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レポート
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日付
2008/8/27

研究レポート 「日ロ原子力協定を巡り難しい判断を迫られる日本政府」 (東京財団研究員 畔蒜泰助)

筆者は去る7月13~18日、モスクワを訪問し、ロシア原子力産業の動向を中心に関係者のヒヤリングを行なった。我が国が、ロシアとの間で二国間の原子力協定締結交渉の開始で合意したのは昨年(2007)2月のこと。実は、7月の洞爺湖サミット中にも同協定に調印されるとの見方が有力だった。

筆者も、雑誌『諸君!』8月号掲載の論文「ロシア双頭体制は新資源帝国をめざす」(兵頭慎治・防衛研究所主任研究官との共著)の最後部で次ぎのように述べた。

ロシアは世界最大のウラン濃縮サービスの供給能力を持ち、今のところ他国から使用済み核燃料を引き受ける可能性のある唯一の国である。そうした自国の優位性を熟知するロシアは現在、イランを含む発展途上国向けの原子力協力を行う国際的な枠組み作りを主導している。その第1弾として、東シベリアのアンガルスクでの国際ウラン濃縮センター計画を推進している。ブッシュ政権も同計画を支持している。

一方、環境問題の高まりから世界的に原子力回帰の動きがある中、先進国にとっても天然ウランやウラン濃縮サービスの安定的な確保は焦眉の課題になりつつある。ここ数年、日本の商社や電力各社、そして東芝などが、ロシアと地理的にも政治的にも近い中央アジアのカザフスタンで相次いでウラン鉱山の採掘権を獲得。日本資源エネルギー庁は、カザフスタンで得られる天然ウランの濃縮サービスはロシアで確保するシナリオを描いている。
日本政府がアメリカに続いて、ロシアとの原子力協定締結交渉の開始で合意したのは07年2月のこと。これと相前後して、東京電力などの電力各社は勿論、東芝や日立といった原子力関連企業も、ロシアが有する世界最大のウラン濃縮サービスの安定確保を含む、原子力分野での対ロ関係強化に向け、水面下で交渉を開始している。

特に、東芝は今年3月、露国営原子力企業のアトムエネルゴプロムとの間で、協力関係樹立に向けた検討を開始することで基本合意したと正式発表。同社のプレスリリースによると、「ロシアの新規原子力発電所建設エンジニアリングの関する協力」、「大型機器製造および保守に関する協力」、「フロントエンドビジネスに関する協力」の3つの分野について、戦略的、かつ相互補完的なパートナーシップの構築を目指すという。

一方、ロシア側も、2020年までに現状の発電能力を1.6倍以上にする必要がある。また、その電力改革の一環として、国内の総電力に占める原子力発電の割合を、現在の15.4%から2030年までには25%まで引き上げる計画を打ち出しており、原子力発電分野のインフラ整備だけで相当の労力と投資を必要とする。これは日本企業にとって、千載一遇のビジネスチャンスであると共に、ロシア側も、原子力発電所建設に関する日本企業のエンジニアリング技術を是非、吸収したいと考えている。ここに原子力分野での日ロの相互補完関係が成立し得る。

それだけではない。東芝は米原子力企業WH社を傘下に収め、日立も米GE社と原子力部門を統合しており、今後、日ロの原子力分野での戦略的パートナーシップ関係が成立すれば、それは即ち、同分野での日米露三カ国の戦略的パートナーシップ関係構築への第一歩となる。我々はこの点に注目している。

前述の通り、9・11テロ事件を契機に引き起こされたユーラシア地政戦略環境の一大地殻変動は、イランの核開発問題での協力を切っ掛けに、原子力協定の締結という今後の米露の戦略的安定化に繋がる大きな成果を生み出した。だが、一方で、米露間には、ウクライナやグルジアのNATO加盟問題や東欧へのMDシステム配備問題などの対立の火種が燻っており、まだ過渡期の不安定な状況にあるのも事実だ。

とすれば、ここで日本企業が、積極的にロシアとの原子力分野での戦略的パートナーシップ関係の構築に踏み込めば、日ロ間だけではなく、米露間の戦略的安定化に寄与することになる。日米同盟をその外交・安全保障戦略の基軸とする我が国にとって、米露関係の戦略的安定化に独自の役割を果たすことは、そのまま自国の戦略上の選択肢の幅の拡大に直結する。

そう考えると、日本政府も、アメリカに続いて、出来るだけ早期にロシアとの原子力協定を締結するのが望ましい。現在、日露両国政府において協定締結に向けた詰めの作業が行なわれていると聞く。タイミングとしては、環境問題を主題に据えた7月の洞爺湖サミット中に締結するのがベストのシナリオだろう。国家百年の計を見据えて、福田総理の勇気ある決断に期待したい。


だが、大方の予想に反して、このタイミングでの協定調印はならなかった。複数の関係者から得た情報を総合すると、原因は日本側ではなくロシア側の国内調整の不備にあったようだ。そこで、日露双方は、同協定の締結交渉を年末までにまとめ、調印に持っていくというシナリオを描いている。

そんな最中、この8月、グルジア紛争に端を発し、米露関係が悪化の一途を辿っている。その結果、米ブッシュ政権が、今年5月、米露間で調印した原子力協定の議会承認申請を凍結するとの観測も浮上してきた。(8月24日付け英FT紙)

実は、5月に米露両政府が原子力協定に調印した時点でさえ、ブッシュ大統領在任中に同協定が米議会で承認される見込みは必ずしも高くなかった。米議会では、イラン核問題でのロシアの協力は不十分との意見が強かったからだ。

これに対して、ブッシュ政権は議会証言などを通じて、何故、この協定が必要なのか必死の説得を試み、政府外でも米シンクタンクCSISが超党派の専門家達による”THE U.S.-RUSSIA CIVIL NUCLEAR AGREEMENR - A Framework for Cooperation -”と題する報告書を発表し、これを側面援助していた。

筆者は7月のモスクワ訪問時、同報告書の執筆者の一人、カーネギー・モスクワ・センターのローズ・ゲッテンミューラー所長(クリントン政権時のエネルギー次官)と意見交換した。同所長は、「ブッシュ大統領在任中に、原子力協定が議会承認を通過するとすれば、承認賛成に傾いている上院が下院と協議の上、これを通過させるというシナリオしかない」と述べていた。

因みに、その際、最大のキーパーソンが、先に民主党副大統領候補に指名されたジョセフ・バイデン上院外交委員会委員長だった。その彼も、民主党副大統領候補に指名されることを前提に、8月16-18日、グルジアを訪問。その後の声明で、「今会期内で原子力協定が議会承認を通過する可能性はなくなった」と明言していた。この時点で、ブッシュ大統領の在任中に原子力協定が議会承認を通過する可能性は完全に潰えたのだった。ある意味、ブッシュ政権による申請凍結の動きはこの現実を追認したものといえるだろう。

ただ、それでも従来、協定の承認・発効に向けた議会工作を続けてきたブッシュ政権自体が、グルジア紛争に関連して、この動きを凍結するとすれば、その意味合いは小さくない。しかも、グルジア問題は米大統領選挙の主要争点の一つに浮上してきている。更に、ロシア政府がグルジアの南オセチア自治州とアブハジア自治州の独立を承認したことで、この問題が11月の大統領選挙をまたいで長期化するのは確実である。

とすれば、年末までに日ロ原子力協定への調印を目指してきた日本政府としても、非常に難しい判断を迫られることになる。早急な情報収集・分析が不可欠であろう。