タイプ
レポート
プロジェクト
日付
2014/2/20

第18回「親になりたい、子をもちたい~先端医療技術と社会的養護の双方から考える」

⇒ テーマ
: 「親になりたい、子をもちたい~先端医療技術と社会的養護の双方から考える」

⇒ 開催日時
:2014年2月16日(日)15:00-17:00 

⇒ 開催場所
: 来迎山 道往寺  地図はこちら(Googleマップ)
(港区高輪2-16-13、都営浅草線「泉岳寺」駅 A3出口より徒歩1分)

⇒ 概要説明(ねらい)

:親になりたい、子をもちたいという人の願望は、古来、自然の情として疑いなく受け入れられてきました。しかし現代では、その願いに応えるために、生命を操作できる様々な技術が生み出された結果、何をどこまで認めてよいのか、難しい問いに直面することになりました。

 どれだけ技術を駆使してもカップル間で子ができなければ、卵子提供や代理出産など第三者を巻き込む施術に進むことを私たちは認めるべきなのでしょうか。生まれる前に子に病気や障害があるかどうか確かめる新しい検査技術を、どこまで進めてよいのでしょうか。いつ、どのようにして、どのような子をもつか、親になろうとする人が望むとおりに選べるようになるのがいいのでしょうか。

 今回は、生殖医学の専門家に加えて、特別養子縁組の促進など社会ができる別の対応にも取り組んでこられた研究者をお招きし、より広い視野で、親になるとは、子をもつとはどういうことか、あらためてじっくり考え、議論してみたいと思います。

 開催場所は、ふたたびご好意により、都心にありながら清浄な別世界を形作るお寺の本堂をお借りすることができました。いのちの始まりを巡る人の思いについて、深く語り合えればと思います。どうぞふるってご参加ください。

⇒ 議論の展開

1 生殖補助医療はどこまで認められるか

ほかの人の精子、卵子、受精卵をもらう / ほかの人の子宮を借りる(産んでもらう)・・・

・産科医は、子をもちたいという求めにどこまで応えるべきなのか
  医師の職業倫理として、できるのはここまで、という基準はないのか
  養子は不妊治療の選択肢にならないか

2 養子という選択

育った子をもらう養子 / 赤ちゃん養子

・養子を求める側の事情 : 不妊治療との関わり
・養子をとるのは難しいか
・養子を出す側の事情 : 妊婦の相談窓口がない 産科医の役割は
・養子に対する偏見と差別 / 生殖補助医療で生まれた子に対する偏見と差別?

3 親になるとは、子をもつとは、どういうことか

・親子とは、血のつながりだけで決まるのか
  血のつながりとは遺伝子を受け継いでいるということなのか
  精子や卵子を提供した人は、遺伝上の「親」なのか
  私たちは「血のつながり」に何を求めているのか

・「思い通りにしたい」という欲求をどう考えたらよいか
  生まれる子を選べるか
  技術と市場にゆだねてよいことか 


⇒ スピーカー

:石原 理氏(埼玉医科大学産婦人科同総合医療センター産婦人科教授、医学博士)
1980年群馬大学医学部医学科卒業後、東京大学医学部付属病院等に勤務。1985年より東京大学医学部産婦人科助手、埼玉医科大学総合医療センター産婦人科助手、英国ロンドン大学王立医学大学院ハマースミス病院客員研究員等を務める。帰国後、埼玉医科大学総合医療センター講師、助教授を経て、現職。専門は、産婦人科学、生殖内分泌学、不妊症治療学、生殖人類学。日本産科婦人科学会倫理委員会委員、埼玉産科婦人科学会理事、日本生殖医学会常任理事等を歴任。


:白井千晶氏(妊娠・不妊・出産の社会学研究者)
早稲田大学、東洋大学、和光大学、首都大学東京などで非常勤講師をつとめる。専門は、家族社会学、リプロダクションの社会学。著書に『不妊を語る-19人のライフストーリー』(海鳴社)、『世界の出産』(共著、勉誠出版)等。 babycom「卵子提供・代理出産を考えるプロジェクト」担当、一般社団法人全国養子縁組団体協議会代表理事、REBORNスタッフ、NPO法人日本助産評価機構評価委員。


⇒ 聞き手、討議モデレーターぬで島次郎(東京財団研究員)


⇒ 白井千晶氏からのコメント
 子どもがほしい人と、子どもになる人、自身の身体資源を提供したり、自身の子を託したりする人の間の権利調整の問題だけではないこと、社会が利用できる人・対象になる人を決めることへのコンセンサスの問題であることが再確認できました。
 シングル、同性カップルは生殖技術を利用したり、里親、養親になったりすることができないのか。法律婚をしている夫婦でも、対象にならないことがあってよいか、どのような場合か。親になりたい人は、社会にコントロールされたくないと考えるために、自由市場における配偶子の購入や生殖技術サービス購入(≠医療、生殖医療)に傾く傾向があるのだと思います。これは親子の出会いを公共にゆだねられるかどうか、遺伝子や親になる確実性をもコントロールしたいという欲求にどのように向き合うかという問題でしょう。
 また、自分の遺伝子・パートナーの遺伝子であれば自分たちも周囲も承認しやすい、不妊の夫婦であれば技術が利用できるという近代家族の生産と、血縁よりも情緒的つながりや子どもの福祉が優位であるという近代家族の生産が、同時に起こっているのだと思います。
 最後に、私自身は、医療化する社会の中で、疾病がある人は医療的に救済される正当性ががあって、いわゆる自己責任によって子がもてない人は救済できないという、医療化の論理も問わなければならないと考えています。医療も医療者も政策作成者もまた、技術を利用する人と同様に、文化的規範のただなかにあるからです。

⇒ 石原理氏からのコメント
 「生殖医療」や「不妊治療」に限らないと思いますが、真剣に“ものごと”を考えるときのひとつのツールとして、周囲の様々な事々をひっくるめて“拡張再定義”した範囲を考えると、求めている姿がよりレリーフのように、目前に明確に、かつ印象深く浮かび上がるのではないかと、私は考えています。今回、お寺でお話をする機会を持ち、昨年訪れる機会があった大分県臼杵の磨崖仏を、ふと思い出しました。
 今回のテーマ設定は、まさに「家族の持ち方」という“拡張再定義”をすることにより、多様な価値観や幅広い意見を包摂して考え直すための、よい方法になるのだと思います。もっとも、もし私たちスピーカー二人が、「生殖医療」や「養子」のあり方や位置関係を、ご参加の皆様にわかりやすく示すことができたとすれば、これはすべてMCをつとめられたぬで島さんのファシリテーターとしての才能に負っているというほかはないと思います。どうもありがとうございました。


⇒ 参加者からのコメント
・「医療とはすべて願望実現のためのものである」ということを医師が言われたことで、ストンを納得できました。正直にその事実を受けとめ考えていきたいと思います。(60代男性)

・生殖補助医療の歴史が30年少しであるのに、技術的進歩のスピードが非常に早く、社会的な受容の仕方が日本の場合多様な問題を抱えているのだと思います。医療現場の倫理の問題だけでなく、社会的にもっと広いパースペクティブを醸成していくためにも、養子の問題も含めて法的・文化的に障害となっている点から包括的に考えていくべきなのだと思いました。(50代男性)

・自然妊娠ができない場合に子供を持つには、不妊治療・代理母といった生殖補助技術を利用するという技術的選択肢と、養子・里親といった社会的選択肢があることを学んだ。  
 生殖補助技術の開発のきっかけは患者の「自分はなぜ子供を持てないのか」、「人生で何か悪いことをしたからか」という考えにあったこと、不妊症が病に分類されるようになるのは、医療技術の進歩により治療が可能になったこと、日本で法改正により事実婚も認められるようになったことは、全てボトムアップの考え方だと思った。
 社会が家族、親子関係の多様性を違和感なく認め、社会全体で多様な形態をサポートしていく体制が必要不可欠である。(女性)

・「生殖補助医療はどこまでやってよいか」は人間の欲望の話で、養子縁組の話になると「善良」「良いこと」という行為だと別次元でみなしてしまう思考に陥り、両者をつなげて考えることが難しかった。養子縁組後のトラブル、こんな子供じゃなかったのにと戻されることはないのかという問いは興味深かった。養子縁組が生殖補助医療の歯止めになるのか、それとも欲望はずっと続いてつきまとうのか。(30代女性)

・産科と養子あっせんという2つを取り上げたことが大変良かったと思う。関連深いこの二者であるが、実際の医療では関係を築けないことに、多少の驚きを伴って納得させられました。(50代男性)




                          
                           
                     写真下段 撮影:山田新治郎(提供:小川真樹建築綜合計画)