タイプ
その他
プロジェクト
日付
2012/12/27

iPS細胞を使う再生医療についてどう備えるべきか(1)<page1>

~生物学者・勝木元也氏と語る


東京財団研究員                                 
ぬで島 次郎


※1月9日、内容を一部加筆・修正しました。

※2月6日、【iPS細胞に関する基本的な認識】の内容を一部加筆・修正しました。

山中伸弥・京都大学教授が成し遂げたiPS細胞研究にノーベル賞が授与され、日本中が沸いている。政府だけでなく国会議員からも、iPS細胞を使った再生医療を振興するための立法や施策が提案されている。神戸の理化学研究所から世界初の治療計画も申請され、2013年早々に開始される運びだ。

だが、iPS細胞とは何か、どのような意義と限界があるのかについて、実像が社会にきちんと伝わっていないことが危惧される。

そこでこの問題についてかねてから意見を出されていた分子生物学者の勝木元也先生をお招きし、いま私たちが知っておくべき事実と考えなければならない論点について、対話を通じて明らかにすることを試みた。その結果を2回に分けて報告する。

まず今回(1)では、iPS細胞に関する基本的な事実をおさえ、臨床試験計画について検討し、iPS細胞研究の意義と限界について確かめる。

また次回(2)では、iPS細胞を使う再生医療では安全性の問題を事前にどこまで検討するべきかについて、倫理の面から、また、科学の応用のあり方という観点からも討論し、せっかくの大発見を不安なく医療に応用し、実現するための方向性を提起する。

【勝木元也 氏】
日本学術振興会学術システム研究センター副所長、基礎生物学研究所名誉教授。九州大学生体防御医学研究所教授、東京大学医科研究所教授、基礎生物学研究所長、自然科学研究機構理事新分野創成センター長などを経て現職。専門は分子生物学、発生工学。共著書に『発生工学実験マニュアル~トランスジェニックマウスの作り方』(講談社サイエンティフィク、1987年)、『対談集 先端バイオの先を読む-トップサイエンティストたちの知的格闘』(共立出版、2001年)、編書に『マウス-DNA生物学のゆりかご』(共立出版、1997年)など。


1 iPS細胞とは何か


   【iPS細胞に関する基本的な認識】
    1)ノーベル賞は、生物学的発見に対するものである。
    2)iPS細胞は、自然界にはない遺伝子組換え体(GMO)である。
     その問題点の解決を目指す研究は重要だ。
    3)iPS細胞の出来るメカニズムと、その性質の詳細は、まだわかっていない。
     それを解明する研究が再生医療にも道を開く。


ぬで島 勝木先生、お忙しいなか、どうもありがとうございます。よろしくお願いいたします。

iPS細胞については、ノーベル賞授与が決まって以来、マスコミで連日取り上げられ、本屋にも一般向けの解説書があふれています。ですが、iPS細胞とは何なのか、どうしてノーベル賞がもらえたのか、社会にはきちんと伝わっていないようです。

科学的事実は、倫理を議論するうえで不可欠の基盤です。そこで、iPS細胞について、いま世の中に何を伝えておかないといけないかということを、後ろ向きの批判ではなく、望ましい将来に進むための礎として、伺いたいと思います。

まず私のほうで、iPS細胞について重要だと思われる基本的事実を、上の三点にまとめてみたのですが、いかがでしょうか。それぞれについてお考えをお聞かせください。

ノーベル賞受賞の意味

勝木 三点とも基本的にこれで間違いないと思います。

まず1)のノーベル賞についてですが、カエルの体細胞核の除核未受精卵への移植による再初期化(reprogramming;リプログラミング)を発見した英国の発生生物学者ガードン博士との共同受賞と聞いて、さすが学術的発見に対する価値ある賞と納得しました。ガードン博士はとうに受賞していると思っていましたが、山中さんの発見が再初期化の条件を完全なものにしたのですから、山中さんの発見がなければ、ガードン博士も貰えなかったかもしれません。再初期化を見事に証明した山中博士の研究が生物学的大発見として、決定的な業績と認められた基礎生物学上の功績を讃える、真っ当な選考だと思いました。

ぬで島 ノーベル委員会の担当者も、基礎生物学の常識を覆した功績が授与の理由だと述べています。再生医療への応用に有望だからという理由ではなく。

勝木 ええ、そうですね。ガードンは、オタマジャクシの腸管の上皮細胞という、受精卵からかなり発生が進んで分化した体細胞の核を、核を取り除いた未受精卵に移植して、そこからもう一度オタマジャクシに発生させることに成功しました。1962年に発表した論文です。

生物の発生は、一回性のものだと理解されていました。遺伝子に組み込まれたプログラムが最初スイッチオンにされると、あとは自動的にずっと、タイムスケジュールに従って発生していく。そこで出来上がっていく体中のさまざまな細胞では、遺伝情報の総量や構造(ゲノム情報)は基本的には変わりませんが、発生と分化の過程で、個別の遺伝子の読まれ方や働き方は、さまざまに核の中で変化していきます。時間は一方向ですから、老化も進み、細胞はみなそれぞれ不可逆的な履歴を持つので、そこからはもう二度と、ほかの体の部分の細胞が発生、分化することはない。生物の発生は、不可逆な時間的流れによって決まっている。それが常識だった。ガードンの研究は、腸の細胞をもう一度体中のすべての細胞をつくり個体を生み出せる状態に戻してみせたことで、その常識を覆したわけです。これを体細胞のリプログラミング(再初期化)といいます。しかし、移植された核は、履歴を残したままですので、最初の受精卵の状態に戻せてはいません。完全に初めの状態に戻すリセット(初期化)とは異なるところが、この発見の最も重要な点です。

ぬで島 驚きの成果ですね。そのガードンの仕事に対し、山中教授のiPS細胞樹立は、別のやり方で、ほぼ同じことをやってみせたという意義があるわけですか? やはり一度皮膚などに分化した細胞を、体中の細胞に分化できる状態に戻せた、と。ただガードンの方法では再初期化した細胞から、元の細胞と同じ遺伝情報セットをもつクローンカエルがつくれるけれど、iPS細胞からはクローンはつくれないという大きな違いがあります。

勝木 生物学的にみますと、山中さんの仕事の意義は、別のところにあります。ガードンの報告が出たとき、生物学者はみな、元の細胞の核の状態がかなり初期の多能性を持つもののみで成功したのではないかと疑いました。追試もされました。その後マウスや羊で盛んに行われた研究で、移植される体細胞核が由来する発生の初期と後期ではクローンの成功率が大きく異なることなどが確かめられたのです。つまり未受精卵に想定される再初期化因子は、必要条件であるらしいけれども、すべての体細胞を再初期化できる十分条件ではなかった。したがって、その後は移植される体細胞核の発生の状態に研究が集中していったのです。ところが山中さんは、ES細胞で発現している遺伝子の中から山中4因子を発見し、それを体細胞に導入して再初期化を成し遂げてみせた。そこが、ガードンが拓いた体細胞の再初期化という研究に決定的な結論を出した革命的大発見なのです。

ぬで島 しかし日本では、山中教授の共同受賞者がガードンであるかのように言われています。ノーベル賞では往々にして、ずっとあとになって役に立つものにつながった研究をした人が、役に立つ研究をした人と一緒にもらえることがあります。

勝木 ありますね。

ぬで島 だから今度も、山中さんで再生医療に役に立つiPS細胞ができたから、その体細胞の初期化を最初に成し遂げたガードンも、遡って一緒にもらえた、という印象があるのだと思います。

勝木 なるほど。あるでしょうね。それは、よくわかります。

ぬで島 しかし、そうではない。役に立つものができたからもらえたのではなく、生物学の基礎を革新したという意義でノーベル賞がもらえたわけですね。

勝木 はい、そうです。iPS細胞研究は、実際の治療につながるような役に立つ成果を、まだ生んではいませんから。また再生医療の可能性であれば、ガードン博士は貰っていないでしょうし、山中さんの共同受賞者には、他に有望な方々がいると思います。

どうしてiPS細胞をつくれるか、まだわかっていない

勝木 もう一つの重要な事実があります。先に示された?にあるように、山中さんの行ったやり方でなぜiPS細胞ができるのか、まだそのメカニズムがわかっていないのです。iPS細胞そのものの生物学的性質も、くわしくは、よくわかっていません。

ガードンが成功した核移植でなぜ体細胞が再初期化できクローンがつくれるのかも、何十年も研究されてきましたが、まだわかっていないのです。

はじめは、卵子に核移植することで、本当にまっさらの、生命の始まりである受精卵のときと同じきれいな状態に戻っているのではないかと考えられていました。先にも言いましたが、本来、生物の発生は非可逆的なのです。いったん血管になったものが、突然受精卵まで戻るようなプロセスを経られたら困るわけです。だから、体ができていくプログラムに従って、できた細胞の構造や機能が不可逆的になるように、何らかの印が付けられていくのだろうと考えられていた。その印は、細胞の核の中にあるDNAに付けられていくことがだんだんわかってきました。もちろん細胞骨格や細胞膜などの構造的形態的変化も、簡単には元に戻りません。つまり、分化した細胞、体の一部になった細胞は、それぞれが違う履歴を持っているのです。

ぬで島 一つ一つの細胞のDNAに、「おまえはもう皮膚になっているんだぞ、受精卵のときのまっさらなものとは、おまえはもう違うんだぞ」という履歴が書きこまれているということですね。

勝木 そうです。そこで問題は、体細胞核移植や、iPS細胞では、その履歴を、すべて消せているのかどうかです。すべて消せていれば、リセットといえるわけです。まっさらな状態に戻っている、生物の発生の時計を最初に戻せたことになる。

ですが実際には、そうはならない。発生分化とともに、それぞれの細胞に刻印されていくDNAのメチル化や、発生とは直接関係ありませんが、細胞が分裂増殖をする過程で不可避的に起こる体細胞突然変異などは、消去されません。体細胞再初期化の発見の最も面白く、今後の研究にとっての重要な問いがここにあります。すなわち、リセットされた核からの出発であれば、受精卵と同じく正常の発生と分化を遂げることが予想されるのですが、iPS細胞から分化発生する正常に見える細胞は、元の体細胞の履歴を持ち、さらに突然変異などの傷をもった核に由来しています。しかもiPS細胞ごとにその履歴が異なるのです。そこから正常な発生と分化が果たして起こるのか、という謎をiPS細胞研究は提起しました。生物学にとってなかなか出て来ない重要で面白い問題です。学問はすべてそうですが、問題を提起するような研究成果が大業績になりますから、その点からいっても、山中さんの発見は大業績です。

日本語では分化した核の再初期化(リプログラミング)も、精子や卵子の形成過程でおこる本当の初期化(リセット)と分けずに「初期化」と言っていますが「再初期化」と、「初期化」とは完全に別の概念として言葉を使い分ける必要があると思います。

ぬで島 iPS細胞に元の細胞の履歴がどれだけ残っているか、もし残っていたらそれを生きた体の中に入れたらどうなるか、まだわかっていないということでしょうか。

勝木 発生や分化ののちに染色体や細胞に起こる変化のことをエピジェネティックな変化といいます。それは受精卵のときにはないものです。エピジェネティックな変化が細胞ごとに異なる履歴として残ることは、すでにわかっています。

未受精卵への体細胞核移植による「再初期化」で生まれるクローンについては、研究が進んでいます。日本で何百頭もつくられたクローン牛では、特有の異常が出ています。出産間際になって胎盤の剥離がおかしくなって大出血したり、肝臓にできるがんや、免疫系の異常など、普通にはほとんどないことが起こります。

クローンマウスの様々な臓器、組織をとって、遺伝子発現のパターンを調べてみると、普通のマウスとだいぶ違う。またクローン個体によっても結果に差がありますが、正常に生まれたマウスと比較して、40%ぐらい違うという結果を出した人もいます。でも見かけは健常なマウスになっているようなのです。重要なのは、クローン個体ごとに異なる結果が出るということです。クローンというといかにもすべて同じと思われますが、移植した核がそれぞれの履歴を持っているのですから、そこからできるクローンもそれぞれの祖先が異なります。違う履歴情報が発揮されて、違うものになるのです。

詳しい例は省きますが、核移植をしても、それぞれの細胞に特有の履歴は残っていて、リセットはできていない。このように、リプログラムの謎と重要性が、核移植で明らかになってきました。ノーベル賞委員会が受賞理由で挙げたように、リプログラミングが如何に革新的発見であったかということです。

ぬで島 ではiPS細胞ではどうか、ということですね。iPS細胞は、体中の細胞になれるポテンシャルがあるので、初期胚(胚盤胞)に入れると、生殖細胞にも分化して、受精卵由来の細胞と混ざって次の世代に伝えられます。マウスを使ってそういう実験研究をするわけですが、そのiPS細胞由来の個体では、体細胞核移植によるクローン個体のような異常は出るのですか。

勝木 それは出ません。なぜかというと、世代を経るときに、精子や卵子を形成する段階ではじめて、元の個体の細胞の発生や分化で染色体に刻印された履歴が、全部消されるのです。もちろん体細胞突然変異などは消えませんが、いわゆる発生の履歴は、次の世代に受け渡すときには、いったん全部消される。その上で、刷り込みという新しいエピジェネティックな変化が起こり、オスとメスに特有な初期条件を整えます。これがリセットです。そこがものすごく大事なんです。

ぬで島 受精卵になる前に、精子、卵子の段階で、もう全部まっさらになっている。

勝木 そうです。精子、卵子ができる際の過程が生物の重要な初期条件になります。それと同じことを、人の手で実現することは今のところできません。世代を越えるところで初めてリセットされる。こうして初期条件に戻るのです。しかし、体細胞核移植によるクローンの場合は、受精というプロセスをとばしてしまうので履歴が残る。iPS細胞は世代を越えればリセットされ、異常は出ないかもしれないが、リプログラミングのままで生きた体に入れるとどうなるかは、まだ研究が進んでいないのでわからないのです。