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《時評》「皮膚から万能細胞」~問われるのは倫理より科学政策の理念

December 19, 2007

話題の「iPS細胞」が期待される理由

京都大学の山中伸弥教授率いる研究チームが、人の皮膚の細胞から、体中のあらゆる細胞に分化できる力を持った細胞(誘導多能性幹細胞induced pluripotent stem cell, iPS細胞)をつくることに成功したとの論文発表が、国内外で大きな話題になっている。
iPS細胞は、病気やけがで機能を失った臓器や組織(骨や神経など)を修復する再生医療に道を開く、有望な成果であることは間違いない。だが大きな話題になっているのには、もう一つ理由がある。山中教授らの方法は、これまで再生医療につきまとっていた困難な倫理的問題を伴わないものなのである。
治療に必要な臓器や組織の元になる細胞を得るには、受精卵(胚)からつくる胚性幹細胞(ES細胞)を使うのが最も有力な候補だった。だが人の生命の萌芽である胚を壊さなければならないので、強い倫理的反対を呼び起こしてきた。さらにES細胞は他人の細胞なので、患者に移植すると拒絶反応が起きる。そこで次に、患者自身の細胞の核を卵子に移植し患者と遺伝情報が同一のクローン胚をつくって、そこからES細胞をつくろうという研究が焦点になった。これなら拒絶反応は起こらないが、今度は、クローン胚を子宮に着床させればクローン人間が生まれるとの懸念とともに、卵子を利用しなければならないという問題が立ちはだかることになった。卵子も人の生命の元であり、しかもその採取は女性の心身に多大の負担とリスクをかけるからである。
iPS細胞は、患者自身の皮膚の細胞からつくれる。胚も卵子もクローンも伴わないで、治療に必要な、拒絶反応の起こらない細胞を培養できる。だからこれまでの再生医療の主な倫理問題を回避できると評価され、歓迎されたのである。私もその評価に異論はない。指摘されているような、作成時にがん関連遺伝子やレトロウイルス(エイズウイルスと同じ種類のウイルス)を用いる問題は、技術的に克服されるべき課題で、倫理問題とはいえないだろう。
私は、iPS細胞研究で問われるのは、人の生命・身体の要素の何をどこまで用いてよいかという倫理問題ではなく、科学研究をどう評価するかという政策理念の問題であると考える。

iPS細胞研究のもう一つの意義

山中教授らのiPS細胞研究は、有望な再生医療に道を開いただけではなく、基礎科学としても大きな意義がある。それは、今回用いられた顔の皮膚という特定の形に分化した身体の細胞を、受精卵の細胞と同じように体中のどの細胞にもなれる能力を持った幹細胞に戻せたことである。これを「体細胞ゲノムの初期化」という。
どの細胞の中にも、遺伝子のすべて(=ゲノム)が入っている。だが一度皮膚になった細胞は、もう二度とほかの部分の細胞、たとえば肝臓の細胞になることはない。なぜある特定の細胞は、体中を構成できるすべての遺伝子を持っているのに、他の細胞になることはないのか。逆にいえば、どのようにしてたった一個の受精卵という細胞から、体中の細胞が過不足なく出来上がるのか。これは発生と分化という、生命の最も基本的な謎の一つである。iPS細胞研究による体細胞ゲノムの初期化の成功は、この謎の解明に役立つことが期待できる成果なのだ。
そしてその点では、山中教授らはすでに去年8月に、世界で初めて、マウスの皮膚の細胞からiPS細胞をつくることに成功しているのである。このときも話題にはなったが、今回ほどではなかった。ネズミだけではなく人でも同じことができるのを示した意義は確かに大きい。だが科学としては、去年の成果を追試してみせただけ、という見方もあるのだ。発生と分化の基礎を解明する生命科学研究としては、人を実験系にする必然性はない。むしろ人では制約がありすぎて、研究が進まないということも考えられる。

技術でなく科学としての評価を

日本政府は、人でのiPS細胞樹立成功の発表を受けて、山中教授らの研究に、異例の重点的支援を行なう姿勢をとった。もちろんそれに値する成果ではある。しかしこの研究の科学としての真価は、すでに去年8月のマウスでの成功の際に明らかになっていたのである。だがそのときには特段の支援強化はされなかった。
これは、単に施策の時期が遅れたとか先見性がなかったというだけの問題ではない(もちろんそれも見過ごされてはならないが)。人で成功してみせなくては必要十分な支援が得られないというのは、研究が、生命の基本を解明する科学としてではなく、治療法の開発に役立つ技術としてしか評価されないということである。
早くもアメリカの別のグループからは、ある血液の病気にかかるようにしたマウスの尾から皮膚細胞を採ってiPS細胞をつくり、その病気の原因となっている遺伝子を正常なものに組換えて血液細胞に分化させ元のマウスに戻したら、病気を治せたという論文が発表された。恐るべき研究競争のスピードである。
このように治療法としての開発にばかり研究者の精力と社会の関心が注がれると、iPS細胞の、発生と分化を解明する科学面での意義が、追求されないままに進んでしまうのではないか。私はその点を危惧する。
現時点では、山中方式でなぜ皮膚の細胞を受精卵の細胞と同じような多能性を持つ細胞に変えられたのか、その仕組みは分かっていない。それを解明することは、iPS細胞の治療法としての安全性と有効性の検証にも必要だが、それ以上に、生物の発生と分化の謎を解き明かす大きなステップになることも期待できる。
どうすれば効くかだけが追求され、なぜそうなるかがなおざりにされることを私は恐れる。研究の技術としての価値だけが求められ支援される一方で、科学としての価値が顧みられず支援も受けられないようでは、いけないと思うのである。

科学政策の理念につながる倫理の土台づくりを

われわれがここで考えなければならないのは、国が、社会が価値を認める研究とは何なのかという、科学政策の理念に関わる問題である。その点で今回の成果は、格好の反省材料を日本の科学政策に突きつけたといえる。医療や産業の役に立つ実利的な研究しか評価されないのは、貧困な科学政策である。そうした目先の利益追求に支配された大勢を改めるには、応用のみでなく基礎研究も重視せよという学界のかけ声や陳情だけでは足らない。科学研究の真のパトロンである納税者を納得させうる政策理念が必要である。
本プロジェクトでは、個々の研究が科学本来の価値を評価されるような倫理の土台を、科学の外ではなく内につくりあげることを目指している。そのなかで、国の科学政策の理念について、今後も折にふれ議論を発信していきたい。

ぬで島次郎(研究員:プロジェクトリーダー 科学政策論)

    • 元東京財団研究員
    • 橳島 次郎
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