タイプ
その他
プロジェクト
日付
2008/2/12

【書評】「アジアのなかの日本」田中明彦著

評者:佐藤晋(二松学舎大学国際政治経済学部准教授)


本書の視点とコメント
本書を読了後、評者の第一の感想は、「アジアは(この30年で)なんと姿を変えたのか!」ということであった。また、著者の指摘によれば、「(東)アジアは一つになりつつある」のである。ともかく、著者が言うように、1970年代後半のアジアにおいて民主主義国であり、かつ経済発展を遂げていた国は日本をおいて他になかった。これに韓国が続き、台湾が続き……インドネシアが続き……。こうしたアジアにおける変容を詳細に追って跡付けていくという仕事が本書の最大の魅力である。その上で、それらのアジアにおける重要な出来事の中での日本外交の営みを、全体として把握していく試みがなされる。

以後、本書における著者の主張を紹介しつつ、評者なりの若干のコメントを加えていく。まず、著者は東アジアの統合に向けて、1970年代後半以降のアジア地域を変容させた要因として、経済の「グローバル化」と「冷戦の終結」、「民主化」とを挙げている。とりわけ、このアジアにおける地域統合をもたらした最大要因は、なんと言っても経済のグローバル化であろう。この点は、アジア経済についての膨大な文献が存在していることもあり、本書では具体的な数字などはそれほど明らかにされてはいない。しかし、本書の特徴は、上記の三要素の相互関係に注目して変容を把握する点にあると思われる。

そこで、こうした理解にそって批評すると、まず「冷戦の終結」は、確かに経済的相互依存の増大に向けた流れに対する人為的な障壁を減少させた。ただし、第一に、アジアには、北朝鮮、ミャンマーという独裁主義政治による孤立主義国家がいまだに存在している。第二に、先ほども述べたようにアジアの一体化の原動力は経済、とりわけ資本の国際移動であったのであり、これは著者も指摘しているが、政治的な連帯感がそうさせたわけではなかった。この点は、次の「民主化」の点にも関わる。もちろん、アジアには未だに民主化されていない国家が存在する。それは措いておくとしても、アジア各国の民主化がアジアの一体化に直結しているとは言いがたいであろう。民主主義という価値観の共有に基づく共同体は、アジアには現存しない。さらに、アジア諸国におけるインターネットの普及はある種の「言論の自由」をもたらし、それは、たとえば反日的な言説の奔流となって、逆にアジア諸国間の感情を遠ざけることにはならないであろうか。つまり、具体的に言うと、中国の「民主化」がかりに起これば、それは日中関係の一層の悪化をもたらす恐れはないであろうか。民主主義の韓国に統一された朝鮮半島は……。

話を本来の筋に戻すと、アジアにおける「冷戦の終結」の真の意味は、共産主義国家の崩壊という文脈ではなく、グローバル資本に身をゆだねるという経済の開放化と市場原理主義の採用という意味であったと思われる。共産党の一党独裁を維持しつつ経済の開放化と市場経済化を果たしつつある中国、ベトナムはもとより、民主主義国家でありながら社会主義的な計画経済に取り付かれていたインドなどが、市場メカニズムによる経済成長軌道を歩む隊列に付いたのである。かりに東アジア地域を、東西・南北の軸で四象限に分けた場合、1970年代後半において西側(民主主義)で北側(経済先進国)であった国は日本のみであった。しかし「冷戦の終結」が東西の壁を取り払い、グローバルな資本の流れが、南北の壁も東西の壁も飲み込んでいった。市場メカニズムに基づく経済運営が二つの壁をスピルオーヴァーしていき、この波に洗われた地域の色彩を変えていった。

本書の分析とコメント
本書の分析対象は、最初にも述べたように、アジア地域における重要事項の連関性と、アジアに対する日本外交の営みという点である。まず、後者についての結論を先にすると、著者は、この間の日本外交には、ケースごとの真剣な努力がみられたたことは評価しながらも、アジア外交全体としての戦略性・統一性は欠如していたと見ている。もっとも、これには資料的制約がある上での同時代史という限界を考慮に入れなければならない。この点、本書は、起こっていないことは記していない、つまり過度に資料を読み込んで、なにものかを作り上げるようなことはしてないという意味で禁欲的な研究となっている。しかし、後年資料公開が進めば、この時期の日本外交に何らかの戦略性の萌芽を認める研究が生まれてくる可能性は十分にある。ただし、著者は今の時点でも、個別の出来事に対する日本の取り組みには、十分の内在的な理解が示されていることは付け加えなければならない。

一方、前者について、本書は叙述形式による同時代史というスタイルをとっているため、基本的には客観的な描写によって話が展開していく。それでも、この30年間でアジアに生じたさまざまな事件のうち、どれを叙述対象として取り上げるか、または取り上げないか、という点でそれぞれの書き手の時代認識が浮かび上がってくる。また、時系列上の前後に位置する複数の事件を続けて叙述する際には、その間に伏在する因果関係の記述を抜きに、話を展開することはほぼ不可能である。さらに、同時並行的な事件を記述する場合には、当然のように相互の関連が問題となってくる。本書では、それらの点に加えて、上述した三要素の導入が、分析に複合性と重厚さを与える結果となっている。その例がカンボジア和平と朝鮮半島情勢の変容に関する記述であろう。

カンボジア内戦の終結と和平、PKOの成功は、アジア、とりわけ東南アジアにおける「冷戦の終結」を象徴するものであった。さらに言えば、この「複雑化した内戦」は、ヨーロッパの冷戦とは異なるアジア冷戦の特殊性を示していたのだが、この内戦の終結プロセスは、アジアの国際関係の正常化に後押しされ、逆に国際関係の正常化を推進して行った。詳細な分析は本書にみるとおりであるが、ここでは著者が、この内戦終結に経済のグローバル化が東南アジアへ波及したことの影響を見ている点を指摘しておきたい。つまり、グローバル化の波に乗り経済成長を開始した東南アジアにおいて、インドシナとその周辺のみがいつまでも内戦を続けておくわけにはいかない、言い換えると、この波に乗り遅れないように、なるべく早くこの「戦場を市場に」変える必要があるとの認識が、タイの首脳をはじめとして存在していたというのである。

一方、一見「冷戦の終結」とは無縁に見える東北アジアにおいても、実は同じようなメカニズムが働いていたという。つまり、ゴルバチョフの下でペレストロイカに乗り出したソ連、?小平の下で改革開放に乗り出した中国は、急速な高度経済成長を果たした韓国の経済力を利用する必要が生じ、それが中ソ両国と韓国との国交正常化という冷戦の分断線を越える動きにつながっていったのである。ただし、これは北朝鮮の国際的孤立感、焦燥感をあおり、独自の核武装につながるという負の効果を伴った。もちろん、この点から東南アジアはともかく、東北アジアでは冷戦は終結していないと主張することは可能であろう。また、その一方で、北朝鮮の孤立感は、金丸訪朝以後の日朝国交正常化交渉への動きを誘発した。さらに著者は、中国の側から見て、韓国承認以外にも、天皇訪中、カンボジア和平における政策転換、APECでの「三つの中国」の受け入れといった政策の背景に、中国の天安門事件以降の国際的孤立と国際社会への復帰の熱望を指摘している。これもグローバル化の進む国際経済への参入意欲という文脈で解釈できるかもしれない。また、天皇訪中との関連で言えば、本書は日中間の歴史問題についての記述に多くの紙数を割いており、時系列的な因果関係の把握には非常に貴重な記録となっている。

新たなアジア外交研究に向けて
本書は、網羅的に史実を丹念に追うスタイルであるために、今日から見るとそれほど取り上げてみる価値がなくなりつつある事項も散見される。著者も「1980年代の日本外交のエネルギーのほとんどはアメリカとの貿易摩擦に費やされた」と言う日米経済摩擦問題が今日では忘れられた昔話になりつつあるように、APECは現実上の役割を急速に失いつつある一例であろう。

一方、本書では取り上げられていないものの、今日ますます重要性を増しているテーマとして、中国・インド・ロシアといった新興国への経済面でのパワーシフトとそれに伴う環境問題の悪化が挙げられる。今後、何年かの後に、今日のアジアを省みるならば経済的に「成功しすぎたアジア」の物語が描かれるかもしれない。それほど、約30億人の経済的離陸による資源・エネルギー需要と環境負荷の増大は脅威的なものとなりつつある。「そう、しあわせ目指して駆けろ/でも、駆けすぎちゃいけねぇ/だって、みんな駆けてみろ/しあわせは、ついていけねえ」。これはBrechetの『三文オペラ』の一節であるが、今日の日本外交に求められていることは、経済のグローバル化によるアジアの経済的躍進を制御しつつ安定的に前進させることのように思える。

また、アジアにおける軍事面での役割、つまり日米防衛協力の強化は日本のアジア外交のなかでどのような位置づけとなっているかについて、この面にも造詣が深い著者の考えを知りたいと思ったのは評者だけではないであろう。とりわけ、世界的には中国の台頭が語られ、その一方で麻生太郎の「自由と繁栄の弧」構想など、「価値観の共有」という観点を強調する外交論が日本国内で語られ、現実にインド・豪州との関係強化が目指される中、ひょっとすると1960年代に見られたような「中国封じ込め」と言う「戦略」が模索されているのであろうか。

以上のように、本書には、ここ30年のうちにアジアで起こった主要な出来事が時系列的に整理されて記述されており、それはこの間の日本外交についても同様であることから、読み手にさまざまな着眼点を与えてくれるものとなっている。さらには、本評では触れることはできなかったが、一国が統一的・戦略的な外交政策を展開する上での内政の重要性についても多くの示唆を与えてくれている。


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