タイプ
論考
プロジェクト
日付
2012/10/3

胡錦濤政権の回顧と中国18全大会の注目点 ―農村政策の領域に関して(1)

胡錦濤政権期の「三農」政策


東京大学大学院総合文化研究科准教授
田原史起


1.はじめに


「三農」(農業・農民・農村)は、胡錦濤政権期の単なる一政策領域というよりは、同政権の立脚点そのものにかかわるキーワードだったといってよい。なぜなら、胡錦濤・温家宝体制を体現するスローガンである「和諧社会の創出」は、「三農」問題の解決とワン・セットでとらえられるからである。周知のように、和諧社会の創出のためには、改革以来の急速な経済成長のもとで生じてきた国内経済格差の是正が前提となる。格差の拡大を合理的な範囲内にくい止めたうえで、社会的不満の火種を解消すべくガバナンスの向上を目指すこと、これが「和諧」に込められた究極目標であったろう。

小論では、(1)改革以降30年来の「三農」政策のなかに胡・温時代を位置づけつつ特徴をつかんだのち、(2)当初の政策的課題がどの程度達成され、何が課題として残されているかについて考察する。なお、2002年から2010年ころまでの「三農」政策動向を整理した論文には、すでに郝(2011)などがあり、同様の整理をここで繰り返すことは、対象時期を2012年現在まで拡大したとしてもあまり有益ではない。したがって本文では上記二点の考察に重点を置く。

2.中国農村にとっての胡錦濤政権期


中国の農村にとって胡錦濤政権期(2002-2012)とはなんだったか。この問いに答えるために、改革以降三つの時代にみられる農村政策の展開を簡単に辿ってみよう*1

トウ小平時代─「自足」願望の解放
トウ小平時代(1978-1992)は政策当局と農村の双方にとり幸運な時代であった。この時代の農村改革が功を奏したのは、政府が積極的に農村への投入を増やしたためというよりは、それまで農民を縛っていた枠を取り払い、農民の「自足」願望を解放したことによる。すなわち、集団労働と集団内分配を基礎とする人民公社制度が1980年代初頭に廃止され、生産請負制が導入されたことにより、「やればやっただけ儲かる」ことの喜びをかみしめた農民たちが、小農世帯ごとの豊かさを夢見つつ農業生産への積極性を発揮したからである。人民公社時代の労働蓄積によって建設された農村インフラの「貯金」に頼って生きていけたのも、この時代の特徴であった。特に沿海部の農村では、すでに公社時代から創設が始まっていた「社隊企業」(公社と大隊レベルの企業)の基礎の上にたち、郷・鎮や村を単位とした郷鎮企業の創設ブームが起こった。都市と農村の収入格差も1.9倍から2.5倍程度と、三つの時期を比較すれば最も小さかった。

中国共産党中央が毎年の年頭に示す「中央一号文件」は、中央指導部の政策の重点分野を端的に示す指標として注目されている。これからみれば、トウ小平時代には1982年から1986年まで五年連続で「一号文件」のテーマとして農村改革の問題が取り上げられたが、改革が一段落したために、1987年からは他の政策領域に移行している。

江沢民時代─「市場」の浸透
江沢民時代(1992-2002)は、政権成立当初はトウ小平の「南巡講話」の効果にわきつつ経済は加速したものの、1990年代後半からは農村の低迷と、他方で都市部経済の大発展にともなう都市=農村格差が広がった時代であった。中央政府の政策の重点も、朱鎔基首相がリードした国有企業改革、行政改革、金融改革などに示されるように、市場化の推進と競争原理の導入による効率化にあった。そのため「三農」など特定分野の保護・育成は政策的な重点ではなく、「一号文件」で農村関連のテーマが取り上げられることも皆無だった。

この間に全国の農村部では、公社時代の「貯金」が枯渇し始める。すなわち過去の灌漑施設や道路などのインフラもメンテナンス無しで放置されてきた結果、老朽化・荒廃が進み、農業生産にも支障が出てきた。そうした中で、1990年代の後半からは、沿海農村では経営不振に陥る郷鎮企業も増えたこともあり、また都市の国有企業改革と歩を同じくして郷鎮企業の所有制改革(改制=民営化)が進められた。

他方、郷鎮企業が発展しておらず、郷鎮や村レベルの財源に乏しい内陸農村で、いわゆる「農民負担問題」が突出してきた。老朽化する農村インフラの再建のために、農民から請負農地の面積に応じて「費用」を徴収する機会が増え、農業税の支払いや計画生育の「罰金」なども含め、農民の負担は過重となった。必然的に徴税を直接担当した郷鎮や村レベル幹部と住民の衝突事件も頻発した*2。税や費用の負担を嫌った農民の中には、耕作放棄をするものも出始めた。このころまで、沿海部に出稼ぎに出るのは内陸の村々の一部の村民にすぎなかったのが、2000年頃には、沿海都市の労働力需要が増大し、内陸農村の青年層、壮年層の誰もが沿海部に出稼ぎに出る「村民総出稼ぎ時代」が到来した。

胡錦濤政権期─「政府」の拡張
胡錦濤政権期(2002-2012)は、江沢民時代の市場化の加速と都市の経済発展重視から、調和のある発展と農村重視に政策の重点が大きく動いた時代である。2004年の中央一号文件では農村関連のテーマがほぼ20年ぶりに取り上げられ、さらに2012年まで、中央一号文献は9年連続での農村関連のテーマを取り上げ続けている(表1)*3。胡錦濤政権期の10年間の三農政策は、農民負担の軽減・除去を目指した前半の「税費改革時期」と、「三農」への財政的投入の拡大を目玉とする後半の「新農村建設時期」とに分けることができよう。両時期の画期は、農業関連諸税が全廃され、農民から「徴収する」時代から農民に「与える」時代へと転換した2005年末である。

胡錦濤政権期の政策の核心は、「格差」を生じさせるもっとも重要な要因の一つとして、都市=農村間ファクターというものを明確に認識し、それを政策形成の前提として主軸に据えたことであろう。そして政権が「農民の側に立つ」政権として自己規定したことは画期的であった。その意味で、農業税の廃止が「秦の始皇帝以来2000年続いた農民負担の歴史に終止符を打つ」政策として喧伝されたことは、象徴的な意味を持つ。つまり、農業税の廃止は、その経済的効果以上に政治的な効果が大きかったといえる*4。当初は2004年から2008年までの5年間をかけて完了する予定が、2005年3月の全人代会議で温家宝が撤廃の加速を提起し、前倒しの形で2006年からの全面撤廃を決めた(矢吹2006:52―53)のも、政権の側が明確な自己規定を急いだからだと筆者は考える。

政権による自己規定に導かれ、十年のうちに「三農」(農業・農民・農村)そのものが中国社会全体の「問題」として再認識され、広く共有されるに至った。2012年現在、政策担当者、都市の知識界、農村住民自身を問わず、「三農」の発展こそが、今後の中国の調和のある発展のカギを握る、という認識と実感を人々は共有している(この点、海外から中国を観察するものと、中国国内の世論の間には相当の温度差がある)。農村発展の課題は、それまでももちろん個別領域の問題として議論されてきたのだが、中央政府がそれを政策課題のトップに掲げ、都市=農村をめぐる諸問題を広く「三農問題」として扱う公論の場が形成されたこと、これは胡錦濤政権期がもたらした新しい環境である。

さらに、胡錦濤政権期のもう一つの特徴として指摘できるのは、「三農問題」の解決を、主として公的財政の投入により、農村インフラの整備や農民収入の増加などを通じ、生活基盤や数値などの「目に見える形で」の成果に反映させようとしてきた点である。実際、十年来の中国農村の変化には非常に顕著なものがある。とりわけ2006年以来の「新農村建設」や「村村通」(すべての村に舗装道路を通す)プロジェクトの普及により、中部や西部の村々には農村インフラがかなりの程度、普及し、各地の面貌を一新させた。食糧生産や農機具、家電購入など、農家に対する農業関連の直接補助額も増大している*5。こうした直接的な公的財政投入を通じた発展戦略は、人民公社時代からトウ小平時代にかけての農村コミュニティの自助能力に委ねるアプローチや、その後の江沢民時代における市場経済の浸透と都市化によって農村の問題を図ろうとするアプローチとは異なり、新しい特徴といえる。

以上をまとめると、(1)トウ小平時代は農民や農村リーダー自身の富裕の願望と自発性に依存した自足型ないしはコミュニティ志向型の農村発展モデルであり、(2)江沢民時代は郷鎮企業の民営化も行われ、農村への公的投入を増やすことなく、市場メカニズムで間接的に農村の発展を図りはしたが、基本的には農村を放置した時代である。これに対し、(3)胡錦濤政権は、「三農」の発展を正当性維持・強化の中心課題に据え、農村部への直接的投入を増やすことにより、農民収入問題、農業発展、食糧の確保、農村インフラ整備、農村公共サービスの充実、農村市場の育成への波及を期待するというものである。





  





*1 農村分野に限られない、三つの時代の通時的な政策の流れについては、浅野・川井(2012: 147-183)が簡明な記述を行っており、参考になる。
*2 日本でも訳書が出版され「悲惨な中国農村」とのイメージを流布させた李(2004)や陳・春(2005)はあくまでこの時期の農村の実態を反映しているのであり、胡錦濤時代においては状況が一変しているため、これら書物から現在の中国農村を理解しようとする場合には十分な注意が必要である。
*3 2011年のテーマは水利建設であり、直接に農村を取り上げたものではないが、その中には「農田水利建設」の強化が重要項目として含まれているので、やはり農村重視の前提は不変であると理解できる。
*4 この点については、郝(2011:6-7)も同様の見解をとっている。
*5 食糧直接補助金をはじめとする胡錦濤時代の農業保護政策をめぐっては、池上(2012: 145-181)に詳しい。