タイプ
その他
日付
2008/4/23

第13弾「鮭のサッチェプ」(1/5)


「食のたからもの取材レポート」第13弾は、アイヌの人たちが鮭を乾かして作る「鮭のサッチェプ」のレポートをお届けします。アイヌの人々にとって生活的にも宗教的に重要な生き物であった鮭で作ったサッチェプは、保存食として、また交易品として500年以上の歴史を持ちます。様々な要因から作られなくなった鮭のサッチェプを、現在、アイヌ民族博物館が再現しています。農村ライターの長尾道子氏が現状を北海道白老郡で取材しました。








――――――――――― <目次> ――――――――――――
1.なぜ、たからものなのか
2.どうやって作られるのか
3.どんなところに残っているのか
4.どこで味わい、買うことができるのか/5.マップ情報

6.人物ファイル

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■English Version→  Salmon Sacchep


1.なぜ、たからものなのか


 



北海道や東北、千島に先住し、独自の言語「アイヌ語」を持ち、口承文芸や伝統的儀礼、文様など豊かな文化を持っていたアイヌの人々。彼らは「自分たちに役立つもの」「自分たちの力が及ばないもの」、例えば自然や動物、植物などを神(カムイ)とし、それに対して人間のことを「アイヌ」と呼んだ。

狩猟採取民族であったアイヌの人たちは、かつてはその生活の大部分を自然に頼り、人が生きていくために最も重要な「食べ物」についても、季節ごとに狩猟、漁労、山菜採取、農耕を行い、自然界の動植物に依存しながら暮らしていた。そうして得た食べ物のほとんどを様々な方法で保存食にしていた。もちろん獲ってすぐに食べることもあったが、食料を蓄えておくというところに、アイヌの人たちの食生活の基本があった。

中でも鮭はアイヌの人たちにとってなくてはならない食料であり、神(カムイ)であった。鮭にまつわる物語や歌、地名なども多く、漁法にも独特の決まりがあった。アイヌの人たちがコタン(村)を作る際には、食べ物や飲み水が得やすく、災害にあわないような川や海沿いの場所を選んでいたといわれていて、特に鮭が遡上する川筋が喜ばれたようだ。

『アイヌ神謡集』の著者である知里幸恵を姉に持ち、東京帝国大学で金田一京助に学んだ、北海道登別市出身のアイヌ語言語学者、知里真志保著作の「分類アイヌ語辞典動物編(平凡社)」では、鮭の類は実に10ページ以上あり、季節、海にいるとき、川に入ってから、成長段階、性別、大小などでそれぞれの名称がある。このことは鮭がそれだけアイヌの人たちの暮らしになくてはならない魚だったことを意味している。

サッチェプを知る上で、まずはアイヌの人々にとって鮭とは何かをあきらかにする必要がある。次の内容は、前述の知里真志保著作集からの抜粋である。

“魚を意味する「チえプ」の語源は、chi-e-p「われら・食う・物」の義である。魚はまた「イペ」(ip’e)とも言つた。だからウナギを「タンネ・イペ」(t’an-ne-ipe 長い・魚)、鱒を「サキペ」(sak-ipe 夏・魚)、鮭を「チュキペ」chuk-ipe(秋・魚)と言う。この「イペ」もまた語原は「食物」の義である。このようにchepといいipeといい本来食物を意味した語が、後には魚の名称になつているという事実は、きわめてしさ的である。それはアイヌに魚を主食とした時代のあつたことを物語るものである。ここで魚を主食としたと言っても、あらゆる魚を主食としたという意味ではない。ある特定の魚を主食としたと考えるべきである。ではどういう魚を主食にしたかというと、名称の起原から考えて、それは鮭である。”

確かに、鮭はカムイチェプ「神・魚」、シペ「本当の・食物」と呼ばれ、鮭にまつわる物語や歌、地名の伝説なども他の動物とは比較にならないほど多い。

“鮭を「神魚」と称し、「真魚」と称するのは、やはりこの魚を主食と考えた時代のあつたことを物語るものであり、そこからこの魚を特別に尊重して別格に扱おうとする心理も生れたと見られるのである。最初の漁はたぶん川に起つたのであり、最初の漁獲の主なる対象は、おそらく鮭だったのであろう。アイヌは川に鮭の上らぬ年を饑饉と観じたが、そういう心理もそうした時代を背景において考える時にだけ、はじめて充分に理解されるのである。”

この文面からも、鮭はアイヌの人々にとって生活的にも宗教的にもとても重要な生き物であったことがわかる。

たくさん獲れたからこそ、保存する技術も早い時期から発達したようで、サッチェプは、アイヌの人たちを史料の上で確認できる15世紀頃から、蝦夷三品(昆布・鰊・干サケ)の交易品の一つとして記録されている。保存食としてだけではなく、他地域の人たちとつながるための大切な品物であったことがわかる。

保存食として、交易品として500年以上前から作られていたサッチェプ。アイヌ民族博物館の村木美幸学芸課長によると、かつては一軒の家で2000本くらいのサッチェプを作っていたという記録が残っているそうだ。

しかし、現在昔ながらのやり方でサッチェプを作るところはアイヌ民族博物館くらいではないかというのが、関係者の声である。

歴史を顧みると、和人が蝦夷地へ足を踏み入れてから、様々な形でアイヌの人々を日本に帰属させようと、彼らの古来からの風習や習慣を禁じようとしてきた。明治に入り、新政府はそれまで蝦夷地だったものを北海道と呼び改め、アイヌの人たちを「平民」として戸籍を作成したが、一方では「旧土人」と差別し続けた。開拓史もまた、アイヌ民族の言語や生活習慣を事実上、禁じ、和風化を強制する政策を取り始める。そうして明治32年(1899年)にアイヌ民族を和人に同化させるため「北海道旧土人保護法」が作られ、実に平成9年(1997年)まで続いたのである。

この数百年の間、アイヌの人々は自由を奪われ、従来の暮らしそのものを続けることが困難な状況にあったが、それでも昔からの素材で新しい調理法を試したり、調味料などで味付けを工夫する家庭もあった。また、昔作っていた保存食を改めて作り始めた人もいる。しかし、サッチェプの場合、昔のように作り続けるには、鮭が大量に手に入り、寒風が吹き、囲炉裏のある施設がなければ難しい。現在、アイヌの人々が私たちと全く変わらない暮らしをしていることから考えても、個人で作っている人がいたとしても少数だと思われる。


アイヌ民族博物館がサッチェプを作るようになった理由として、(1)アイヌ文化の伝承活動の1つとして残していこうということ、(2)チセ(茅葺きの家)の耐久性を高めるために、毎日囲炉裏で生の丸太を燃やし、煙を出して燻すなど、サッチェプを作るための条件が備わっていたために作りやすかったこと、(3)入場料金で博物館を運営していることから、資金となる取り組みを考えなければならなかったこと、(4)そして、何より展示品であったサッチェプに興味を持つ人たちの「食してみたい」という要望の高まりがあったことが大きかったと言う。こうして10年ほど前から、本格的にサッチェプを作り始めた。

アイヌの人たちがかつて保存品として、交易品として作ったサッチェプは様々な要因から作られなくなっていたが、今、新たな形で生まれ変わったサッチェプ作りは、アイヌ文化を伝承するきっかけになっていることだけは間違いない。伝承しているのは今のところ1ヶ所ではあるが、手間と時間をかけた製品にはリピーターも多く、需要も高まっていることからも、これは「食のたからもの」に値する価値のある食文化である。



参考文献
「アイヌの歴史と文化」 1994年 財団法人アイヌ民族博物館
「アイヌ文化の基礎知識」 昭和62年 財団法人白老民族文化伝承保存財団
「アイヌの人たちとともに」-その文化と歴史- 2006年 財団法人アイヌ文化振興・研究推進機構
「知里真志保著作集3 生活誌・民俗学編」
「知里真志保著作集 別巻I 分類アイヌ語辞典 植物編・動物編」1976年 知里真志保 平凡社
「聞き書アイヌの食事」 1992年 社団法人農山漁村文化協会

注:本文中の「サッチェプ」の「プ」は、発音を考慮すると小さく表記したほうがより原語に近いとのアイヌ民族博物館の指摘がありましたが、フォントの表示の関係で、「サッチェプ」となっています。