タイプ
その他
日付
2007/12/17

第5弾「干し柿」(4/5)


4. 人物紹介


堀部庫一さん(78歳)、芳恵さん(77歳)

「堂上蜂屋柿振興会」会長の堀部庫一さんと、その妻、芳恵さん。
専業農家としての長い暮らしの中で、養蚕に始まり、羊毛のための羊を飼ったり、黒毛和牛を飼ったり、いろいろな経験を重ねてきた。「百姓は、百のものを作るんや、柿だけ作ってきたわけやないで」と言う堀部さんは、さすがは会長さんで、天候の変化にも左右されず、毎年、安定した質の高い柿を作る名手として名を馳せている。実も大きく、ほとんどが350gを超える大玉ばかり。

蜂屋柿は、イタリアのスローフード協会の守りたい食の遺産『味の箱舟』にも選ばれたが、堀部さんは、トリノで開かれた世界大会『テッラ・マードレ』にも、美濃賀茂市長らと参加、干し柿作りの手間をアピールした。

今年は、柿の芽が出る頃、遅霜にあたったことから、どの会員も実のなり具合が悪かったと残念そう。突然、押しかけて、せわしなく撮影し、取材する私たちに、半分、冗談めかして言う。「あんたらみたいな、せっかちな仕事はいかん。ゆっくり考え、考えてやってくのが百姓や。肥料も撒いたら、3ヶ月も先にやっと収穫。気の長い仕事や。」名人の蜂屋柿作りには、人生哲学が詰っている。


村瀬琴子さん、その息子の裕久さんと妻の恵子さん

琴子さんは、地元の遺産、蜂屋柿を残した功労者、父の俊雄さんの遺志を受け継ぎ、頑固に干し柿作りを守り通した。偉大な師でもあった父、協力者だった夫を平成4年、次々と失い、周囲が干し柿作りを断念するよう促す中でも、ひとりでこれをやり遂げた。父親とともに40年、その後も10年、磨き続けた柿続きの技は、岐阜の県知事から「蜂屋柿名人」の称号を受けた。

村瀬家の庭は、干し場として、半分ほどだったものを山を削って広げたもの。ここに並ぶ傾斜のついた竹と杉製の干し台は、四角い木製の台車では突然の雨には対応できても風通しがやや悪いので、これを改善すべく琴子さんが考案したもの。これによって、天日干しの期間も一週間ほど縮まった。入口には、昭和五年、この町から蜂屋柿の木がほとんど消えた時、夫の俊雄さんが、その木から少しつづ増やしていったという蜂屋柿の「母なる木」が残る。

10月末から12月半ばまで、加工の頃は、若い親戚の人も手伝いにつめかけ、その
現場を手際よく仕切るのは、恵子さんと夫の裕久さん。まだ40代初めの二人は、
蜂屋柿の未来を背負っていく希望の若手。


井上美恵子さん(56歳)と佐野綾目(71歳)さん

美濃加茂市へ観光にくる人が、地元の素材を使ったおいしいものに出会えるのが、旧中仙道沿いに建つ『中仙道会館』食堂。井上恵美子さんを中心に富加町伊深から通う女性たちが、日替わりで料理を担当。午後2時までなら、自分たちの集落と美濃加茂市内の農家、街道沿いの魚屋から仕入れた素材ばかりを使った郷土料理を手軽な値段で味わえる。

井上さんが暮す伊深は、300人ほどの集落だが、そこには、王や長島監督など著名人も座禅に訪れる禅寺『正眼寺』がある。雲水の寺として知られ、集落には、毎月、雲水が托鉢をして米などを乞い、集落は、その食事を振舞う風習がある。その礼として、寺では、舎利講といい、年に一度、精進料理を村人に振舞う。そうした特殊な風土から、この集落の伝統料理は、どんな素材も無駄にせず、これを生かす料理は薄味である。

井上さんは、戦前、この地に暮らし、パンやじゃがいも料理などを地域に伝えたドイツ人女性、佐野えんねさんの次女で、教育委員長も勤める佐野綾目さんら有志と、昨年、『伊深の伝承料理を伝える会』を発足した。郷土料理の再発見と、若い世代にこれを伝えていくことを始めた。

また、美濃加茂市では、ソニーなどの工場を誘致したことから、ブラジル人の人口が、その1割を占める。そこで正眼寺では、ブラジル移民の子供たちに郷土食や菓子をご馳走する会を催しているが、井上さんらは毎年、これに参加。食を通じ、異文化や異世代との文化交流に貢献している。ちなみに『中仙道会館』の有機コーヒーには、えんねさんが伝えたドイツパンが供される。