タイプ
その他
日付
2007/12/12

第4弾「木曽の赤かぶ」(4/5)


3.どこに残っているのか(現在の生産地と、その味を育む自然)


それは“かあちゃんの歴史”だった


現在、木曽のそれぞれの地域で、女性たちが中心になって赤かぶの復活を目指した活動が進められている。6つの地域ごと、女性たちが良いかたちの株をそれぞれに選抜し、植え替えをし、自家採種して、それぞれに特徴のある固有のかぶを守り続けている。

平成17年の木曽地域の統計資料を見ると、赤かぶをつくっている町村(木曽町、上松町、王滝村、木祖村)の販売農家414戸のうち、年間の販売金額が50万円未満の農家が365戸で88%を占める。一般畑地面積434ヘクタールのうち、赤かぶはわずかに4haで0.9%という数字(自給用をのぞく)。町村の平均年齢は67才。農業として経済の成り立つ作物は、高原の冷涼な気候を生かした夏場の白菜と、山地の草地資源を生かした和牛の繁殖経営などで、若い就農者が農業を進めるのは困難な環境といえる。


王滝村で伺った話では、十数年前までは木曽も夏山の御嶽参詣、冬山のスキーというスタイルで、観光として賑わっていたという。430世帯の小さな村に51軒もの旅館があるのもそんな背景からだったそうで、旅のもてなしとしても、赤かぶがもてはやされていたという。今はスキー人気も下火、町村合併や負債など暗い話が多いなかで、明るく美しい構想も聞くことができた。


それは60才以上のシニア層による村の活性化の話。会社勤めを終えた定年の方々に村に戻ってもらい、小面積で赤かぶを栽培するもよし、豊かな老後をクリエイトしていこうという発想。定年帰農。30年から40年の単位で都市と農村の人口移動を循環させて、村というコミュニティをサスティナブルにデザインするという話だった。そして改めて、小さくはあるが、赤かぶが輝きはじめているという。

平成14年。王滝村の女性たちが動き始めた。「王滝かぶの過去の未来」と銘打ち、既に開田村で品種選抜の取り組みを進めていた信州大学大井美知男教授による講演会が開催された。これがきっかけとなって、特におばあちゃんたちが生き生きと、自分たちの“たからもの”として、これまで家ごとに種採りをして、まさに暮らしに密着してきた赤かぶを語り始めた。

そして「もう一度王滝かぶを!」と有志50名による王滝かぶ研究会を発足、かあちゃんたちによる品種の選抜という手法を信州大学が支援して、3年後に念願の固定品種、品種名「王滝甘かぶら」を生み出すに至る。

ユニークなのはその選抜手法で、選抜用の畑で育った赤かぶを、参加するかあちゃんそれぞれが、自分のイメージに合った姿かたちに投票して残し、選抜を繰り返すというのだ。
もともと自家生産自家採種でつくり継がれてきた赤かぶ。それも王滝村でそれぞれがつくっていた赤かぶの“良い姿”はこれまで共有されることがなかった。この選抜作業でかあちゃん同士が、楽しみながら赤かぶ談義に花を咲かせ、少しずつ同じ村の“私たちの赤かぶ”を産み出す喜びを分かち合ったのだといえる。

こんな意識が同様に赤かぶを産する他の地域でも芽生え始めた。「開田でも王滝でも、私たちがつくってるかぶと形とか違うナァ、って思ってた」と消極的には感じていたフシがあるかあちゃんたちが、「じゃあ自分とこの村のかぶはどんな形」と聞かれても答えられなかったという。しかしこれまですっと、母から子へと、種そのものも含めてつくり継いで来た赤かぶの形を忘れようはずもない。男衆は忘れても、かあちゃんたちの心の根っこには、形はおろか味わいまでもしっかりと刻まれている。

その心に刻まれたかたちが、明るく積極的な形で語り始められ、自分たちの“たからもの”を残す取り組みに広がろうとしている。

三岳黒瀬かぶでは、女性グループ“こまくさの会”が道の駅三岳・黒田直売所でそれぞれ加工品開発、販売に取り組む。三岳黒瀬かぶは、昭和33年に現在の牧尾ダムに沈んだ黒瀬地区でつくられていた赤かぶで、最近まで絶滅したとされていた。それが平成14年、たったひとり木曽町三岳地区に移住し、45年の歳月をつくり継いで来た方がいたことがわかり、こまくさの会が中心となってこれを復活させようという取り組みとなっている。

木祖村の直売所“愛菜”は、この地域の女性グループ“しょう漬けの会”が運営している。自分たちが開発した赤かぶ漬けを、そのパッケージに印刷されたネーミングを見せ「どんなんがいいかねぇ」と相談を持ちかけられた。確か“田舎の赤かぶ漬け”とか、そんな変哲のない名前。ふと「ここらへんでは母ちゃんのことを何て呼ぶんです?」と聞くと「“かっか”って言うよねぇ」「いいじゃないですか。“かっかの赤かぶ漬け”にしましょうヨ」。

かっか。ヘンな名前だヨと怪訝そうに笑うかあちゃんたち。心をよぎった思いは、この木曽で暮らしを明るく紡ぎ続けてきた“かっか”たち、何百年も、我が家のタネをを守り継いできた女性たちが抱く、赤かぶへの愛着だ。

現在、互いに知ることもなかった木曽の山里の6つの地域の6種類のかぶが、積極的なかたちで結ばれ始めている。それが木曽農業改良普及センターの音頭とりで平成15年に発足した“木曽赤かぶネット”だ。御嶽山の山懐、厳しい自然と険しい山峡に阻まれて、今まで交流もわずかだった村々が、赤かぶでお祭りを催して、違いはあっても同じ系統の赤かぶ、同じ暮らしの根っこを持つ女性たち。少しずつ話題を持ち寄り、共通の“たからもの”を分かち合おうとしている。

冒頭に、わずか25年でいくつかの品種が絶えた可能性もあると書いた。それは今まさに消え去ろうとしている限界集落と、かぶが運命を共にせざるを得ない事実の裏返しでもある。山間部で今もつくられている赤かぶは、現在進行形の山里のかあちゃんたちの“たからもの”の象徴なのだと言える。平均年齢67才。10年先が見えないようなギリギリの時代に、木曽の“かっか”たちが見出した“光”が輝き始めた。

その後にも先にもない瞬間が、今この時なのだ。