タイプ
その他
日付
2008/7/15

第19弾「棚田米」(1/5)


「食のたからもの取材レポート」第19弾は、棚田米をお届けします。地理的条件の悪い山間部の傾斜地に開墾される田圃である棚田は、多面的な機能を持ち、先人が培った知恵と技術と労働の結晶といえます。米の消費量減少につれて、耕作条件の不利な棚田は、現在まさに放棄の対象となっています。朝田邦子氏(株式会社風土倶楽部代表取締役)が、京都府宮津市で現地調査を行いました。

――――――――――― <目次> ――――――――――――
1.なぜ、たからものなのか
2.どうやって作られるのか
3.どんなところに残っているのか
4.棚田百選マップ/5.どこで味わい買うことができるのか

6.人物ファイル
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■English Version→  Rice Grown in Rice Terraces

1.なぜ、たからものなのか


耕して天に至る


 各地で棚田に出会うたびに日本文化の源流は山間にあると思わせられる。見事に築かれた石積みや土坡。田の形に添って整然と植えられた稲。日本古来の丁寧なものづくりの象徴のような棚田のほとんどは「地理的条件が悪く、農業の生産条件が不利な地域」(食糧・農業・農村基本法)と規定されている国土の70%を占める中山間地域に存在する。 「棚田」という言葉が古文書に登場するようになったのは室町前期である。傾斜地に等高線に沿ってつくられた水田のことをいう。山に沿って造られた田圃ということで「山田」と呼ぶ地域もある。開墾しやすい小規模な平地や傾斜地がなくなり、石積みや水利などの農業土木の技術が発達するとともに開墾が困難な傾斜地も利用されるようになり、棚田はどんどん天に近づいていったのだろう。日本の先人が培った知恵と技術と労働の結晶といえる。

  

[左、中:丹後石積み(撮影:朝田邦子)][右:雲仙市積み(撮影:朝田邦子)]

 
現代では棚田のもつ次のような公益的かつ多面的な機能が注目されている。
保水・洪水調整機能:雨を溜め込み、地下にゆっくりとしみこませ、ゆるやかに川に流し込んでいくダムとしての機能が働くことで洪水を調整することができる。同時に棚田がフィルターの役割をして水を浄化する。

地すべりの防止:棚田は地すべり地域に開かれたものが多い。それは地すべりによってできた傾斜地が保水性をもつことから、開墾しやすかったことが考えられる。田圃として使うことで常に斜面を手入れすることが地すべりの防止につながる。

生態系の保全:棚田は、周囲の森や林の木々が蓄える水をはじめ、田圃をゆりかごにして育つ蛙や虫などの生き物の命をゆっくりと自然に即して循環させることができるため、自然本来の生態系が育まれる。

景観:食べ物をつくるために人の手が生み出した芸術ともいえる棚田の風景は、周囲の自然と溶け込み、大きな安らぎを与えてくれる。

 「農林業センサス2005」によれば、現在、全国におよそ54,338ヶ所、約14万ヘクタールの棚田がある。中国地方には約2万ヶ所におよぶ棚田があり、県別では岡山県、広島県、新潟県の3県で全棚田の面積の半分を占めている。
 

激減した米の消費量と棚田


先人たちが、耕作が困難な傾斜地に田んぼを開こうとした背景には、常に米が至上の食べ物として君臨してきたからにほかならない。平安時代には、すでに年貢は米に特化され、荘園を富ませた。秀吉の時代にはすべての土地生産物を米に換算して検地帳に記載されることとなり、徳川300年の治世において米の石高制社会が形成されていった。換金作物として最大の価値を持つ米のために、人々は汗水を流し、血のにじむような努力を重ねてきたのだ。それでも飢饉にしばしば苦しめられ、米は常に人々の暮らしに大きな影響を与えてきた。ところがこの数十年の間に米は有史以来初めて“余る”作物、金にならない作物へと激変したのだ。
 終戦直後、食糧難だった時代には日本は海外から米を輸入しなければならなかった。当然、国は米づくりを奨励し、大規模な土地改良事業が各地で行われ、作業効率の悪い小さな田んぼは統合され、大規模な米づくりへと転換されていった。品種改良や農業技術が向上するとともに農作業の機械化が始まり、米の収量は飛躍的に増加した。昭和43年には耕運機の生産がピークを迎え、米の生産も過去最高の1,445万トンに達した。そのため、一転して米が余りはじめ、ついに過剰米問題が深刻化することとなり、昭和45年には減反政策が始まった。
 米が余りはじめたのは、農業周辺の事情だけではなく、食の欧米化により米の消費量そのものが急降下していったことも大きな要因の一つだ。昭和30年代には年間一人当たりの消費量はおよそ120kgだったが、現在では62kgまで減少した。米の生産量は、平成18年度は約855万トンとこれも半減した。代わりに小麦の消費量は、昭和40年代の約480万トンから平成16年には約630万トンへと増加し、日本人の主食の座を分け合うことになっている。ちなみに小麦の生産量は昭和35年には153万トンだったが、平成18年には約84万トンにまで落ち込んでいる。平成18年度における自給率は米が100%、小麦は13%である。
 農業者の67%が60歳以上を占め、高齢化が著しいことから、各地の耕作放棄地は年々増加の一途である。平成19年度の農林白書によれば、耕作放棄地面積率は、平成7(1995)年には6%だったが、平成17(2005)年には10%に増加した。平成17年には、東京都の面積の1.8倍に相当する38.6万haとなっている。中でも中山間地域の耕作放棄地は20.8万haにおよび、約半分の面積を占めている。特に中国地方での耕作放棄地が急増していることから、棚田の維持が急速に難しくなっていることが予想される。米づくりの変遷から見ても、機械化により平坦地にある水田との格差が顕在化し、もっとも条件の不利な棚田はまず耕作放棄の対象となって行ったと思われる。


食文化の基礎


 米は、主食としてだけではなく、味噌や酢の調味料の原材料として日本の伝統的な料理を発展させ、食文化を形成してきた。日本の代表的な食材である米と大豆の組み合わせは、お互いに不足しているアミノ酸を補い合い、動物性たんぱく質に近い栄養を得ることを可能にし、肉類をほとんど摂取しない日本人の健康をしっかり支えてきたといえる。食の欧米化と飽食により、内臓脂肪型肥満、すなわちメタボリックシンドロームが社会問題化する今こそ、日本の食とその基盤となる米を見直す時期だといえる。