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【書評】『外交証言録 沖縄返還・日中国交正常化・日米「密約」』栗山尚一著、中島琢磨・服部龍二・江藤名保子編(岩波書店、2010年)

January 10, 2012

評者:昇亜美子(政策研究大学院大学助手)


戦後日本外交史における印象深い出来事として、沖縄返還と日中国交正常化を挙げる人は多いだろう。本書は、この「戦後」の終わりを決定付けたふたつの重要な外交交渉に、条約局に所属する外交官として深く関与した栗山尚一への5回にわたるインタビュー記録を基にした証言禄である。以下本書の内容紹介に続き、その意義について論じたい。なお、評者自身も第2回目のインタビューに参加しており、本書を評価するうえでは厳密な意味で中立な立場にないことをお断りしておく。

本書冒頭には栗山による「はしがき」に続き、編者の一人で、沖縄返還や日米安保問題を専門とする中島琢磨による解題「栗山尚一と日米・日中関係」が収録され、栗山証言の意義が明確に示されている。読者は是非この解題から読み進めることを勧めたい。第1章「沖縄返還と外務省―条約局の立場」と第2章「佐藤・ニクソン共同声明―核兵器と戦闘作戦行動」では、沖縄返還問題が取り上げられている。栗山は条約局条約課の課長補佐として、沖縄返還交渉で大きな役割を果たした。返還の合意と日本の地域安全保障への関与が表明された1969年11月の日米共同声明と佐藤栄作首相のナショナル・プレス・クラブ演説の作成者の一人が栗山だったのである。東郷文彦アメリカ局長によって起案された共同声明の原案を、条約局的な見地から法律的に問題があるかどうかを精査し、さらに英訳することが栗山に課された仕事であった。

とりわけ重要なのは、核の問題が扱われた日米共同声明第八項の作成過程に関する証言である。栗山は中島敏次郎条約課長と共に、米国の核戦略と日本の非核政策の両方と矛盾しないように苦心しながら、「事前協議制度に関する米国政府の立場を害することなく」との文言を盛り込んだのである(65-72頁)。

第3章「日中国交正常化―交渉の舞台裏」では、条約課長となった栗山が、1972年9月の日中共同声明の日本側案を起案する過程について述べられている。条約局は、中国が提示してきた復交三原則のうち、台湾の法的地位と日華平和条約の処理の問題について、アジア局の橋本恕中国課長から全面的に任されたという(124頁)。日中共同声明における台湾に関する部分について、中国側が納得するように「ポツダム宣言第八項に基づく立場を堅持する」との文言を入れたのは栗山の案であった。

第4章「アジアとの関係・歴史認識問題」および第5章「戦後日本外交とは何だったのか」では、栗山が直接かかわった特定の外交案件に関する証言に加えて、駐マレーシア大使、外務審議官、外務事務次官、駐米大使などを歴任する中で培った栗山の戦後日本外交全般に対する認識が披瀝されている。特に、日米関係、日中関係、そして日本の歴史問題について議論が展開されている。

終章「日米『密約』との葛藤―非核三原則とアメリカ核政策の間」は、いわゆる日米「密約」について扱っている。本章で特に興味深いのは、栗山自身が1981年に条約局勤務の大臣官房審議官として、核搭載艦の一時寄航を、寄港地と日数を制限した上で事前協議の対象外とする対米交渉試案を極秘に起案した経緯が語られている点である。ライシャワー元駐日大使の発言を契機に国内説明の軌道修正をする方法について「条約局の人間として考える責任がある」と感じたという(254頁)。

さて、本書の評価について、栗山証言の重要性、栗山の外交観、外交官の回顧録およびオーラル・ヒストリーの有用性という観点から論じてみたい。

本書では、外交史専門家の編者らが専門性の高い具体的な質問をしていることから、正確かつ詳細な証言を得ることに成功しており、沖縄返還や日中国交正常化の外交過程が従来以上に明らかされていると評価できる。これまで沖縄返還交渉については、東郷文彦『日米外交三十年―安保・沖縄とその後』(世界の動き社、1982年)が長らく参照されてきた。同書で示されたアメリカ局長から見た日米交渉に対して、本書では法律的な見地を重視した条約局の立場が語られており、両局の「共同作業」(86頁)である日米共同声明の作成過程などについて歴史的に評価するうえで、極めて重要な資料となっている。 また、いわゆる「密約」についての外務省条約局の立場がこれほど明確に語られたことはなく貴重である。本書を通して、条約局が、沖縄返還に際しても日中国交正常化に際しても、「秘密取決めをしない」という基本姿勢を持っていたことが繰り返し強調されており(47頁など)、ゴール・キーパーと称される条約局の立場を理解する上で大いに助けとなる。

沖縄返還時の「核密約」問題は、本書では第1章と終章の二度にわたって登場するが、両者の間で発言のトーンに変化が見られるのには理由がある。終章のベースとなった第5回目のインタビューは、日米「密約」に関する有識者委員会報告書の公表を待っておこなわれたからである。栗山は第1章では、秘密合意議事録は「外交文書として、日米間の文書として何の意味もない」と断じている。その根拠は、米側は日米共同声明第八項に満足したのであり、また、実際の有事の際にはアメリカは、核兵器の持ち込みを過去の文書ではなくその時の客観条件に応じて決定するからである(59頁)。だが、秘密合意議事録が佐藤元首相の遺品から発見されたことをうけて終章では、同議事録が「法的に有効でないと主張することは、国際法的に難しい」として、少なくとも佐藤内閣時代においては拘束力をもったであろうことを示唆している。ニクソン大統領が軍部の説得に際して同議事録をどのように使ったのかについてのアメリカ側の資料が明らかになっていない現在、「密約」が沖縄返還を実現する上で本当に必要だったのか、またその拘束力は佐藤・ニクソン以降に両政府で継承されたのか、といった問題についてはいまだ議論が続いている。今後もこの問題を考える上で、栗山証言は参照されるべきものである。

次に、本書を通して読み取れる栗山の外交観について考えてみたい。栗山は、「吉田路線」は、戦後日本の復興、繁栄、安全保障の面から見て、事実上、現実的に考えられる唯一の選択肢であり(103頁)、アメリカ主導で構築された国際秩序をフルに活用した戦後の日本外交について、「高い合格点が付けられて然るべき」(v)と積極的に評価する。個別の事案についても、日中国交正常化はサンフランシスコ体制の枠内でしか起こりえない、すなわち米中接近に先んじて実現することはあり得ないと認識していたという(103頁)。

こうした栗山の戦後外交認識は外務省主流の認識といってよいかもしれないが、外交文書や外交官の回顧録やオーラル・ヒストリーを詳しく紐解けば、もう少し多様な外交観も見えてくる。たとえば、『アジア外交―動と静』(蒼天社出版、2010年)で明らかにされた元駐中国大使の中江要介のアジア地域政策に対する問題意識は、栗山のアメリカ重視の姿勢と矛盾するものではないが、やはり力点がかなり違うように思われる。ちなみに、日中国交正常化に際して台湾との断交を担当した当時アジア局参事官であった中江が、栗山の仕事に高い評価をしていないのも興味深い。中江は、日中共同声明第三項の「ポツダム宣言第八項に基づく立場を堅持する」という文言は、日本が「ごまかして逃げた」と思っていると断じている(『アジア外交―動と静』151頁)。この他、栗山より15年ほど年次が下がる田中均元外務審議官は、外交の現場で常に「日本が敗戦の結果、戦後の時代に受けざるを得なかった外交・安全保障政策面での制約を打ち破っていかねばならないという使命感があった」と回顧しており(田中均『外交の力』日本経済新聞出版社、2009年、171頁)、戦後レジームを肯定的に受け入れた栗山とは異なる意識を持っていたようである。

最後に、本書のような外交官の回顧録やオーラル・ヒストリーを外交史研究にどのように活かすべきかについて考えてみたい。史料(資料)に残らない秘話や実現しなかった構想が明らかにされることは回顧録やオーラル・ヒストリーの醍醐味であるが、ここでは敢えて外交文書との関係について述べたい。本書は、公開された外交文書とつき合わせて専門家が質問事項を作成したうえで証言を求めており、回顧録に時に見られる曖昧な記述や手柄話といったことが避けられている。情報公開制度の開始、民主党政権における「密約」調査への着手と外交文書公開促進の政策により、1970年代前半までの戦後の重要な外交案件に関する史料は段階的に入手可能になってきている。これにより政策担当者への聞き取りがおこないやすい環境がもたらされてきたといえよう。栗山の「私も守秘義務から解除されて正直にお話しできるようになって、非常にある意味では喜んでいるのです。先日までは守秘義務があって、お話ししたくてもできないことがあって、それで有識者委員会の報告書が出てくるまで保留させていただいていたのです」という発言は(265頁)、外交史料の公開が、当事者の証言を引き出すうえでいかに重要かを示している。加えて、民主党への政権交代は、55年体制の崩壊後の時期と同様に、当事者達が証言しようとするひとつのきっかけになったかもしれない。

今後も戦後外交に関する史料や証言が蓄積され、従来以上に詳細に外交過程を描くことが可能になっていくだろう。だが外交史研究者にとって、日本外交の一般的性格や構造を明らかにするという分析視角が重要であることは変らない。戦後日本外交には、戦略的というよりは、比較的受動的に懸案を処理する実務の積み重ねという傾向があり、当事者の国際構造への理解が欠けていることがある。また当事者の動機や意識とは異なるレベルで構造的制約が働いている場合もある。本書は、証言録としてのみならず、こうした研究の視角について考える材料ももたらしてくれる、政治外交に関心のある人には必読の好著である。

    • 政治外交検証研究会メンバー/政策研究大学院大学 安全保障・国際問題プログラム 研究助手 博士(法学)
    • 昇 亜美子
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