タイプ
その他
日付
2007/12/12

第3弾「焼畑のカブ」(1/5)


「食のたからもの取材レポート」第三弾は焼畑農法による「カブ」を取り上げます。焼畑というと、近年、森林破壊の原因と見られることもありますが、実は、日本で数百年前から続き、今ではごくわずかの地域に残っている焼畑は、むしろ持続可能な農業であり、50年、100年先を見越した森とのつきあい方でした。想像を絶する迫力だという山焼きと、そこで収穫される豊かな味わいのカブを、プロジェクト・リーダーの島村菜津氏が新潟県山熊田に取材しました。

―――――――― <目次> ―――――――――
1.なぜ、たからものなのか
2.どうやって作られているのか>(焼畑について)

3.どんなところで作られているのか

4.人物ファイル
――――――――――――――――――――――

■English Version→  Yakihata Turnips


1.なぜ、たからものなのか




100年先を見通した農法としての焼畑



焼畑と耳にすると、アフリカなどで森林が消えていくことの元凶のように考える人がいる。あるいは、昭和40年代頃、学校で、環境によくない粗放な農業のように教わった世代もあるだろう。しかし、アフリカなどの場合は、近隣の内戦国からの移民の流入など焼畑をして暮す人口の増加、経験の浅い焼畑による山火事の多発など複雑な事情が絡んでいる。その一方で、日本で数百年前から続き、今では、ごくわずかの地域に残っている焼畑は、むしろ持続可能な農業であり、森とのつきあい方であるといえる。

たとえば、高知県の仁淀川町や本川村では、2005年になって新しい動きがあった。ここでは、30年近く途絶えていた焼畑が、「焼畑による山おこしの会」(上田孝道会長、高知大学や高知女子大、愛媛大学の職員、NPO)の尽力によって、復活したのだ。8割の木材を輸入に依存し、その一方で、森本来の価値が見失われ、人が手をつけなくなった山々が、土砂崩れなどの災害を引き起こしている。この高知では、84パーセントの森林のうち、66パーセントが荒れた人工林だった。その山に焼畑によって手を入れ、畑作が終った後には、椎、栗や柿などの雑木を植えようという試みである。また、この焼畑とともに、在来のカブも復活したそうだ。

焼畑の起源については、諸説あるが、一般には、弥生時代に大陸から伝わった稲作文化を手にした人々が、その高度な生産性によって、狩猟・漁労とともに凌駕していった縄文文化の名残りとされている。しかし、大切なのは、これが、現在まで山間部では細々と続けられてきたということである。

英語では、slash-and-burnあるいは、shiftingというように、毎年、焼く畑は、移動する。だが、日本の山間部に残る焼畑は、数十年のサイクルで、焼いて、植え、その後、土力が回復するまで長い間、休ませて、またよい灰ができるだけの緑が育つのを待って、また焼くというやり方だった。2007年8月に火入れした山熊田では、火入れの前日、地元のお父さんの一人が「この山は、50年前に焼いたんや」と呟いた。せっかちな都会に暮らす者には、まるで気の遠くなるような時間軸の中で、彼らは、自分たちの暮らしを支えてきた森を見つめてきたのである。地域差はあるが、こうした地域では30年から50年の周期で火入れをする。この山熊田でも、30年前まで、焼いた初年度にはそば、翌年は雑穀、土力が落ちてくる三年めには、小豆やいもを植えた。その後は杉を植林し、これが40~50年を経て育った頃、ふたたび焼く。伐採した木材を売り、昔はそれが娘の嫁入り資金などになった。