タイプ
その他
日付
2007/10/24

第1弾「とち餅」(3/5)

今回調査した池田町でも、一部、陶芸用の楢灰を購入していたが、他県でもたくさん使う木灰を購入していたのでは採算に合わないという声が多い。ただ、山仕事を主としてきた池田町の大本地区では、薪ストーブを利用し、風呂も薪で焚く家では、今も木灰(ケヤキ)に苦労していない。効率のよい新型薪ストーブが、囲炉裏の穴を埋めてくれるかもしれない。


さらに栃は、本来、米に頼れない山村で守られてきた食文化だったが、そうした地でも常食としての文化は廃れ、正月など晴れの食であるとち餅がかろうじて残った。とち餅は、いわば、米の栽培が山間部でも実現して以来の、新しく豊かな味わいである。とちを食べるという縄文文化に、江戸時代以後、山に段々畑を開いてまでも米を食べようとしたことで、広く普及した味である。
日本の山を眺めた時、杉の植林が極端に進んだが、自由化で木材の8割以上を海外に依存するようになると、杉山には人の手が入らなくなり、荒れる一方である。そんな中で、とち餅には、雑木の森がいかに豊かな恵みをもたらし、山と日本人がいかにつきあってきたかという知恵がつまっている。私たちへの恩恵は、その芳ばしい香りと懐かしい味わいだけでなく、栃の森は、水源地や渓流の生き物たちも守ってきた。山々に囲まれた池田町を例にとっても、ダムに沈んだ岐阜県徳山村は峠の向こうだが、そこも栃文化は濃厚だったし、現在も栃を干す風景が残る隣接する旧美山町(福井市)にダム建設が進んでいる。ダム建設によっても栃食の文化が失われていった。

静岡県で「栃を切るばか、植えるばか」と言われるのは、貴重な食糧源をむやみに切るな、植えても三代くらいまでは実をつけないという教えである。一度、失ってしまえば、取り戻すのに、気の遠くなるほどの時間を要する。
縄文の時代から先祖たちが連綿と受け継いできた食文化を、わずか40年ほどの暮らしの変化によって失ってしまうのは、私たちの国にとっても計り知れない損失である。(続きを読む