タイプ
その他
日付
2007/11/21

研究プロジェクト「生命倫理の土台づくり」スタート!

研究プロジェクト「生命倫理の土台づくり」スタート!

 日本ではこれまで、先端生命科学・医学の研究と臨床応用の、何をどこまで認めるかについて、場当たり的な対応に終始してきた感があります。
 脳死者からの臓器移植やクローン人間の産生には法律で規制がかけられ、人の受精卵を壊してつくるES細胞研究には行政指導で事実上の許可制が敷かれています。これらは他国に比べかなり厳しい規制ですが、その一方で、腎臓の片方や肝臓の一部などを生きている人から提供する生体臓器移植や、代理出産などの生殖補助医療のように、野放しにされている分野も多く、日本の生命倫理はいびつな状況にあります。何をだいじにすべきなのか、それを決める基準は何なのかが、目に見えてこないのです。
 この現状は正される必要があります。脳死者からの臓器提供は家族の同意だけで認めてよいか、代理出産は禁止すべきか認めるべきか、といった個別の政策選択も喫緊の課題ですが、具体的な法提案を現実の政策形成過程に乗せようとすると、そうした立法を正当化しうる理念的根拠を問われます。たとえば代理出産を禁止するにせよ条件付きで認めるにせよ、どういう理念に立って個々人の権利や自由を容認するのか制限するのかを明らかにしなければなりません。クローン技術のような研究開発についても同様です。
 私はこの分野での長年の経験から、こうしたルールづくりの根拠理念は、すべての先端医療や研究に共通のものとして構想できると考えるに至りました。そのように全体を見通したうえではじめて、個別の政策課題において合理的で過不足のない公的ルールを策定できるのです。
 しかし日本ではこれまで、二つの面での消極姿勢が、そうしたグラウンド・ルールの策定を阻んできました。
 1)まず、先端医療の規制に対して、生命・身体への侵害という目に見えるリスクを伴うものでなければ、倫理上の理由で許可制や禁止などの規制を法によって課すことは難しい、という姿勢が見られます。
 しかし、害がなければ、当事者が望めば何をしてもよいのでしょうか。臓器、精子や卵子、遺伝子などの人の生命と身体の要素をどこまで利用してよいか、第三者(臓器の提供者、子宮の貸与者!)をどこまで巻き込んでよいかについて、他者危害原則(人に被害を与えなければ何をしてもよいとする原則)と本人同意にすべてを委ねない、説得力のある判断基準の根拠を構築する必要があると思います。
 その作業では、法哲学や宗教や人類学的要因に遡る考察が必要になるでしょう。包括的な「生命倫理法」を制定したフランスや韓国の立法理念の分析と日本との比較を足がかりの一つにしたいと思います。
 2)次いで、先端研究の規制に対しては、憲法上の学問の自由を盾に、やはりフィジカルなリスクが伴わない限り、倫理上の理由で研究の実施に許可制や禁止などの制限を立法によって課すことを避けようとする姿勢が目立ちます。
 しかし現実には、行政指導指針の形で、多くの研究が国内ではできなかったり(クローン研究)、許可制のような規制を受けています(ES細胞研究)。学問の自由は法に基づかずに、つまり民主的に形成される社会の合意に基づかずに制限されているのです。これは科学政策上、非常に望ましくない状況です。
 生命現象の本質に迫り、それを深いレベルで操作する力を持つに至った現代の科学技術に対して、そうした事態を想定していない古典的な「学問の自由」の概念は、構築され直す必要があります。何をどこまでしていいのか、科学研究の本質に即し、かつ研究のパトロンである一般人が科学に認める固有の価値と懸念を踏まえた、新たな「自由」の基準を考える必要があるのです。その作業では、研究の一線にいる科学者との対話が不可欠になるでしょう。
 本研究は、このような法哲学・文化論と科学論の二つの面で、日本におけるこれまでの消極姿勢を超え、現実の政策過程で求められる理念的根拠となりうる概念の構築を試み、生命倫理政策の論議をリードすることを目標とします。
 「そんなことほんとうにできるのか」といわれそうな、非常に遠大な課題です。実現には多くの難題が予想されます。そのときどきのトピックスにも対応しながら、一歩一歩進めて行きたいと思います。多くの方々のご意見、ご助言をお待ちいたします。どうぞよろしくお願いいたします。