タイプ
その他
日付
2008/7/2

第18弾「釜炒り茶」(3/5)


3.どうやって作られるのか(2)


焼畑の里に“暮らしのお茶”を訪ねる~宮崎県東臼杵郡椎葉村 椎葉フジ子さん~


泉村から1車線ぎりぎりの曲がりくねった道で峠を越えて2時間ほど走ると、そこは宮崎県椎葉村の西の端っこ、不土野の集落だ。椎葉村は県都宮崎市に下るより、北に五ヶ瀬、蘇陽、菊池と遡って熊本市に行くほうが近く、昔から熊本県との交流が盛んな土地柄だ。私たちが通った峠道も地元の方々が“坊主越え”と呼ばれ、県をまたいで、お坊さんが行き来した由来によるそうだ。

椎葉村は宮崎県の西北端に位置する人口3500人の純粋な山村。数百年間、形をほとんど変えず伝承されてきたという椎葉神楽をはじめ、山里の歴史と、暮らしの文化が今も色濃く残されているところ。古くからの焼畑農業が今も営まれている。椎葉村で自家用ながら、釜炒りのお茶をつくり続けている、椎葉フジ子さん(78歳)を訪ねた。


お茶ぐらい自家製で
フジ子さんのご自宅は、椎葉湖に注ぐ小さな支流沿いにある。両側から山が迫り、森が続く急な傾斜の山肌と、川に沿って造成した5アールほどの小さな茶畑。フジ子さんはささやかに、自家用と親戚や親しい方への贈答用として、釜炒り茶をつくっている。

「こっちの挨拶はまずお茶でもどうぞ、だからね」。まあ、お茶でもどうぞと、泉村同様“お茶飲み話”からの取材スタートとなった。お茶請けはヨモギを練り込んだ、手作りの甘い揚げ菓子。手炒りのお茶をいただきながら……

「椎葉では誰の家も山に茶畑持っていて、お茶摘みは昔から女の仕事。うちでは昼女たちが摘んだのを父が揉んでた。その父は、昼は山仕事に出て行って、女たちは茶摘みの続きで忙しい」

フジ子さんのお宅ではお茶の季節の5月になると、1年使う分のお茶を家族みんなでつくっていた。しかし最近はそんなやり方が崩れて、男衆も茶をやれなくなってきているそうだ。それでも椎葉ではお茶づくりは昔ながら、農家の自家製が常識のようなもの。
朝晩の忙しい時間は子どもや父ちゃんたちの三度の世話をしてから、お茶の時間ではない

“お茶の仕事”。母ちゃんたちはこの時期一人で2役も3役もこなさなければならない。
「だから大変なんです。手伝える人手が家にないところは、山にお茶があって釜があっても、つくれなくなってきていて。うちはおばあちゃんががんばってくれてるので、今でもお茶をつくっていられる。おばあちゃんがつくれんようになったら、うちでもどうしようか、となっちゃいます。お茶ぐらいは自分のうちのお茶を飲み続けたい」

平釜は土間の万能選手

お茶飲み話もひと段落、なんとフジ子さん、私たちのために釜炒りをしようと、今朝早くから、時期遅れだが遅摘みのお茶を摘んでおいてくれ、炒りましょうかと釜のある土間に案内してくれた。

6畳ほどの狭い土間に、90cmほどの平釜が黒光りしてコンクリートの土台に鎮座していた。これは泉村で見た茶専用の釜というより、煮炊きに使う大きなカマド。炊き口に薪を入れ、みんなで手伝って火を起こし、カメラのセッティングをしてスタンンバイ。フジ子さんの釜炒りが始まった。

薄暗い土間、天井の小さな窓から外光が葉を照らす。フジ子さんはカシの木で出来た手製の掻き棒を右手に持って、器用に生葉を炒り込んでいく。ぱちぱちっと葉がはぜる音、生葉の水分で立ち上る湯気。下手な加勢が災いしてか火加減も安定せず、煙も出てカメラマンも涙を流しながら、フジ子さんの心遣いに応えるべくシャッターチャンスを覗う。遅い時期の硬い葉で、炒り上がりに20分ほどを要しただろうか。こんなもんかね、と家庭用(?)3,4kgほどのの揉捻機に炒り葉を移動、スイッチを入れた……

手積み手炒りの自家製のお茶はこれを繰り返して完成させていく。作業をしながらも、お茶飲み話は続く。この釜ではこんにゃくや豆腐、タケノコも茹でたり、色々と使う万能釜だそうだ。だいたいの家庭に据えてはあるが、お茶炒りにも使っているご家庭は、さきほどの事情で少なくなっている。

「お茶の時期の段取りは、昼お茶を摘んで、倉庫で広げて置いておきます。電気がなかったときは、夜仕事できなかった。夜は火がもったいないので、早く寝なさいということだった。どこの家でも昼摘んで翌朝茶にする。次の日朝5時に釜炒り、のくり返しです。ひと晩寝かせると、ちょうどいいように葉がしおれて、炒りやすくなります」

……夜に倉庫で寝かせておいて朝釜炒り。泉村の船本さんが話した、香りを引き出すために行なう萎凋の工程と同じではないか。それが茶の香気をもたらすとは知らずに、フジ子さんのところでは仕事の段取りとして当たり前にこなしていた。14世紀の中国も、鉄釜でのお茶を始めた頃のこんな自然な段取りから、香りのお茶に導かれていったのではなかっただろうか。そんなことを考えている間じゅう、部屋には炒りたての香ばしい香りが満ち満ちていた。

お金じゃない流通が存在している





フジ子さんのお宅ではお茶パックが大活躍していた。恥ずかしながらこのスグレモノを知らず笑われてしまったが、念のため説明すると、タテ4cmヨコ5cmほど、茶葉を入れてフタができる不織布の袋のことである。このお茶パックに自家製のお茶を入れ、大きいやかんに投入、淹れたお茶を家族の皆がペットボトルに移して職場に学校に持っていく。

マイティーだ。椎葉ではみんながマイティーを持っているという。椎葉の人々はお茶との距離が近い。お茶をお金で買うという観念がないかのようだ。

「自家製のお茶は椎葉の自慢、最高の贈り物になっていて、それは他のうちでも同じです。釜炒りはできないけれど、近くに茶工場があるので茶摘みだけは自分ちでやってる人が多いです」

皆、「自分ちのお茶だよ」と親戚や友だちに贈ったりと、それが当たり前、“自給”と“互酬”の感覚がある。

フジ子さんから、「カチャアリ」という言葉を聞いた。「かていり」、「互いに手伝う」、「加勢し合う」、結のような、この村の慣習なのだそうだ。この村では“手づくりのお茶”が、その媒介役となって、お茶で人をもてなす文化が、しっかりと生きていた。