タイプ
その他
日付
2007/11/28

第3弾「焼畑のカブ」(4/5)


3.どんなところで作られているのか


     


今でこそ、ごく限られた地域でしか、見ることができなくなった焼畑のカブだが、もともと日本の山間部では、ほぼ全域で行われていた。そもそも、山に暮す者にとって、農業と林業は、分かつことのできない一体となった営みだった。戦後すぐまで、日本の各地では、焼畑によって、そばや雑穀、カブやいもなどを栽培し、50年~100年、育った杉は売るという暮らしをしていた。
この山北町の山熊田は、22軒、70人の集落である。あまりに小さな集落なのでバスも走っていないが、そのためか、江戸時代のような凛とした山村の暮らしぶりが残る。

たとえば、「しな織り」といい、しなの皮を年に一度だけはぎ、その表皮をほぐして糸にし、さらに帯や帽子に織り上げるという文化が、このテレビ時代に残っているのは驚異的である。村を散歩すれば、縁側でおばあさんたちが、その糸をほぐし、軒先でこれを干す光景に出会うが、ここでも技を継承しているのは10人ほど。また、ここは広大なブナ林と清流に恵まれ、栃もちも作る文化も残っているが、栃の実を集めるにあたっては、「山の口あけ」を集落でとり決めしている。
また、村の文化を伝えようと生まれた「生業の里」では、しな布のほかにも、囲炉裏のなら灰で、ささの葉に撒いたもち米を煮る灰汁巻きなども作られている。予約しておけば、山熊田の素材ばかりを使った地元のお母さんたちのおいしい手料理を味わうこともできる。 
さらに、直木賞作家である熊谷達也氏の『相克の森』のモデルになったマタギの村でもある。村には狩に通じた人が20人もおり、年に数頭だが鹿や熊も仕留める。

山熊田は、その名の響きからも、地元で囁かれている平家の落武者の集落だったという言い伝えからも、奥山に分け入ったところにあるように思われがちだが、その実、わずか18キロで日本海の青い海にいたる。そこに流れこむ荒川の河口では、個人が一ヶ月がかりで仕かけを作るという昔ながらの鮭の漁も残っている。
山北町の府屋には、500年ものの杉やスダジイなどの巨木が見られる八幡神社や、廃校を利用した宿泊施設『交流の館・八幡』には温泉もあり、夏には、澄んだ海で海水浴を楽しみたい家族客でにぎわう。
この山北町では、1996年、今から約10年前に役場の斎藤さんらが中心となって、全国に先駆けて『第一回、焼畑サミット』を開催。高知県や宮崎県など各地から人が集まり、焼畑論を展開したが、今にしてみれば、きわめて先駆的な試みだった。今年11月にも、高知県で『焼畑サミット』が開催された。