タイプ
論考
日付
2008/1/30

《時評》韓国の生命倫理議論を覗く(2)~生命倫理法の枝分れ:生殖細胞の扱い分離の是非~

国会通過を待つ2つの政府案

 前回(1)で述べたように、韓国ではクローンES細胞論文捏造事件をきっかけに、生命倫理法の見直しが行われている。その最大の論点になっているのは、体外受精などの生殖補助医療や研究に用いられる生殖細胞(精子、卵子)および胚(受精卵)の扱いを、既存の生命倫理法から分けて規定しようとしていることである。
 2008年1月現在、韓国国会では、現行の「生命倫理および安全に関する法律」の全部改正法律案(以下「生命倫理法全面改正案」と略す)」と、新たに作成された「生殖細胞等に関する法律案」(以下「生殖細胞法案」と略す)が同時に審議されている。この「生殖細胞法案」は、現行の生命倫理法に規定されていた生殖細胞および胚の研究利用などに関する管理規定を移管し、さらに生殖補助医療における第三者への生殖細胞の提供などのルールを新たに設ける内容になっている。このため、生命倫理法の規制対象は、生殖細胞および胚以外の人由来の細胞や遺伝子に狭められることになった。2つの法案は、同時に議決されることを前提に作成されたものであり、関連法律案とともに国会の保健福祉委員会で審議されている。

なぜ「生殖細胞法案」を分けたのか、その理念は?


 生殖細胞法案が作成された背景には、生殖補助医療を規制する法的規定がなかったために、産科現場での不適切な卵子提供が野放しで、それが論文捏造につながった研究を生む土壌になっていたとの認識、反省があるものと思われる。しかし生命倫理法から分離し別の法律にする必要があるのかについては、根拠が明確ではない。本法案の提案理由は、生殖細胞の提供過程を透明化することで、無分別な利用を防止し保護することとされている。基本理念(法案第3条)には、生殖細胞の提供においては、提供者の自発的意思、人道的な提供、無償提供およびドナーの安全が最優先されることが打ち出されており、生殖細胞の利用に当たっては、提供を受ける者への公平さと公序良俗に反しないことが掲げられている。

生殖補助医療と家族の秩序

 このように生殖細胞法案はその基本理念において、倫理的に懸念される諸事項に対する配慮がなされているかにみえるが、個々の規定内容に対して様々な批判があがっている。
 まず、生殖補助医療における第三者からの卵子提供を条件付きで許容していることに対し、現実の家族関係の秩序を無視し「遺伝的近親相姦」を容認しているという批判がなされている。
 同法案では、生殖細胞の提供は、原則として不特定の相手になされることとしている。ただし例外として、不妊患者や不妊患者の家族による提供を、実施医療機関の倫理委員会の承認を条件に認めている。また、夫の精子を夫の8親等以内の血族の女性の卵子に受精させることと、妻の卵子を妻の8親等以内の血族の男性の精子で受精させることを禁じている。だが、夫の精子を妻の血族の卵子と受精させる行為や、妻の卵子を夫の血族の精子と受精させる行為は禁じられてないため、既存の家族の秩序を乱す可能性があるとして、キリスト教界などから批判があがっている。

当初欠如していた親子関係規定を追加

 次に、生殖細胞法案では当初、第三者からの生殖細胞の提供を受けた生殖補助により生まれる子どもに関する親子関係の規定が欠如していたことが、公聴会で批判された。
 2007年12月に保健福祉部がまとめた「2006年度胚保管および提供現況の調査結果」によると、第三者からの卵子使用が236件、精子が240件となっており、韓国において第三者提供による生殖補助医療の利用数は年々増加している(体外受精胚のほかの不妊カップルへの提供は韓国では是非の議論の対象になっておらず、法案でも規定がない。胚に関しては、廃棄または研究目的での提供が定められているのみである)。
 第三者から精子や卵子をもらって生まれてくる子の親は誰なのか、提供した遺伝的男女なのか、それとも提供を受けた育ての男女なのか。第三者提供による生殖補助医療には、そうした不安定さが伴うので、法で明確に定めておく必要がある。これは韓国だけでなく、日本でも他のどの国でも直面する課題である。
 以上のような現状と批判をふまえて、その後法案に次の二つの親子関係の規定が追加され修正が行われた。一つ目は、「生殖細胞の提供者は、不妊治療や研究等の目的で利用された後は、生殖細胞の提供を受けた者に法的親権等を主張できない」という規定である。二つ目は、「生殖細胞の提供を受けた者は、生殖細胞を提供されたことを理由に親子関係を否認できない」との規定である。この二つの規定が追加されたことで、生まれてくる子どもの法的地位は最低限保障されたといえる。

韓国社会固有の女性の地位・人間関係を踏まえた議論が必要

 最後に、韓国社会における人間関係の文化的背景を踏まえ、女性の置かれた状況や経済的立場などを配慮すべきであるという批判もある。卵子提供者の規定には、本人の不妊治療目的で卵子採取をした場合に、余った卵子を他の人の不妊治療や研究利用に提供できるとしている。この規定は研究のために卵子提供者を募ることに道を開くもので、論文捏造事件で明らかになったように女性、とくに不妊治療を受けている女性の健康権と人権を侵害する可能性があると、女性団体は反発している。
 また、生殖細胞法案は、「特別な関係」のある人からの生殖細胞の提供を条件付きで認めている。実施医療機関の倫理委員会が、雇用や家族など従属的・強制的な圧力がかかりうる関係にある間柄の場合、その倫理的妥当性を審査すると定めているのだが、韓国社会固有の人間関係のあり方を考慮すると、はたしてどこまで提供者の自発性を証明できるだろうか。国家生命倫理審議委員会が論文捏造事件に対して行った倫理的問題の調査においても、研究員や難病家族からの卵子提供の自発性について呈された疑問は十分に解明されなかった。自己決定についての議論は、文化的・社会的な背景抜きでは語れない。

研究試料確保のための立法という懸念

 以上みてきたように、生殖細胞法案では、研究試料としての生殖細胞および胚の管理・利用と、生殖補助医療を行う過程のみに規定が偏っている。そのために、生殖補助医療を行った結果生じる家族関係のあり方への影響や、最も配慮すべき生まれてくる子どもの尊厳や権利などにはあまり目が向けられていなかった。十分な社会的議論が展開されていないのにもかかわらず、保健福祉部は実証的な調査やデータも不十分なまま急ぎ足で立法化を推し進めようとしているという疑問の声も上がっている。
 もちろん、生殖補助医療の過程における安全性や透明性を図るための規制は必要である。だが、現状の案ではわざわざ別個に法律を設ける目的が明確でなく、既存の生命倫理法が抱えていた、研究の試料確保のための立法なのではないかという懸念を、生殖細胞法案も打ち消せていない。この法案が成立すれば生殖補助医療に対する法規定が一歩前進することになるが、最大の問題である代理出産の是非は今回も規定が設けられず、今後の課題として積み残された。
 韓国では、今年2月から新しい政府がスタートする。新政府発足に向けて大統領職引継ぎ委員会では、小さな政府を目指して行政部署の統廃合・改革を進めている。その行方が注目されるなかで、新政府は生命科学政策や生命倫理の理念をどう方向付けるだろうか。そのなかで、先端医療がもたらす家族関係への影響について、どのような対応がなされるだろうか。観測を続けていきたい。

 次の「韓国の生命倫理議論を覗く」(3)では、審議中のもう一つの法案である生命倫理法全面改正案の主な論点について紹介する。

洪賢秀(ホン・ヒョンスウ)「生命倫理の土台づくり」プロジェクトメンバー、財団法人医療科学研究所研究員