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【書評】鳥山淳『沖縄 基地社会の起源と相克 1945-1956』(勁草書房、2013年)

September 24, 2013

評者:平良好利(獨協大学地域総合研究所特任助手)


本書は、近年の沖縄戦後史研究を牽引してきた人物による初の単著である。その時代をリードしてきた著者による作品とだけあって、そこに込められたメッセージは重く、読む者をしばし沈黙させるか、あるいは深い思索へと誘うことになる。

本書が課題としたのは大きく分けて2つある。まず1つは、沖縄社会にとっての「戦後」とはいったい何なのか、またその「戦後」とはどのような形ではじまったのか、ということである。本書が対象とした1945年から1956年という時期は、まさに「〔沖縄〕社会の基本的な構造が軍事基地によって大きく規定された時期」であり、だからこそ「『戦後』を考察するうえで決定的に重要である」、というのが著者の考えである。本書はこの戦後の出発点を丹念に掘り起すことによって、軍事基地あるがゆえに沖縄の人々が背負うこととなった「困難」を肌感覚で理解し、沖縄にとっての戦後とは何かを懸命に模索したものとなっている。

いま1つの課題は、こうした困難を背負わされた沖縄の人々が、どのように自治と復興を展望し、その実現を図ろうとしたのか、ということである。その内実を明らかにすることによって、沖縄社会に生じた亀裂ないし相克を描き出そうというのが、本書の試みである。そしてこの「自治と復興」という観点から政治的な潮流を凝視すれば、そこには日本復帰によって現状を打開しようとする立場と、米軍の占領政策に協力することによって現状の改善を図ろうとする立場の2つが浮かび上がってくるという。本書はこの2大潮流のうち、とりわけ後者の占領政策に協力する側の論理に注目して、それが結局のところ破綻するまでの過程を詳細に描く。そしてその「協力の論理」に「塗り込められた支配関係を感知する」ことが重要であると説き、その支配の構造が「いまなお解消されていない」ことを訴えるのである。

1997年に沖縄に移り住み、沖縄の抱える諸問題をあくまで地域に密着しつつ熟考したのが著者である。現在の沖縄を取り巻く現実を見据えつつ、その抱える諸問題を読み解くために過去へとさかのぼり、そこにみられる論理と情念を抽出しようとする著者の試みは、われわれに問題の根の深さを教えてくれる。では、10年以上にわたってこの問題と真正面から対峙してきた著者は、過去の現実とどう向き合い、それをどう理解し、われわれに何を伝えようとしたのだろうか。以下、本書の中身を具体的にみていくことにしよう。

本書の構成と概要

まず本書の構成は次の通りである。

はじめに 本書の課題と構成

第Ⅰ部 混乱の中での模索 1945~49年
第1章 収容所生活と自治の萌芽
第2章 基地が生み出す地域の混乱
第3章 自治の停滞と社会の混迷

第Ⅱ部 交錯する多様な希求 1949~51年
第4章 基地の拡充とその影響
第5章 日本復帰運動と自治の屈折

第Ⅲ部 破綻する協力 1952~56年
第6章 占領の継続と矛盾の噴出
第7章 動揺する協力の論理
第8章 反共主義と軍用地問題
第9章 協力の破綻と新たな動き

おわりに 本書の視座とその射程について

まず第1部は第1章から第3章で成り立っており、ここでは1945年から1949年までの沖縄社会の実相と、「自治と復興」に関する初期の構想と挫折について論じられている。

第1章では、沖縄本島中南部で軍事基地の建設が推し進められるなか、沖縄戦を生きのびた人々が北部の民間収容所に送り込まれたことや、そこでの人々の生活の実態がどうであったのかを詳しく論じている。また、軍事基地が建設されたことによって中南部の住民が元の居住地に戻れない状況を論じるとともに、占領開始直後に存在した自治への期待が脆くも軍政方針の転換によって裏切られていく過程を明らかにしている。

第2章では、ようやく収容所からの帰郷を果たした住民が基地労働へと流れ込んでいく過程や、米軍基地が集中する那覇市や北谷村、そして読谷村の状況やそこで暮らす人々の諸相について論じている。また、死と隣り合わせの弾薬撤去作業や、米軍の度重なる演習によって被害を受ける人々の様子などが克明に描き出されている。

第3章では、こうした状況のなかで結成された2つの政党(民主同盟と沖縄人民党)の動きに焦点をあて、両党がいかなる形の自治と復興を希求したのかを論じている。また、食糧の供給停止や配給物資の値上げ、そして所得税の徴収などの諸政策が次々と打ち出されたことにより、住民が軍政批判を強めていく過程を明らかにしている。

第2部は第4章と第5章で構成されるが、ここでは1950年から1951年にかけて沖縄の人々がいかなる「自治と復興」を希求したのかを論じている。

第4章では、1950年にはじまった本格的な基地建設と、これに伴い帰郷の可能性を失った人々の様子が描かれると同時に、基地労働に職を求めて人々が農村から基地へと殺到する様子や、その農村社会が若年層の流出や離農などによって衰退していく過程が論じられている。

第5章は大きく分けて3つのパートからなり、まず前半部分では、1950年の沖縄群島知事選挙についての考察がなされ、復興からとり残された農村社会の危機感を背景に平良辰雄が当選するまでの過程を描いている。次に本章の中盤では、沖縄人民党や1950年に結成された2つの政党(沖縄社会大衆党と共和党)の主張を中心として、日本復帰をめぐる様々な言説を「自治と復興」という観点から詳しく論じている。ここでは、米軍占領以前の日本統治時代をどのように捉えるのかや、急増する米国援助をどのように認識するのかで日本復帰に対する見解が異なっていたことを明らかにしている。また本章の後半部分では、停滞する農村社会の再建構想と復帰論との関わりが論じられるとともに、基地によって生計を立てざるを得ない人々の抱える困難とその隠れた「いらだち」が考察されている。本書の白眉はこの第5章だといえよう。

第3部は第6章から第9章までで成り立っており、ここでは対日講和条約が発効した1952年から島ぐるみ闘争のわき起こる1956年までの動きが詳細に論じられている。

まず第6章では、1952年に琉球民主党が結成され、占領統治に協力して復興を図ろうとする一大政治勢力が台頭してきたことを論じている。また、1950年代の沖縄で最大の政治問題となった軍用地問題の発生経緯や、基地労働者の権利・待遇問題などが論じられている。

第7章では、軍用地問題が深刻さを増し、しかも米国の経済援助が削減されていくという状況のなか、占領統治に協力する琉球民主党の「論理」がその立脚点を失い、動揺する過程を論じている。

第8章では、このように綻びはじめた「協力の論理」を取り繕うために、琉球民主党が「反共主義」を掲げて野党勢力を非難したり、あるいはより一層米軍への協力に走っていく過程を論じている。また、この琉球民主党の後退に危機感を募らせた米軍当局が沖縄人民党への弾圧を強めていく様子が考察されている。また、伊佐浜と伊江島における土地の強制接収など、軍用地問題がさらに深刻化する過程も明らかにしている。

第9章では、いよいよプライス勧告の発表によって「協力の論理」が破綻する過程を論じるとともに、ここに至って沖縄の人々の認識が大きく変わり、占領統治を拒絶する動きが社会全体に広がったことを考察している。

本書の意義

以上が本書の概要だが、次に本書の意義についてのべてみたい。本書の意義は大きく分けて3つある。

まず第1は、本書が社会経済史的な視点を取り入れて戦後初期の沖縄の人々の置かれた状況やその苦難を見事に描き出したということである。これは、著者が沖縄の人々の生活レベルにまでみずからを近づけ、あくまでその地点から彼らの苦難をすくいあげたからこそ、可能になったものだといえる。本書によって戦後初期の沖縄社会がいかなるものであり、またそれが米軍占領と基地によってもたらされたものであることを、われわれは知ることになる。

第2は、その苦難の歴史を丹念に描き出すことによって、沖縄社会にとっての「戦後」とは何なのか、という問題を実に鋭利な形でわれわれに突きつけたことである。これに対する著者の見解は次の通りである。

沖縄の『戦後』とは、破壊が回復されていった時間ではない。地上戦の渦中で人々の生活空間を敷きならして建設された米軍基地が維持されたことによって、戦場における破壊状態の固定化がもたらされた。そこにおいて『戦後』とは、戦場から地続きとなった時間なのであり、それはいまなお続いているのである。

著者は沖縄の戦後の出発点にあくまでこだわり、その内部の状況を描くことに精力を傾けてきた。そしてそこからみえてきた本質こそが、「戦場と地続きの時間」だというのである。

第3の意義は、これまでの先行研究のように帰属をめぐる沖縄の指導者らの認識や態度ではなく、「自治と復興」という観点から彼らの希求したものを掴みとったということ、そしてそれを単に観念レベルにおいてではなく、あくまで社会経済的な文脈のなかでそれを読み解いたということである。また、みずからを「抵抗の側」に置きながらも、その「抵抗の側」の軌跡と論理を描き出すのではなく、逆に占領政策に「協力した側」の限界と問題点をあぶり出すことによって、側面から「抵抗の側」の意義を示し得たことも、本書の特色の1つである。評者とはアプローチや歴史の捉え方は大きく異なるものの、「協力の側」の動きとその論理の一断面を描き出したことは、本書がなし得た成果といえよう。ただ、本書が示した政治的な2つの潮流については、近年櫻澤誠氏によって批判∗がなされており 、著者としてはこれに応える必要はあろう。

評者からの要望

最後に評者からの要望であるが、著者は「あとがき」のなかで本書を生み出した原動力ないし問題意識について、次のようにのべている。

私が沖縄での生活を始めた年〔1997年〕の12月に、名護市で海上基地の賛否を問う市民投票が行われた。そのときには反対が過半数を占めたものの、その後のいくつかの選挙では建設容認を唱える知事や首長が当選し、基地容認という「地元の声」が既成事実として積み重ねられるような状況が続いていた。なぜそのような「選択」が支持を集めるのか、そこで人々が抱いている認識や願望はどのようなものなのか、その状況をどのように理解し、どのような問題として向き合っていくべきなのか。このようなことを突き詰めて考えるためのひとつの回路として、本書のような歴史記述を試みることになったのだろう・・・

このようにのべる著者の胸中には、「容認として括られてしまうような『選択』の中にも告発の火種はくすぶっているに違いない」という思いがあり、したがって「そのような視点から『島ぐるみ闘争』へと至る歴史過程を記述することを試みたつもりである」とのべている。

著者が先行研究を乗り越えることのみを意識したり、あるいは先行研究の隙間を埋めていくという姿勢で研究に取り組んでいるとすれば、それはそれで別の議論もできようが、あくまで現在の問題を見据えつつ過去の現実と真正面から向き合ってきたことを考えれば、その観点から評者としては本書を評さなければならないだろう。

まず著者の問題意識を踏まえて本書の考察をみた場合、米軍占領という圧倒的な「支配関係」のなかで「協力の論理」が破綻していったプロセスについては、ある意味で説得力をもって語り得たといえる。ただ、著者みずから「あとがき」でのべているように、この数年間に「沖縄社会の『選択』のあり方」が「大きく変化している」状況のなか、つまりは民主党政権発足以後、沖縄の人々の基地との向き合い方が大きく変わってきている状況のなか、本書の議論がどれだけの射程をもっているのか、ということである。

この著者の問いかけに対する評者の回答は、島ぐるみ闘争に至るまでの過程だけでなく、その後の展開をどう分析するのかを踏まえなければ、うまく評価できないということである。つまり、「戦場から地続きとなった11年間の『戦後』を根底から問い直す動き」としての島ぐるみ闘争がその後どのような展開をみせたのかや、そこからいかなる政治的な動きが生じたのかを問わずして、著者の問いかけに答えるのは困難だということである。「日本政府の関与と支援」に期待する「新しい現実主義」の台頭に触れるだけでなく、また近年発表している1960年代を扱った諸論文∗∗へと一気に飛び越えるのでもなく、これまでとは位相が大きく異なった1956年とそれ以降の数年間の動きもしっかりと論じることによって、現在の状況をも見据えた議論ができるのではないだろうか。

いずれにしても、評者のこの要望は、本書が1956年までの歴史過程を詳細かつ鋭く論じたからこそ、でてきたものである。したがって、評者のこの指摘が本書の価値を減じるものでないことはいうまでもないし、本書が沖縄の抱える諸問題に真正面から取り組んだ画期的な作品であることは間違いない。読む者を沈思黙考させる鳥山氏の次の作品を、心から期待したい。


∗ 櫻澤誠「1950年代沖縄における『基地経済』と『自立経済』の相克」『年報 日本現代史』17号(2012年)。
∗∗ 鳥山淳「占領と現実主義」鳥山淳編『沖縄・問いを立てる5 イモとハダシ』(社会評論社、2009年)、同「占領下沖縄における成長と壊滅の淵」大門正克他編『高度成長の時代3 成長と冷戦への問い』(大月書店、2011年)。
    • 政治外交検証研究会メンバー/獨協大学地域総合研究所特任助手
    • 平良 好利
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