タイプ
その他
プロジェクト
日付
2013/12/18

【書評】牧原出『権力移行 何が政治を安定させるのか』(NHK出版、2013年6月)

評者:村井 哲也(明治大学法学部非常勤講師)



1.本書の位置づけ ―際どいクロスオーバー―

  3年3ヵ月にわたる民主党政権は無残な結果に終わった。ほぼ無条件に「政権交代」を後押しして来た学者やメディアは、いまや個別の争点に関心を分散させている観がある。本書は、この2013年というタイミングにあって、あえて真っ向から「政権交代」のあるべき方向性と進化の条件を捉え直そうという意欲作である。
  それは同時に著者が、時代の画期に合わせ一連の著作を進化させる試みである。小泉純一郎政権さなかに著した『内閣政治と「大蔵省支配」』(2003年)は、政治史研究を取り込みつつ、マクロな視点を持つ官房型官僚に焦点を当てて「政治主導」の条件を論じた。杜撰な「政治主導」が蔓延した小泉政権後の『行政改革と調整のシステム』(2009年)は、政治史研究に国際比較研究を加えつつ、本来のフィールドである行政学の見地から「政治指導」の条件を論じた。そんな著者が、今回の画期を見逃すはずもない。
   一方で、若干の読みにくさとギコチなさも否めない。入り組んだアプローチも相まって、一見では起承転結も分りにくい。「第一に…、第二に…、第三に…」という説明フレーズが多用されるように、刺激的な内容を限られた紙幅に詰め込んでいることも原因であろう。そのため、世に出ている書評は、今こそ歴史に学ぶべきという大まかな教訓論や、鋭い分析枠組みを個別に抽出したものが多くを占める。
  ここでは、本書が積み上げている緻密な議論の概要を示しつつ、一連の著者の問題関心を探ることで、その全体像を把握することに努めたい。そこで気付かされるのは、政権交代という時代の画期に対応すべく、現代研究と歴史研究、歴史研究と国際比較、政治学と行政学にわたるクロスオーバーを試みていることである。本書が、学問領域の地殻変動という時代の画期に際どく対応しようとしていることを見逃すべきでない。


2.本書の概要

はじめに(9頁~)
  民主党政権の失敗と混乱にもかかわらず、今後とも政権交代は避けられない。だが、戦後日本の歴史を顧みれば、政党間の「政権移行」の事例は少ないにせよ、自民党長期政権では、同一与党下での「政権継承」の工夫と配慮が様々になされてきた。また海外では、円滑な「政権移行」の改革努力が重ねられてきている。
  よって著者は、まず第一章で、1955年を画期として自民党長期政権の確立の歴史を再構成し、従来の研究や報道から漏れる要素を浮かび上がらせる。次いで第二~五章で、その歴史の帰結を、1990年代からの政治改革を画期として分析していくと同時に、世界各国における改革の論理構造も分析する。特に強調されるのは、現在に求められる「政権交代(政権移行)」は、自民党長期政権下の「政権継承」が連続的・漸進的に変形した結果であるがゆえ、そのメカニズムを改めて冷静に観察すべきことである。
  著者は最後に第6章で、以上の歴史と比較の視点をもって、将来の日本政治における「政権交代の進化」のための条件を提示する、としている。

第一章 自由民主党「長期政権」の確立(17頁~)
  1955年の保守合同は、「政策実行」の構造化であり、「議会政治のルール」を模索する始まりであった。この合理的なルール化を最初に主導したのは大蔵官僚と岸信介らであったが、最初の画期は1960年代後半の佐藤栄作政権という。著者は、升味準之輔や高坂正堯といった同時代の論客が、その前後に言説空間を微妙に変えていることを鋭く指摘し、自民党政権が長期化する見通しが広がったことを示している。
  その長期化をもたらしたのは、政権自体の充実化にもあった。その必要条件は、特に佐藤政権で顕著であったように、内閣官房・秘書官人事の継続性、複数官房長官制の構築、厚生省を中心とした内閣官僚の組織化などであった。
  ただし、続く田中角栄政権は、この内閣政治の継続性を断絶させると同時に派閥政治を激化させた。それを埋め合わせた存在が、首相経験者などからなる長老政治家である。これらの裁定者が、派閥対立の緩和や政権党の長期構想といった重要な役割を果し始めたのである。そのタイプは、長老政治の内閣制度化を目論む福田赳夫ら保守本流と、逆にこれの党機関化を目論む三木武夫ら党人派に分けられる。
  福田政権は長老政治の実質化を試み、対抗する大平正芳政権はこれを牽制するなど、長老政治には様々な変動があった。そして、焦点を「党改革」から「行政改革」へシフトさせつつ、古くは吉田茂から、岸、宮澤喜一、中曽根康弘へと、内閣や党を超える国家意識が脈々と受け継がれていく。だが、1980年代の世代交代期から役割が後退し、リクルート事件の影響も相まって、「長老政治」は竹下登を最後に終焉した。これに代わって登場したのは、若手政治家が主導する「政治改革」であった。

第二章 政治改革と「改革の時代」(73頁~)
  1990年代の諸改革は、統治機構全体にわたる広範なものであった。だが、海外と比べ諮問機関の伝統が貧弱であった日本では諸改革が別々に検討され、それが解釈の混同を生み出した。著者は、その全体像を把握すべく次の3つへの類型化を行う。
  第1が、形式的な諮問機関で利害バランスを考慮する従来型改革である。第2が、法制度改革を中心に専門家による諮問機関で緻密な審議をなした1990年代型改革である。第3が、経済改革を中心に経済財政諮問会議で審議の速度を重視した2000年代の構造改革である。これらの諸改革は、当初に想定しなかった相互の軋轢を生み出していく。
  橋本龍太郎政権や小泉政権で推進された「官邸主導」は、自民党政権の継承を前提にした、政治改革が目指す「政権交代」への対抗戦略であった。両者は基本的に相容れない。また、1990年代型改革が推進した地方分権、金融行政の分離、公取委や司法権の強化など様々な自治・独立機関の強化は、緊縮財政を進める「構造改革」や中央集権的な「官邸主導」との対立を顕在化させた。著者はこれらの対立を、近年の民主的な手続きの深化、国際化の進行、公論の形成機能強化などにより、ますます強まると指摘する。
  したがって、「政権交代」の時代の「官邸主導」は、自治・独立機関と並立しつつ、いかにリーダーシップを発揮するか、情報公開が進むなかで、いかに政策決定過程を検証するかが求められる。ここから次の第三~五章で、「官邸主導」のメカニズム、それに反発する省庁官僚制の変容、頓挫している公務員制度改革の特徴を検証していく。

第三章 小泉内閣はいかに「官邸主導」を作り上げたか(103頁~)
  本章は、「官邸主導」の原型として小泉政権の形成を検証している。ただし、近年で唯一と言える成功は、状況変質の産物であって容易に再現できるものでない。だとすれば、その成功の歴史的条件を明らかにする必要がある。
   まず、「大統領的首相」を目指す小泉が、その前の森嘉朗政権の官房長官であった福田康夫を留任させるなど「政権継承」を円滑に進めたことである。福田は、「首相的官房長官」として政策決定を推進し、田中真紀子外相の組織管理能力の不足を埋めるべく、テロ対策やアフガン復興などで「官邸主導」の外交をリードした。
   やがて、景気の底打ちとともに構造改革が本格化する。その特徴は、それまでの包括的な行政改革と異なり、グローバル経済に機動的に対応する個別的な課題処理にあった。それを体現したのが、経済財政諮問会議を司令塔に経済改革を推進した経済財政担当相の竹中平蔵である。竹中は、終戦後の経済危機で設置された経済安定本部の歴史的知見を早くから意識し、省庁横断的な場で政策立案のキャリアを積み上げていた。
  これらが後に、竹中が手続きやスケジュールの決定、情報発信を経済財政諮問会議でリードしえた源泉となった。橋本行革で肥大化した内閣官房という新しい課題への対応をも考慮しつつ、以上の検証から、「官邸主導」の条件が浮かび上がってくる。諮問会議が首相の関心圏内にあること、予算編成などの手続き制度化、事務部局の処理能力、担当大臣の意欲と手腕、民間議員の人選である。
  小泉政権後の誤謬は、ここから理解できる。かつての田中政権と同じく第一次安倍晋三政権は人事面で政権継承を断絶させ、民主党政権もまたこれに無自覚であった。「官邸主導」を実現する経済財政諮問会議は、「ひとまず役割を終えた」のである。

第四章 官僚制の変容(149頁~)
  本章では、官僚制内ネットワークを中心に戦後日本の政策決定過程の変容が検証される。それまでの官僚制の優位は、長期政権化で自民党の優位に徐々に変わったはずであった。だが、2009年の政権交代で民主党は、自民党を「官僚主導」と糾弾した。
  その要因は、第二章で見たように1990年代型改革が、党と内閣の集権的な強化と同時に自治・独立機関の分権的な強化を図ったことで、官僚制の変容がもたらされたことにあった。ここから著者は、この変容を捉えるため、自治・独立機関も包含する歴史的に形成された緩やかな官僚制内ネットワークを見出し、次の3つに類型化する。
  第1が、省間の縦割りは維持しつつ互いに提携して法律による緻密な制度設計を志向する内務行政型である。第2が、首相との直結チャンネルを駆使しつつ各省横並びでの財政秩序の維持を図る大蔵・財務省主導型である。第3が、通常期には凝集力が弱いものの変動期には新しい改革ビジョンを推進する経済産業政策型である。
   この類型に沿って見れば、自民党の長期政権化は、強固さを誇った大蔵・財務省主導型に対抗する内務行政型の台頭をもたらし、各省横並びの政策決定を定着させた。これを打ち破ったのが、橋本行革で新しい改革ビジョンを提示した経済産業政策型である。だが、小泉政権末期から改革ビジョンは減退して大蔵・財務省主導型が復権し、政権交代後の民主党も、マニフェスト予算の弥縫のためこれへの協力・依存に傾斜したのである。
  一方で、自治・独立機関が強化されたことで内務行政型が大蔵・財務省主導型に再び対峙し始めると、民主党は両者の摩擦を収められなかった。筆者は、人事交流などで一体的・統合的な官僚集団を形成して両者を架橋することが、今後の官僚制の制度設計のみならず、あるべき政官関係の条件になり得ることを示唆している。

第五章 公務員制度改革はなぜ停滞するのか(175頁~)
  本章は、橋本行革後の継続課題だったはずの公務員制度改革が頓挫している近年の動向を検証している。影響範囲の大きい公務員制度改革は、個別的な課題処理を積み重ねる構造改革では対応しきれず、その後も、内閣の統制強化による自治・独立機関への政治的介入を試みる手法で1990年代型改革と摩擦を起こすばかりであった。
  まず、2000年代の自民党政権では、改革は持続されたものの首相の関心は低く、不祥事への対応に終始し、専門家を排除する傾向があった。そのなかで、職員にインセンティブを付与できない能力主義だけが一貫していた。そこで著者は、OECDやイギリスの報告書を事例に、倫理規範とその法的枠組みを整備する「調整機関」に加え、これらの諮問・勧告・奨励を行う「調査機関」の必要性を唱える。これらこそ、政権交代の時代に相応しい官僚への統制と監視を実現させるからである。
   だが、民主党政権に至っても、改革の課題設定は的外れで、官僚への統制と監視は不十分である。その要因は、過剰な官僚バッシング、実効性に欠ける専門家批判、与野党一致した政治統制の迷走、官僚の中立性を担保する独立機関への理解不足である。
  それでも、情報公開が著しく進展し、自民党と官僚の関係を過度に批判する野党モデルを解体させつつある政権交代の時代は、確実に公務員制度改革も変容させている。その制度設計は、政党と官僚制との緊張関係から生まれてくるであろう。官僚制は、従来以上に中立性を担保しつつ専門知識を活用して、与野党一致した政治統制に向き合わざるを得ない。そのためには、従来の縦割りを乗り越えた官僚制の統合が不可欠となり、これがさらなる変容をもたらすであろうことを、著者は指摘している。

第六章 進化する政権交代(203頁~)
  2012年の総選挙で圧勝した自民党は、再びの政権交代を果した。第2次安倍政権は、第1次政権での失敗や民主党政権の迷走から学習して、発足当初は高姿勢や劇的な政策転換を封印した。本章は、これを「政権担当能力をめぐる政党間競争」が始まった表れとして、「政権交代の進化」のための条件を提示していく。
   日本では、民主党とメディアは政権交代「後」の想像ができておらず、第2次安倍政権にしても、慎重に過ぎて野党時代の政策転換は準備不足であったと言える。政権交代の仕組みを徐々に育んでいくにあたっては、海外でも際どい闘いが繰り広げられてきている。
ここから著者は、国際比較の事例からの提言を試みていく。
  アメリカの政権移行チーム、イギリスの事前の官僚接触、オーストラリアの政権発足前の行為規範、そして政権交代に関する検証報告書から次の提言がなされる。第1に、野党時代における実行可能な政策構想、第2に、野党と官僚との接触ルール整備、第3に、マニフェストの着手可能な案件の絞り込み、第4に、慎重な省庁再編である。
  自民党長期政権と異なり政権交代の時代には、政権奪取後に大規模な制度改革による政策転換は難しい。したがって、政権獲得前の十分な準備が不可欠である。それは言い換えれば、「政権交代の想像力」を養うことに他ならない。

おわりに(227~231頁)
  第六章が実質的な終章であるだけに、やや蛇足的にも思えるかもしれない。だが、ここには、著者による政権交代の時代に対する重要な示唆が含まれている。
  小泉政権の郵政解散が起きた2000年代半ばから、著しく発達したネット社会によって日本政治は激しく動揺した。情報の入手先が豊富になり、既存メディアの独占が減退し、政党支持の拡散もその対抗運動の組織化も急速に生じたからである。だが、それは2000年代後半におけるソーシャル・メディアの普及で一段落し、ようやくネット社会は緩慢な普及の時代に入ったようにも見える。
  ここで著者は、冷静に政権交代を見つめる画期が訪れつつあることを示唆する。小泉政権がそうであったように、構造改革は意外にも「地味な言葉の積み重ねによって、政策の変更を図っていた」。ネット社会でも日本政治でも、ある種の熱狂が終わった今こそ、「耳目を引く『大胆な』改革よりも、地道な制度変更の努力と、政策革新の努力を続けることが必要」となったのである。


3.評価と論点 ―政治権力のダイナミズム―

評価と論点①
   以上、本書の概要を記してみた。これを踏まえ、以下のようにやや強引ではあるが各章の学問領域を簡略化して、その全体像を示してみたい。

  第一章:自民党長期政権の分析を中心とした「戦後政治史」
  第二章:1990年代からの改革構想を分析した「現代政治学」
  第三章:2000年代の小泉政権の官邸主導を分析した「現代政治学」
  第四章:官僚制ネットワークの変容を分析した「戦後行政史」
  第五章:公務員制度改革の動向と挫折を分析した「現代行政学」
  第六章:各章の分析に「国際比較」を交え提示する「政権交代の条件」

   ここからは著者が、前々作と前作を進化させつつ、幅広い学問領域を意図的にクロスオーバーさせようとしていることに気づかされる。本書でたびたび示唆されるように、政権交代とネット社会の時代が到来したことで、必然的に既存の学問領域は激しい地殻変動を来している。この地殻変動に、際どく対応しようとしているのである。
  そこからは、重要な意義と未発展な試みとが見て取れる。第1に、現代研究に歴史研究をクロスオーバーさせることは、政策決定がパターン化していた長期政権から政権交代の時代に変容するなかで不可欠である。また本書は、近年の一次資料の積極的な発掘もあって、同時代的な熱狂や混同から一歩距離をとることに成功している。
  第2に、国際比較を歴史研究にクロスオーバーさせることで、タテ軸のみならずヨコ軸の比較を交えて立体的な視点を提供することに成功している。特に本書は、ネット時代におけるマルチアーカイブ・アプローチをも駆使して、グローバル化のなかで重要の度合いを深めている地域研究と比較研究に対応しうるものである。
  第3に、政治学と行政学とをクロスオーバーさせることは、政権交代の時代で政官関係が変容するなかで不可欠である。自民党の長期政権を所与の前提としてパターン化された棲み分けがなされてきた両者の関係が動揺している以上、これらを観察してきた学問の分析枠組みを改めて問い直すことは不可避でもある。
   もちろん、際どいがゆえのギコチなさは幾つかの箇所で見られる。それらは現段階では無いものねだりに過ぎないので割愛するが、問題は、この膨大な知見と情報が溢れかえる幅広い学問領域をどう整理・統合するかということである。1人の研究者が臨むには、絶望的な課題ではないか。鍵となるのは、前作から筆者が繰り返し主張する、諮問機関ないしシンクタンクによる政権交代の検証や報告・提言であろう(215~221頁)。
  そもそも、長期政権の時代に政権検証の文化が育たず、それを所与の前提とした強固な官僚機構が存在してシンクタンク文化が育たなかったのは、無理からぬことでもあった。専門家が緻密な審議を重ねた1990年代型改革への高い評価からも窺えるように、筆者が将来的に念頭に置くのは、学問領域の横断のみならず、学者、ジャーナリスト、政治家、官僚など専門領域を横断したネットワークとその文化の形成のように思われる。

評価と論点②
  それでも以上の課題に対して著者は、鋭い視点の類型化を試みることで対応しようとしている。これらの類型化を著者は、膨大な知見や情報を整理し統合していくうえで、極めて有力なツールとして位置づけているように見える。
  第1に、明治国家の藩閥元老政治を変形継承させたとも言える自民党の「長老政治」を提示して、その後の「改革の時代」との対比を浮き彫りにしたことである(第一章)。まだ定義が曖昧ではあるが、これにより断絶しがちであった自民党長期政権の時代と1990年代以降とを、有機的に連続させることに貢献している。
  第2に、これまで混同して使われてきた諸改革を、従来型改革、1990年代型改革、構造改革の3つに類型化することで、その性格と相違とを明確に示して見せた(第二章)。ここから、自民党政権の継承を前提にした橋本政権の「官邸主導」や小泉政権の「構造改革」が、1990年代の「政治改革」と、その成果たる自治・独立機関やその目標たる「政権交代」と対立するものであったことが示された(第三章)。
   第3に、戦後日本における官僚制を、内務行政型、大蔵・財務省主導型、経済産業政策型の3つのネットワークに類型化した。これらのネットワークの変容を描いたことで、それまでの官僚制の分析が各省における各論に陥りがちであったところを、より立体的・鳥瞰的に把握することを可能にしている(第四章)。
   以上の類型化によって、有益かつ緻密な「政権交代の条件」が示されたのは確かである(第六章)。だが一方で、そこまで緻密な条件をクリアしなければならないのか、という素朴な疑問も湧く。海外に比べ政権交代のルール化が歴史的に未熟であるとはいえ、そこまで高いハードルが必要なものなのだろうか。
  ここまでの緻密な条件は、官僚制や行政学のロジックに基づく傾向にあるようにも思われる。政治の側が、地道な制度変更や政策革新の努力を求められることは当然だが、古くから指摘されるように官僚制は、予算と組織の拡大や無責任体系の縦割りに陥りやすい。それを突破できるのは、紛れもなく政治権力のダイナミズムである。
  それは官僚制のロジックからすれば、粗くて拙いものに映るかもしれない。だが、民主党政権の「政治主導」が極端なまでに一転して批判されたように、官僚制のロジックが緻密に行き過ぎれば、いたずらな現状維持、あるいは漸進主義という名の骨抜きに一転する危険性は、やはり古くから指摘されていることである。
   戦後政治史を翻ってみれば、緻密な条件をクリアした熟練の政治家は多い。ただし、本書で肯定的な例として示唆される政治家は、吉田、岸、佐藤、宮澤、中曽根、後藤田など、官僚出身の政治家が大半を占める。希有な例外は竹下くらいである。一方で、現在の第2次安倍政権はアッサリと絶大な権力を行使し、粗さと拙さの象徴と見られる鳩山由紀夫政権ですら、発足当初は官僚制を凌駕する場面もあった。多くの失敗例があったにせよ、このダイナミズムそのものが否定される訳ではない。
  そこで必要とされるのは、政治権力のダイナミズムと官僚制の緻密さとが、健全な緊張関係を育んでいくことであろう。そのための鍵は、既に筆者が指摘している。すなわち、政権交代の時代における与野党一致の政治統制が、専門知識の活用に専念して中立性を担保する官僚制イメージをもたらす可能性である(第五章)。
  過分な要求ではあるが、筆者には、次作でこの点をさらに進化させていくことを期待してしまう。一方で、政治権力と政治学にしても、自民党長期政権の時代に培われた固定観念から脱却して、政権交代の時代に見合ったダイナミズムのあり方を進化させるべきであろう。それを気づかせてくれるのも、本書の持つ重要な意義である。