タイプ
その他
日付
2008/3/5

第10弾「大根」(2/5)


2.どこに残っているのか


練馬区などによって始まった育成事業


練馬といえば、練馬大根を連想する人は多い。にもかかわらず、練馬の畑で育つ大根のほとんどは青首大根、というのが実情だ。

練馬大根は、5代将軍綱吉が尾張から種を取り寄せて栽培させたのが始まりという言い伝えがある。しかし、その性質や形状からすると、もともとあった練馬の地大根と尾張の大根とが複雑な自然交配を繰り返し、そのなかで優れた特徴をもった大根が出来たと考えられている。

練馬の土壌は、富士火山灰が降り積もった関東ローム層で、大根の栽培には最適。さらに、沢庵漬けの素材として適していたこと、幕府の青物役所での上納大根に指定されたことなどから、栽培が盛んになった。

「沢庵は、江戸中期ぐらいから作られ始めたのですが、最初は農家それぞれで漬けていたんです。それが“あそこんちの樽はうめぇなあ”と評判になると、まわりの大根を集めてきて漬けるようになる。大根を作るより加工するのがうまい人が出てきて、農家から漬物屋に転身するわけです。今でも練馬界隈には漬物屋さんがたくさんありますが、農家から転身した方が圧倒的に多いんですよ」
練馬大根の生産者のひとりである白石好孝さんは、そう話す。

「やがて、明治期になると、生産量は一層拡大する。日清・日露戦争では、兵士のおにぎりの添え物として、練馬大根の沢庵漬けが大量に軍隊に納められた。大正・昭和初期にかけて消費はさらに拡大し、最盛期の生産量は約50万本にも及んだという。

「しかし、昭和30年ごろから栽培は衰退。練馬区周辺農家で一時は約1300haの大根の作付けは昭和55年にはわずか22haに。品種も青首大根にとって変わられることになった。

危機的状況にある練馬大根を何とか復活させたい──。平成元年、練馬区と農家、農協が連携し、練馬大根育成事業が始まった。平成19年度には、区からの委託を受けた17戸の農家が約1万2000本の練馬大根を栽培。収穫体験をしてもらったり、沢庵漬けに利用するなどした。

農地減少のため高砂で栽培される亀戸大根


実は、亀戸大根は、亀戸中を探しても見つからない。その産地は、100年以上も前に引越ししていたのである。

文久年間の頃、亀戸周辺で地大根として栽培されていた亀戸大根。色白で形はニンジンにも似て小ぶりなことから、「おかめ大根」「お多福大根」と呼ばれていた。一帯は荒川水系によって出来た肥沃な粘土質で、亀戸大根の栽培に最適な土壌。また、秋に種を播き、早春に収穫される大根は、江戸の貴重な冬野菜であったことから、急速に栽培が広がった。

ところが、明治37年に総武鉄道亀戸駅が開業すると、都市化の波が押し寄せ、亀戸の畑は減少の一途をたどる。皮肉なことに、ちょうどその頃、産地の名を冠した亀戸大根の名で呼ばれるようになっていた。

畑のない亀戸に変わり、新たに大根が栽培されたのは亀戸から北西に8?の葛飾区高砂だ。

「亀戸大根の栽培地が高砂に移ってきて、もう100年以上は経ちますね」
 そう話すのは、本格的な栽培としては今では唯一となった、亀戸大根生産者の鈴木藤一さん。鈴木さんによれば、高砂で亀戸大根を栽培し始めた先々代が偶然、葉の軸が白いものを見つけたという。通常、葉の軸は緑色で硬いのだが、突然変異によって生まれたこのやわらかい白軸は、粋な江戸っ子たちの心と舌を捉えた。これが今に伝わる亀戸大根だ。自家受粉して大切に増やしたその大根は、今なお鈴木さんの手によって継承されている。

 安住の地を得たかに思えた亀戸大根だが、都市化・宅地化の波は、高砂にも同じように押し寄せていた。現在、高砂で農業を営むのは3戸のみ。直売向けに亀戸大根を生産している農家はあるものの、本格的な生産者は鈴木さんご一家だけになってしまった。現在の生産量は、年間2万本ほど。小学校では体験栽培を。種を希望する人には無償で提供する。鈴木さんは、亀戸大根を後世へ伝えようとしている。

三浦大根ブランドを守り続ける


三浦大根は、古くから大根の産地であった三浦半島に定着し、大正14年に正式に名付けられた。度重なる病気や連作障害に見舞われながらも、その都度乗り越えてきたが、その歴史に終止符を打つような出来事が起こったのは昭和54年(1979)のことだった。
台風が海の塩をたっぷり含んだ強い風をもたらし、この塩がたったひと晩で大根の葉を黒く変色させたり、溶かしたりしてしまったのだ。被害総額は8億円ともいわれ、三浦大根栽培史上最悪の被害に。

そこで応急処置として播かれたのが、青首大根。三浦大根というブランドをもつ三浦では、それまで多くの農家がこの品種を低く評価していたという。しかし、「ないよりはまし」と一部の農家が播いた種が思わぬ好成績を生んだ。こうして、農家が100年以上にわたって育て上げてきた三浦大根は、台風からわずか2年後にはその座を青首大根に譲ることになる。


とはいえ、三浦大根に強い愛着をもつ農家は、今も少数ながらいる。吉田和子さんもそのひとりだ。
「三浦全体で約1000戸の農家がありますが、三浦大根を作っているのは40~50軒ぐらいでしょうか」

三浦大根のシェアは、三浦の大根生産量の1%足らず。しかし、年に3日だけ注目される日がある。正月の大根なますは三浦大根でなくてはダメ、という人が多いため、12月24~26日の3日間だけ市場出荷されるのだ。そのほかは、生産者直売所での販売がメインとなる。三浦大根を栽培する多くの農家が現在は、3日間の市場出荷と直売、そして自家用に三浦大根を。通常の出荷用は青首大根、と切り替えているという。