値はある」とでもいうべき状況である。というのも、均衡化の対象となるのは主として中国の行動であり、中国の行動原理が何によって制約されるのかが明確にならなければ、戦略そのものの基盤が揺らいでしまうからだ。仮に中国が拡張主義的な観点から高いコストを払っても南シナ海の単独支配を政策目標に置いている場合、こうした「非対称な均衡」は無力である。しかし、中国の現状変更を伴う行動が費用対効果によって制約されているのであれば、「コスト」に着目した戦略は有効性が認められることになる。この論理の追求と実態に基づいた検証こそが、現在の南シナ海の安全保障の最大の焦点なのである。

3.コスト強要戦略:CNASのツールキット

翻って南シナ海におけるコスト強要戦略とは具体的に何を意味するのか。前出のCNASのパトリック・クローニンは今年9月に発表したレポート「海上における威嚇に対する政策課題」(Challenge to Responding to Maritime Coercion)において、中国の威嚇的な海洋進出に対し「軍事衝突へとエスカレートすることも、不作為によって現状変更を許すこともさせない対抗措置」としてコスト強要戦略を採用し、その内容を以下の通りカテゴリー別に詳細にわたり検討している *9

第一のカテゴリーは軍事的対応である。この軍事的対応には、米国の軍事プレゼンスの強化(米軍の前方展開戦力の強化・新たなローテーション拠点の構築)、同盟国・パートナー国との軍事演習・訓練及び共同行動の実施、相手の弱みや脆弱性に着目した軍事力の整備(ハイテク技術の開発、対潜戦や弾道ミサイル配備等)、同盟国・パートナー国の能力構築(武器移転・訓練・ISR能力のネットワーク化等)が含まれる。

第二のカテゴリーは非軍事的対応である。この中には、情報(中国のパワーを背景とした現状変更の実態を晒す、警戒監視体制のネットワークを構築、米国と同盟国にとって望ましい評判を形成等)、外交(国際法・裁判所の活用、米国や友好国の支持声明、ASEANの一体性強化、中国の主権に対する認識への異議申し立て)、経済(貿易投資の多角化、経済制裁)が掲げられている。

こうした軍事的・非軍事的なコスト強要戦略により、中国が自らの行動に高い代償が伴うことになることを認識し、費用便益の観点からそのような行動を自制することが望ましい、と考えれば、この戦略は有効である。その代償とは、CNAS 報告書によれば中国の国際的な評判を貶める、中国に経済的な損失をもたらす、中国に不利なルールと規範を形成する、中国国内の政治的摩擦を増やす、中国に国防支出の多角化を促して浪費させる、米国の関与と抑止力を向上させる、中国の軍事的な脆弱性を晒す、地域の軍事バランスを変化させる、などが挙げられている。

こうした?~?の「コスト」が、中国のいかなる行動を自制させうるのかについては、判別しがたいところがあり、CNAS報告書でも充分には論じられていない。また過去・現状・未来のタイムラインにおける「コスト」意識は、自らのパワーの変化によって変動する。現状で機能しうるコスト強要戦略は、数年後には役にたたない可能性もある。また、こうした「ツールキット」を静態的にとらえるのみならず、中国の行動の態様とエスカレーションの度合いによって、どのように柔軟に対応するかという動態的な戦略の視点も必要とされよう。

とはいえ、コスト強要戦略は有力な仮説であり、この仮説を実際に生じた事案に当てはめて検証することは有益である。

出典:Patrick Cronoin, “The Challenge of Responding to Maritime Coercion”, Center for New American Security (September 2014) を修正



*1 Thomas C. Schelling, “The Strategy of Inflicting Costs”, in Roland N. McKean, Issues in Defense Economics: NBER Books, National Bureau of Economic Research, Inc, No. mcke67-1 (May 1967)。また米国防省が2006年12月に発表された抑止戦略でも「コスト強要による抑止」という概念が詳しく検討されている。U.S. Department of Defense, United States Department of Defense, Deterrence Operations Joint Concept, ver. 2.0 (Washington, DC: Department of Defense, December 2006).
*2 Thomas G. Mahnken ed., Competitive Strategies for the 21st Century: Theory, History, and Practice (Stanford: Stanford University Press, 2012)
*3 Bradford A. Lee, “Strategic Interaction: Theory and History for Practitioners” in Thomas G. Mahnken ed., op.cit.; David J. Andre, Review of the Department of Defense Competitive Strategies Initiative, 1986-1990, vol. 1, (McLean, VA: SAIC Report SAIC 90/1506, November 30, 1990)
*4 もっとも競争戦略・コスト強要戦略には、相手を疲弊させて最終的には競争状態を終わらせることを目標にしたマクシマリスト・アプローチと、短期的勝利を目標とせず望ましい勢力均衡を図ろうとするミニマリスト・アプローチがある。対中戦略の多くはミニマリスト・アプローチに分類される。James P. Thomas and Evan B. Montgomery, “Developing a Strategy for a Long Term Sino-American Competition” in Thomas G. Mahnken ed., op.cit.
*5 もっとも『国防戦略指針』によって概念化されている「コストを課す」対象は、同報告書の2つ(以上)の戦域論との関係で論じられている。「米軍は1つの戦域で大規模な戦闘に従事していたとしても、もう1つの戦域での機会に乗じた侵略行為を拒否し、受け容れがたいコストを課すことができる」(4頁)。U.S. Department of Defense, "Sustaining U.S. Global Leadership: Priorities for 21st Century Defense" (January 2012) Available at: http://www.defense.gov/news/defense_strategic_guidance.pdf
*6 Randy Forbes’ official Web site, “Amendment Offered by Mr. Forbes of Virginia: H.R. 4310 ? National Defense Authorization Act for Fiscal Year 2013: Competitive Strategies Study” Available at: http://forbes.house.gov/uploadedfiles/forbes_competitivestrategies.pdf
*7 米シンクタンクにおけるコスト強要戦略の議論の位置づけについては、法政大学の森聡教授から貴重な示唆を頂いた。
*8 Patrick M. Cronin, Dr. Ely Ratner, Elbridge Colby, Zachary M. Hosford
and Alexander Sullivan, “Tailored Coersion: Competition and Risk in Maritime Asia” Center for New American Security (CNAS) (March 2014) Available at: http://www.cnas.org/sites/default/files/publications-pdf/CNAS_TailoredCoercion_report.pdf
*9 Patrick Cronoin, “The Challenge of Responding to Maritime Coercion”, Center for New American Security (September 2014) Available at: http://www.cnas.org/sites/default/files/publications-pdf/CNAS_Maritime1_Cronin.pdf
  • 研究分野・主な関心領域
    • 国際安全保障論
    • アジア太平洋の安全保障
    • 米国国防政策
    • 東アジア地域主義

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