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【書評】「アイゼンハワー政権の封じ込め政策 -ソ連の脅威、ミサイル・ギャップ論争と東西交流」佐々木卓也著

June 26, 2008

評者:昇 亜美子 (政策研究大学院大学客員研究員・日本学術振興会特別研究員)


本書は、アイゼンハワー政権(1953~1961年)の封じ込め政策について、特に経済、科学、文化などの領域における東西交流計画に焦点を当てた米国外交史研究の著作である。

著者は、アイゼンハワー政権が、軍事的な封じ込めに傾斜することなく、経済、文化、広報など広範な手段を取り入れた政策を実施したことに着目している。1950年代後半には、ソ連が軍事的躍進を遂げただけでなく、科学技術の発展や経済成長を実現し、全体的な国力、体制、生活様式に至るまで、全世界に対して魅力をアピールすることに成功したことがその背景にある。本書では、これまで十分な検討対象になってこなかった東西交流計画について、ミサイル・ギャップへの対応といったアイゼンハワー政権の対ソ戦略全般の中に広く位置づけて検討し、同政権が冷戦の変容とソ連の新たな脅威に、東西交流を含めた多様な手段で対処したという基本的解釈を提示している。以下、簡単に内容を紹介する。

第1章「アイゼンハワー政権の安全保障政策の基本方針」では、アイゼンハワー政権の安全保障政策全般について素描している。核兵器に依拠するいわゆる「大量報復戦略」を採用し、ソ連の攻撃能力向上に対しては大陸防衛計画ではなくミサイル開発で対抗することで軍事予算を大幅に減少させたことが指摘されている。

第2章「冷戦の変容と封じ込め手段の多様化」では、1955年のジュネーブ会談を経て米ソ間の軍事的関係が安定化したことで、冷戦の軍事的側面が後景に退き、その非軍事的領域、とりわけ経済競争の性格が前面に出てきた点を議論している。それに伴いアイゼンハワー政権は非軍事手段によるソ連圏の段階的変革を目指す方針を明確にし、そこでは宣伝・広報活動と東西交流という手段が重視されたのであった。合衆国広報庁が設置され、東西交流担当の特別補佐官職が新設された。

第3章「スプートニク、ゲイサー報告書とミサイル・ギャップ論争の始まり」では、ソ連のスプートニク打ち上げ成功後に出された安全保障政策を検討するゲイサー委員会の報告書に対するアイゼンハワーの反応について詳述している。同報告書はソ連の核戦力に対する米国の戦略的脆弱性を強調し、アイゼンハワー政権の過剰な軍事費を嫌う財政保守主義を批判していた。これに対しアイゼンハワーはミサイル計画の強化などでは対処したものの、無制限な国防費増大には否定的で、大量報復戦略を変える意向はないことを明確にした。このようにスプートニク後のミサイル・ギャップ論争に対する同政権の対応は穏健で抑制的なものであった。

第4章「『全面的な冷戦』」では、アイゼンハワーが、冷戦を「貿易、経済発展、軍事力、芸術、科学、教育、思考」といったあらゆる分野での闘争、すなわちふたつの生活様式の争いであると認識していたことを指摘する。

第5章「東西交流の拡大と深化」では、東西交流計画の具体的な進展について詳述されている。1958年1月に米ソ間で文化・技術・教育交流協定が成立した。米ソ両国の政府高官の相互訪問、留学生の交流、観光客の訪問などが促進され、ニクソン副大統領とフルシチョフとの間でいわゆる「台所論争」が展開された博覧会も開催された。こうした東西交流は、国際緊張の緩和はソ連の対外世界に対する計画を緩め、そして西側文化の浸透を容易にし、ゆくゆくはソヴィエト体制の好ましい進化を将来するという、アイゼンハワー政権における支配的な思想に基づいて行われた。言い換えれば、東西交流は新たな封じ込め手段であった。

第6章「ミサイル・ギャップ論争の進展と東西交流」では、ミサイル・ギャップ論争の激化やU2機撃墜事件にもかかわらず米ソ文化交流は伸展したこと、アイゼンハワー政権は最後まで大領報復戦略に固執したことを指摘している。

最終章では、アイゼンハワー政権が大量報復戦略を採用することで軍事費を削減し、財政赤字の問題をほぼ解消したことを評価する。アイゼンハワーやダレスは、フルシチョフの挑戦的・挑発的な発言や行動に対し、冷戦は長期的な闘争であるがゆえに、国防予算の急激な増額を回避することが肝要だという落ち着いた政治的・外交的判断を下した。その中で東西交流や広報外交は、新たな封じ込め政策として機能したというのが著者の評価である。

米国外交史研究において、アイゼンハワー政権については1960年代後半から最近にいたるまで数多くの研究書が出版されている。ある論文によれば、Diplomatic Historyに掲載された論文を課題別に分類すると、冷戦の起源研究の次に多いのがこのアイゼンハワー外交であるという。ここには1970年代までにアイゼンハワー政権の公文書公開が進んだということが大きく関係している。より本質的な点では、アイゼンハワー政権期が、その後の基本的な冷戦の性格を決定する上で重要であったことが冷戦史研究者の関心を捉えるのであろう。たとえば、ジョン・ルイス・ギャディスはWe Now Know: Rethinking Cold War Historyのなかでこの時期を「決定的な10年」と位置づけている。1945年時点では、資本主義イデオロギーよりもマルクス・レーニン主義が戦後世界にとって魅力的であると考えられる可能性があったが、1950年代に共産主義の衰退が確実になるという転換が起こったという議論である。

さて、アイゼンハワー研究の特徴は、その数の多さだけでなく、論争の多さにもある。周知のとおり、1970年代以降の史料公開に伴って多く生産された研究の多くは、受身的で指導力に欠け、重要外交政策決定の多くをダレスに任せるといった従来のアイゼンハワー像を「修正」し、軍備管理、ハイレベルの対ソ交渉、核実験禁止条約などの問題におけるその指導力と決断力を高く評価し、アイゼンハワー修正主義と呼ばれるようになった。さらには、アイゼンハワーの指導力は評価するものの、その政策がもたらした帰結は必ずしも評価できないといったポスト修正主義と分類される研究もある。

このように、米ソ冷戦全般における米国政府の評価に密接にかかわるために、きわめて論争点の多いアイゼンハワー研究であるが、その中で本書はどのように位置づけられるのだろうか。この点についての著者自身の議論は必ずしも明快ではない。先行研究の詳しい整理は脚注でされているものの、それらに対する著者の評価と、その上で本書が提示するアイゼンハワー外交史観についての明確な記述があれば、上記のような論争に触れる機会の少ない一般読者にとっても理解を助けるよい指針となったのではないだろうか。
評者の理解では本書は、ミサイル・ギャップ論争やのゲイサー報告書に対する慎重な態度と対ソ関係改善の外交努力というアイゼンハワーの政策決定を極めて高く評価しているところに特徴がある。以下ではさらに詳しく本書について論じたい。

まず、東西交流計画について、軍事費抑制というアイゼンハワー政権の一貫した目標に合致する封じ込め政策として明確に位置づけた視覚は斬新である。ここで提示されるアイゼンハワー像は通常描かれる冷戦の闘士ではなく、リベラルな価値観に信頼をおく慎重で抑制的なキャラクターである。著者自身指摘するとおり、アイゼンハワー期の東西交流についての研究は既にいくつかあるが、文化交流史や文化外交史という観点からのものが多く、封じ込め政策の一側面としての東西交流という本書の捉え方にはオリジナリティがある。そして、きわめて丹念に一次史料を読みこなして、アイゼンハワーやダレスの東西交流計画への考え方と実施された計画内容について詳述されており、読者をまったく飽きさせない。たとえば、第4章で議論されているように、ダレスは全面的な冷戦に米国が勝利する上での鍵は「アメリカの自由の魅力」であると主張する。こうしたいかにもアメリカらしい楽観的な理想主義が冷戦のイデオロギーを支えていたことを改めて確認できる。

実際、ゴルバチョフの促進したグラスノスチの立役者の一人であるアレクサンダー・ヤコブレフは、この東西交流計画の一環で1958年にアメリカのコロンビア大学に留学した経験があった。ヤコブレフ本人が認めている通り、このたった1年の滞米経験が、リベラルな価値観や多元主義の影響を彼にもたらしたということを考えれば、アイゼンハワーの東西交流計画は30年近く後の冷戦終結に貢献したといえるかもしれない。

一方で、本書でも約半分の紙幅を使って詳述されているように、アイゼンハワーは大量報復戦略に固執し、後期にはミサイル開発強化にも乗り出す。こうした軍事戦略とこの東西交流計画が、封じ込め政策の中でどのように関連付けられるのかについての本書の洞察はややもの足りない印象が残った。東西交流計画はどの程度アイゼンハワー政権の対ソ戦略上で比重を占めていたのであろうか。著者は、ゲイサー報告書に対するアイゼンハワー政権の慎重で限定的な対応の背景として、対ソ交流への配慮があったと主張している。そうした要素もあるだろうが、この対応の中心的な要因はやはり大量報復戦略への信頼性とソ連の軍事力評価の問題であって、対ソ交流への配慮というのは二次的なのではないだろうか。こうした疑問点が浮かんできた。

さらに、本書ではほとんど扱われていないが、「アメリカの自由の魅力」を前面に出す姿勢はアイゼンハワーのきわめて強い反共主義の表れでもあり、第三世界でのCIAによる秘密作戦はその証左である。このように、冷戦初期のきわめて重要な時期を包含するアイゼンハワー外交の評価は、アイゼンハワー個人か、政権全体か、どの政策分野か、どこに焦点を当てるかによって異なる像を結ぶ。本書は既存研究に加えて新たな像を提示し、さらなる興味深い論争を導く研究書であり、アイゼンハワー政権期だけでなく冷戦史を学ぶ者には是非手にとって欲しい好著である。

    • 政治外交検証研究会メンバー/政策研究大学院大学 安全保障・国際問題プログラム 研究助手 博士(法学)
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