タイプ
その他
プロジェクト
日付
2011/5/27

【書評】『自民党長期政権の政治経済学 利益誘導政治の自己矛盾』斉藤淳著(勁草書房、2010年)

評者:小宮一夫(駒澤大学法学部非常勤講師)


1 はじめに
1955年11月、保守合同によって誕生した自由民主党(自民党)は、2009年8月末の総選挙で大敗し、民主党に政権を明け渡すまで、非自民連立政権(細川・羽田内閣)が存続した1993年8月上旬から翌年6月末までの一年弱を除いて一貫して政権の座にあった(社会党とさきがけとの連立政権である村山内閣期を含む)。結党以来、半世紀あまり政権の座にあった自民党は、世界でもたぐいまれな優越政党としての歴史を有している。

これまで自民党がなにゆえ長期政権を維持し得たのかについて、研究者はさまざまな切り口(分析視角)から説明を行ってきた。これから紹介する本書も、海外で日本政治を研究する気鋭の若手研究者による自民党長期政権の謎を解明した専門書である。

ただし、本書の著者は、これまで自民党長期政権の謎を解き明かしてきた研究者と決定的に異なるところがある。それは、著者の斉藤淳氏が衆議院議員経験を有しているという点においてである。エール大学大学院博士課程に在学中、民主党の候補者公募に合格した斉藤氏は2002年10月、自民党の加藤紘一氏の辞職にともなう山形4区の補欠選挙に立候補し、当選を果たした。しかし、2003年の総選挙では、復活を期す加藤紘一氏に敗れ、その後、再び学究の世界に戻った。このように斉藤氏は、たとえ1年とはいえ、国会議員として国政に携わったユニークな経歴を持つ研究者なのである。

2 本書の構成と概要
本書は以下の9章からなり、このうち第1章が本書の序論、第2章から第8章までが本論、第9章が結論に該当する。

 第1章 自民党長期政権の謎:政治不信にもかかわらず政権は続いたのはなぜか
 第2章 自民党型集票組織と投票行動
 第3章 人口動態と選挙戦略:長期的趨勢への政治的対応
 第4章 支持率の変動と選挙循環
 第5章 集票のための補助金
 第6章 利益誘導と自民党弱体化:我田引鉄の神話
 第7章 利益誘導と政界再編
 第8章 選挙制度改革と政策変化:政権交代への道のり
 第9章 同時代史としての自民党長期政権:逆説明責任体制の帰結

まず第1章では、他の先進民主主義国との比較において、国民の政治に対する信頼感や満足度が低い日本で、なにゆえ自民党の長期政権が存続し得たのかという謎を解く鍵概念として「逆説明責任」が提起される。「逆説明責任」とは、有権者が政府与党に対して、自らの支持の強さについて果たす説明責任のことである。この有権者の自民党に対する逆説明責任と集票実績に対する監視及び集票に応じた利益配分(利益誘導)とを利用して、自民党は長期間にわたって政権を存続させた。

しかし、両者の間に長期的に両立しえない矛盾が潜んでいた。なぜならば、経済効果の高いインフラ事業を推進した場合、その完成後、「ただ乗り」(フリーライダー)の問題が発生し、支持基盤が弱体化する一方、経済的に非効率的な公共事業を集票目的で推進した場合は、財政基盤が弱体化するというジレンマに陥るからである。

このように、本書は、有権者(随従者)の直面する集合行為問題と政治家(庇護者)との監視と強制のメカニズムに着目する。

第2章では、個人後援会をはじめとするさまざまな自民党の集票マシーンが有権者の投票行動を監視する機能を果たしていたことが指摘される。

選挙における相互監視機能が最も強固に機能する共同体である農村や漁村では、職住隣接の割合が高く、利益配分とそれにともなう監視体制が容易に構築しやすいこともあり、農協や漁協が集票組織の中核となった。これに対し、旧市街地では、医師会や特定郵便局長会、青年会議所といった自民党支援団体の地域支部が集票組織の中心となった。そして、自民党の利益誘導措置は、地域共同体や各種団体による監視活動と、報復戦略の有効性が高い場合に、特に高い集票力を発揮したのである。

第3章では、戦後の高度経済成長にともなう農村部から都市部への人口の大移動、いわゆる都市化に対して、自民党政権が如何なる対応を取ったのかが検討されている。高度経済成長による都市化の進展は、自民党にとって、地域住民組織を用いた監視動員型集票組織の弱体化をもたらすものであった。

そこで、自民党がとった政策選好は、将来の成長産業よりも社会的に脆弱な部門を集中的に庇護するというものであった。具体的には兼業農家や中小企業、高齢者などを市場競争や経済変動によるさまざまなリスクから保護した。自民党政権は経済成長を積極的に促進するというよりも、むしろ産業構造の急速な転換にブレーキをかけ、社会構造の変容にともなう「痛み」を緩和することに自らの役割を見出していった。著者の言葉を借りれば、これは保守的なイデオロギーよりも自らの選挙地盤の「保守」に他ならなかった。

しかし、60年代後半から70年代にかけて、自民党は得票率や議席率を低下させ、1970年代のいわゆる保革伯仲時代を迎える。しかし、自民党は、高度経済成長による急激な都市化に定数格差の是正が追いつかなかったことによる「一票の格差」や野党の分裂状況に助けられ、さらに候補者の絞り込みや保守系無所属の追加公認などで、政権を維持したのである。

第4章では、自民党政権による解散総選挙タイミングの選択と、衆参選挙に合わせた政府予算の増加傾向について分析されている。

固定相場制時代では、景気循環の頂点で解散総選挙に踏み切ることが多かった。固定相場制下では、外貨準備が経済政策において制約になることが多く、不況に突入する前に選挙をしたいという誘因が政権に働きやすかったからである。

しかし、1973年に変動相場制に移行すると、景気循環の底で選挙が実施されることが多くなった。そして、1994年の選挙制度改革以降は、内閣は成長率が落ち込んだタイミングでの選挙を避け、短期的な景気循環の頂点で解散選挙に臨む傾向が強まった。

これに対し選挙のタイミングが固定的で、与党候補者の個人後援会が相対的に弱体な参議院の選挙においては、選挙前の支持率が低い場合、政府投資が増大する傾向が見られる。

第5章では、自民党政権が政策便益を選挙区にどのようにして配分し、選挙を戦ってきたかが分析されている。

本章で明らかとなったのは「一票の重さ」が重く、監視動員活動を行うのが容易な地域で自民党が集中的に得票を稼いできたという事実である。自民党の候補者は、選挙区内の地方自治体が直面する集合行為問題を活用し、選挙区内の自治体同士を互いに競わせることで監視と動員を強化し、集票活動を行った。その際、候補者は地方議員によって構成される緻密なネットワークを活用した。自民党長期政権が固定化されることで、有権者の側が競争を迫られる逆説明責任状態が、自治体単位で現出するに至ったのである。

第6章は、利益誘導政策に対する通説的イメージに再考を迫る本書の白眉である。

新潟など田中型利益誘導政治が最大の成果をもたらした地域では、インフラ整備の完成後、自民党の選挙地盤が急速に衰退したのに対し、竹下登の牙城であった島根では、竹下の死後も自民党王国が継続している。これは竹下が中海干拓事業を推進する一方、高速道路事業の進展を十分な力を入れなかったことと関係しているという。

それはなぜか。「我田引鉄」「我田引道」といった利益誘導は、用地買収が完了し、インフラができ上がってからは選挙戦略としての有効性を失う。便益をストップする「ムチ」による脅しが機能しなくなり、交通インフラが「アメ」だけの政策手段へと変質するからである。要するに、日本では長期的に自民党の一党優位が続き、逆説明責任が働いていたため、むしろ便益の供給を遅らせ、低開発状態を維持することで、与党の支持をつなぎとめた。そのため、与党の有力な地盤ほどインフラ整備が遅れ、経済的な競争力を失い、補助金の流入に依存する体質となり、過去のインフラ投資の受益者である都市部では、住民が与党の自民党に票を入れる動機を喪失するに至ったのである。

前章の成果を踏まえ、第7章では、1990年代の政界再編が利益誘導という分析視角から説明される。本章の結論は、各自治体における新幹線、高速道路、高速道路の未整備状況が自民党議員の行動を間接的に規定していたというものである。

例えば、小沢一郎や羽田孜らとともに自民党を脱党した羽田派の議員は、竹下派に残留した議員に比べてインフラ整備の行き届いた選挙区選出の議員が多く、その後、インフラの貧弱な地域から選出されている議員の大半は自民党に復党する傾向が強かった。また、2000年の「加藤の乱」に加担した加藤派の議員は、インフラ未整備地域を代表する者が多く、与党であり続けることが死活的に重要な問題であった。それゆえ、「加藤の乱」の敗北後、誰も自民党を離党するものがいなかった。

第8章では、1994年の選挙制度改革以降、自民党が新制度に如何なる適応を行ったが分析されている。結論を先取りすれば、自民党の対応は短期的には政権維持に成功するものの、長期的には党勢を弱体させるものであった。

周知のとおり、自民党は政権を維持するため、公明党との連立を選択した。これにより公明党の支持母体である創価学会の選挙協力が得られるようになった代わりに、自民党候補者は公明党/創価学会への依存度を強めることとなった。そして、自民党は地域振興券、定額給付金については公明党の政策要求を受け入れる一方、公明党は小泉内閣時代、自衛隊のイラク派遣を容認した。さらに、自民党は都市型政党への転換を図るため、直接的な財政支出をともなわない利益誘導である規制緩和を活用するようになった。

また、補助金支出と選挙区の関係をみると、中選挙区時代に自民党の金城湯池だった地域への支出が減少し、小選挙区の接戦区で勝利を収めるため、接戦区への補助金投下が増大した。

そして、政策変更をより恒久的に持続させる手段として、市町村合併による地方行財政改革が行われた。合併特例債によるアメと一律の補助金削減というムチを使って、自民党の金城湯池といわれた選挙区で、合併が積極的に実施された。市町村合併の結果、自民党の運動を長年にわたって支えてきた地方議員、すなわち監視と動員の担い手の数が減少し、自民党候補者に大きな打撃を与えた。また、公共事業の削減による動員資源の総量の減少も、自民党候補者に打撃を与えた。

こうして、本来は動員によって自民党への投票を呼び掛けてきた勢力が弱体化し、自民党は政権から滑り落ちた。すなわち2009年の政権交代は、有権者が積極的に民主党の政策を選択した結果とはいえないのである。

本書の結論部分にあたる第9章で、著者は本書を「自民党長期政権を逆説明責任体制と捉え、これが存立する条件を分析し、戦後日本の公共選択を再解釈し」たものと位置づけた。

3 論点
本書は戦後、自民党が半世紀にわたって長期政権を維持し得た謎を、有権者が自らの支持の強さについて政府与党に対して果たす説明責任、すなわち「逆説明責任」と、利益誘導の逆説という観点から解き明かした。まず自民党は、有権者や支持団体を「逆説明体制」に組み込み、彼らを競合させることで、政権維持(利益)のコストを低下させてきたという指摘は、自民党が支持層や支持団体に過度のばら撒きを行ってきたという安易な自民党像及び日本政治像に再考を迫る。

ただし、ここで注意しなければならないのは、自民党が利益供与を与え、保護したのは兼業農家や中小企業、高齢者といった市場の競争に相対的に脆弱な層であったという事実である。すなわち自民党は、不特定多数の国民に対してではなく、自らを支持してくれる特定の層や団体に対して「優しい」政策をとったのである。おそらく、このような事実が増幅されて、高度経済成長によって再分配のパイが増大し、自民党はそれを支持団体や支持層に過剰にばら撒き、高度成長の終焉後もそれを続けた結果、膨大な財政赤字を生み出し、政権維持のコストが極めて高くなったという俗説的なイメージが形成されていったのであろう。

また、本書は「我田引鉄」「我田引道」という言葉に代表される「利益誘導神話」にも修正を迫る。政治家が有権者に利益を与えすぎると、有権者は政治家に恩顧を感じなくなり、離反するという指摘は、意表をつく興味深い指摘であった。利益誘導で如何に支持者たちに期待を持たせるか、という問題において重要なのは、実現困難でも、いつかそれがその政治家の力によって実現すると思わせる力である。本書では、利益への期待で如何に有権者の支持を長い期間引っ張り、支持をつなぎとめるか、ということが政治家にとって如何に重要であるか、が逆説的に浮き彫りにされた。

この利益誘導の逆説という指摘は、戦前期の政党政治分析にも貢献する重要な問題提起である。戦前期の日本の経済力は、戦後の高度経済成長期以降と異なり、脆弱で利益誘導でばらまける財源はかなり限定されたものであった。しかも、戦前の日本は、予算全体に占める軍事費の割合も高かった。それにも関わらず、自由党―憲政党―政友会系は、「利益誘導」言説を構築し、支持基盤を拡大していった。実際の利益供与そのものに加えて、支持者や支持団体に期待を持たせ、支持をつなぎとめる利益誘導の言説は今後、政党の利益誘導の問題を考えるうえで、分析対象の重要性を一層増すであろう。

今度は、本書の疑問点をいくつか述べたい。まず選挙における有権者監視の機能とその強度に関する議論には、違和感が残った。この議論は1960年代までは妥当性が高いと思われるが、高度経済成長により、農村部にも都市化の波が押し寄せ、農村社会が大きく変容した1970年代以降は、農村部における監視の機能と強度は弱まったのではないだろうか。監視の機能と強度は、時代の変遷によって弱まり、変容しているのであり、その時代の変化をもう少し丁寧に描いた方が議論の説得力が一層増したように思われる。

次に、2009年の政権交代に関して、著者は「平成の市町村合併」による地方議員数の削減を重視する。自民党の衆議院議員候補者の選挙活動を支えてくれる地方議員の数が減少したことにより、それが「負の影響」を与えたのが事実であろう。しかし、自民党大敗による政権交代の要因としては、ポスト小泉以降、自民党が都市型政党に完全に脱皮できなかったことにより、小泉内閣期に新規開拓した層が離反したこと(民主党に票が流れたこと)の方が重要なのではないだろうか。2009年の自民党の大敗要因に関し、著者がどの要因をもっとも重視しているのかを、もっと明確に論述しても良かったように思う。

本書から浮かび上がる自民党のイメージは、西欧諸国の保守政党のようにイデオロギーや宗教的な保守主義に立脚せず、自らの選挙基盤を保守・維持する意味での保守主義しか持たない「理念なき現実主義政党」というものである。では、このような自民党がなにゆえ半世紀あまりも政権の座にあり続けることができたのであろうか。自民党長期政権の謎を解明するには、まだまだ残された課題も多い。しかし、本書が議論の叩き台となって、自民党長期政権に関する議論が活性化することは間違いないだろう。