タイプ
その他
日付
2008/5/7

第14弾「わさび」(2/5)


2.どうやって作られるのか



急傾斜のわさび田と石垣の整備



現地に足を運んで気づかされたのは、わさび農家の高い技術である。何世代も遡る先祖たちが、鬱蒼たる森を開墾し、石だらけの山肌を掘り、岩に楔を打ち込んで砕き、あるいは河原から石を背負って運び、立っているのがやっとの傾斜地に、みごとな石積みの棚田を作り上げた。岩をドリルで砕くようになって久しいが、機械の重さは20キロ近くあり、大変な力仕事でもある。

有東木を含む「安倍山葵業組合」の現組合長である小澤隆弘さんが「新しいわさび田を開くと、必ず、昔の人は、そこで記念写真をとり、親戚や知人に送っているんですよ」と古い写真を見せてくれた。それほどの大仕事だったし、誇りを持っていたのだろう。

 


そして、沢わさびの生産者は、今も、この石積みを補修する技を身につけている人が多い。また、わさび田は、栽培期間中に粘土や虫の屍骸、腐った葉などの有機物が溜まり、これらが原因で水の流れが停滞すると病気が発生しやすくなるので、収穫後、次の稲を植えるまでの間に「作土洗い」をする。作土洗いは、まず、ポンプによる噴霧器で洗って、粘土や有機物を流す。次に作土中に残っている根を拾い、平らにしていく。




また、わさび田には、渓流に沿って田を作る山口県や島根県、兵庫県に多い渓流式、これを改良し、安倍で生まれ、奥多摩や山梨県に残る地沢式などがある。ところが、生育がそろいにくく、収量もやや少ないことから、伊豆の天城山麓で畳石式が生まれた。『わさび』(農文協)の著者、星谷佳功氏によれば、畳石式は、浅い地沢式に比べ、深いところに大石を敷き、その上に小ぶりな石の層、さらに15センチほどの作土層からなり、水はけもよく、養水量が豊富で、質のよいわさびが育つという。

有東木や安倍地区でも、高い部分には地沢式が残っているが、畳石式がほぼ主流になってきている。その他、静岡県の御殿場・小山地方には、富士山の豊富な湧き水と火山れきを使った北駿式と呼ばれる平たいわさび田もあり、田のかたちも多様である。





品種と水の管理について


「どの家でも、その家に伝わる独自の栽培法を大事にしていて、人によってまったく違うのが、わさび農家です」と断わっておいて、小澤さん親子がわさび田に案内してくれた。

昔は、どの農家も地苗、つまり株分けを続けてきたが、すると親株から病気を受け継ぐ危険がある。これを避けるため、小澤さんは実生の苗を使う。

わさびは、3~4月、可憐な白い花を咲かせる。さやをつけた長い蔓が石垣に垂れたところをさやごと採取する。種は乾燥に弱いので、湿度のあるところで保存し、ハウスで苗を育てる。

これもいっせいには芽を出さず、発芽には10日ほど。花から種をとる実生の苗も、数年前から普及し始めたメリクロン苗にしても、大きさも形も7割そろえばいい方だという。

このメリクロン苗について、小澤さんは「あれは、人工的にホルモンのバランスを変えて、10株にでも分けつするような、非常に特殊な苗です。それに毎年、高い苗を買わなければならない」とやや懐疑的だ。実際、3年前にこの種に切り換えた農家も、「成長もよく、均一に育つけど、やっぱり3年もすれば苗を買わなきゃならない。その苗が一本130円もするからね」とこぼすが、その価格はなおも上がり続けているという。

「わさびが、極端に生育地を選ぶこともあって生産者が少ない。それだけに研究もあまり進んでいない。そこで実際には、農家の数だけ品種があると言ってもいいくらいです」と小澤さんが言うように、何種類もの品種を育てている農家が多い。

代表的なものとしては、昭和30年頃から増えたダルマ種。「根茎がだるまのようにごろりと丸い」伊豆ダルマなど、各地の地名を持ついろいろな品種がある。また、静岡県で根茎が腐る病気が発生し、狩野川台風の被害も重なり苗不足になった頃、この病気に強い種と和歌山の真妻村から伝わったマズマ種が伊豆を中心に普及。「わさび漬けがピンク色になるほど茎が赤く、辛味も強いけど、アクもまた強い」品種だという。

小澤さんの畑にも10種類以上のわさびが混在し、自宅には「みどり」「薄紫」「高光」などと書かれたわさびの古い標本が保存されていた。




大事に育てた苗は、わさび田に移し変え、11~18ヶ月かけて育てる。根茎の重さは、平均200~300g。「中には600gなんて大きなワサビもあるけれど、やはり大き過ぎると水っぽい」そうだ。

栽培で肝心なのは、水の管理で、水が少な過ぎず、均一に流れること。また、水の跳ねる場所では育ちが悪いため、石積みから直接、水がこぼれる棚田では、昔は杉の枝を石垣に差し込んで、これを防いだ。だが、昭和40年代からはトタンなどに代わり、身勝手な言い分だが、やや風情を欠く。

湧き水で年間を通じて温度差がそうないこと。サハリンにも自生するワサビは寒さには強いが、凍らないよう冬はネットをかけ、暑さに弱いから夏は日除けをする。かつてはハンの木などを植えたが、今では陰を作り過ぎると、これも見られなくなった。

また、わさび栽培は、流れる水を利用し、その水が周囲の環境に影響を及ぼすことから、ほとんど農薬の使用が禁止されている。ごく最近、アブラムシ対策の農薬だけが許可されたが、安倍地区では、その被害もなく、使う人はほとんどいないという。むしろ、カワゲラのような川虫(水棲昆虫)がわさびを食害することで全滅することもあるが、これには手の打ちようがないという。

ふたたび注目される薬効


収穫後も、わさび農家は忙しい。まず、わさび田で色の悪い茎や葉を取り除く。今度は家族総出で、根茎を選別し、伸びたひげ根や虫食いなどを切り取って、かたちを整える。わさびは、根茎の他も捨てるところがない。葉はそのまま、おひたしや天ぷらにしてもおいしいし、ひげ根も練りわさびなどの材料として出荷される。春、花の咲きかけた頃の軟らかい茎は、さっと湯通しし昆布と合え、有東木ではこれを葵漬けと呼んでいる。また、わさび漬けは、細かく刻んだわさびの茎に根も混ぜ、酒粕と和え、塩と砂糖で味つけしたもの。また、根茎をすり下ろす場合、わさびの辛味を引き出すには、サメ皮が一番だと言うが、耐久性に欠けるとステンレスの卸し金を押す人もいる。

 



近頃、わさびの葉や茎を買いつける漢方薬や健康食品の業者が増えた。わさびにはビタミンCも豊富で、『ワサビのすべて』(木苗秀直・小嶋 操・古郡三千代 著、学会出版センター)によれば、沢さわびの根茎の抽出物が、乳がんとメラノーマの増殖を抑えたという研究報告もあり、その抗ガン効果への関心や洋食への幅広い応用から、ふたたび注目を集めている。しかし、山間部のおいしい湧き水を使って栽培される沢わさびは、農薬を使わずに作られている。環境にやさしい食が見直される今後、さらにその価値が見直されていくことだろう。