タイプ
その他
日付
2008/5/21

第15弾「フナ寿司」(1/5)


「食のたからもの取材レポート」第15弾は、フナ寿司をお届けします。食物を発酵させ保存する技術は、不作・不漁に備えて食べ物の寿命を延ばすだけでなく、味覚も栄養もさらに豊かな食物に変化させます。フナを塩と米に漬け込んで発酵させて作るフナ寿司は、近江の人達に愛され、作られ続けてきた郷土食です。現在、その生産量・消費量は伸び悩んでいます。フリーライターの藤田千恵子氏が滋賀県守山市などで現地調査を行いました。






――――――――――― <目次> ――――――――――――
1.なぜ、たからものなのか
2.どこに残っているのか
3.どのように作られているのか
4.どこで味わい、買うことができるのか

5.人物ファイル

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■English Version→  Funa Zushi

1.なぜ、たからものなのか


野菜、果物、魚、肉。私たちが生きるための大切な糧である食料は、「生鮮」の状態のままでは、その寿命ははかなく短い。時間を経た生鮮食品は、水分を失って萎れ、あるいは腐敗することになり、体内に取り入れるには危険なものになってしまうからである。鮮度が命である生鮮食品にとっては、ある意味、時間は「敵」なのだ。

ところが、その時間を敵ではなく味方につける方法を得たのが、「保存のきく食=保存食」の製造法である。食物としての命を長らえさせ、そればかりか「生もの」だった時よりも、 味覚的にも栄養的にも、さらに豊かなものに変化させる。それが、乾物や醗酵食品を含む保存食である。旬の新鮮な食物は、むろん人間にとって必要なものだが、しかし、人間の都合ばかりにあわせて、農作物が実り、魚が泳いでくるわけではない。雪に閉ざされる時期もあれば、不漁が続く時もある。そんな不作・不漁の時に備えて、いにしえの人たちは、切実な思いで、食べ物の寿命を延ばすことを考えたに違いない。生きていく限りは、食べ続けていかなければならない人間が、その必要性から思案し、試作し、考案し、守ってきたのが伝統技術としての保存食・醗酵食品である。

醗酵と腐敗は、共に微生物と時間の経過が関わることでは一致するが、「腐敗する=食べられなくなる」ことと「醗酵する=食べられる」こととの分かれ道は、放置されて単なる雑菌がつくか、有用菌の性質を知ってそれを生かすことができるか、という違いにある。たとえば、魚を例にとって考えてみよう。鮮魚を放置すれば、ただの腐敗に至るが、塩を用いて漬け込めば、雑菌は排除され、有用な微生物だけが働きだすことで、魚のたんぱく質はアミノ酸の旨みに変化して、魚醤や塩辛や酒盗などの保存食が出来、さらに、そこに米が加われば、なれ寿司(※1)が出来上がる。

※1「なれ寿司」とは、現在の寿司の原型ともいわれるもので、魚を塩と米に漬け込むことで醗酵させ、天然の乳酸菌の働きにより酸味を含んだ旨みを醸し出す、いわば魚の漬け物のようなもの。江戸後期に酢を用いて作られた握り寿司とは、形態も風味も大きく異なる。





(上記2点 写真提供:喜多品老舗)


今回の主役である琵琶湖のフナ寿司もまた、このなれ寿司の一種で、日本最古の寿司の形態を残したものとされる湖国の伝統食品である。琵琶湖で獲れた新鮮なフナをまずは塩漬けにし、その後、さらに炊いた米に漬け込むことで醗酵が促進され、さまざまな微生物の力、特に乳酸菌の働きで酸味が生成される。完成までには早くても1年。あるいは2年、3年と熟成を重ねたフナ寿司は、身も骨も米の中で柔らかく変化し、「チーズのような」とも形容される、独自の匂いと旨み、酸味とが醸し出されていく。

フナ寿司の歴史について詳しい研究者・日比野光敏氏の論文「近江のふなずしの歴史」(環境と食の研究会刊『「ふなずし」を考える』に収録) によれば、奈良時代の文献資料である正倉院文書に「鮨」の文字が見られ、また、同時代の『長屋王邸宅跡出土木簡』にも筑前(現在の福岡県)産のフナ寿司の名が残っていた、という。

これに対し、近江(滋賀県)のフナ寿司の成立がいつであったのかを特定する資料は、現在のところでは見つかっておらず、その成立時期はいまだ不明のようだが、室町時代に入ると、公家や武家の贈答品として近江のフナ寿司は、しばしば文献に登場していたとされる。さらに江戸時代に移ると、近江のフナ寿司は、近江諸藩の名産品として幕府に献上されて、「将軍家御用達」の名誉も受けていたそうだ。

かように長きにわたって、近江の人たちに愛され、造られ続けてきた郷土食・フナ寿司は、ほかに替えようのない独特の珍味として、県内のみならず全国各地の人たちにも愛好されてきたが、現在、その生産量消費量は、順調に伸びているとはいいがたい状況にある。

 




その原因は複合的であり、ひとつに絞ることのできない様々な理由によるが、まずひとつには、フナ寿司の原料となる琵琶湖固有種の魚・ニゴロフナの漁獲量の変化が挙げられる。その背景には、むろん、ニゴロフナの生息地である琵琶湖そのものの環境も大きく関係している。護岸工事によって産卵地となるヨシ帯が減少したこと、ブルーギルやブラックバスなどの外来魚が琵琶湖に流されたことで起こった生態系の変化など、ニゴロフナにとっては、受難ともいえる事態が続いたのである。1988年には、198トンだったニゴロフナの漁獲高は、9年後の1997年には、18トンにまで減少。それは、同時にフナ寿司作りに携わる人たちにとっての受難の時期でもあったのだ。原料が手に入らない、ということで、フナ寿司作りを休業したり、代替の原料として輸入魚を利用してみた結果、仕上がりの風味が変わって客足が遠のいたり、あるいは、原料の高騰でフナ寿司の価格もはねあがり「高嶺の花」的な存在になってしまったりと、フナ寿司とそれを愛好する人々の間の距離が開いてしまった時期があったことは否めない。

【出典:滋賀農林水産統計年報(近畿農政局 滋賀農政事務所)】

だが、明るい兆しもある。滋賀県水産試験場の発表によれば(2008年4月9日の京都新聞紙上にて)、1994年から始められたニゴロフナの生息数の調査の結果、2006年度の推定生息数は619万尾(内 放流魚415万尾、天然魚204万尾)で、調査開始以降最多であったことが確認されたという。これは、外来魚のブルーギルやブラックバスなどに稚魚が食べられることのないよう、12?の大型稚魚の放流を拡大したこと、水田で育てた稚魚を夏の水抜きと共に琵琶湖に流すという稚魚の放流の定着、および、年ごとに異なる天然魚の繁殖が当たり年であったこととの相乗効果とされる。

フナの生息環境は、巡り巡って人にも大きく関わってくる。琵琶湖のフナ、およびフナ寿司を知っていくことは、同時に郷土の伝統食の在り方、それを取り巻く伝統産業の人たちの技術継承や経済性、人間の味覚、嗜好、食文化の持続性など、さまざまな事柄と関わってくる問題なのだ。