タイプ
その他
プロジェクト
日付
2016/2/4

【書評】 庄司貴由著 『自衛隊海外派遣と日本外交』(日本経済評論社、2015年)

 
佐藤 晋(二松学舎大学国際政治経済学部教授)
 

本書の概要

 本書は1990年代以降に実施された自衛隊の国連平和維持活動(PKO)への参加、とりわけ陸上自衛隊の派遣に焦点を絞って論じたものである。外務省資料の情報公開が進んだこともあり、自衛隊の海外派遣を積極的に主張した外務省の役割が主として分析されている。本書の分析にもある通り、外務省が国内諸勢力では唯一、自衛隊のPKO参加に積極的であったことから、テーマが極めて近い過去であるにもかかわらず、結果的に資料的制約は大きな問題となっていないようである。ただし、自衛隊の参加に反対もしくは消極的であった勢力の分析は手薄であり、さらに最大の反対派がマスコミ・世論とされていることから、こうした世論をどのように当時の政権担当者が受け取っていたのか、また、その「世論」は単に内閣支持率やPKO派遣をめぐる世論調査結果であったのかなど、後述するように難しい問題が残っているようである。
 要するに、自衛隊派遣の推進力は、ほぼ外務省オンリーであり、その背景には日米経済摩擦の軽減や日米安保堅持に向けた安全保障上の考慮などがあった。一方、この入力を受けた政治家・政党側は自衛隊派遣に批判的な世論との間に立たされた。それは、首相の意思、時々の各政党の政策、衆参両院における議席配置などに規定されたが、最大の要因は世論への配慮であったという。その結果、その時々の内閣支持率や、国際協力に関する政策への支持・不支持率が重要な要素として本書では取り上げられている。
 

主要な論点

 それでは、本書の分析に沿って、重要な論点を追ってみたい。まず、一般にPKOへの参加は「湾岸戦争のトラウマ」、すなわち多国籍軍に対して金銭以外の協力ができずに国際的批判を浴びたことが、その起点として理解されている。ところが、著者によると、自衛隊のPKO派遣においても、冷戦中の文民による国際貢献による「地ならし」が重要であったという。次に本書は、人的国際貢献に向けた重要な政治的イニシャティブとして竹下登の「国際協力構想」を取り上げる。結局、この構想は文民派遣にとどまるが、それは「自衛隊は到底出せないから最低文民で」という発想からであった。ただし、これを契機に国連PKOへの協力に向けた法整備の準備が行われたという。とはいえ、やはり自衛隊とそれ以外の人的貢献とでは、その世論に与えるインパクトは隔絶していたわけであり、やはり自衛隊そのものの海外派遣問題であったイラン・イラク戦争に絡む掃海艇派遣の挫折について深く検討する必要があるであろう。
 次に湾岸危機と海部内閣の対応が取り上げられる。この時、外務省も海部首相も自衛隊ではない文民の派遣を構想していたが、対米配慮を重視する小沢一郎幹事長らに自衛隊派遣を飲まされる。その結果、国会に提出された国連平和協力法案は非軍事分野に自衛隊を「半文民化」して送る案となるが、参議院で民社党・公明党の支持が必要であったうえに、肝心の世論が批判的に傾き海部内閣支持率が劇的に低下したことから廃案となったという。
 とはいえ著者はこの過程で「文民的な自衛隊による非軍事支援」にはコンセンサスが認められ、将来の国連PKO参加に向けて目星がつけられたものと捉える。その具体的な証拠が、廃案と引き換えに交わされた「自民・公明・民社三党合意」であり、その中には別組織による国連PKO派遣、人道派遣が規定されていた。ただし、ここでも湾岸戦争終結後の掃海艇派遣について深く検討する必要があるであろう。本書が重視する「実績積み上げ」の観点から言えば、実際に海外に自衛隊が派遣された点こそが重要であると思われる。
 とにかく続く宮沢内閣では、国連PKOへの自衛隊派遣構想が中心となった。これは、結局国際平和協力法として結実し、自衛隊のPKO参加が実現する。その背景に世論が好意的に変化していたとされているが、実際はどうであったのか。世論の中身も検討に値するが、その世論を受け取る政治家側に変化は見られなかったのであろうか。さらに、ここでは文民警察官のカンボジアPKO派遣が取り上げられているが、肝心の自衛隊の行方はどうなったのであろうか。
 一方、同じ宮沢内閣で行われたモザンビークへの自衛隊派遣については言及されている。当時ガリ国連事務総長が「平和への課題」を公表し、その中で平和執行部隊の創設が、さらにその後はソマリアへの派遣が議論となった。この、いわゆる第3世代のPKOは国連安保理の武力行使容認決議を付与され、これまでの三原則を逸脱するもので、かつソマリアでは失敗に終わったことから、日本国内では議論にならなかった。ただし、筆者によると外務省はソマリアのPKOへの自衛隊派遣に積極的であったという。一方、防衛庁は、カンボジアに加えてモザンビーク、ソマリアにも同時に自衛隊を派遣することには消極的であった。外務省は、国際社会に人的貢献をアピールすることで国際的地位の向上を狙ったようである。また、モザンビークよりもソマリアを重視していたことから対米配慮が強かったのかもしれない。ただし、ソマリアPKOには第三世代の平和強制型から従来型に変容するか否かがやはり決定的に重要であったと思われる。
 その後、自民党政権が崩壊して細川非自民連立政権が成立し、国連PKOへの積極的参加を検討する。それを受けて、外務省が重視したのが旧ユーゴに展開する国連保護軍への自衛隊派遣であった。まず国連からクロアチアの国連保護軍への派遣を要請されたが、旧ユーゴ情勢は悪化しており、派遣は難しいと判断された。そこで、外務省は紛争発生後のPKOであるクロアチアとボスニア・ヘルツェゴビナではない、代替的なマケドニアを候補としたわけである。この場合、紛争前の予防展開であるため、PKO派遣の同意原則に反するかとも思われるが、紛争地ではないことがかえって都合が良いと考えられたのである。本書の記述に従うと、当時の外務省では、なにはともあれ参加だけが最優先事項となっていたようである。
 一方、村山内閣は、自衛隊派遣に好意的な世論を背景にしつつも、PKO参加には消極的であったため、人道救援活動への自衛隊派遣が行われたとされる。それも候補地のルワンダで停戦合意が崩れたため、より安全な隣国ザイールへ派遣されたという。つまり、この前後で世論は自衛隊の海外派遣に積極的となっていたということである。
 ここまでは国際社会からの人的貢献の要請に対して、時々の世論との折り合いをつけつつ、自衛隊の派遣を実施してきた歴史である。しかし、2001年の同時多発テロは、PKOでも人道派遣でもない形での自衛隊の海外派遣が求められたという全く新しい事態をもたらした。本書には、その肝心のアフガン戦争支援としての海上自衛隊のインド洋派遣についての記述は見られないが、イラク戦争の際の自衛隊派遣についてはある。それによるとイラク復興支援の小泉の決断は、アメリカからの要請がまずあり、国際テロに対する自衛隊の活動を支持する世論を背景にしていたという。ただし、アフガン戦争時のインド洋上と異なり、イラクへの陸上自衛隊の派遣は、初めて停戦合意のない地域への自衛隊派遣という意味があった。そこで生み出されたのが「非戦闘地域」の概念である。アフガン戦争の分析がないため難しいが、イラク戦争の際の自衛隊派遣の決断には小泉自身の意向が強かったようである。
 

考察

 以上を省みると、著者の主張はあるが、やはり湾岸戦争と同時多発テロが自衛隊海外派遣についてのエポック・メイキングな出来事であったことがわかる。ただし、それらの際の入力としては、国連、アメリカ、国際社会一般などからの要請があったろうが、実際、自衛隊派遣を積極的に主張した外務省の考慮はなんであったのであろうか。それが第一の疑問である。ソマリアや旧ユーゴにまで————今日から見れば行かなくて良かったとの感が強いが————自衛隊派遣を検討した外務省首脳の判断とはいったいどのようなものであったのか。特に安保理常任理事国入りがどの程度、実現目標と考えられていて、それがPKOへの貢献で実現できると考えていたのであろうか。
 第2の疑問は、著者は「世論」を各主要新聞の社説と各紙世論調査で代弁させているが、政策決定に「世論」をもちこむとなると、やはり時々の政策決定者のパーセプションを理解する必要があると思われる。同じ数字でも首相によって受け取り方が変わると考えるのが妥当であろうし、そもそもそうした数字をどの程度意識したか、しなかったのかについても個人差が大きいと思われる。さらには、いわゆる「左翼紙」の批判など意に介さず、むしろ逆に闘争心を掻き立てられる首相だっていよう。
 一般的に言うと、具体的には「世論」とはいかなる実態で、どのようにして形成されているものなのだろうか。例えば各紙の世論調査は本当に客観的と言えるのか、世論調査の対象者にそもそも各新聞・テレビなどの報道が影響し、あらかじめ批判的な意見が形成されたあとで行われる世論調査には問題はないのか、などである。本書には関係ないが、そもそも世論の構成要素である個々の国民、彼らはどの程度質問内容を理解して世論調査に回答しているのであろうか。例えば、多国籍軍への自衛隊の派遣と、国連PKOへの派遣の意味の違いをどれくらい理解していたのであろうか。従来型のPKOと第3世代のPKOの違いをどの程度理解できていたのか。評者には甚だ怪しいと思われるが、そのような「世論」を、やはり歴代首相はこれほど重視せざるを得なかったのか。おそらくそうであったのであろう。
 これに関連して、マスコミの役割についても、その内部の意思決定に踏み込んでの歴史研究の対象とすべき時期に入っているのではないかと思われる。これまでも歴史上、Public Anger(世論の怒り)の発生を引き起こしてきたのがマスコミである場合が大きかった上に、その政治的影響力も甚大であった。近年でも住専や各種金融機関への公的資金の投入など、あとになって「遅すぎた、少なすぎた」と批判された政策も、実際は良いと思われた政策がその当時には「世論の怒り」によって実現できなかったのが実情である。国連PKOへの自衛隊参加についても、当時反対したマスコミも、現在の対米貢献策として集団的自衛権を認めるとか、憲法を改正しようという動きには一層反対のはずである。しかし、今ではもはやPKOは対米貢献策としての意味は持たない。集団的自衛権の行使などもっと直接的な方法のほうがアメリカにとってもいいし、アメリカ自体がソマリア以降PKOに積極的ではなくなったのである。対米配慮外交の一つの手段に使われたPKO参加は過去のもので、今更持ち上げても後の祭りである。より良いと考えられる政策実現の足は引っ張れるけれども、積極的に価値を実現する力はないのがマスコミの実態だとするとあまりにも問題が大きい。今後は、そうしたマスコミの世論誘導の問題点をも含めた外交史研究が必要となるかもしれない。本書はその点を、世論に向けて痛切に訴えかけるものである。