タイプ
レポート
プロジェクト
日付
2012/12/3

第14回テーマ「“尊厳死”を法律で認めるべきか?~命の終わりにおける医者・患者関係の今とこれからを考える」

⇒ 第14回テーマ
: 「“尊厳死”を法律で認めるべきか?~命の終わりにおける医者・患者関係の今とこれからを考える」

⇒ 開催日時
:2012年11月30日(金)18:00-20:00 

⇒ 開催場所
: 東京財団会議室

⇒ 概要説明(ねらい)

:2009年12月、末期の患者の延命措置を差し止め死に至らしめた医師に対し、殺人を犯したとして有罪とする判決が最高裁で確定しました(懲役1年6月、執行猶予3年)。この事件は、長年日本では正面から論じられることが少なかった、いわゆる尊厳死の是非について、あらためて考えさせる契機になりました。
 
 そしてついに今年になって、国会で超党派の議員連盟が、治療の中止または不開始を医師が行うことを条件付きで認める法律の案を策定し、次期通常国会にも提出しようという動きが出てきました。

 末期になったら治療を拒否し死を望む意思を患者本人が示したら、家族や医師はそれを認めるべきでしょうか。その行為は、正当な医療行為といえるでしょうか。さらにそうした延命治療の中止を、法律で認めるべきでしょうか。 
  
 今回は、臨床医で在宅医療での看取りにも取り組んでこられた孫大輔氏をお招きし、いま医療の現場で治療の中止または差し控えがどのような局面で求められているのか、具体例を伺いながら、命の終わりにおいて、医師と患者・家族の間でどのような関係を結ぶのが望ましいのか、みなさんと考えてみたいと思います。どうぞふるってご参加ください。

⇒ 議論の展開

1 末期医療の現状について 

・延命治療の差し控えや中止が求められるのは、具体的にはどのような状況か

・延命措置の差し控えや中止は、昔は医師と患者家族の間で「阿吽の呼吸」でやっていたというが、それはもう通じなくなったのだろうか

 最近の例:「医師法20条通知」(24時間以上診ていない患者でも死亡診断書を書けるとした厚労省の法令解釈通知。たとえば在宅で死んでもすべて異状死として届けなくてよいという通知と解される)について、どう見たらよいか


2 いわゆる尊厳死法案策定の動きについて

・延命治療の中止ないし差し控えを医師に求めることは、患者の権利に属すことか。そうした当事者の意思を認めるとしたら、立法によるのがよいのだろうか

・末期医療の方針の決定は、個々の当事者の間で行なわれることではないか
そこに第三者が介入する余地はあるのだろうか
法律の後押し、お墨付きは必要なのか? 必要だとしたら、それはどうしてか

・法案の内容や検討のあり方について、どう考えたらよいか
全面的免責条項」は必要なのか
延命治療の中止について、刑事裁判にまでなる例が出るのはどうしてか
民事でも訴訟例は増えているのだろうか

 
⇒ スピーカー・孫大輔氏からのコメント


・治療差し控え・中止が問題となるような現場に具体的にどのような状況があるのか、あらためて考えさせられました。現場で働く医師にとっては、日常臨床として流れて行きがちな数々の場面も、整理して考えてみると、いくつかの類型に分けられることに気づきました。

・大きく分ければ救急医療の現場、終末期医療の現場、そして神経難病など慢性疾患の3つのパターンです。
私は終末期の現場には比較的数多く接してきましたが、残りの2つはあまり豊富な経験がなく、出席していた他の医師のコメントが非常に参考になりました。

・その医師の方からの、「医師がなぜ命を短くする処置に携わらなければならないのか」という問いかけは本質を突いていたと思います。治療の中止という行為まで医師の判断にまかされるのか。あるいは、死の自己決定権としてあくまで患者や家族の権利として行われるべきではないか、という問いかけであったと思います。

・また、治療の差し控え・中止の判断が必要となる場面が、必ずしも終末期だけに限られる問題ではないことが、判断をとても難しくさせていると思います。実際に難病で人工呼吸器をつけている患者家族の方のコメントは深く心に残りました。「人工呼吸器がついているからと言って尊厳がない状態ではない。想像力が欠如した方たちの間で、法制化が進むことを懸念する」と。

・法律の問題に関しては、いわゆる尊厳死法案が誰を守るための法律であるのか、あらためて考えさせられました。決して医師を守るだけのものであってはならないし、治療の差し控え・中止で大きく左右される難病・慢性疾患の患者さんに不利益をこうむるものであってはならないと思います。

・私が皆さんに伝えたかったのは、やはりそうした終末期や延命治療に至る場面に対する知識を持ってもらい、リアルに想像したり、家族で話し合ったりする中で、自分の死のあり方については、自己決定がされてしかるべきだ、ということです。ただ事前指示の中には治療内容について医療者の説明がないとなかなか利益と不利益について理解しにくいものですし、信頼関係を築いた医師との間でこうしたコミュニケーションがあってしかるべきだと思います。事前指示や延命治療、死のあり方について国民レベルで議論していくべき時代に来ていると感じます。


 
⇒ 参加者からのコメント


・人口呼吸器にせよ、胃ろうにせよ、そういう技術がない世界、ない国であれば、終わっていた命を「延ばす」こと自体だから日々考えておかないといけないと思う。どう生きるか。「法律」にしてしまうことで、こうした議論なく「○○だからOK」「××だけらNG」という風に、考えることをしなくなるのがこわいと思う。(40代女性)

・もっと法律家(学者や弁護士や検察官)、病院の医師以外のスタッフなどの参加もあると良いと思いました。(中略)お医者さんの側でどういった法制度を望んでいらっしゃるのか(法に対して何を求めておられるのか)も知りたかったです。(女性)

・法案をだれのために作っているのか、自己決定に本人以外の意思はどれ程含まれるのか、等を考えてゆくと、個人の意志の力はどれ程効力を持つもつべきなのかという事にも繋がるなと思いました。(20代女性)

⇒ スピーカー紹介
孫 大輔氏(日本プライマリ・ケア連合学会家庭医療専門医)

東京大学医学教育国際協力研究センター講師。2000年東京大学医学部卒。
腎臓内科医から家庭医に転向し、医療福祉生協連家庭医療学開発センター(CFMD)を経て、現職。臨床研究および医学教育に携わりながら、家庭医としての勤務を続けている。2010年8月より市民/患者と医療者がフラットに対話できる場「みんくるカフェ」を毎月主催している。


⇒ 聞き手ぬで島次郎(東京財団研究員)