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その他
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日付
2007/11/9

【書評】「近代日本の国際秩序論」酒井哲哉著

評者:宮城大蔵(政策研究大学院大学)


「外交史」と聞いてどのようなイメージを想起されるであろうか。このメールマガジンは「外交史ブックレビュー」と銘打っているので、ご覧になる方々は外交・国際関係の中でも、とりわけ「外交史」が持つ意味・意義について深い関心と理解を持っておられるに違いない。

しかしもう少し広く世間一般ではどうであろうか。「外交史」の古典的なイメージといえばナポレオン失脚後のウィーン会議(1814年)を指した「会議は踊る」の印象あたりであろうか。各国の外交官や王侯が丁々発止の駆け引きを繰り広げる華やかで貴族的なイメージは、必ずしも映画の世界ばかりではなく、近年まで日本においても外交官・外務省がまとうものであったかもしれない。

しかし、そのようないささか特権的にも見えた外交界の空気がひと頃、世の厳しい指弾を受けたのと同様に、「外交史」もまた、対象を政策決定に携わるエリート層にのみ限定し、その枠内で外交文書の細部に拘泥する視野の狭い学問分野として「絶滅寸前の」危機にある、等々...。そのような「外交史」のあり方に対する批判に十分に耳を傾けつつ、この本の著者である酒井氏は自問する。長らく蓄積されてきた日本外交史研究の系譜を、イデオロギーや先入主なしにひもとけば、そこには上記のような古典的な意味での「外交史」研究とは、およそ趣を異にした、芳醇な水脈を見出すことができるのではないか。そしてそれは単なる学問上の系譜の再発見というアカデミズムの枠にとどまるものではなく、冷戦終焉後の新たな世界秩序とその中での日本の進路を探る上で、またとない知的な貯水池となり得るのではないか。1920年代から40年代にかけての日本の「国際秩序論」の系譜を辿り、その文脈を再発見しようとする本著作は、その一見したところいささかクラシカルな趣とは裏腹に、冷戦後の新秩序と日本の進路というきわめて今日的な問いを根底に秘めたものなのである。

以下、本書の構成につづいて、その内容を概観することにしよう。

 序章 国際秩序論と近代日本研究
 第1章 戦後外交論の形成 ―「理想主義」と「現実主義」の系譜学的考察
 第2章 古典外交論者の戦間期国際秩序 ―信夫淳平の場合
 第3章 「東亜共同体論」から「近代化論」へ ―蝋山政道における地域・開発・ナショナリズム
 第4章 アナキズム的想像力と国際秩序 ―橘樸の場合
 第5章 「帝国秩序」と「国際秩序」 ―植民地政策学における媒介の論理
 第6章 日本外交史の「旧さ」と「新しさ」 ―岡義武「国民的独立と国家理性」再訪

第1章から第6章までの各章は、この10年あまりのあいだに酒井氏が個別に発表してきた単独の論文である。その意味で本書は論文集であり、章が代わるごとに取り上げられる人物も時代も論点も異なる。しかしながらそのことは、結果として「近代日本の国際秩序論」について多角的な眼差しからその多様さが浮き彫りになるという効果を生んでおり、それはおそらくは十分に計算されたものなのであろう。

まず序章では、これまで幾多の蓄積が積み重ねられてきた日本外交史研究のありようが、内政と外政とを峻別する本来の意味での「外交史」とは大きくかけ離れ、むしろ軍部と外務省との二重外交、大陸政策と政党政治の確立過程、国際協調主義と民主制の崩壊といった、むしろ内政と外政との相互作用を解明することに力点が置かれてきたことが指摘される。こうした日本外交史研究の「特殊性」は、「国家ぬきの国際関係」(渡辺昭夫)と言われるような日本を取り巻く近代東アジアの国際環境の特徴を反映したものであった。たとえば東アジアの枢要を占める中国が、日清戦争以前は一国家を超越した「帝国」として、そして中国が混乱と弱体化の様相を見せ始めると、今度は一転して国家の呈を成さない「社会」として見なされたことに象徴されるように、近代東アジアは中国を中心とした帝国秩序から、各国で国民国家建設が成される途上という移行期にあったのであり、ヨーロッパを発祥とする「外交史」が前提とするような主権国家体系はきわめて不安定であった。そのような状況に対応するための日本の関与も、通常の「外交」の枠にとどまらないものにならざるを得なかったのである。

しかし酒井氏は、そのような近代東アジアの特徴と、それゆえの日本外交史研究の「特殊性」にこそ、実は豊潤な可能性が宿っているのだと見定めた。主権国家体系が不安定だということは、そこに実態として発生する国際関係は、各国政府間の正式な外交ルートを通じたものばかりに限られるのではなく、民間人の関与や人、物、文化の移入、さらには植民地政策といった多様な要素を孕むものになったのであり、それらを分析対象に入れざるを得なかった日本外交史の「特殊性」は、結果として狭い意味での主権国家関係の分析を大きく超え、トランス・ナショナリズムやグローバル化といった今日的論点をも包み込む、「国際秩序論」としての豊かさを内包することになったのである。

各章の概要に入ろう。第1章では、冷戦下における左右のイデオロギー対立を反映した「理想主義」対「現実主義」の対峙として捉えられることが一般的な戦後外交論に、戦前・戦中からの知的継承という視座を持ち込むことで、新たな側面を切り開こうというものである。第一次世界大戦後の世界、そして日本を覆った知的風潮は、主権平等の国家間への拡大といった普遍主義とこれを担保する国際連盟を軸とする普遍主義的・法律主義的平和論であった。だがそれは満州事変に始まる危機を前に動揺を余儀なくされ、新たに提示されることになったのが、やがて「近代の超克」として世界史的意義を付与されることになる地域主義であり、カーやモーゲンソーといった規範的・法律主義的な平和論に対する批判者は、日本では地域主義を肯定する文脈で摂取されることとなった。

やがて東亜新秩序、大東亜共栄圏としてピークを迎える日本の「地域主義」であったが、その内実に本格的に向き合おうとすれば、「共栄圏」の中で日本の主導権をあくまで絶対的なものと見なすのか、あるいは「共栄圏」内各国の平等を重んじるのかという対立軸が浮上することになる。それは総動員体制を構築しようとすれば平等化に向けた契機を呼び起こすことになるという日本国内におけるダイナミズムとも重なるものであった。
全面講和論に代表される戦後外交論の原型は、国連を中心とした集団安全保障への批判を孕む点で普遍主義批判の系譜を受け継ぎ、それを下からのナショナリズムで支えるという点で戦時中の遺産を継承したものだったのである。

第二章では、日本における国際政治学の草分けと目される信夫淳平の知的軌跡を辿る。勢力均衡や国益を重んじる信夫は、「義戦は伸縮自在」と、1920年代の普遍主義的国際政治観には批判的であった。だが満州事変を契機とする普遍主義の崩壊に取って代わる新たな国際秩序観は、古典的外交論者と言うべき信夫によってではなく、主権国家概念の変質を伴う地域主義論者によって提示されることとなる。

第三章で取り上げられるのは蝋山政道である。蝋山の知的関心は大正期の「社会の発見」とも言われた国家概念の所与性の見直しという時代の空気を大いに摂取したものであり、その多元的国家論や機能概念に着目する視点は、国際政治においては「20世紀は脱国民国家の時代」として蝋山を貫く視座となった。満州事変以後、蝋山は「東亜共同体論」に傾斜するが、その議論の特徴は、日本の大陸政策を投資、通商を通じて後進地域にも近代化をもたらすものであり、それに抵抗する現地ナショナリズムを超克するためには、公正・能率的な現地政府による開発が必要なのだとする観点で、戦後の開発独裁を想起させる。

戦後においても蝋山の関心は、アジア・ナショナリズムをいかに国際協力体制に組み込むかという点であった。蝋山によれば新興ナショナリズムは民主化、産業化と均衡させることで抑制することが肝要なのであり、ナショナリズム・民主化・産業化の均衡的、漸進的発展のモデルという点に、近現代日本の「世界史的位置」があると論じたのである。

第四章が扱うのは、戦前の日本における代表的な中国研究者、橘樸である。中国を本質的に地方分権的な社会だと見なした橘であるが、大正期社会主義のアナキズム的要素を孕む橘は、アジア社会の基層を成す農村自治を漸次上方拡大させ、ついには国民国家の壁をも越えて自治団体の重層的な構成から成る地域秩序を構想するに至る。大正期の主権的国民国家批判が、満州事変を経てアジア主義へと流入する一つの知的系譜を読み取ることができるのである。

第五章で焦点があてられるのは、国際関係論における「忘れられた系譜」としての植民地政策学である。植民地政策学には、国家間関係に含まれず、また人や資本の移動といった社会の動態を重視するという意味で、大正期の「社会の発見」と通じる要素を強く含んでいる。中でも広義の植民地概念を提唱した矢内原忠雄の議論は、今日で言うグローバル化をめぐる諸問題を先取りするものであった。植民地政策はまた、植民地自治の問題など日本帝国再編をめぐる議論を含むことになるが、その種の関心は満州事変以降、日本主導の広域秩序論として展開することになる。日本中心の広域秩序の中で、日本の主導権と域内平等のいずれを重んじるのか、このような帝国秩序と国際秩序の相克を通じて、植民地政策学は伝統的な国際法・外交史と重なり合い、戦後、国際関係論として括られる領域へと至るのである。

終章となる第6章は、岡義武の論文「国民的独立と国家理性」(1961年)をひもとくという形をとって、日本外交史に潜む可能性を展望しようとするものである。アジア主義と脱亜、大正デモクラシーと国際協調主義、東亜共同体とフェデラリズムといった論点を扱ったこの論文は「狭義の歴史研究をこえた政治学的考察」と評されるという。日本外交史を論じながら、それが「政治学的考察」に至るものとなったのは何故か。

序章の問題提起に立ち返るならば、それが「国家ぬきの国際関係」と切り結ぶ日本外交史研究の宿命であったから、ということになるのであろう。狭義の「外交史」に向けられる批判の代表的なものとして、「主権」や「ネイション」といった歴史的、社会的産物を、あまりに無自覚に用いてきたという点があるのだが、はからずも岡の論文はそれらの批判するところを真正面から取り上げるものになっていたのである。そこに「日本外交史研究」の一見したところの「旧さ」に潜む「新しさ」を見出したい、という酒井氏の結語は、第6章にとどまらず、本書全体の係り結びの終着点を成しているといえよう。ことさら終章を設けなかったところに洗練されたこだわりを感じる。

本書の真骨頂は、「日本外交史」像を「脱構築」してみせたという点にあるのであろう。戦前、戦中、戦後と時代ごとに区画され、それぞれの区切りの中で固定化されたイメージで捉えられがちな日本外交史を、政治思想史や国際関係論を織り交ぜ、とりわけそれらを同時代における世界的文脈に向けて開かれたものとすることで、いくつもの思わぬ側面や隠れた系譜を解き明かし、浮かび上がらせた。「国家主義」の時代として想起されがちな戦前・戦中期において、逆に主権国家を否定、批判する知的風潮がいかに強固であったか、それらが大正期における「社会の発見」の系譜を転化させつつ孕んでいたことなど、狭義に固定化された日本外交史像を溶解し、多元化させるきわめて強い知的刺激を放つ著作だといえよう。

また冷戦の終結に伴うグローバル化によって主権国家の壁がその絶対性を薄めつつある今日、かつて「国家ぬきの国際関係」の中で模索、展開された日本外交(史)の軌跡は、冷戦後の新秩序とその中での日本の進路を模索する上で、直接的な答えを用意するものではもちろんないが、あるいは直接用意するものではないが故に、豊かな養分を含んだ知的土壌として再生し得るのであろう。

しかしよく考えてみれば、そのような日本外交史(研究)の特質を生んだ国民国家の形成途上という東アジア国際環境の特徴は、何も戦前に限られるものではない。脱植民地化と国民国家の形成という課題は、広義の東アジアを構成する北東アジア・東南アジアのうち、前者でも相当程度、そして後者の東南アジアにおいてはまさに戦後になって本格的に動き始めたプロセスであった。そしてそれに対応する形で戦後日本の対アジア外交も、対欧米外交がおおよそ通常の「外交」にとどまったのに対して、しばしば正式外交ルートを大きく外れ、政財界の様々なアクターが入り乱れる「非公式化」の様相を示したのである。安定的な国家機構が確立する途上にあったアジア諸国ではしばしば名目上の主権者と実権の所在とが食い違ったし、また当初は賠償、やがて援助という形で巨額の資金が日本から流入することになった。これらが対アジア外交「非公式化」の要因となったのだが、それはいずれもアジア諸国が国家建設の途上にあったことに起因する要素であった。

また戦後アジアが、一見世界大の冷戦に組み込まれたように見えた中で、日本は一貫してアメリカの冷戦政策に距離をおきつづけた。憲法9条の存在などで説明されるこの姿勢の基層には、アジアの焦点はアメリカが考えるようなイデオロギー対決にあるのではなく、脱植民地化とその後の国家建設にこそあると捉える日本の視座が潜んでいたと評者は考えるが、そこに酒井氏が解き明かしたような戦前・戦中からの水脈が流れ込んでいることも否定できないように思われる。

いささか評者の関心に引きつけて悪乗りをしてしまったが、酒井氏が解き明かした1920年代から40年代までの多様な水脈が、どのような変転を遂げつつ戦後という時代に流れ込んでいったのか。第1章などで若干の言及はあるが、十分に展開されているわけではない。おそらくそれは本書の洗練され、完成された枠組みに入れるべきものではないし、無い物ねだりと言うべきであろう。だがしかし、「社会の発見」や広域秩序論といった知的系譜が、我々がつい所与のものと考えがちな「戦後日本の国際秩序論」の基層に、いかなる形で流れ込んでいるのか、本書が「戦前・戦中から戦後への転換の意味を考えることを究極の目標としている」のであれば、なおさらにより本格的叙述としてそれを垣間見たく思ってしまうのである。

酒井氏によって「脱構築」された日本外交史の立体感に富む諸相が、たとえおぼろげではあろうとも今日にまで至る一つの水脈として姿を現したとき、「近代」の一語は取り払われ、「日本の国際秩序論」として、冷戦下で習い性となった「対米自主/協調」の枠組みに代わり、日本自身がいかなる枠組みで世界を認識し、臨むのかという、今日、最も必要とされる知的チャレンジの基盤を成すことになるように思える。そのとき「脱構築」は、「脱・構築」にとどまらない新たな「構築」に転じるのかもしれない。


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