タイプ
論考
プロジェクト
日付
2015/2/10

【Views on China】納税者意識の向上を目指す社会運動――民間シンクタンク「伝知行」弾圧事件


法政大学国際日本学研究所客員学術研究員
及川 淳子

 

1.「公民社会」をめぐる動向

 
中国社会と党・政府との関係には、現在どのような変化が生じているのだろうか。この問題を考察する際に注目すべき論点のひとつは、「公民社会」をめぐる動向である。「公民社会」は日本語の市民社会と同義で、公民として法的な権利や義務の意識に目覚め、権利の擁護を主張し行動する人々が主体的に構築する共生社会ともいえる。筆者はこれまで【Views on China】に発表した拙稿で、「公民社会」をめぐって権力と民間勢力との間で繰り広げられている攻防と、「公民社会」の構築に向けて取り組む民間勢力の具体例として「新公民運動」について考察した[i]。これらの議論に続き、本稿では納税者意識の向上を目指す社会運動について 検討する。具体的には、民間シンクタンク「伝知行」の挑戦とそれに対する当局からの弾圧という一連の事件を取り上げたい。
 習近平政権が始動してから、知識人や人権派弁護士などが相次いで拘束、逮捕され、言論を封じ込める強権政治が際立っている。「新公民運動」では、運動の提唱者で法学者の許志永が逮捕され、2014年1月26日に公共秩序騒乱罪で懲役4年の実刑判決を受けた[ii]。戸籍制度による教育差別への抗議活動や、高官の資産公開を求めた街頭でのアクションが、公共の秩序を乱すとして厳罰に処せられたのだ。習近平政権は「法治」を重視する方針を掲げてはいるが、憲法第35条に明記されている言論や集会の自由などの権利を実際に行使しようとする人々の動きを徹底して統制し、社会的な影響力を持つ人物や団体に厳しい処分を下している。
 「新公民運動」は許志永ら関係者が次々と逮捕されたためにかつての勢いを失ったが、「公民社会」の構築を目指す民間の勢力が不在になったわけではない。当局からの圧力を回避するために活動はあえて控えめに、しかし独自の方法で、漸進的な社会変革に向けて様々な取り組みを行っている人々がいる。そして、そのような民間勢力と権力との緊張関係も、また新たな展開を見せている。その象徴的な事例が、北京の民間シンクタンクである伝知行社会経済研究所[iii]をめぐる一連の事件だ。
 

2.郭玉閃と「伝知行」

 
 2014年10月9日、「伝知行」の創立者で研究者の郭玉閃が北京市公安局に刑事拘留された。郭玉閃の妻がインターネットで公開した拘留通知書には、騒動挑発罪の嫌疑と記されていた[iv]。「伝知行」に対する取り締まりは同研究所の主要メンバーにも及び、郭玉閃の拘留翌日には所長の黄凱平が、11月26日には経営責任者の何正軍も相次いで拘束された。その後、今年1月3日には、郭玉閃と何正軍が不法経営の容疑で正式に逮捕されるという事態に至った。弁護士は、刑事訴訟法が規定する拘留後の法的手続きや弁護人との接見が十分に保障されていないとして抗議している[v]。黄凱平は100日余りの拘束を経て1月末に釈放されたが、結局、拘束の理由は明らかにされず、法的根拠も示されないままだ[vi]。刑法第225条には、不法経営は5年以下の懲役と罰金、犯罪の経緯が深刻な場合は5年以上の懲役と罰金と定められており[vii]、郭玉閃と何正軍に対する裁判のゆくえが懸念される。
 「伝知行」を設立した郭玉閃は、1977年生まれで福建省出身[viii]。北京大学の大学院生時代からインターネットで評論活動を始め、大学院修了後は自由派の経済学者として知られる茅于軾が設立した天則経済研究所を経て、許志永らとNGO「公盟」を結成し公益活動に従事した。2007年に自ら発起人となって設立した「伝知行」は研究活動を重視した組織で、中国社会の改革モデルについての調査や政策提言を行ってきた。郭玉閃は雑誌『南方人物週刊』が2009年に発表した「中国青年リーダー」に選ばれ、「公共知識人が政治に参加する手本」というキャッチフレーズで紹介されて一躍脚光を浴びた[ix]。だが、自ら積極的にメディアに登場して発言することは少なく、調査報告書の執筆と発行という地道な活動を続けていた。
 「伝知行」の調査研究分野は多岐にわたるが、自由と公正に関わる問題に焦点を当て、国家が独占しているエネルギー分野などの業界改革、社会的弱者の権利擁護、企業の社会的責任などを主要な研究テーマとしている。例えば、タクシー業界の実態調査から規制緩和や運転手の労働環境改善などを訴えるプロジェクトや、2008年にメラミン混入粉ミルクで乳幼児に健康被害が発生した事件では、被害者への法的支援に取り組んだ。社会的な問題解決に公民が参与する改革モデルを模索し、人権を尊重する「公民社会」の構築に向けた研究面からの貢献を使命としている。「伝知行」の活動は国際的にも評価され、2010年にはアメリカのアトラス財団が主催し「自由」を追求する人々を顕彰するテンプルトン・フリーダム賞を受賞した。
 一方、影響力を高めた「伝知行」に対し、当局は圧力を強化した。2013年7月、北京市民政局が立ち入り調査して取り締まりを行ったのだ。その理由は、社会団体として活動する「伝知行」が民政局に登記していないというものだった。だが、伝知行社会経済研究所は実際のところ伝知行社会経済諮詢有限公司という企業の一部門という位置づけで、北京市工商局の管轄範囲ではあるが民政局の主管ではない[x]。中国ではNGOなどの社会団体が活動するためには地元政府の民政局に登記することが義務づけられている。しかし実際には、正式に登記の手続きを行うことは非常に困難だ。その背景には、当局が民間の社会団体の活動を厳しく管理しているという事情がある 。そこで、登記上は企業という形で申請し、企業活動の一環として公益活動を行う団体も多い。郭玉閃と親しい人権活動家の胡佳は、ドイツの国際放送局「Deutsche Welle」の取材に対し、「『伝知行研究所』は正式名称ではないが、『伝知行』が非営利組織だということは皆が知っている 」と述べている[xi]。つまり、「伝知行」は正式に認可されているわけではないが、その活動内容や影響力は広く知られているということだ。
 2013年の取り締まりは、郭玉閃が陳光誠を支援したことが背景にあったという見方が有力だ。盲目の人権活動家として知られる陳光誠は米中の外交交渉によって渡米を果たしたが、陳光誠が自宅軟禁から脱出して北京のアメリカ大使館に保護を求めた際、郭玉閃は支援者の一人だった。設立以来、登記に関して特に問題視されなかった「伝知行」が陳光誠事件の後に取り締りを受けたのは、やはり政治的な圧力によるといえるだろう。その後、郭玉閃は「伝知行」を守るために自ら組織を離れたが、企業形態としての「伝知行」は以前と同様に存続し、公益活動も継続していた。それにもかかわらず、今回、郭玉閃と何正軍が不法経営で逮捕されたのは、「伝知行」の活動が再び問題視されたからだろう。郭玉閃が刑事拘留された当初は騒動挑発罪の嫌疑だったが、不法経営の容疑で正式逮捕されたところを見ると、企業経営に関わる経済犯罪という名目で、「伝知行」を政治的に弾圧するねらいがあると考えられる。
 

 3.「代表なくして課税なし」

 
 習近平政権は、民間の勢力が社会で影響力を高め現体制の脅威となることに強い危機感を抱いている。各種社会団体を共産党と政府の管理下に置き、問題があると見なした人物や団体には圧力を加えているが、昨今の厳しい言論弾圧や社会運動の鎮圧は、つまるところ社会の安定維持に対する焦燥感の表れといえるだろう。
では、今回の「伝知行」をめぐる一連の事件で、当局は具体的にどのような影響力を危惧したのか。前述した許志永や陳光誠との関わり以外にも、昨年秋に香港で民主的な選挙を求めて学生たちが抗議活動を続けた「雨傘運動」を「伝知行」の関係者が支持したために、民主化要求デモが中国本土に拡大することを当局が恐れたのではないかという見解も聞かれる。それらが関連している可能性はあるが、筆者はさらに大きな問題に注目すべきだと考える。それは、「伝知行」の公益活動における主要テーマの一つ、公民の納税者意識向上を目指す社会運動の影響力だ。
「伝知行」は2007年から「公民税権手冊」と題して税に関する公民の権利をまとめたハンドブックを発行し、納税者として権利意識を高める知識の普及活動を続けてきた。これは、中国では納税の義務は強調されるが、納税者の権利という意識は著しく欠如しているという問題意識に基づく取り組みだ。「伝知行」が発行したハンドブックのシリーズは、「税収の真相」、「税収と中国経済の苦境」、「『陽光財政』の追求」、「中国納税者権利辞典」など毎年テーマを選定して ネットで公開し、書籍化された特集号もある。中でも、2009年発行の「『陽光財政』の追求」は50万回以上もダウンロードされて話題を集めた。「陽光財政」は財政の公開と透明化を意味する言葉で、報告書では一般市民が税金の不正使用を摘発した事例が数多く取り上げられている[xii]
 なぜ、納税者意識の向上が、当局にとって一種の圧力となるのか。この問題を読み解く手掛かりとなるのが、近頃ネット上で盛んに議論されている「鍋の破壊論」だ。昨年、『人民日報』傘下の新聞『環球時報』や中国人民解放軍の機関紙『解放軍報』が、相次いで「共産党の飯を食いながら共産党の鍋を壊そうとする輩を許すな」という主旨の社説や評論を掲載した[xiii]。体制内部にありながら体制を批判する事は許されないという断固たる論調だ。
この問題について、在米ジャーナリストの何清漣が興味深い指摘をしている。税収理念から考えれば、「中共政府が人民を養っているのではなく、人民が中共政府を養っている」にもかかわらず、為政者は毛沢東時代の「共産党の飯を食わせてもらっている」という認識から脱していないという批判だ。一方、現在の中国社会では、アメリカ独立戦争時のスローガン「No taxation without representation(代表なくして課税なし)」という考え方が徐々に普及しているとも述べている[xiv]
 何清漣の指摘を手掛かりにすると、納税者の権利意識が向上することによって、公民と共産党および政府との関係に大きな変化が発生し得るのではないかと考えられる。つまり、「共産党が人民を指導する」関係から、「納税者が公共サービスを提供する行政機関に権力を委託し、監督する」という意識への大転換だ。「指導する/指導される」関係から「委託する/委託される」という意識への変化は、普通選挙の実施など民主的な政治改革を求める潮流へと発展していく可能性があり、現体制にとって大きな脅威になるだろう。当局が「伝知行」を弾圧した背景には、このような危機感があったのではないだろうか。
 郭玉閃は自身の活動を紹介した文章で、「自由は封鎖しきれないものだ」と述べている[xv]。習近平政権は自由な言論や社会運動に対する統制の手を緩めず、権力の側と「公民社会」の構築を目指す民間勢力との緊張関係は今後も継続していくだろう。だが、社会の変革を求める公民の声が何かを契機に沸き立てば、封じ込めようとしても「封鎖しきれない」時が来るのではないか。
社会と党・政府との関係は、今後どのような変化を遂げるだろうか。「公民社会」の実現は容易な道程ではないが、民間の勢力に着目し、人々の意識の変化を分析していく必要がある。

 


[i] 拙稿「『公民社会』をめぐる攻防」(2013年8月6日掲載)
<http://www.tkfd.or.jp/research/project/news.php?id=1173>
「『公民社会』への道筋――新公民運動と憲政論争」(2013年11月15日掲載)
<http://www.tkfd.or.jp/research/project/news.php?id=1209>
[ii] 「維権学者許志永囚4年、争公民平権被指煽動聚衆」香港紙『明報』(2014年1月27日)。許志永と新公民運動に関する網羅的な資料として、支援者が出版した許志永の著書『堂堂正正做公民――我的自由中国』(香港・新世紀出版社、2014年4月)がある。
[iii] 以下、「伝知行」と略記。英語名は、The Transition Institute(略称TI)。伝知行社会経済研究所HP<http://www.zhuanxing.cn>は本稿執筆時アクセス不可。
[iv] 「青年学者、伝知行研究所創始人郭玉閃被拘」新公民運動HP(2014年10月13日)
<http://xgmyd.com/archives/8530>。 なお、「騒動挑発罪」の問題については、拙稿「天安門事件25周年と『五君子事件』」(2014年6月6日掲載)<http://www.tkfd.or.jp/research/project/news.php?id=1284>を参照されたい。
[v] 「“伝知行”何正軍涉嫌非法経営案会見記」新公民運動HP(2015年1月8日)
<http://xgmyd.com/archives/11654>。
[vi] 「北京維権人士“被失踪”百余日後獲釈」BBC中文網(2015年1月28 日)
<http://www.bbc.co.uk/zhongwen/simp/china/2015/01/150128_china_dessident_home#share-tools>。
[vii] 国務院法制弁公室編『新編中華人民共和国常用法律法規全書(2014 年版)』中国法制出版社、2014年、「刑法」6-25。
[viii] 郭玉閃の人物像に迫ったインタビューは、吉岡桂子『問答有用 中国改革派19人に聞く』(岩波書店、2013年)第18章で読むことができる。
[ix] 「郭玉閃:公共知識分子的参政様本」騰訊新聞(2011年4月12日)
<http://news.qq.com/a/20110412/000926.htm>。
[x] 「“伝知行”遭取締 公民運動受圧制」BBC中文網(2013年7月13日)
<http://www.bbc.co.uk/zhongwen/simp/china/2013/07/130718_ngo_closed_civil_society.shtml>。
[xi] 「被捕的郭玉閃和被打圧的伝知行」DW(2014年10月13日)<http://dw.de/p/1DUyx>。
[xii] 前掲、「郭玉閃:公共知識分子的参政様本」、黄凱平「公民税権手冊背後的故事」新浪新聞(2011年3月30日)<http://news.sina.com.cn/c/sd/2011-03-30/171422209592_5.shtml>。
[xiii] 「“砸鍋党”離開党報属情理之中」『環球時報』社説(2014年11月24日)、「决不能喫党的飯砸党的鍋」『解放軍報』(2014年12月24日)。「决不能喫党的飯砸党的鍋(共産党の飯を食いながら共産党の鍋を壊そうとする輩を許すな)」というフレーズは、中国社会科学院の国家文化安全イデオロギー建設研究センターが運営するオフィシャル微博(マイクロブログ)が、イデオロギーの工作会議で習近平が指示した内容だと発信したが、その後削除された。削除前の情報は、以下を参照。「思想火炬 習近平:絶不允許喫共産党的飯砸共産党的鍋」明鏡微客(2014年10月27日)
<http://www.mirrorbooks.com/MIB/Blog/blog_contents.aspx?ID=0000047000001679>。習近平の指示については、「30号文件」と呼ばれる内部通達が関連しているのではないかという海外メディアの報道もある。「中国毛派再崛起、充当正統思想衛士」NYT中文網(2015年1月5日)<http://cn.nytimes.com/china/20150105/c05china/>。
[xiv] 何清漣「“喫飯砸鍋論”錯在何処」中国人権双週刊、第142期(  2014年10月17日-30日)
<http://biweekly.hrichina.org/article/22552>。何清漣は、文中で「喫飯砸鍋論(飯茶碗破壊論)」と名付けている。
[xv] 郭玉閃「自由是封鎖不住的」新公民運動HP(2014年5月30日)<http://xgmyd.com/archives/4099>。
 
 
 
【筆者略歴】
 日本大学大学院総合社会情報研究科博士後期課程修了、博士(総合社会文化)。外務省在外公館専門調査員(在中国日本大使館)を経て、現在は法政大学国際日本学研究所客員学術研究員、桜美林大学北東アジア総合研究所客員研究員、日本大学文理学部非常勤講師。専門は現代中国の社会・知識人・言論空間に関する研究。
 著書『現代中国の言論空間と政治文化――「李鋭ネットワーク」の形成と変容』(御茶の水書房、 2012年)、『中国ネット最前線――「情報統制」と「民主化」』(蒼蒼社、2011年、共著)、『劉暁波と中国民主化のゆくえ』(花伝社、2011 年、共訳)、『中国における報道の自由――その展開と運命』(孫旭培著、桜美林大学北東アジア総合研究所、2013年、共訳)、『憎しみに未来はない――中日関係新思考』(馬立誠著、岩波書店、2014年、翻訳)『習近平政権の言論統制』(美根慶樹編著、蒼蒼社、2014 年、共著)ほか。