タイプ
その他
プロジェクト
日付
2007/11/9

【書評】「東アジア国際政治史」川島真・服部龍二編

評者:井上寿一(学習院大学法学部長)


本書は、19世紀から今日に至る東アジア国際政治の通史のテキストである。

「はじめに」によれば、本書は「地域内アクターと列強との間の相互関係のもとに捉えなおそうとする試み」であり、また「各々の事象のおかれた同時代性を重視し、多様なアクターにとっての種々の選択肢を大切にする」ことで、「歴史における多様な可能性や決定の蓄積の過程を同時代性のもとに示すこと」をめざしている。

〔目次構成〕

 第I部 近代東アジア国際政治の形成
  第1章 東アジアの「伝統的」国際秩序
  第2章 開国と不平等条約改正
  第3章 列強への道をたどる日本と東アジア情勢
  第4章 中国をめぐる国際秩序再編と日中対立の形成
 第II部 変動する東アジア国際政治
  第5章 ワシントン体制下の国際政治
  第6章 満洲事変と日中紛争
  第7章 アジア太平洋戦争と東アジア国際政治の変容
  第8章 国際政治の中の植民地支配
 第III部 現代東アジア国際政治の形成と展開
  第9章 日本の復興と国共内戦・朝鮮戦争
  第10章 中国分断後の国際情勢と日米安保改定
  第11章 アジア冷戦の変容と日本の戦後処理
  第12章 日中国交正常化から中国の改革開放へ
  終章 グローバル化時代の東アジア

〔内容の要約〕

第I部は、19世紀から第一次世界大戦までの時期を扱っている。

前近代の東アジアでは、「冊封・朝貢・互市」で特徴づけられる、中国中心の国際政治が展開していた(第1章)。そのなかでまず日本が「国際標準への適応」をめざして、開国し、不平等条約問題に取り組む(第2章)。その日本が日清・日露戦争を経て、列強への道をたどる軌跡が描かれる(第3章)。その間に起きた義和団事件の重要性に注目し、第一次世界大戦の時期に至る日中対立の形成過程を明らかにしている(第4章)。

第II部は、第一次世界大戦後の1920年代からアジア太平洋戦争の時期までの東アジア国際政治の歴史的展開を跡づけている。

東アジアにとってワシントン体制とは何かを明らかにし(第5章)、満州事変から日中全面戦争に拡大する過程を、東アジアにおける複合的な危機の深刻化の観点から考察しながら(第6章)、アジア太平洋戦争をとおして、東アジアの国際政治はどのように変容したのか、その軌跡を再構成している(第7章)。以上の時系列に即した記述以外に、第8章が東アジアにおける植民地支配の歴史的意味を、国際政治との関連において論じている。

第III部は、第二次世界大戦後、冷戦期を経て、現在に至る東アジアの国際政治がテーマとなっている。

第二次大戦後とは、日本にとっては復興の時期であり、中国にとっては国共内戦の時期であり、朝鮮にとっては戦争の時期であり、これら三者三様の戦後の歴史がどのような東アジア国際政治を構成したかが記述されている(第9章)。その結果、中国は分断され、日本はアメリカと安保条約を結び、のちに改定した(第10章)。1960年代に入ると、米ソ冷戦のゆらぎに伴って、東アジアの国際政治が多極化していく。日韓国交正常化交渉が促進される。中ソ対立が顕在化する。ヴェトナム戦争が東アジアにも影響を及ぼす。以上の複雑な東アジアにおける冷戦の変容過程が詳細に明らかにされる(第11章)。さらに1970年代には、冷戦の多極化が東アジアにおいて、日中国交正常化をもたらし、中国の近代化路線の台頭を可能にした(第12章)。そして米ソ冷戦終結後、東アジアもグローバル化の時代を迎えた(終章)。

以上のように19世紀から21世紀の今日までの200年以上にわたる東アジア国際政治の大河を描くのが本書である。

〔本書の意義〕

1、信頼性の高いオーソドックスなテキスト
東アジアへの注目が集まるなか、議論はともすれば情緒論に流れ、幼稚な「論争」があふれている。重要性が叫ばれながらも、歴史の「共通認識」を形成するための歴史のハード・データが共有されることもなく、したがって共通認識が形成されそうにもない。

このような状況のなかで、本書の意義は強調しても強調しすぎることはない。奇をてらうことのない、誰もが理解しやすい時期区分に基づき、東アジア国際政治の通史的叙述が展開されている。個別のテーマも、もっとも重要な論点をていねいに扱っている。どの章にも通じる高度な史料実証性が、本書の信頼度を高めている。同時に主要な論点に関わる網羅的な記述は、どのような問題関心をもって東アジア国際政治を学ぼうとする者にとっても、本書がもっともよいガイドブックとして、版を重ねていくことはまちがいない。

2、「主体」としての東アジア国際政治史
「西洋の衝撃」に始まり、米ソ冷戦終結後の混迷をもって終わる従来の欧米中心の国際政治史において、東アジアは「客体」であり、従属変数だった。これに対して本書は、東アジアのアクターを「主体」として描き、東アジア国際政治の自立的な展開の歴史を追跡している。このような著作が日本語で刊行されたということは、私たちがようやく東アジアにおける日本の歴史を考えるもっとも有益なテキストに接することができるようになったことを示している。東アジアにおける「主体」としての日本の役割の可能性を歴史的な観点から探るうえで、本書は魅力的な視座を提供している。

3、東アジア国際政治史研究プロジェクト
本書の「コラム」も含めた執筆者、60名近くは、誰もがそれぞれの分野の第一人者である。日中を中心とする、もっとも生産的な研究者集団による堅固な実証に支えられた通史の巨大プロジェクトの成果を一冊のテキストとして、読むことができる。少なくとも本書においては、「歴史認識の共有」が実現している。そうだとすれば、本書をもとに、私たち一人ひとりがどのように「歴史認識の共有」を図るべきか。本書は重要な課題を読者に投げかけている。ヒントは本書が満載している。あとは読者がどのように引き出すかである。

〔疑問点・問題点〕

1、もう一つの歴史的政策選択の可能性
本書は、「種々の選択肢を大切」にし、「歴史における多様な可能性」を示すと述べている。この試みは必ずしも十分には成功したとはいえないのではないかとの疑問が残った。

1)朝鮮永世中立国化構想
日清戦争前のもう一つの選択の可能性として、もっとも魅力的なものの一つがこの構想である。この構想については、大澤博明氏の研究によって、全体像が明らかになっている。本書でも言及されている。しかし、大澤氏の研究を素直に読んだうえで、本書の関連記述に接すると、「歴史における多様な可能性」の視点はどうなったのか、物足りなくなる。この構想の一方で、日清戦争の準備をしていた。だから日清戦争のほうが「本音」だと読者は受け取りかねない。それは本書の著者の本意ではないだろう。この構想と戦争準備を同時にすることは矛盾せず、むしろ必要だったはずである。

2)満州事変から日中戦争へ
同様のことは、この時期の叙述にもあてはまる。盧溝橋事件が偶発的なものだったとしながら、盧溝橋事件までの「経緯と、日中両政府間における認識の乖離などを勘案すれば、日中全面戦争の勃発は偶然ではない」とする結論は、留保が必要である。全面戦争以外の選択の可能性があるとすれば、具体的にそれがどのようなものであり、またその可能性が実現しなかったのはなぜか。これらが明らかになれば、「偶然ではない」との指摘にも説得力が増すのではないだろうか。

2、米ソ冷戦下の東アジア国際政治の「主体」
第III部は、どの章もおおむね米ソ冷戦下の東アジア国際政治の歴史的展開がテーマになっている。それは当然だろう。しかし、敗戦国日本だけでなく、その他の東アジア諸国も、米ソ冷戦下の「従属変数」のようにみえる。東アジア諸国は、米ソ冷戦とは位相を異にする問題で内戦や民族独立戦争を戦っていた。これらが米ソ冷戦に与えた影響により記述を割き、また米ソ冷戦とは異なる東アジアの戦後国際政治史を強調するべきではなかったか。そうなれば構成も変わるだろう。アクターのどこに注目するかも再考を要することになる。

3、中国中心史観からの脱却は可能か?
本書は特長として、「中国の視点を叙述に多く取り入れた点」を挙げている。これはもっともなことである。東アジア国際政治史における主要なアクターが中国であることは、19世紀も今も変わらない。執筆者も日中の専門家である。

それにしても、と思わざるを得ない。東アジアには韓国、北朝鮮もある。ロシアやアメリカなしに東アジア国際政治を描くことはできないのではないか。これらの国の視点、あるいはこれらの国の専門家を欠くことが惜しまれる。

中国を中心として東アジア国際政治を分析することが有効であることは、同時に東アジア国際政治をめぐる諸問題の根源がどこにあるかを示唆している。中国中心の歴史観から脱却して、多様な視点から多様な東アジア国際政治史を叙述するスタイルを私たちはまだ手にしていない。

4、東アジア国際政治史から東アジア国際関係史さらに東アジア国際社会史へ
かつて斉藤孝氏は、その国際政治史のテキストで、「国際政治史と呼ばれる分野は、各国の内政史・経済史さらに思想史の諸分野と遊離して存在するものではない」と述べていた。その後すでに30年近くが経っている。石井修『国際政治史としての二〇世紀』(有信堂、2000年)は、この指摘を継承し、伝統的な外交史の記述を乗り越えようとする試みだった。

両者はともに欧米国際政治史の専門家である。欧米中心の外交史を克服するためには、このような学際的アプローチが必要だったのだろう。

東アジア国際政治史についても、同じことがあてはまるのではないか。とくに両大戦間期の国際政治は、各国の国内政治社会における「デモクラシー」化の進展と相互に連関していた。本書の155頁には、こうした観点からの新しい解釈の可能性が示唆されている。しかし十分に展開されてはいない。

また戦後の冷戦期も類似したことを指摘できる。冷戦は、程度の差はあっても、世界のほとんどの国における国内政治社会の変容をもたらした。冷戦は米ソのパワーゲームを超えたところで展開していた。そうだとすれば、戦後東アジア国際政治史の記述も、また本書とは異なったものになるのかもしれない。

〔その他の重要な論点〕

1、第2章の「行政権」というキーワードは、条約改正問題に関して、関税自主権はともかく、治外法権の歴史的意味に現実感を欠きがちな者にとって、魅力的である。このキーワードに接して初めて、不平等条約が国家的な独立の危機につながることが実感できる。

2、第8章は、他の章と課題設定の仕方が異なり、通史的な知識を得るのとはちがって、別の知的関心からも読むことができる。この章で植民地支配後の台湾と韓国の相違点を知ると、つぎには両国のちがいにもかかわらず、戦後、台湾と韓国がともに発展できたのはなぜかを探求すべきではないか、との知的刺激を受けることができた。


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