タイプ
その他
プロジェクト
日付
2013/5/28

【書評】熊本史雄『大戦間期の対中国文化外交―外務省記録にみる政策決定過程―』

評者:評者:千葉功(学習院大学文学部史学科教授)


1.本書の内容

 本書は、著者が筑波大学大学院に提出した博士論文をもとに刊行したものである。著者は筑波大学大学院で研究されたのち、外交史料館勤務を経て、現在は駒澤大学文学部に勤めている。筑波大学で中野目徹氏のもと研究し、外交史料館勤務を経験したという経歴が、本書を生み出す重要な背景となった。
  本書を書評する前に、簡単に本書の内容をまとめておこう。
  序章では、対支文化事業に関する先行研究をまとめ、同事業を日本外交史研究の文脈の中に位置づける必要性を指摘したうえで、同事業に対する外務省の組織的対応を分析するという課題のためには史料学的アプローチが有効であり、同アプローチによって研究を行うことを著者は宣言する。
  第1章では、外交課題として対支文化事業が創出される前提として、小村欣一ら外務省政務局第一課がウィルソンの「平和のための一四ヵ条」に表れる「新外交」理念を積極的に受容していく過程を分析する。その際、林権助(在中国公使)が団匪賠償金還付の使途として「実業教育乃至一般教育費又ハ衛生事業」に振り向けることを強く主張し、政務局第一課もそれを後押ししたという。
  続く第2章は、本書の中心となる対支文化事業の創出を扱ったもので、分量的にも厚いものとなっている。まず、原敬内閣にとって対米協調のもとで在満蒙権益拡大を図ることが外交政策の重要課題であったことを再確認したうえで、公表外交の推進機関として情報部が設置(1921年8月官制公布)されたことに触れる。次に、1924年12月に参事官会議が廃止され、地域局の筆頭課(亜細亜局第一課)を中心に対中国外交政策を立案・施行する体制を外務省が敷いたことから、1924年(第二次奉直戦争、利権回収運動の高揚の年)の日本の対中国外交において、従来の分課規程に見られるように中国本土と満蒙地域とを区別してきた伝統的な枠組みが動揺し始めたことを明らかにした。このように統合的な視野から対中国政策を展開しなければならなくなってきた時期にあって、「新外交」への対応として1923年に開始された「対支文化事業」は、不安的な中国の政況に左右されない、政治や経済といった領域とは異なる新たな独自の政策の創出を意味したという。
  第3章は文化事業部の独立を中心に扱う。1927年6月、文化事業部が亜細亜局から独立するが、既に亜細亜局に包摂されていた時期から文書処理方法を変化させ、独自の意思決定過程を形成していたという。また、文化事業部は「対支文化事業」の補助・助成に従事し、政治的な事項に関わることなく、その独立性を高めていった。さらに、中国国民政府による革命外交に直面した文化事業部は、亜細亜局が展開してきた従来の対中国外交を批判して、「精神的帝国主義」という独自の理念を提唱した。一方、済南事件を経験するなかで「対支文化事業」は質的に転換し、文化事業を通じて日中提携を促進するという従来の理念が歪められ、日本単独で「東洋文化ノ研究発揚」の使命を果たすための研究機関として東方学院を構想するようになった。この文化外交理念の動揺は、次章で見られるように、華北分離工作が本格化する1935年以降、さらに文化事業の変質を促す要因となったという。
  次に第4章では、文化外交の転換過程が分析される。満州事変後の「満州国」建国を受け、「対支文化事業」が拡張される形で、「満蒙文化ノ研究」「日満文化提携」を事業方針とする「対満文化事業」が開始される。また、連盟脱退後の1934年にアジア・モンロー主義的な「東亜」概念が外務省内、特に重光葵次官を中心にして形成され、日本の対外政策の基本路線となるとともに、組織も「亜細亜局」が「東亜局」へ改組された。そして、陸軍主導の華北分離工作が本格化すると、文化事業部は「対支文化事業」を「北支新事業」たる華北経済開発策へ資する政策へ転換することが迫られるようになった。さらに、1938年、興亜院設置問題が持ち上がると、東亜局はそれまで関与してこなかった「対支文化事業」の補助・助成事業のうち、経済開発策関連事業に限って決済に関与し始めた。こうして、「対支文化事業」の実施方針は、非政治的なものから政治的なものへと変化することになるのである。
  第5章は、文化外交理念が最終的に破綻する過程を明らかにする。文化事業部内では、陸軍と協調的な関係を模索し、「対支文化事業」を「北支資源開発」策へ転換しようとする見解が出されたが、興亜院設置問題が持ち上がると、陸軍案への反発から、逆に非政治的な事業の実施という文化事業本来の実施方針に回帰した。しかし、文化事業部の対応は東亜局のそれとは隔たりがあり、外務省全体で統一的な方針や意思にもとづいて「対支文化事業」を実施し得る体制にはなかった。よって、文化外交理念としての「精神的帝国主義」論は、中国を日本に包摂されるべき存在とみなし、対支文化事業を占領地行政として位置づけるような陸軍案によって退けられ、破綻した。以後、外務省が興亜院による対中国政策の企画・立案・施行に対し実質的に関与できなかったが、そのことを著者は文書処理過程から明らかにした。
  そして、終章で本論における成果をまとめ、最後に「ワシントン体制論という分析枠組みや『幣原外交』『田中外交』といった視角に依拠した従来の研究において看過されてきた課題が、本研究において初めて克服されたのであり、史料学的アプローチを導入することによって、大戦間期の外務省と対中国文化外交に関する新たな外交史像を提示することができたのである」という一文で締めくくっている。

2.本書の意義と日本外交史研究の課題

  本書の最大の意義は、著者自身が序章・終章で強調するように、日本外交史研究において史料学的アプローチを積極的に採用したことにある。それは、史料学的アプローチを提唱する中野目徹氏を指導教官に持ち、さらに外交史料館勤務で「書庫に自由に出入りできる立場となり、外務省記録という?宝の山?に常に囲まれた環境に身を置くことができた」(p.335)ことが大きく作用している。このことは、本書を個性的で魅力的なものとして刻印することになったのである。
  例えば、pp.105-112に典型的に表れるように、外交文書の欄外等に見られる接受印や接受年月日から、文書の処理過程ないし文書のライフステージを再現したところなどは、きわめて興味深い。これほど「外務省記録」に関して史料学的アプローチを突き詰めて研究したものはほぼないと思われるからである。そして、以上の検討をふまえて〈亜細亜局保管文書〉や〈文化事業部保管文書〉を再現し、さらにそれをもとに外務省内における意思決定過程のあり方の分析に進める。例えば、著者は第3章で、〈亜細亜局保管文書〉率が減少に転じた1925年以降も、〈文化事業部保管文書〉率が高率を維持したことをもって、文化事業部が亜細亜局の文書処理過程に影響されることなく、独自の意思決定過程を形成していたことの表れと指摘(p.163)するが、これは近代史料学的研究の方法が日本外交史研究において適用され、新たな外交史像を描くことに成功していることを示している。
  ちなみに、著者は外務省内における文書処理過程分析にもとづく意思決定過程の再現を本書の意義の中核にすえる関係上、行政学の知見を積極的に導入しようとする。例えば、著者は参事官会議を、官房に本籍をもちスタッフ職たる参事官を官房・各局間のラインへ配置し、両者のパイプ役として機能させようとしたものと解釈したうえで、高い評価を与えるのである(pp.91-94)。
 また、著者は文書処理ないし意思決定過程において部局課レベルを重視するが、そのことは外交史料館勤務にもとづく外務省記録の博捜とあわさって、例えば第1章において、「支那政見雑纂」(外務省記録1.1.2.77)という政務局第一課(小村欣一課長)の意見書を多く含む簿冊を「発見」し、積極的に利用することにつながるのである。
  このように、本書は史料学的アプローチを採用することによって外務省内の意思決定過程に関する研究を大きく前進させ、新たなステージに導いた点で高く評価できるものである。もちろん、本書の出現によって新たなステージに進んだ以上、同時に新たなステージに対応した新たな課題も生じると思われる。
 本書では、日本外交史研究の伝統的なアプローチに加えて、史料学的なアプローチを採用するところに意義があるが、そのことは逆に、叙述ないし構成上、各アプローチにもとづく分析が本文中で交互に出てくることにつながり、読者の理解を難しくするところがある。これからの日本外交史研究は、叙述ないし構成に工夫が求められるであろう。
 また、両アプローチを併用する以上、その接続の仕方ないし妥当性が新たに問題になる。例えば、亜細亜局第一課が組織を柔軟かつ弾力的に運用することで対中国政策の企画・立案機能を強化する体制へと変化した表れとして〈亜細亜局保管文書〉が形成されたことを指摘した点はきわめて興味深いが、そのことから「対支文化事業」の創出を直接的に説明することは少々無理があるのではなかろうか。
 別な事例として、著者は第5章において「別府〔節彌、文化事業部第一課事務官〕の見解は急進的な内容を伴っていたが、同案の欄外に文化事業部長である岡田兼一が閲了の花押を据えている点に鑑みると、決して独りよがりの突飛なものではなく、文化事業部内である程度共有されていたとみてよいだろう」(p.274)と述べる。岡田自身が別府と同様の考えを持っていたことはp.275にあるように他の史料から裏づけられるのでそれはよいとしても、一般論として文書の「閲了」をもって意見の「共有」とみなしてよいのだろうか。
 しかしながら、これらの課題は、新しいアプローチの導入と伝統的なアプローチとの併用による必然的な代償であろう。本書が研究を新たなステージへと導いたのはまちがいなく、そのような意味で、本書はこれからの研究にとって必読文献になると思われる。