タイプ
その他
日付
2008/3/25

第11弾「寒天」(3/5)


3.どんなところで作られるのか


岐阜県の恵那市山岡町付近は、11月末から3月初頭にかけて、氷点下5度から10度にまで下がり、冬の冷えこみが厳しい地域として知られている。まず、しっかりと冷え込まなくては、寒天にはならず、傷んでしまうだけである。しかも雪や雨が少なく、比較的晴れる日が多い。寒暖差が激しい。これは、日中は太陽に温められ、よく乾燥できる上、積雪や雨が降るたびに干した寒天を倉庫にしまう手間も少なくてすむ。

こうした条件が、寒天の製造に適した地域であり、現在、点で製造が残っている兵庫県の丹波地方や、やはり山岡より古い歴史を持つ長野県の茅野市なども、同様の条件を満たす土地柄である。季語でも、冷えこむ冬の空を寒天と表現するが、まさにその名にふさわしい空が広がる。

しかし、今回の取材で気になったのは、温暖化の影響である。三浦伸久さんは言う。
「今から30年ほど前は、氷点10度になることもあったし、川が凍って、そこで僕ら、スケートして遊んどったんやで。ところが、最近は、氷点下5度など滅多にないし、雪も本当に少のうなった。」その上、晴れたかと思うと、急に雨が降り出し、雪が降らないかと思えば、季節はずれにどかっと降る。不安定な気候にも、振りまわされ、むしろ寒天づくりの手間は増えている。そんな暖冬の影響で、三浦さんは、後5年もすれば、また生産者がぐっと減るのではないかと心配している。 

寒天づくりが山岡で始まったのは、大正10年、まゆ価の大暴落がもたらした農村の窮地を何とかしようと意図的に持ち込まれたものだった。技師者、大口鉄九郎の指導のもと、若手3人が手をあげ、「三ッ岩寒天製造所」が誕生。やがて米価の低迷もあって、次々と寒天づくりに乗り出す農家も増え、最盛期の昭和32年には岐阜だけで129の工場があり、うち8割が山岡に集中していたという。

ところが、現在では山岡でも11軒。全国でも15軒ほどを残すばかりとなった。
しかも、暖冬の影響で、天日干しの細寒天を作っている手間は、むしろ増大している。暖冬で、寒天を傷めて廃棄しなければならないといった被害を出した業者では、苦労して冷凍庫を備えたものの、これを持てない業者もいる。結果として、若手も継ごうとしているのは、冷凍庫を供えた4社ほどだというのは、何とも皮肉だと、三浦仁憲さんはつぶやいた。

寒天という名で、工業産も外材も十把ひとからげにしている限り、この冬の風物詩である寒天を干す白い風景は、消えてしまうかもしれない。まずは、これを買って食べる私たちが、しっかりと、その価値を理解することが先決だろう。