タイプ
論考
日付
2008/1/7

《時評》フランス「生命倫理法」の追跡(1)~移民法改正:DNA鑑定と親子関係の理念~

移民法改正が生命倫理の論議に

 2007年11月20日、フランスで移民法を改正する法律が公布された(「移住の掌握、統合、保護施設に関する法律第2007-1631号」)。この法案の審議は異例に紛糾したのだが、その最大の争点は、移民政策を超えた、生命倫理に関わる議論だった。問題になったのは、移民がフランスに家族を呼び寄せる場合に、DNA親子鑑定を行う制度を新設する規定である。

フランス「生命倫理法」とは

 フランスは1994年に、先端生命科学・医学の研究と臨床応用に関する世界で最も包括的なルールを定めた、「生命倫理法」と総称される立法を行った。
 生命倫理法は、研究と臨床において守るべき共通の倫理原則を民法典に規定し、これを土台として、臓器移植や生殖補助、遺伝子診断などの個別の技術に対する規則を定めるという構造になっている。
 日本における生命倫理政策の土台づくりを目指す本プロジェクトにおいて、理念面と実施面でバランスのとれたフランス生命倫理法から学ぶべき点は多い。生命倫理法の特徴の一つは、絶え間ない見直し作業が続けられている点である。医療と科学研究は常に発展しており、それにつれて生命倫理の議論も動いていく。そこでいったんつくった法律が現実と乖離しないよう、フランスの立法者は努力している。私たちは、フランス生命倫理法をすでに完成したものではなく、変わり続けるものとして追跡する必要がある。その最新のエピソードが、このたびの移民法改正なのである。

フランスにおけるDNA鑑定の規制

 生命倫理法において、DNAを調べ個人識別を行う技術(DNA鑑定)については、民法典の共通倫理原則=第一章「私権」第二節「人体の尊重」に続く第三節「遺伝子検査および遺伝子パターンによる鑑定」に規定がまとめられている。それによると、DNA鑑定は、医療・科学研究目的、死亡した軍人の身元確認、または刑事・民事の司法手続きで必要になった場合に限って行なうことができ、DNA鑑定による親子関係の確認は裁判官の命令によってのみ実施できるとされている。フランスにおいてDNA親子鑑定は、業者に頼めば誰でもできる野放し状態の日本とは異なり、非常に限定的な実施だけが認められているのである。違反には、最高拘禁1年または罰金1,500ユーロを科す罰則が刑法典に設けられている。

移民政策としてのDNA鑑定

 こうした厳格な枠組みのなかで、新たに移民規制目的でのDNA親子鑑定の実施を認めることの是非が争われたのだが、そもそも移民法にDNA親子鑑定が入ることになったきっかけは、2007年7月に提出された元老院(フランス議会上院)の報告書だった。その報告書では、フランスに移民してくる人が多いアフリカなどのいくつかの国では、偽造された証明書が多く、担当外交官がそれらの書類から親子関係を確認することが非常に困難な場合があると指摘されていた。また、ヨーロッパの複数の国がすでに、このような場合に親子関係を確認するためDNA親子鑑定を利用していることも、フランスでの導入を促す一因となった。
 移民の家族呼び寄せに対するDNA親子鑑定の導入は、当初の政府法案にはなく、国民議会(下院)の委員会審議で追加された案だった。それが激しく批判され大きな議論を呼びおこしたのは、移民の野放図な流入を制限するために国家が家族関係に介入することの是非が移民差別の問題とともに問われたからだが、そこからさらに、フランス社会における親子関係の理念についての議論に展開していった。

フランスにおける親子関係の理念と生命倫理法

 フランス法において、親子関係は遺伝的なつながりだけによって決められているのではない。親子関係の成立の形式には、?両親が婚姻関係にある場合は法律の効果、?認知、?公知証書による身分占有、?裁判によるもの(養子縁組など)がある。身分占有とは、実際に血縁があるかどうかにはかかわりなく、育てている大人と同じ姓を名乗り、その人の子どもとして扱われ、周囲にも親子であると思われるような、家族として暮らしている実態を指す。
 生命倫理法においても、安定している男女のカップルが不妊などで、カップルの間で体外受精などの生殖補助がうまく行かなかった場合には、第三者から卵子、精子または胚の提供を受けることができる。その際裁判所において、提供者は生まれる子との間に親子関係が成立しないこと、受領カップルは親子関係に異議を申し立てられないことを確認した上で、それぞれ提供・受領に同意しなければならないとしている。
 このようにフランスでは、親子関係は血縁以外によっても成立しうる。そこでは、親として子を大事に育てようという意思の確認が重視され、子にとってよい状態が得られるよう配慮されている。こうした親子関係のあり方についての理念は、生命倫理法の重要な根拠の一つであり、それを守るために、遺伝的血縁のみを重視するDNA親子鑑定の実施に厳しい枠をはめているのである。

移民差別から社会全体の問題へ

 移民法にDNA親子鑑定を導入する規定を設けることに対する激しい批判の論拠は、第一に、一般のフランス国民は遺伝的つながりだけで親子関係を証明するよう求められることはないのに、移民が家族を呼び寄せるときにDNA親子鑑定を行い「血のつながった家族」であることを証明するよう求めるのは、不当な差別だという点にある。それは主に移民当事者団体や支援団体、人権団体などから提起された。
 しかし議論はさらに大きな広がりを持つことになった。移民に対するDNA親子鑑定実施の容認は、遺伝的つながりが親子関係の決定要素であると国家が認めることで、フランス社会全体の親子関係の理念を血縁重視の方向に変えてしまうのではないかと危惧されたのである。このため議論は移民関係のサークルを超え、家族法学者や生命倫理論者まで巻き込むものになり、政府与党内でも意見が割れる事態になった。

決着のしかたと今後の成り行き

 議会審議においては、激しい批判をかわすために、対象や要件を狭め、実施を制限する色彩が強められていった。とくに、当初案では父親か母親どちらかとの親子関係の証明を想定していた対象範囲が、最終的には母子関係の証明のためだけに絞られた。これは、申請者らの私生活を守るための配慮である。母親との関係は出産により当事者にとっては明らかなものだが、父子関係は当事者が存在すると思っていてもDNA親子鑑定により覆される可能性があるものだからである。
 最終的に採択され成立した条文は、日本での一部の報道にあったように、移民のヴィザ申請時にDNA親子鑑定を「義務づける」ものではない。書類の不備などのため親子であることを証明するのが困難な場合に限って、DNA鑑定を行い、その結果を母親との親子関係の証明に使ってもよい、というものである。対象となる移民の母国については、試験的な措置として執行政令によりリストが作成される。この措置は執行政令が出てから最大18ヶ月以内、遅くとも2009年末までに限るとされた。鑑定の費用は、当初案では申請者の負担で行い、ヴィザが発行された場合だけ国が払い戻すとされていたが、移民申請者の経済的負担が重過ぎるとの批判に応え、最終的に国の負担で実施することで決着した(ちなみにフランスではDNA親子鑑定に要する費用は約300ユーロである)。
 こうして、当初案に比べれば実施容認範囲が著しく制限されて議会を通過した法案は、反対派議員による違憲審査の申し立てによっても合憲と認められ、公布されるに至った。実際の運用は、執行政令が出され細則が確定してからとなる。親子関係の理念を揺るがせるものと批判され、生命倫理法の改変につながるのではないかと議論されたこの新しい制度が、どのような影響をもたらすのか、今後を見守りたい。

小門穂(こかど・みのり) 「生命倫理の土台づくり」プロジェクトメンバー、東京医科歯科大学生命倫理研究センター非常勤研究員