タイプ
その他
日付
2007/12/12

第4弾「木曽の赤かぶ」(1/5)



「食のたからもの取材レポート」第4弾は、400年の歴史があるといわれる「木曾の赤かぶ」のレポートをお届けします。かぶは8世紀以前に中国から渡来したとされ、その後、多様な変化を繰り返し、色、味、形それぞれに異なる約80種類もの在来品種として日本各地に定着しました。この意味で、かぶは世界でも類を見ない多様性を開花させた、日本の伝統野菜の代表格といえます。赤かぶの文化や食生活の豊かさを、プロジェクト・メンバーの竹内周氏が長野と岐阜の県境、御嶽山の麓に取材しました。

――――― <目次> ――――――
1.なぜ、たからものなのか
2.どうやって作られているのか

3.どこに残っているのか

4.どこで味わい、買うことができるのか
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■English Version→  The Red Turnips of Kiso


1.なぜ、たからものなのか(歴史的背景と危機的状況、他の在来種との比較)


赤かぶは日本人の記憶の源泉


都会の食卓ではあまり見かけない赤かぶも、山里に足を運ぶと、土産店でお漬物が、宿では小鉢に姿をのぞかせる。鮮やかな赤を目で楽しみ、口に運んでシャキッとした歯ごたえを喜び、喉を通る多汁質の味わいに素朴な土の香りを感じて、旅先の悦に浸ったりする。そんな赤かぶのふるさととして思い浮かぶ場所が、北は山形県の温海かぶ、福島は南会津の舘岩かぶ、飛騨高山の飛騨紅かぶなど。古くから街道筋や温泉場として人の行き来のあった場所。食文化としては漬物やそばとの関わりも深そうな、懐かしさ漂うところばかりだ。

そもそも私たち日本人は、かぶという存在があたりまえすぎて、特別な思いは抱かない。そのおおもとは、はるかな昔にたった2つの流れ(※1)を源として日本にもたらされた。
起源はアフガニスタンあたり、8世紀以前に中国から渡来したとされ、古事記、日本書紀などにその記述が残されている。その後多様な変化を繰り返し、色、味、形それぞれに異なる約80種類の在来品種として日本各地に定着したが、伝来元の中国や欧米諸国にはこれほどに多様なバリエーションは存在しないという。
この意味で、かぶは同じアブラナ科の大根と同様、世界で類を見ない多様性を開花させた、日本の伝統野菜の代表格と言える。そして今も地方に残る様々な“かぶ”の在来品種たちは、伝来の祖である大陸には存在しない、日本人の味覚のふるさとであり“記憶の源泉”なのだ。

かぶの分布は渡来の日本海側に多く、天王寺かぶ(大阪)、聖護院かぶ(京都)や金町小かぶ(東京)のように主に都市周辺で親しまれてきた白かぶと、主に高冷の山間地で村落ごとに継承されてきた赤かぶがある。街道を通って高冷な山里に棲家を求めていったことが想像でき、主に飛騨山脈から東、中央高地から東北に至る山間地の至るところに、有名無名の赤かぶの現在がある。
赤かぶは高冷の土地によく育つ。日本のかぶのバリエーションは多くが赤かぶだ。それは国土のほとんどが山峡に隔てられタネの交流が進まないという地理的な制約と、地域ごとの気候風土や人々の暮らしがその数ほどに多様なことの裏返しでもある。
温海かぶや飛騨赤かぶのように、地域の特産として息を永らえる赤かぶがある一方で、既に絶えた山の暮らしの痕跡として消えつつある赤かぶもある。1981年、故・青葉高氏の著した『野菜-在来品種の系譜』に掲載された主なかぶ品種名67種のうち、その名前でネット検索にヒットしなかったものが11種。今日までのわずか25年でいくつかの品種が絶えた可能性もある。

寒冷な土地で少肥で育ち、根も茎も全部が利用できる赤かぶは、山間地の自給用作物として各地で栽培されていた。長野県木曽地方では、米にひえなど雑穀や赤かぶを炊き合わせた“かて飯”が主食で、菜として糠漬、茎を利用したすんき漬を常食としていた(※2)。それがこの数十年で、山間部の経済や食生活が大きく変化した。
 しかしこうした中で、私たちの“記憶の源泉”としての赤かぶの文化や食生活を、自分たちの生活史、暮らしの大切な記憶として守り、継承していこうとしている地域もある。長野と岐阜の県境、御嶽山の麓で細々とつくり継がれる木曽の赤かぶを取材した。

(※1)かぶの種皮による類別でA型がアジア型和種系、B型が北方型洋種系とされ、A型は主に西日本、B型は主に東日本に分布し、その中間型が飛騨を境とするカブラライン(中尾佐助氏)周辺に分布している
(※2)『聞き書き長野の食事』農文協刊