タイプ
その他
プロジェクト
日付
2008/5/9

【書評】「江戸の知識から明治の政治へ」松田宏一郎著

評者: 五百旗頭 薫 (東京大学社会科学研究所准教授)


導入
開国明治維新期における西洋の衝撃について論じたものは多い。その中で本書は、近代化に伴ってイギリスなど西洋で意識されていた問題群が、近世後期の日本でもかなり類似して存在していたことを重視することで、この衝撃を立体的に捉えようとする。言い換えれば、思想の摂取は単に思想と遭遇することで果たされるのではなく、摂取する側の内在的な要因によって促進・制約される、という意識が本書を貫いている。したがって本書の視角は、グローバルであると同時にすぐれて歴史的である。
こうしたスタンスから、本書は二つの系列の事象を描いていく。

第一に、当時の日本は一種の共振作用によって西洋の思想を深く摂取できた。最大の達成は福沢諭吉である。

第二に、近世日本において意識されていた問題を、西洋に学ぶ中でかえって忘れたり単純化したりすることを著者は指摘する。こうして、明治以降の日本の思想には普遍性を喪失する局面があったことを示していく。

知的遺産の忘却の過程を、著者は第二部において、分析対象を日本の自己認識の次元に切り換えて一層明らかにしていく。取り上げられるタームは選択的であるが、「アジア」・「文明」・「封建」といった重大なタームを選択している。

以上から明らかなように、本書は近世と近代を架橋し、日本を中国のみならず西洋とも比較する野心作である。さらに、日本と西洋との間で共振した問題群として、統治のための人材のあり方を取り上げることで、思想史と政治史にまたがるインプリケーションを持っている。

目次は以下の通りである。

 序
 第一部 統治エリート観における伝統と近代  
  第一章 「政事」と「吏事」-徳川期の統治と人材
  第二章 朱子学・正学・実学-佐久間象山
  第三章 エリート形成と能力主義の定義
  第四章 福沢諭吉における知の「分権」
 第二部 アジア認識と伝統の再構成  
  第一章 「亜細亜」の「他称」性
  第二章 「文明」「儒学」「ダーヴィニズム」
  第三章 「封建」と「自治」、そして「公共心」というイデオロギー
 あとがき
 索引

第一部 統治エリート観における伝統と近代
一八世紀末から一九世紀にかけてのイギリスでは、職業的官僚制の発達と行政事務の拡大にも関わらず、教養こそ実務に役立つという連関を見出そうとする知的・政策的試みが展開されていた。同時代の日本においても同様であり、儒学が君子に要請する徳を、統治への責任感や臣下の才能を吸収するための寛容さ、といった統治に役立つ資質として読み替えようとする議論がなされた。したがって、知的能力が統治エリートの要件となる場合に予想される弊害(学問の現実逃避とあいまって矮小な実務的知識が重宝されること、逆に学問が政治化することで門閥の相克を招くこと)についても敏感であった(第一章)。

このような統治のための人材をめぐるイギリスと日本の共振状況を、第二章で開国期の思考の構造に即して掘り下げている。素材は佐久間象山である。象山は陽明学にある内面重視の傾向を批判し、朱子学の持つ、あらゆる「物」に即して「理」を究めようとする強靭な精神的緊張に賭けた。そしてこの緊張こそが現実における正確な判断をも担保する。象山の中で政治と朱子学はこのように立体的に結合されており(したがって彼の有名な言葉「東洋道徳、西洋芸術」も並立関係ではない)、それ故に学問の安易な実学化・政治化に対しても警戒的であり得たという。

第三章・第四章では幕末・明治初期の議論の展開に即して掘り下げている。素材になるのは明治ゼロ年代の後半に盛んに議論された地方分権問題であり、この論争への福沢の参入である。

先に述べたイギリスにおける人材論は、統治システムへの問いと結びついていた。政府への智力の集中は一見合理的に見えて実は中央集権の弊害を招くという批判ないし躊躇(ミル)である。この問題も近世日本において既に意識されており、だからこそミルの観点は福沢に代表される近代日本の思想家に摂取される。明治以降、人材論は統治へのまなざしをかいた道徳論、心構え論にスライドしていくと著者は指摘する。ただし、第一部において分析の主眼となるのは、こうした傾向が強まる前に、明治において何が達成されたかである。

例えば、地方分権をめぐる論争において、権限だけでなく人材や富の配分が意識されていたのは、統治論の一環として人材論が位置づけられていたからである。

さらに、人材論と重なり合いながらもう一つの知的背景となっていたのが職分国家論とも呼ぶべき国家観であった。武家を含む士農工商のすべてが「家職」「家業」に精勤することによって成立する国家観である。民は単なる統治・保護の対象ではなく、自らの領分においては一定の公的性質を持つ。したがって、統治者も民もお互いの職を尊重しなければならない。両者の「分界」をどう設定するかという問いが、明治期の統治機構再編の中で先鋭化し、そうした中で地方分権をめぐって論争が行われることになる。

これらの知的遺産をより豊かに継承することで論争に参入したのが福沢であった。著者は、一見すると社会契約説の影響を受けているように見える福沢のテキストを、職分的国家観の徹底として解釈していく。福沢が政府と国民の相互尊重を強調することもそれによって理解される。そして国民は自らの職分に誇りと責任感を持つことで、間接的にナショナルな利害関心を持つことになる。

職分論を継承するからこその複合的な国家観は、日本には政府あって国民なし、という福沢の有名な言葉の使い方にもみてとれる。同じ表現の下、『学問のすすめ』では国民が自分の職分の価値を意識していないことが、『文明論之概略』では自分の職分が全体のための職分であることを意識していないことが、批判されているのである。

『分権論』において福沢は、トクヴィルに依って「政権」governmentと「治権」administrationの区分を提示し、治権を地方に委ねるという論理で地方分権を主張したが、ここで二つの「権」を職分的に読み込むことで、治権の多様性・自立性と政権の一体性の調和を展望し得たのである。

第一部の末尾において著者は、明治政府の中でも「分界」への問いは共有されており、福沢の仕事が卓越してはいても孤立してはいなかったことをあらためて確認している。

第二部 アジア認識と伝統の再構成
第一部が近世日本の遺産とそれによる明治日本の達成に比較的比重を置いているとすると、第二部はこの遺産が明治以降に忘却されていく側面に比重を置く。そこでは、明治日本の自己認識が分析の対象となる。

第一章は「アジア」という呼称への違和感と違和感の喪失を論じている。

儒学において、聖人を生んだ中華は特権的な地位を占めている。近世日本の儒学が日本の位置づけを模索する際に、このことが問題となる。聖人の教えを理念として抽象化し、日本とてこの理念を体現することは可能であると論ずることもあった。しかし、そうした議論が可能であることを知りつつ、ほかならぬ中国で聖人が登場したことの抗いがたい意味を見失うまいとする思考があったことを、著者は江戸期儒学の一つの到達点として取り上げる。闇斎門下の「中国・夷狄」という呼称をめぐる議論にそれは見られ(佐藤直方)、さらに荻生徂徠が言語の違いによる絶対的な隔たりの意識を持ち続け、そこから中国語の学習法(訓読法の否定)や詩の重視といった一連の方法論を生み出すことで開花した。

このような繊細な思考が、ヨーロッパで生まれた呼称としての「亜細亜」を受容する際にも発揮され、外在的な呼称によって日本も中国も一括されてしまうことへの違和感が思想家のテキストに反映された。明治に入ってからの日清提携論もヨーロッパとの対抗関係に基づく戦略的な議論であり、アジアという呼称が喚起するロマンティシズムや独善にはとらわれないものであった。福沢の脱亜論も、現実的な機能はさておき、このような距離感に裏付けられたものであったという。

やがて他称性を意識しないアジア観が流通し、日本をアジアの優等生と見なすことから来る自己批判や中国・朝鮮への批判も、アジアの共通性なるものの安易な発見も、そこでは市民権を得るようになったと著者は考える。

第二章は、「文明」について論じている。先行研究においては、「文明」概念の持つ抑圧的機能とそれに対する個人の自立、といった問題圏に関心が注がれていたが、著者はむしろ、非文明と文明の断絶と連続について日本がどの程度思考を深めていたかを問う。日本の儒学においては中国よりもこの断絶への関心は強かった。国学においてすら、伝統が自然の推移によって維持されるとは楽観できないため、断絶のモメントを要請するかどうかをめぐって内部対立があった。

こうした論点を受けとめたのも福沢であった。交際を拡大するのは人間の本性であるとしつつ、この交際を制度化するのが文明であるという二段構えを取ることで、文明の起源を直接に人間の本性に求められるかどうかという議論を発展的に解消しようとした。

明治になってシビアな進化論が導入されることで、かえって断絶へのまなざしは弱まった。とめどない競争や闘争を人間の根源的な属性として押し出すため、競争や闘争を遂行する上で不可欠な内部的な秩序を成り立たせるための契機も根源的な次元で措定せざるを得なくなる。かくて秩序の起源を求めた安易な(加藤弘之)、または混乱した(有賀長雄)、遡行が試みられる。

第三章では、「封建」やそれに付随する「自治」「公共心」について論じている。封建制が責任感、公共心、自治を涵養するという考え方は江戸期からあった。明治以後、一定の論争はあったものの、福沢に見られるような肯定的な意見が優勢な形で、封建制の意義についての上記の理解は定着した。これが、朝鮮・中国の現状を批判する論理としても、日露戦争後の地方改良運動や一九三〇年代の農村救済論の論理としても機能する。マルクス主義の段階論も封建制の欠如・喪失による説明とむしろ共鳴した。「封建」の概念が、福沢の中では伝統に根ざした形で近代化を提唱する道具であったのに対し、その後は自由や自治の理念にリップサーヴィスしつつ計画や再組織化を弁証する道具として用いられるようになった、というのが著者の批判の趣旨であろう。

評価
前近代と近代の関係は、断絶、連続、あるいは前近代のある側面が意外に近代のある側面を促進するという逆説的な接続によって捉えられてきた。本書は、逆説といった隘路を越えて、関係を立体化して捉えることに大きく貢献したといえよう。その白眉はやはり福沢の『分権論』の解釈である。伝統的な職分論が西洋の人材論と共振しつつ地方分権論を発展させたという指摘は、説得的である。

職分論を用いて明治、少なくとも福沢の思想の解釈をこれ以上深めることは、難しいかもしれない。さらなる研究の進展には、近世国家についてのさらに精度の高い認識枠組みを用意するしかないと思われる。職分的国家論の主要な道具立ては石井紫郎の仕事に示されているが、石井は西欧、特にドイツの国制に対する深い関心に基づいて、日本の封建制を貫通する全体像を大胆に提示した。さらなる精緻化は、既に本書が地方分権論を分析する中で「旧貫」への関心を示しているように、法制を国制から切り離して構造化した上で、国制への展望を再度模索するという形を取るのかもしれない。著者の今後の議論が楽しみである。

最後に、著者が思想家を評価する方法について一言したい。あとがきによれば、著者は偉大な思想家の思想を語る研究に違和感を覚え、そうではない思想史を模索したという。本書において著者は思想家を、自らの生きた時代の問題をどれだけ深く認識したか、という基準で勝負させる。

とはいえ、あとがきが本書を「問題史」と呼んでいるのは謙遜に過ぎる。問題認識の深度を測るためには、問題認識をベースにしつつ構築された言説が、問題認識の発する求心力によってどれ程の緊張感を備えているか、を問わざるを得ないし、この問いに耐えた佐久間象山や福沢諭吉に本書は格別の評価を与えている。

同時代の問題を深く認識する人間は、語感としては知識人と呼ぶのがより相応しいであろう。優れた知識人であることが思想家の条件であるとともに、知識人であることにとどまらない思想家はたしかに存在する。「政治思想家研究」の伝統の重圧に反発しつつも、「方法論的確信はどこにもな」かったと言い切る著者の謙虚かつ不屈な足跡に触れると、そのように思う。「江戸の知識」が「明治の政治」によってかくも震撼しつつなお育むことを否まなかったことを知る時、我々は「平成の思想」にかすかな期待を持って良いのかもしれない。本書に考えさせられることは多い。


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